「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅰ)」から続く。
<海岸園地>

観音崎レストハウスで昼食を食べた後、目の前の観音崎海水浴場を撮ってみました。

近くに道標があったので撮ってみましたが、”観音崎灯台”でなく”観音埼灯台”となっていました。

案内板も”観音埼灯台”となっていたので、こちらが正式名称かも知れませんね!?

ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて観音埼灯台に向かいます。
尚、後ろに見えるのは、観音埼灯台ではなく東京湾海上交通センターのレーダー塔です。


途中で海辺に降りて歩いてみることにしました。

海辺を歩いていると、タンカー船が遣って来たので撮ってみました。

又、浪が打ち寄せている岩場も撮ってみました。

ついでに、左側の岩場も撮ってみました。

海辺からは、ご覧のような遊歩道に戻って観音埼灯台に向かいます。

遊歩道に、あまり垂れていませんが乳銀杏があったのでアップで撮ってみました。

遊歩道の脇に、ご覧のような洞窟があったので見に行ってみました。

「洞窟の由緒」には、『洞窟に住む大蛇が漁師や船人を妨害して苦しめていたという話を行基が聞き入れ退治たと言う大蛇の霊、この洞窟の沖で入水して荒れ狂う海を鎮めたという日本武尊の妃の弟橘媛が祀られている。』と書いてありました。

遊歩道から房総半島が見えたのでアップで撮ってみました。

正面に観音埼灯台が見えたので、こちらもアップで撮ってみました。

遊歩道の右側に、ベンチがある東屋が見えたので一休みすることにしました。

東屋の近くに、観音手跡の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『観音崎の地名は、奈良時代の僧行基が船の安全のため、十一面観音(船守観音)を海蝕洞穴に納めたことに由来すると伝えられています。・・・』と書いてありました。

東屋で一休みしてから、遊歩道沿いのご覧のような岩場を眺めながら観音埼灯台に向かいます。

遊歩道の脇に、西脇順三郎文学碑「燈台へ行く道」があったので撮ってみました。

遊歩道を暫く歩くと、ご覧のような分岐<観音埼灯台150m 展望園地700m>が出ていました。


ここからは、ご覧のような舗装された山道を上って観音埼灯台に向かいます。
<観音埼灯台>

観音埼灯台に着いたので入口を撮ってみました。

説明案内板に依ると、『・・・観音埼灯台は、横須賀の近代化に貢献した例のフランソワ・ヴェルニーが建設を担当し、明治元年(1868)に完成しました。・・・初代灯台は、大正11年(1922)4月の地震により大亀裂が生し、翌年3月に2代目の灯台が改築されましたが、9月の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は、大正14年6月に完成した3代目のものです。・・・』と書いてありました。

取り敢えず、灯台を真下から撮ってみました。

ついでに、灯台の頭部をアップで撮ってみました。
参観料(200円)を払って灯台に昇りますが、風が強いので飛ばされないように注意して下さいと言われました。

左奥にご覧のような見晴らしの良い場所があったので行ってみました。

『点燈明治己巳年正月元日』と刻まれた礎石があったので撮ってみました。
⇒ 明治己巳年は明治2年(1869)のことですね!

隣りに、「汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな」、「霧いかに深くとも嵐強くとも」の句碑があったので撮ってみました。


ちょうど東京湾から出る船が遣って来たのでアップで撮ってみました。

壁にいろんな灯台の写真が展示してある螺旋階段を昇って上に行きます。

灯台の頭部に着いたので灯台のレンズを撮ってみました。

又、ご覧のような免震装置もありました。

展望台から下を眺めていると、房総半島がぼんやりと見えました。

又、芝生の広場があって碑のようなものが建っていて、先の方には小屋がありました。
⇒ この広場が何なのか良く分からないので、後で行ってみることにしました。

房総半島をアップで撮っていると、手前に潜水艦のハッチのようなものがありました。

取り敢えず、アップで撮ってみましたが何だか良く分かりません。

下の方に、歩いて来た遊歩道が見えたので撮ってみました。
右上に見えるのは、東京湾海上交通センターのレーダー塔ですね!

遊歩道をアップで撮ってみましたが、東屋があった場所ですね!

灯台の下に降りて、別の角度から灯台を撮ってみました。

灯台の下に、ご覧のような「灯ろう」があったのでアップで撮ってみました。
⇒ 「灯ろう」は、灯台頭部のレンズや電球を風雨か守るためのものみたいでよ!

右側に、ラッパのような霧信号吹鳴器があったので撮ってみました。
この吹鳴器は、平成元年4月まで観音埼霧信号所で使われたいたものみたいです。

~日本最初の近代灯台~と書かれた説明案内板を撮って、観音埼灯台を後にしました。
<展望園地に向かう>

観音埼灯台からは山道を下って分岐まで戻り、ご覧のような岩礁を見ながら展望園地に向いました。

海辺に、人工岩のようなものがあったのでアップで撮ってみました。

近くにご覧のような建物の残骸があったので撮ってみました。

取り敢えずアップで撮ってみました。
⇒ 気になったので後で調べたら、関東大震災で崩壊した2代目の灯台の残骸でした。

ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて展望園地に向います。
遊歩道の先の方に海辺に降りられそうな柵(?)が見えたので、後で下りてみることにみました。

遊歩道を歩いていると、灯台から見えた潜水艦のハッチのようなものがありました。

これもアップで撮ってみました。
⇒ 後で調べると、第2次世界大戦当時に造られた潜水艦の音を調べる施設(水中聴測所)でした。

この辺りの海辺の透明度は、ご覧のように比較的高いです。

遊歩道を歩いていると、灯台から見えた芝生の広場と小屋が見えてきました。

遊歩道から海辺に降りれそうな場所があったのですが、フェンスがあって海辺は歩けそうにありません。
⇒ 先程、見えた柵はこのフェンスだったのですね!

遊歩道を暫く進むと、ご覧のようなフェンスがあって残念ながら立入禁止になっていました。

遊歩道の先に行くしかありませんが、先の方はご覧のような鬱蒼とした道になっていました。

左に曲がると、ご覧のような素掘りのトンネルがありました。

取り敢えず、素掘りのトンネルを正面から撮ってみました。

トンネルを出たので素掘りのトンネルの開口部を撮ってみました。

トンネルの先は、ご覧のような道路になっていて海辺の遊歩道とは大きな違いですね!
<展望園地>

道路を暫く進むと、左側に展望園地があったので入ってみました。

展望園地から房総半島が見えたので撮ってみました。

左側に、先程の水中聴測所が見えたので房総半島と一緒に撮ってみました。

説明案内板に依ると、展望園地には南門砲台があったみたいです。

近く、南門砲台のような跡があったので撮ってみました。

奥にあった黒いものは”展望園地”と彫られたオブジェでした。

展望園地を別角度から撮って、観音崎自然博物館に行ってみました。
観音崎自然博物館は、観音崎の自然や生物の標本、資料が展示してある子供向け(?)の博物館です。
受付で、ゴジラの足跡のことを聞くと外まで来て場所を教えてくれました。
申し訳なかったので博物館(入館料は、大人400円、高校生300円、小人200円、幼児100円)に入ってしまいました。
<観音崎自然博物館>

第2展示室に、ご覧のような三浦半島中心の地図がありました。

地図上に、来館した小学校や幼稚園の名前が置いてあったので撮ってみました。

第3展示室には、食べたら美味しそうなタカアシカニが展示されていました。

館内から外にでると、ご覧のようなモニュメント芝生広場がありました。

取り敢えず、館内を一回りしたので、ゴジラの足跡を見に行ってみました。

初代ゴジラが上陸した大きな足跡(1/10サイズ)を別角度から撮ってみました。
<たたら浜>

初代ゴジラの足跡の先に、海辺が見渡せる場所があったので行ってみました。

「たたら浜」はご覧のような砂浜で、海辺で遊んでいる母子もいました。

第6駐車場の奥に「たたら浜園地」があったので行ってみました。

「たたら浜園地」はご覧のような芝生広場になっていましたが、特に見るべきものはありませんでした。

第6駐車場の先に、ご覧のようなトーチカがあったので撮ってみました。
⇒ トーチカ(ロシア語)は、コンクリートで堅固に構築した防御陣地のことです。

観音崎公園の外れまで遣って来たので、ご覧のような観音崎大橋を渡って浦賀に行ってみます。
「観音崎をぶらり(番外編)」に続く。
<海岸園地>

観音崎レストハウスで昼食を食べた後、目の前の観音崎海水浴場を撮ってみました。

近くに道標があったので撮ってみましたが、”観音崎灯台”でなく”観音埼灯台”となっていました。

案内板も”観音埼灯台”となっていたので、こちらが正式名称かも知れませんね!?

ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて観音埼灯台に向かいます。
尚、後ろに見えるのは、観音埼灯台ではなく東京湾海上交通センターのレーダー塔です。


途中で海辺に降りて歩いてみることにしました。

海辺を歩いていると、タンカー船が遣って来たので撮ってみました。

又、浪が打ち寄せている岩場も撮ってみました。

ついでに、左側の岩場も撮ってみました。

海辺からは、ご覧のような遊歩道に戻って観音埼灯台に向かいます。

遊歩道に、あまり垂れていませんが乳銀杏があったのでアップで撮ってみました。

遊歩道の脇に、ご覧のような洞窟があったので見に行ってみました。

「洞窟の由緒」には、『洞窟に住む大蛇が漁師や船人を妨害して苦しめていたという話を行基が聞き入れ退治たと言う大蛇の霊、この洞窟の沖で入水して荒れ狂う海を鎮めたという日本武尊の妃の弟橘媛が祀られている。』と書いてありました。

遊歩道から房総半島が見えたのでアップで撮ってみました。

正面に観音埼灯台が見えたので、こちらもアップで撮ってみました。

遊歩道の右側に、ベンチがある東屋が見えたので一休みすることにしました。

東屋の近くに、観音手跡の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『観音崎の地名は、奈良時代の僧行基が船の安全のため、十一面観音(船守観音)を海蝕洞穴に納めたことに由来すると伝えられています。・・・』と書いてありました。

東屋で一休みしてから、遊歩道沿いのご覧のような岩場を眺めながら観音埼灯台に向かいます。

遊歩道の脇に、西脇順三郎文学碑「燈台へ行く道」があったので撮ってみました。

遊歩道を暫く歩くと、ご覧のような分岐<観音埼灯台150m 展望園地700m>が出ていました。


ここからは、ご覧のような舗装された山道を上って観音埼灯台に向かいます。
<観音埼灯台>

観音埼灯台に着いたので入口を撮ってみました。

説明案内板に依ると、『・・・観音埼灯台は、横須賀の近代化に貢献した例のフランソワ・ヴェルニーが建設を担当し、明治元年(1868)に完成しました。・・・初代灯台は、大正11年(1922)4月の地震により大亀裂が生し、翌年3月に2代目の灯台が改築されましたが、9月の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は、大正14年6月に完成した3代目のものです。・・・』と書いてありました。

取り敢えず、灯台を真下から撮ってみました。

ついでに、灯台の頭部をアップで撮ってみました。
参観料(200円)を払って灯台に昇りますが、風が強いので飛ばされないように注意して下さいと言われました。

左奥にご覧のような見晴らしの良い場所があったので行ってみました。

『点燈明治己巳年正月元日』と刻まれた礎石があったので撮ってみました。
⇒ 明治己巳年は明治2年(1869)のことですね!

隣りに、「汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな」、「霧いかに深くとも嵐強くとも」の句碑があったので撮ってみました。


ちょうど東京湾から出る船が遣って来たのでアップで撮ってみました。

壁にいろんな灯台の写真が展示してある螺旋階段を昇って上に行きます。

灯台の頭部に着いたので灯台のレンズを撮ってみました。

又、ご覧のような免震装置もありました。

展望台から下を眺めていると、房総半島がぼんやりと見えました。

又、芝生の広場があって碑のようなものが建っていて、先の方には小屋がありました。
⇒ この広場が何なのか良く分からないので、後で行ってみることにしました。

房総半島をアップで撮っていると、手前に潜水艦のハッチのようなものがありました。

取り敢えず、アップで撮ってみましたが何だか良く分かりません。

下の方に、歩いて来た遊歩道が見えたので撮ってみました。
右上に見えるのは、東京湾海上交通センターのレーダー塔ですね!

遊歩道をアップで撮ってみましたが、東屋があった場所ですね!

灯台の下に降りて、別の角度から灯台を撮ってみました。

灯台の下に、ご覧のような「灯ろう」があったのでアップで撮ってみました。
⇒ 「灯ろう」は、灯台頭部のレンズや電球を風雨か守るためのものみたいでよ!

右側に、ラッパのような霧信号吹鳴器があったので撮ってみました。
この吹鳴器は、平成元年4月まで観音埼霧信号所で使われたいたものみたいです。

~日本最初の近代灯台~と書かれた説明案内板を撮って、観音埼灯台を後にしました。
<展望園地に向かう>

観音埼灯台からは山道を下って分岐まで戻り、ご覧のような岩礁を見ながら展望園地に向いました。

海辺に、人工岩のようなものがあったのでアップで撮ってみました。

近くにご覧のような建物の残骸があったので撮ってみました。

取り敢えずアップで撮ってみました。
⇒ 気になったので後で調べたら、関東大震災で崩壊した2代目の灯台の残骸でした。

ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて展望園地に向います。
遊歩道の先の方に海辺に降りられそうな柵(?)が見えたので、後で下りてみることにみました。

遊歩道を歩いていると、灯台から見えた潜水艦のハッチのようなものがありました。

これもアップで撮ってみました。
⇒ 後で調べると、第2次世界大戦当時に造られた潜水艦の音を調べる施設(水中聴測所)でした。

この辺りの海辺の透明度は、ご覧のように比較的高いです。

遊歩道を歩いていると、灯台から見えた芝生の広場と小屋が見えてきました。

遊歩道から海辺に降りれそうな場所があったのですが、フェンスがあって海辺は歩けそうにありません。
⇒ 先程、見えた柵はこのフェンスだったのですね!

遊歩道を暫く進むと、ご覧のようなフェンスがあって残念ながら立入禁止になっていました。

遊歩道の先に行くしかありませんが、先の方はご覧のような鬱蒼とした道になっていました。

左に曲がると、ご覧のような素掘りのトンネルがありました。

取り敢えず、素掘りのトンネルを正面から撮ってみました。

トンネルを出たので素掘りのトンネルの開口部を撮ってみました。

トンネルの先は、ご覧のような道路になっていて海辺の遊歩道とは大きな違いですね!
<展望園地>

道路を暫く進むと、左側に展望園地があったので入ってみました。

展望園地から房総半島が見えたので撮ってみました。

左側に、先程の水中聴測所が見えたので房総半島と一緒に撮ってみました。

説明案内板に依ると、展望園地には南門砲台があったみたいです。

近く、南門砲台のような跡があったので撮ってみました。

奥にあった黒いものは”展望園地”と彫られたオブジェでした。

展望園地を別角度から撮って、観音崎自然博物館に行ってみました。
観音崎自然博物館は、観音崎の自然や生物の標本、資料が展示してある子供向け(?)の博物館です。
受付で、ゴジラの足跡のことを聞くと外まで来て場所を教えてくれました。
申し訳なかったので博物館(入館料は、大人400円、高校生300円、小人200円、幼児100円)に入ってしまいました。
<観音崎自然博物館>

第2展示室に、ご覧のような三浦半島中心の地図がありました。

地図上に、来館した小学校や幼稚園の名前が置いてあったので撮ってみました。

第3展示室には、食べたら美味しそうなタカアシカニが展示されていました。

館内から外にでると、ご覧のようなモニュメント芝生広場がありました。

取り敢えず、館内を一回りしたので、ゴジラの足跡を見に行ってみました。

初代ゴジラが上陸した大きな足跡(1/10サイズ)を別角度から撮ってみました。
<たたら浜>

初代ゴジラの足跡の先に、海辺が見渡せる場所があったので行ってみました。

「たたら浜」はご覧のような砂浜で、海辺で遊んでいる母子もいました。

第6駐車場の奥に「たたら浜園地」があったので行ってみました。

「たたら浜園地」はご覧のような芝生広場になっていましたが、特に見るべきものはありませんでした。

第6駐車場の先に、ご覧のようなトーチカがあったので撮ってみました。
⇒ トーチカ(ロシア語)は、コンクリートで堅固に構築した防御陣地のことです。

観音崎公園の外れまで遣って来たので、ご覧のような観音崎大橋を渡って浦賀に行ってみます。
「観音崎をぶらり(番外編)」に続く。