平塚七福神が祀ってある寺院の境内で秋の七草が見られると云うので行ってみました。
時節柄、今日(9月21日)は七福神よりは秋の七草をメインに見て回ることにしました。
又、平塚七福神は次の順で回ることにしました。
春日神社-妙安寺-長楽寺-三嶋神社-善性寺-蓮光寺-平塚八幡宮
<平塚駅>
平塚駅で降りるのは2011年10月「相模川の馬入橋にコスモスを見に行きました」に行って以来の2年ぶりになります。
平塚駅北口で降りて旧東海道を通って西の方にある春日神社に向かいました。
平塚市民センターの前にある「平塚宿(旧東海道)史跡絵地図」で現在地を確認します。
神奈川銀行の先の道(平塚海岸秦野線)を右折して暫く歩き2本目位の道を左折すれば春日神社には着きそうです。
「平塚宿史跡絵地図」の傍に「平塚宿の江戸見附」がありました。
「平塚宿の江戸見附」は名前からすると江戸に入る人々を監視する見張り場だったのかも知れませんね(私も監視されているかも)?
平塚宿脇本陣跡の碑や平塚宿高札場の蹟を見ながら神奈川銀行の脇の道を右折します。
<春日神社(かすがじんじゃ)>
途中、道を間違ったせいで平塚駅から春日神社まで来るのに40分近くもかかってしまいました(トホホ!)。
春日神社の本殿をアップで撮ってみました。
取り敢えず毘沙門天のお堂があったので撮ってみました。
毘沙門天のお堂の脇にフジバカマ(藤袴)は咲いていました。名前からすると紫色の花かと思ったらご覧のような白い柔らかな花でした。
境内にはご覧のような朱色の摂末社があったので撮りました。
又、鐘楼もあったのでついでに撮ってみました。
<平塚の塚の由来>
春日神社の隣にある西仲町公園を隔ててご覧のよう入口があったので入ってみました。
ご覧のような塚があり案内板には、『857年桓武天皇の孫 高見王の子、政子が東国に向かう途中に病死、 その塚が長い間に平らになったことから「平塚」の地名になった』と書かれていました。
<要法寺(ようほうじ)>
要法寺は平塚七福神が祀ってあるお寺ではなかったのですが、かなり大きなお寺だったので入ってみることにしました。
かなり立派なお寺さんですね!
浄行菩薩や子育地蔵尊があったのでアップで撮ってみました。
<旧東海道から>
要法寺を後に旧東海道を渡ってお目当ての妙安寺に向かいますが、旧東海道からご覧のような建物が見えたので撮ってみました。
どうやら平塚市消防団第一分団の建物のようでシャッターに描かれた絵が素晴らしいですね!
シャッターに描かれているような面白い形をした山が見えたので歩道橋から撮ってみました。平塚市と大磯町に跨る高麗山(こまやま:標高168m)ですかね?
<阿弥陀寺>
旧東海道を超えて5分位歩くとお寺の入口が見えました。
妙安寺かと思って行ってみるとそこは平塚七福神を祀っていない阿弥陀寺でした。
阿弥陀寺の入口から見えた道路(平塚海岸秦野線)の向かい側にお寺の土塀らしきものがあったので行ってみることにしました。
<宝善院>
ぐるっと回って入口まで行ってみるとそこも平塚七福神でない東寺真言宗の宝善院(ほうぜんいん)でした。
入口近くにあった百日紅が素晴らしかったので中に入ってみました。
取り敢えず本堂にお参りしました。
本堂の左脇に「日本最初の鉄道レール」があったので撮ってみました。
『たたいてみれば文明開花の音がする!! 明治5年10月14日 新橋~横浜間で我が国最初の鉄道が開業した時のレール』と書いてあったので恥ずかしながら叩いてみましたが・・・
<妙安寺(みょうあんじ)>
宝善院を後に東の方に5分位歩くとお目当ての妙安寺がありました。
早速、秋の七草のナデシコ(撫子)を探してみましたが見つかりませんでした。
若い住職(?)が何かお探しですかと声を掛けてくれたので、ナデシコの話をしたらプランターを持ち帰って手入れをしていると言うことで残念ながら見ることは出来ませんでした。
妙安寺の次は長楽寺ですが、ここからは東海道本線を超えて東南の方向にかなりの距離を歩くことになります。
<高浜公園前>
妙安寺から高浜公園前に来るまで途中の道で迷ったこともあり50分位かかってしまいました。
高浜公園前の交差点近くにはご覧のようなオブジェと「有島武郎夫妻由縁の地」の案内板がありました。
案内板には『夫人安子が大正4年から5年にかけて杏雲堂平塚病院の別病棟に入院していて、その間、武郎は病妻のため愛情を傾けつつ詩を書き続けた』とありました。
又、病床の安子夫人が武郎に贈った『召し給う星のまたたく遠方へ いざわれ行かん君と別れて』の絶詠も記されていました。
高浜公園前を通って国道129号線を右折して暫く歩けば平塚漁港近くにお目当ての長楽寺はありそうです。
<海宝寺(かいほうじ)>
国道129号線からお寺の外壁が見えたので行ってみましたが、そこも平塚七福神ではない浄土宗の海宝寺でした。
取り敢えず中に入ってお参りしましました。
<長楽寺(ちょうらくじ)>
海宝寺にお参りしてから県道607号線に出ると目の前にお目当ての長楽寺はありました。
ご覧のように新しいお寺(再建?)ですがお参りしている人は殆どいませんでした。
柱には平成24年10月21日と書かれていたので落慶法要(?)をした時のものかも知れませんね?
取り敢えず柱越しに本堂を撮ってみました。
オミナエシ(女郎花)は本堂の右手の護摩堂の脇にある寿老尊の下にありました。
アップで撮ってみましたが黄色いオミナエシではありませんでした(もう枯れてしまったのかもしれませんね?)。
再び県道607号線に戻って次の三嶋神社に向かいました。
<三嶋神社(みしまじんじゃ)>
県道607号線を平塚駅方面に向かって10分位歩くと右側にお目当ての三嶋神社の看板がありました。
鳥居を超えると右側に奉納された弁天社がありました。
何か変だと思ったらご覧のように土台が傾いていました(縁起が良くないですよね!)。
ご覧のような立派な拝殿で脇には恵比寿様がおられました。
恵比寿様の前にはキキョウ(桔梗)が咲いていました。
柔和なお顔の恵比寿様とキキョウをアップで撮ってみました。
<善性寺(ぜんしょうじ)>
お目当ての善性寺は県道607号線を挟んで三嶋神社の向かい側にありました。
こじんまり境内ですが手入れは行き届いていました。本堂の扉が少し空いていたので中を覗いてみました。
中は祭壇になっていて中央に小ぶりですが福禄寿があったので撮ってみました。
本堂の右手にススキ=オバナ(尾花)があったので一応撮っておきました。
「平塚七福神/秋の七草めぐり」は蓮光寺と平塚八幡宮の残り二つだけになりました。ここから国道1号線に出て馬入橋方面に行けばお目当ての蓮光寺を見つけられる筈です。
少し余裕が出て来たので国道1号線から見えたご覧のような建物を撮ってみました。
ついでにアップでも撮ってみました。建物にはメゾンヤシロ平塚(?)とありましたが・・・
<蓮光寺(れんこうじ)>
国道1号線の馬入橋交差点を超えて御菓子司:弘栄堂の手前の道を左折すると蓮光寺はありました。
弘栄堂の店先に「ちょんまげ最中」の看板がでていたので面白そうななので帰りがけに寄ってみることにしました。
ちょんまげの形をした最中だったら笑っちゃいますね!
ご覧のような赤い鳥居があって足元左側にハギ(萩)は咲いていました。
取り敢えずハギをアップで撮ってみました(上手く撮れていなくてすいません)。
取り敢えず七福神の布袋様は撮りました。
布袋様の隣に「持ち上げ地蔵(抱き地蔵)」があったのでこちらも撮ってみました。
持ち上げ地蔵は、心のなかで願いごとを念じながら持ち上げ、軽く感じたら願いが叶い、重く感じたら叶わない地蔵さんみたいですよ!
試しに持ち上げみましたが重たくて全然上がりませんでした。
帰りに弘栄堂に寄って「ちょんまげ最中」を見てみましたが四角い最中でした。
仕方なく一個(160円)でも売ってくれたので買ってしまいました(丁寧に「ちょんまげ最中」の「しおり」もくれました)。
又、この先に丁髷塚があると教えてくれたので行ってみることにしました。
<丁髷(ちょんまげ)塚>
丁髷塚は、昔、一之宮寒川神社の神輿と平塚八幡宮の神輿を担ぐ若者達同士が喧嘩をし、乱暴をはたらいた馬入村の若者16人を打首にする代わりに丁髷を切り落としその丁髷を埋めたところらしいです。
後は国道1号線を西の方に歩いて平塚八幡宮に行くだけになりました(ホッ!)。
<平塚八幡宮>
丁髷塚から20分位で平塚八幡宮に着きましたが時刻は遠に17時を回っていました。
取り敢えず「一の鳥居」と「二の鳥居」を通って明かりが付いている御殿に向かいました。
今日の最後のお参りになるので御殿で時間をかけて丁寧にお参りしました。
もうこの時間なので残念ながらクズ(葛)は展示してありませんでした。
帰りがけに弁財天を祀ってある祠があったので撮ってみました(疲れていてアップで撮るのを忘れていました)。
今日の「平塚七福神/秋の七草めぐり」は、平塚駅を13時に出発して平塚八幡宮を後にしたのは17時をだいぶ過ぎていましたが充分楽しめました。
帰りは、平塚駅の近くで地魚の美味しい居酒屋を見つけ一杯遣って帰りました。
尚、万歩計は驚くなかれ25,000歩を超えていましたよ!
時節柄、今日(9月21日)は七福神よりは秋の七草をメインに見て回ることにしました。
又、平塚七福神は次の順で回ることにしました。
春日神社-妙安寺-長楽寺-三嶋神社-善性寺-蓮光寺-平塚八幡宮
<平塚駅>
平塚駅で降りるのは2011年10月「相模川の馬入橋にコスモスを見に行きました」に行って以来の2年ぶりになります。
平塚駅北口で降りて旧東海道を通って西の方にある春日神社に向かいました。
平塚市民センターの前にある「平塚宿(旧東海道)史跡絵地図」で現在地を確認します。
神奈川銀行の先の道(平塚海岸秦野線)を右折して暫く歩き2本目位の道を左折すれば春日神社には着きそうです。
「平塚宿史跡絵地図」の傍に「平塚宿の江戸見附」がありました。
「平塚宿の江戸見附」は名前からすると江戸に入る人々を監視する見張り場だったのかも知れませんね(私も監視されているかも)?
平塚宿脇本陣跡の碑や平塚宿高札場の蹟を見ながら神奈川銀行の脇の道を右折します。
<春日神社(かすがじんじゃ)>
途中、道を間違ったせいで平塚駅から春日神社まで来るのに40分近くもかかってしまいました(トホホ!)。
春日神社の本殿をアップで撮ってみました。
取り敢えず毘沙門天のお堂があったので撮ってみました。
毘沙門天のお堂の脇にフジバカマ(藤袴)は咲いていました。名前からすると紫色の花かと思ったらご覧のような白い柔らかな花でした。
境内にはご覧のような朱色の摂末社があったので撮りました。
又、鐘楼もあったのでついでに撮ってみました。
<平塚の塚の由来>
春日神社の隣にある西仲町公園を隔ててご覧のよう入口があったので入ってみました。
ご覧のような塚があり案内板には、『857年桓武天皇の孫 高見王の子、政子が東国に向かう途中に病死、 その塚が長い間に平らになったことから「平塚」の地名になった』と書かれていました。
<要法寺(ようほうじ)>
要法寺は平塚七福神が祀ってあるお寺ではなかったのですが、かなり大きなお寺だったので入ってみることにしました。
かなり立派なお寺さんですね!
浄行菩薩や子育地蔵尊があったのでアップで撮ってみました。
<旧東海道から>
要法寺を後に旧東海道を渡ってお目当ての妙安寺に向かいますが、旧東海道からご覧のような建物が見えたので撮ってみました。
どうやら平塚市消防団第一分団の建物のようでシャッターに描かれた絵が素晴らしいですね!
シャッターに描かれているような面白い形をした山が見えたので歩道橋から撮ってみました。平塚市と大磯町に跨る高麗山(こまやま:標高168m)ですかね?
<阿弥陀寺>
旧東海道を超えて5分位歩くとお寺の入口が見えました。
妙安寺かと思って行ってみるとそこは平塚七福神を祀っていない阿弥陀寺でした。
阿弥陀寺の入口から見えた道路(平塚海岸秦野線)の向かい側にお寺の土塀らしきものがあったので行ってみることにしました。
<宝善院>
ぐるっと回って入口まで行ってみるとそこも平塚七福神でない東寺真言宗の宝善院(ほうぜんいん)でした。
入口近くにあった百日紅が素晴らしかったので中に入ってみました。
取り敢えず本堂にお参りしました。
本堂の左脇に「日本最初の鉄道レール」があったので撮ってみました。
『たたいてみれば文明開花の音がする!! 明治5年10月14日 新橋~横浜間で我が国最初の鉄道が開業した時のレール』と書いてあったので恥ずかしながら叩いてみましたが・・・
<妙安寺(みょうあんじ)>
宝善院を後に東の方に5分位歩くとお目当ての妙安寺がありました。
早速、秋の七草のナデシコ(撫子)を探してみましたが見つかりませんでした。
若い住職(?)が何かお探しですかと声を掛けてくれたので、ナデシコの話をしたらプランターを持ち帰って手入れをしていると言うことで残念ながら見ることは出来ませんでした。
妙安寺の次は長楽寺ですが、ここからは東海道本線を超えて東南の方向にかなりの距離を歩くことになります。
<高浜公園前>
妙安寺から高浜公園前に来るまで途中の道で迷ったこともあり50分位かかってしまいました。
高浜公園前の交差点近くにはご覧のようなオブジェと「有島武郎夫妻由縁の地」の案内板がありました。
案内板には『夫人安子が大正4年から5年にかけて杏雲堂平塚病院の別病棟に入院していて、その間、武郎は病妻のため愛情を傾けつつ詩を書き続けた』とありました。
又、病床の安子夫人が武郎に贈った『召し給う星のまたたく遠方へ いざわれ行かん君と別れて』の絶詠も記されていました。
高浜公園前を通って国道129号線を右折して暫く歩けば平塚漁港近くにお目当ての長楽寺はありそうです。
<海宝寺(かいほうじ)>
国道129号線からお寺の外壁が見えたので行ってみましたが、そこも平塚七福神ではない浄土宗の海宝寺でした。
取り敢えず中に入ってお参りしましました。
<長楽寺(ちょうらくじ)>
海宝寺にお参りしてから県道607号線に出ると目の前にお目当ての長楽寺はありました。
ご覧のように新しいお寺(再建?)ですがお参りしている人は殆どいませんでした。
柱には平成24年10月21日と書かれていたので落慶法要(?)をした時のものかも知れませんね?
取り敢えず柱越しに本堂を撮ってみました。
オミナエシ(女郎花)は本堂の右手の護摩堂の脇にある寿老尊の下にありました。
アップで撮ってみましたが黄色いオミナエシではありませんでした(もう枯れてしまったのかもしれませんね?)。
再び県道607号線に戻って次の三嶋神社に向かいました。
<三嶋神社(みしまじんじゃ)>
県道607号線を平塚駅方面に向かって10分位歩くと右側にお目当ての三嶋神社の看板がありました。
鳥居を超えると右側に奉納された弁天社がありました。
何か変だと思ったらご覧のように土台が傾いていました(縁起が良くないですよね!)。
ご覧のような立派な拝殿で脇には恵比寿様がおられました。
恵比寿様の前にはキキョウ(桔梗)が咲いていました。
柔和なお顔の恵比寿様とキキョウをアップで撮ってみました。
<善性寺(ぜんしょうじ)>
お目当ての善性寺は県道607号線を挟んで三嶋神社の向かい側にありました。
こじんまり境内ですが手入れは行き届いていました。本堂の扉が少し空いていたので中を覗いてみました。
中は祭壇になっていて中央に小ぶりですが福禄寿があったので撮ってみました。
本堂の右手にススキ=オバナ(尾花)があったので一応撮っておきました。
「平塚七福神/秋の七草めぐり」は蓮光寺と平塚八幡宮の残り二つだけになりました。ここから国道1号線に出て馬入橋方面に行けばお目当ての蓮光寺を見つけられる筈です。
少し余裕が出て来たので国道1号線から見えたご覧のような建物を撮ってみました。
ついでにアップでも撮ってみました。建物にはメゾンヤシロ平塚(?)とありましたが・・・
<蓮光寺(れんこうじ)>
国道1号線の馬入橋交差点を超えて御菓子司:弘栄堂の手前の道を左折すると蓮光寺はありました。
弘栄堂の店先に「ちょんまげ最中」の看板がでていたので面白そうななので帰りがけに寄ってみることにしました。
ちょんまげの形をした最中だったら笑っちゃいますね!
ご覧のような赤い鳥居があって足元左側にハギ(萩)は咲いていました。
取り敢えずハギをアップで撮ってみました(上手く撮れていなくてすいません)。
取り敢えず七福神の布袋様は撮りました。
布袋様の隣に「持ち上げ地蔵(抱き地蔵)」があったのでこちらも撮ってみました。
持ち上げ地蔵は、心のなかで願いごとを念じながら持ち上げ、軽く感じたら願いが叶い、重く感じたら叶わない地蔵さんみたいですよ!
試しに持ち上げみましたが重たくて全然上がりませんでした。
帰りに弘栄堂に寄って「ちょんまげ最中」を見てみましたが四角い最中でした。
仕方なく一個(160円)でも売ってくれたので買ってしまいました(丁寧に「ちょんまげ最中」の「しおり」もくれました)。
又、この先に丁髷塚があると教えてくれたので行ってみることにしました。
<丁髷(ちょんまげ)塚>
丁髷塚は、昔、一之宮寒川神社の神輿と平塚八幡宮の神輿を担ぐ若者達同士が喧嘩をし、乱暴をはたらいた馬入村の若者16人を打首にする代わりに丁髷を切り落としその丁髷を埋めたところらしいです。
後は国道1号線を西の方に歩いて平塚八幡宮に行くだけになりました(ホッ!)。
<平塚八幡宮>
丁髷塚から20分位で平塚八幡宮に着きましたが時刻は遠に17時を回っていました。
取り敢えず「一の鳥居」と「二の鳥居」を通って明かりが付いている御殿に向かいました。
今日の最後のお参りになるので御殿で時間をかけて丁寧にお参りしました。
もうこの時間なので残念ながらクズ(葛)は展示してありませんでした。
帰りがけに弁財天を祀ってある祠があったので撮ってみました(疲れていてアップで撮るのを忘れていました)。
今日の「平塚七福神/秋の七草めぐり」は、平塚駅を13時に出発して平塚八幡宮を後にしたのは17時をだいぶ過ぎていましたが充分楽しめました。
帰りは、平塚駅の近くで地魚の美味しい居酒屋を見つけ一杯遣って帰りました。
尚、万歩計は驚くなかれ25,000歩を超えていましたよ!