10月2日(土)は、「府中市郷土の森公園」の「萩のトンネル」が見頃になったようなので行ってみました。
「府中市郷土の森公園」は、2019年6月の「府中市郷土の森博物館」で行っていまが、今回はJR南武線の分倍河原駅からバスで行ってみました。
<新田義貞公之像>
バス乗り場がある南口ロータリーに行くと、新田義貞公之像が建っていました。
鎌倉時代後期の「分倍河原の戦い」では、新田義貞が率いる反幕府軍は、鎌倉幕府軍と戦って勝利しています。
折角なので、新田義貞公之像を倍率を上げて撮ってみました。
「郷土の森総合体育館行」のバスに乗ると、5分程でバス停「郷土の森正門前」に着きました。
<郷土の森公園:正門>
バスを降りて、観光物産館の前を通って正門に向かいました。
受付で入園券(300円)を購入して園内に入ります。
園内に入ると、園内マップと「花の情報板(10月桜、萩のトンネル)」がありました。
園路の右側には博物館本館があります。
<博物館本館>
博物館本館前にプラネタリウムの案内がありましたが、施設改修工事でプラネタリウムは11月末まで日曜・祝日のみの投映でした。
又、ご覧のようなパネルがあったのでアップで撮ってみました。
尚、本館の2階にある常設展示室「武蔵府中の歴史・文化・自然」は帰り行くことにしました。
博物館本館の前から、これから歩いて行く園路を撮ってみました。
<旧府中尋常高等小学校>
園路の左側に、旧府中尋常高等小学校があったので行ってみました。
取り敢えず、小学校の校舎を撮ってみました。
この校舎は、昭和10年(1935)に建設された北多摩随一の規模を誇った木造校舎の一部を復元しています。
校舎の玄関に入ると、ご覧のようなオルガンがあったので撮ってみました。
廊下の左側には、応接室がありました。
又、右側には、衛生室と教室(3の2)がありました。
教室に入ると、「府中の小学校と教科書のあゆみ」のコーナーがありました。
寺子屋時代の教科書と算盤が展示されていたので撮ってみました。
明治時代の教科書が展示されていたので撮ってみました。
戦前の国定教科書が展示されていたので撮ってみました。
戦後の暫定教科書が展示されていました。
戦後(現在)の検定教科書が展示されていたので撮ってみました。
今度は「なつかしの教材」のコーナーがありました。
学研の「学習」と「科学」があったので撮ってみました。
始業・終業のチャイムとベル(鐘)があったので撮ってみました。
懐かしい謄写版があったので撮ってみました。
謄写版で使う蝋引き原紙と鉄筆が置いてありました。
五つ玉算盤(ソロバン)があったので撮ってみました。
又、大きな分度器や三角定規があったので撮ってみました。
府中では昭和34年(1959)から給食の提供が始まりました。
給食の時に牛乳(または脱脂粉乳)を運んだミルク缶があったので撮ってみました。
「給食(昼ごはん)の変遷」のコーナーがありました。
昭和55年(1980)代の給食が再現されていたので撮ってみました。
校舎を出て園路に戻ると、向かい側に芝生広場が見えたので撮ってみました。
園路の先に行くと、園内マップがあったので撮ってみました。
<旧島田家住宅(島田薬舗)>
園路の突き当りの左側には旧島田家住宅(島田薬舗)がありました。
この建物は、明治21年(1888)に建てられた蔵造りの店(店蔵)です。
折角なので、由緒ありそうな店舗看板をアップで撮ってみました。
店蔵内に、医薬用具や看板が展示されていたので撮ってみました。
女優(大空真弓?)が手に持っているチョコラBB錠は今でもありますね!
ご覧のような看板も置いてあったので撮ってみました。
薬品瓶が入れてある棚があったので撮ってみました。
又、ご覧のようなキャッシュレジスター(金銭登録機)があったので撮ってみました。
<旧田中家住宅>
旧島田家住宅の向かい側には、ご覧のような土蔵がありました。
又、手前には石碑「明治天皇府中行在所」が建っていました。
取り敢えず、表門を撮ってみました。
表門を入ると、正面に、ご覧のような玄関座敷がありました。
右側にあった土蔵の中には、土壁の下地に使う細い竹(竹小舞?)がありました。
玄関座敷から奥にある座敷が見えたので撮ってみました。
玄関座敷の左側にある調理場(?)に行くと、右側の座敷に衝立が立っていたので撮ってみました。
折角なので、調理場を撮ってみました。
奥に井戸(?)があったので近くに行って撮ってみました。
家の中にある井戸は初めて見るのでアップで撮ってみました。
旧田中家住宅の平面図が載っている案内板「府中宿の大店(旧田中家住宅)」があったので撮ってみました。
ご覧のような土間を通って奥座敷を見に行ってみました。
明治天皇の御座所(天皇が休まれた部屋)があったので撮ってみました。
近くに、明治天皇府中行在所の関連記事が出ていました。
尚、行在所の回数は、休憩は1回、1泊2日と3泊4日は其々2回でした。
折角なので、奥座敷の前の中庭をアップで撮ってみました。
表門に戻って来たので土蔵を撮ってみました。
旧島田家住宅の前を通って、旧府中町役場に行ってみました。
途中に、総合博物館「府中市郷土の森」が「手づくり郷土賞」に認定された碑があったのでアップで撮ってみました。
<旧府中町役場>
旧府中町役場に着いたので、大正10年(1921)に建てられた建物を撮ってみました。
折角なので、町役場を正面から撮ってみました。
町役場の中に入って内部を撮ってみました。
町長室のような部屋があったのでアップで撮ってみました。
<旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)>
隣に、旧府中郵便取扱所があったので行ってみました。
この建物は、明治初年、府中で最初に郵便取扱所となった旧矢島家住宅です。
郵便取扱所を正面から撮ってみました。
中に入ると、ご覧のような案内板があったので撮ってみました。
外側に、郵便取扱の窓口があったので撮ってみました。
折角なので、横から郵便取扱所をアップで撮ってみました。
旧府中郵便取扱所の近くに、「まいまいず井戸」があるので行ってみました。
取り敢えず、「まいまいず井戸」をアップで撮ってみました。
<旧川内家住宅>
「ハケの茶屋」に行く途中に、旧川内家住宅があったので行ってみました。
江戸時代後期に建てられた畑作農家ですが、養蚕が盛んに行われた明治時代後期の姿に復元しています。
農家の中に入って和室や居間を撮ってみました。
ご覧のような竈(かまど)があったので撮ってみました。
又、ご覧のような農具(鍬、鋤など)があったので撮ってみました。
部屋に上がれないので、外から眺めることにしました。
居間には、ちゃぶ台の上に食卓カバーや古い扇風機が置いてありました。
又、和室には、仏壇と神棚が祀られていました。
折角なので、神棚をアップで撮ってみました。
<ハケの茶屋>
「ハケの茶屋」に着いたので、テーブル席で一休みすることにしました。
尚、「ハケ」は多摩川が作った崖で、茶屋が崖の上にあるのが名前の由来みたいです。
売店で缶ビールと焼きそばを買って、少し早かったのですが昼食にしました。
<「萩のトンネル」に向かう>
「ハケの茶屋」からは、少し遠回りになりますが水車小屋の前を通って「萩のトンネル」に行ってみました。
階段を下りると、「ハケ下の流れ」に架かる橋がありました。
橋の上から「ハケ下の流れ」の上流と下流を撮ってみました。
ご覧のような園路を通って水車小屋に行ってみました。
園路の先に行くと、ご覧のような水車小屋がありました。
近くに行って水子小屋をアップで撮ってみました。
折角なので、水車をアップで撮ってみました。
この水車は、武蔵野に多い胸掛け式の水車を再現したものです。
ついでに、水車を後ろから撮ってみました。
水車小屋の後ろに、ご覧のような竹林があったので撮ってみました。
水車小屋を後に、ご覧のような園路を通って先に行ってみました。
園路の先に行くと、ご覧のような分岐に着きました。
右側の園路に、石橋供養塔があったので撮ってみました。
園路の先に行くと、ご覧のようなススキがあったのでアップで撮ってみました。
<旧越智家住宅>
園路の右側に、旧越智家住宅があったので行ってみました。
取り敢えず、旧越智家住宅をアップで撮ってみました。
尚、旧越智家住宅は江戸時代後期の代表的な稲作農家です。
居間に、ご覧のような囲炉裏があったのでアップで撮ってみました。
調理場にも、ご覧のような囲炉裏があったので撮ってみました。
<萩のトンネル>
「萩のトンネル」に着いたので、萩のトンネルを撮ってみました。
トンネルの手前に、地蔵塔があったのでアップで撮ってみました。
トンネル内の萩を撮ってみましたが、花の見頃は過ぎているようでした。
折角なので、貴重な萩の花をアップで撮ってみました。
萩のトンネルを通って先に行ってみました。
途中で、萩のトンネルの内部を撮ってみました。
トンネルの柵に咲いていた萩の花をアップで撮ってみました。
萩のトンネルの端(入り口)に遣ってきました。
入り口の左側に、ハギ(萩)の案内板があったので撮ってみました。
向かい側にあった「ハケ下の流れ」の先には、「ハケの茶屋」に行ける階段がありました。
折角なので、「ハケ下の流れ」の下流をアップで撮ってみました。
未だ色付いていませんが紅葉があったので倍率を上げて撮ってみました。
「萩のトンネル」を通って地蔵塔の前に戻りました。
<彼岸花>
地蔵塔から園路の先に行くと、僅かですが彼岸花が咲いていました。
折角なので、標識と一緒に彼岸花を撮ってみました。
貴重な彼岸花をアップで撮ってみました。
近くに、川崎平右衛門翁像が建っていたので倍率を上げて撮ってみました。
案内板に依ると、川崎平右衛門定孝は一介の農民から幕府財政をつかさどる勘定所の要職に昇進した人物みたいです。
<田んぼ>
彼岸花の南側に、「田んぼ」があったので行ってみました。
折角なので、稲穂を倍率を上げて撮ってみました。
近くに、道標<梅園 水遊びの池>があったので撮ってみました。
取り敢えず、梅園に行ってから「水遊びの池」に行くことにしました。
ご覧のような階段を上って梅園に行ってみました。
階段を上ると、散策路の分かれ道にトイレと自販機がありました。
取り敢えず、右側の散策路をアップで撮ってみました。
ついでに、左側の散策路を撮ってみました。
梅園を後に、「田んぼ」の右側にあった園路を通って「水遊びの池」に向かいました。
<アジサイの丘>
園路の右側は、「アジサイの丘」になっていて季節外れのアジサイが咲いていました。
折角なので、貴重なアジサイをアップで撮ってみました。
ご覧のような園路を通って「水遊びの池」に向かいました。
<水遊びの池>
「田んぼ」からは10分程で、幼児達がいる「水遊びの池」に着きました。
「水遊びの池」の左(南東)側の奥には、芝生公園がありました。
取り敢えず、「水遊びの池」の近くに行ってみました。
「水遊びの池」の左奥には、水が流れている石段がありました。
折角なので、石段を倍率を上げて撮ってみました。
ご覧のような岩場があったのでアップで撮ってみました。
「水浴びの池」の後ろにある芝生広場を撮ってみました。
ご覧のような野外ステージがあったのでアップで撮ってみました。
近くに行って、野外ステージを撮ってみました。
ついでに、野外ステージの観客席(?)を撮ってみました。
芝生広場の手前には、ご覧のようなコスモスが咲いていました。
折角なので、倍率を上げて撮ってみました。
コスモスの脇を通って「水遊びの池」の後ろに行ってみました。
「水遊びの池」の後ろに行くと、ティラノサウルスがいました。
このティラノサウルスは、過去に博物館本館で恐竜展を開催していた関係で国立科学博物館から贈られたものです。
取り敢えず、ティラノサウルスをアップで撮ってみました。
折角なので、ティラノサウルスの上半身と首の部分を倍率を上げて撮ってみました。
園路の先に行くと、岩のような珪化木がありました。
珪化木(けいかぼく)は、太古に何らかの原因で土中に埋もれた樹木の化石です。
案内板に依ると、珪化木は秋田県由利郡大内村(現在は大仙市)の水田から発掘されたものです。
ご覧のような切り株階段を上って先に行ってみました。
上の園路に出ると、モミジがあったのでアップで撮ってみました。
又、モミジの下から「水遊びの池」が見えたので撮ってみました。
<モミジの滝>
園路の先に行くと、3本の滝があったので撮ってみました。
取り敢えず、モミジ越しに左側と中央の滝を撮ってみました。
岩場を渡って先に行けそうなので、先の岩場に行って滝を撮ってみました。
左側と中央の滝をアップで撮ってみました。
ついでに、左側の滝を倍率を上げて撮ってみました。
中央の滝の滝口を倍率を上げて撮ってみました。
折角なので、右側の滝をアップで撮ってみました。
別の角度から滝を撮って「モミジの滝」を後にしました。
園路の先に行くと、滝の川に架かる橋があったので撮ってみました。
橋の上から「水遊びの池」が見えたのでアップで撮ってみました。
反対から橋を撮って、博物館本館に向かいました。
<博物館本館>
「モミジの滝」からは15分程で博物館本館の前に着きました。
博物館本館に入ると、階段の前に御本社神輿が置いてありました。
博物館本館2階の天井改修工事(令和2年10月1日~令和4年3月31日)で2階へは上がれませんでした。
折角なので、御本社神輿を倍率を上げて撮ってみました。
1階の奥に行くと、巨麗朝臣福信が立っていたのでアップで撮ってみました。
巨麗朝臣福信(こまあそんふくしん)は、武蔵国高麗郡(埼玉県日高市付近)出身で、天平勝宝8年(756)に武蔵国司の筆頭である守に任命された人物です。
博物館本館の出入口の左側には、戦後の家庭で使われていたものが展示されていました。
上っ張り・もんぺがあったので撮ってみました(見た記憶はありません)。
下に、たらいと洗濯板があったので撮ってみましたが、何となく見た記憶があります。
上段の氷室に氷を入れて使う木製冷蔵庫があったので撮ってみました。
左側に、白黒テレビが置いてあったので撮ってみました。
手前には、ちゃぶ台があって茶碗やお椀などが置いてありました。
ご覧のような黒電話がありましたが、黒電話は使ったことがあります。
「府中市郷土の森公園」からはバスで分倍河原駅に行って、駅前近くにあった居酒屋で飲んで帰りました。
今回の「府中市郷土の森公園」は、彼岸花や「萩のトンネル」は見頃が過ぎていましたが、「水遊びの池」の近くでテラノザウルスや「ツツジの滝」が楽しめたので良かったです。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩近くになっていました。
「府中市郷土の森公園」は、2019年6月の「府中市郷土の森博物館」で行っていまが、今回はJR南武線の分倍河原駅からバスで行ってみました。
<新田義貞公之像>
バス乗り場がある南口ロータリーに行くと、新田義貞公之像が建っていました。
鎌倉時代後期の「分倍河原の戦い」では、新田義貞が率いる反幕府軍は、鎌倉幕府軍と戦って勝利しています。
折角なので、新田義貞公之像を倍率を上げて撮ってみました。
「郷土の森総合体育館行」のバスに乗ると、5分程でバス停「郷土の森正門前」に着きました。
<郷土の森公園:正門>
バスを降りて、観光物産館の前を通って正門に向かいました。
受付で入園券(300円)を購入して園内に入ります。
園内に入ると、園内マップと「花の情報板(10月桜、萩のトンネル)」がありました。
園路の右側には博物館本館があります。
<博物館本館>
博物館本館前にプラネタリウムの案内がありましたが、施設改修工事でプラネタリウムは11月末まで日曜・祝日のみの投映でした。
又、ご覧のようなパネルがあったのでアップで撮ってみました。
尚、本館の2階にある常設展示室「武蔵府中の歴史・文化・自然」は帰り行くことにしました。
博物館本館の前から、これから歩いて行く園路を撮ってみました。
<旧府中尋常高等小学校>
園路の左側に、旧府中尋常高等小学校があったので行ってみました。
取り敢えず、小学校の校舎を撮ってみました。
この校舎は、昭和10年(1935)に建設された北多摩随一の規模を誇った木造校舎の一部を復元しています。
校舎の玄関に入ると、ご覧のようなオルガンがあったので撮ってみました。
廊下の左側には、応接室がありました。
又、右側には、衛生室と教室(3の2)がありました。
教室に入ると、「府中の小学校と教科書のあゆみ」のコーナーがありました。
寺子屋時代の教科書と算盤が展示されていたので撮ってみました。
明治時代の教科書が展示されていたので撮ってみました。
戦前の国定教科書が展示されていたので撮ってみました。
戦後の暫定教科書が展示されていました。
戦後(現在)の検定教科書が展示されていたので撮ってみました。
今度は「なつかしの教材」のコーナーがありました。
学研の「学習」と「科学」があったので撮ってみました。
始業・終業のチャイムとベル(鐘)があったので撮ってみました。
懐かしい謄写版があったので撮ってみました。
謄写版で使う蝋引き原紙と鉄筆が置いてありました。
五つ玉算盤(ソロバン)があったので撮ってみました。
又、大きな分度器や三角定規があったので撮ってみました。
府中では昭和34年(1959)から給食の提供が始まりました。
給食の時に牛乳(または脱脂粉乳)を運んだミルク缶があったので撮ってみました。
「給食(昼ごはん)の変遷」のコーナーがありました。
昭和55年(1980)代の給食が再現されていたので撮ってみました。
校舎を出て園路に戻ると、向かい側に芝生広場が見えたので撮ってみました。
園路の先に行くと、園内マップがあったので撮ってみました。
<旧島田家住宅(島田薬舗)>
園路の突き当りの左側には旧島田家住宅(島田薬舗)がありました。
この建物は、明治21年(1888)に建てられた蔵造りの店(店蔵)です。
折角なので、由緒ありそうな店舗看板をアップで撮ってみました。
店蔵内に、医薬用具や看板が展示されていたので撮ってみました。
女優(大空真弓?)が手に持っているチョコラBB錠は今でもありますね!
ご覧のような看板も置いてあったので撮ってみました。
薬品瓶が入れてある棚があったので撮ってみました。
又、ご覧のようなキャッシュレジスター(金銭登録機)があったので撮ってみました。
<旧田中家住宅>
旧島田家住宅の向かい側には、ご覧のような土蔵がありました。
又、手前には石碑「明治天皇府中行在所」が建っていました。
取り敢えず、表門を撮ってみました。
表門を入ると、正面に、ご覧のような玄関座敷がありました。
右側にあった土蔵の中には、土壁の下地に使う細い竹(竹小舞?)がありました。
玄関座敷から奥にある座敷が見えたので撮ってみました。
玄関座敷の左側にある調理場(?)に行くと、右側の座敷に衝立が立っていたので撮ってみました。
折角なので、調理場を撮ってみました。
奥に井戸(?)があったので近くに行って撮ってみました。
家の中にある井戸は初めて見るのでアップで撮ってみました。
旧田中家住宅の平面図が載っている案内板「府中宿の大店(旧田中家住宅)」があったので撮ってみました。
ご覧のような土間を通って奥座敷を見に行ってみました。
明治天皇の御座所(天皇が休まれた部屋)があったので撮ってみました。
近くに、明治天皇府中行在所の関連記事が出ていました。
尚、行在所の回数は、休憩は1回、1泊2日と3泊4日は其々2回でした。
折角なので、奥座敷の前の中庭をアップで撮ってみました。
表門に戻って来たので土蔵を撮ってみました。
旧島田家住宅の前を通って、旧府中町役場に行ってみました。
途中に、総合博物館「府中市郷土の森」が「手づくり郷土賞」に認定された碑があったのでアップで撮ってみました。
<旧府中町役場>
旧府中町役場に着いたので、大正10年(1921)に建てられた建物を撮ってみました。
折角なので、町役場を正面から撮ってみました。
町役場の中に入って内部を撮ってみました。
町長室のような部屋があったのでアップで撮ってみました。
<旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)>
隣に、旧府中郵便取扱所があったので行ってみました。
この建物は、明治初年、府中で最初に郵便取扱所となった旧矢島家住宅です。
郵便取扱所を正面から撮ってみました。
中に入ると、ご覧のような案内板があったので撮ってみました。
外側に、郵便取扱の窓口があったので撮ってみました。
折角なので、横から郵便取扱所をアップで撮ってみました。
旧府中郵便取扱所の近くに、「まいまいず井戸」があるので行ってみました。
取り敢えず、「まいまいず井戸」をアップで撮ってみました。
<旧川内家住宅>
「ハケの茶屋」に行く途中に、旧川内家住宅があったので行ってみました。
江戸時代後期に建てられた畑作農家ですが、養蚕が盛んに行われた明治時代後期の姿に復元しています。
農家の中に入って和室や居間を撮ってみました。
ご覧のような竈(かまど)があったので撮ってみました。
又、ご覧のような農具(鍬、鋤など)があったので撮ってみました。
部屋に上がれないので、外から眺めることにしました。
居間には、ちゃぶ台の上に食卓カバーや古い扇風機が置いてありました。
又、和室には、仏壇と神棚が祀られていました。
折角なので、神棚をアップで撮ってみました。
<ハケの茶屋>
「ハケの茶屋」に着いたので、テーブル席で一休みすることにしました。
尚、「ハケ」は多摩川が作った崖で、茶屋が崖の上にあるのが名前の由来みたいです。
売店で缶ビールと焼きそばを買って、少し早かったのですが昼食にしました。
<「萩のトンネル」に向かう>
「ハケの茶屋」からは、少し遠回りになりますが水車小屋の前を通って「萩のトンネル」に行ってみました。
階段を下りると、「ハケ下の流れ」に架かる橋がありました。
橋の上から「ハケ下の流れ」の上流と下流を撮ってみました。
ご覧のような園路を通って水車小屋に行ってみました。
園路の先に行くと、ご覧のような水車小屋がありました。
近くに行って水子小屋をアップで撮ってみました。
折角なので、水車をアップで撮ってみました。
この水車は、武蔵野に多い胸掛け式の水車を再現したものです。
ついでに、水車を後ろから撮ってみました。
水車小屋の後ろに、ご覧のような竹林があったので撮ってみました。
水車小屋を後に、ご覧のような園路を通って先に行ってみました。
園路の先に行くと、ご覧のような分岐に着きました。
右側の園路に、石橋供養塔があったので撮ってみました。
園路の先に行くと、ご覧のようなススキがあったのでアップで撮ってみました。
<旧越智家住宅>
園路の右側に、旧越智家住宅があったので行ってみました。
取り敢えず、旧越智家住宅をアップで撮ってみました。
尚、旧越智家住宅は江戸時代後期の代表的な稲作農家です。
居間に、ご覧のような囲炉裏があったのでアップで撮ってみました。
調理場にも、ご覧のような囲炉裏があったので撮ってみました。
<萩のトンネル>
「萩のトンネル」に着いたので、萩のトンネルを撮ってみました。
トンネルの手前に、地蔵塔があったのでアップで撮ってみました。
トンネル内の萩を撮ってみましたが、花の見頃は過ぎているようでした。
折角なので、貴重な萩の花をアップで撮ってみました。
萩のトンネルを通って先に行ってみました。
途中で、萩のトンネルの内部を撮ってみました。
トンネルの柵に咲いていた萩の花をアップで撮ってみました。
萩のトンネルの端(入り口)に遣ってきました。
入り口の左側に、ハギ(萩)の案内板があったので撮ってみました。
向かい側にあった「ハケ下の流れ」の先には、「ハケの茶屋」に行ける階段がありました。
折角なので、「ハケ下の流れ」の下流をアップで撮ってみました。
未だ色付いていませんが紅葉があったので倍率を上げて撮ってみました。
「萩のトンネル」を通って地蔵塔の前に戻りました。
<彼岸花>
地蔵塔から園路の先に行くと、僅かですが彼岸花が咲いていました。
折角なので、標識と一緒に彼岸花を撮ってみました。
貴重な彼岸花をアップで撮ってみました。
近くに、川崎平右衛門翁像が建っていたので倍率を上げて撮ってみました。
案内板に依ると、川崎平右衛門定孝は一介の農民から幕府財政をつかさどる勘定所の要職に昇進した人物みたいです。
<田んぼ>
彼岸花の南側に、「田んぼ」があったので行ってみました。
折角なので、稲穂を倍率を上げて撮ってみました。
近くに、道標<梅園 水遊びの池>があったので撮ってみました。
取り敢えず、梅園に行ってから「水遊びの池」に行くことにしました。
ご覧のような階段を上って梅園に行ってみました。
階段を上ると、散策路の分かれ道にトイレと自販機がありました。
取り敢えず、右側の散策路をアップで撮ってみました。
ついでに、左側の散策路を撮ってみました。
梅園を後に、「田んぼ」の右側にあった園路を通って「水遊びの池」に向かいました。
<アジサイの丘>
園路の右側は、「アジサイの丘」になっていて季節外れのアジサイが咲いていました。
折角なので、貴重なアジサイをアップで撮ってみました。
ご覧のような園路を通って「水遊びの池」に向かいました。
<水遊びの池>
「田んぼ」からは10分程で、幼児達がいる「水遊びの池」に着きました。
「水遊びの池」の左(南東)側の奥には、芝生公園がありました。
取り敢えず、「水遊びの池」の近くに行ってみました。
「水遊びの池」の左奥には、水が流れている石段がありました。
折角なので、石段を倍率を上げて撮ってみました。
ご覧のような岩場があったのでアップで撮ってみました。
「水浴びの池」の後ろにある芝生広場を撮ってみました。
ご覧のような野外ステージがあったのでアップで撮ってみました。
近くに行って、野外ステージを撮ってみました。
ついでに、野外ステージの観客席(?)を撮ってみました。
芝生広場の手前には、ご覧のようなコスモスが咲いていました。
折角なので、倍率を上げて撮ってみました。
コスモスの脇を通って「水遊びの池」の後ろに行ってみました。
「水遊びの池」の後ろに行くと、ティラノサウルスがいました。
このティラノサウルスは、過去に博物館本館で恐竜展を開催していた関係で国立科学博物館から贈られたものです。
取り敢えず、ティラノサウルスをアップで撮ってみました。
折角なので、ティラノサウルスの上半身と首の部分を倍率を上げて撮ってみました。
園路の先に行くと、岩のような珪化木がありました。
珪化木(けいかぼく)は、太古に何らかの原因で土中に埋もれた樹木の化石です。
案内板に依ると、珪化木は秋田県由利郡大内村(現在は大仙市)の水田から発掘されたものです。
ご覧のような切り株階段を上って先に行ってみました。
上の園路に出ると、モミジがあったのでアップで撮ってみました。
又、モミジの下から「水遊びの池」が見えたので撮ってみました。
<モミジの滝>
園路の先に行くと、3本の滝があったので撮ってみました。
取り敢えず、モミジ越しに左側と中央の滝を撮ってみました。
岩場を渡って先に行けそうなので、先の岩場に行って滝を撮ってみました。
左側と中央の滝をアップで撮ってみました。
ついでに、左側の滝を倍率を上げて撮ってみました。
中央の滝の滝口を倍率を上げて撮ってみました。
折角なので、右側の滝をアップで撮ってみました。
別の角度から滝を撮って「モミジの滝」を後にしました。
園路の先に行くと、滝の川に架かる橋があったので撮ってみました。
橋の上から「水遊びの池」が見えたのでアップで撮ってみました。
反対から橋を撮って、博物館本館に向かいました。
<博物館本館>
「モミジの滝」からは15分程で博物館本館の前に着きました。
博物館本館に入ると、階段の前に御本社神輿が置いてありました。
博物館本館2階の天井改修工事(令和2年10月1日~令和4年3月31日)で2階へは上がれませんでした。
折角なので、御本社神輿を倍率を上げて撮ってみました。
1階の奥に行くと、巨麗朝臣福信が立っていたのでアップで撮ってみました。
巨麗朝臣福信(こまあそんふくしん)は、武蔵国高麗郡(埼玉県日高市付近)出身で、天平勝宝8年(756)に武蔵国司の筆頭である守に任命された人物です。
博物館本館の出入口の左側には、戦後の家庭で使われていたものが展示されていました。
上っ張り・もんぺがあったので撮ってみました(見た記憶はありません)。
下に、たらいと洗濯板があったので撮ってみましたが、何となく見た記憶があります。
上段の氷室に氷を入れて使う木製冷蔵庫があったので撮ってみました。
左側に、白黒テレビが置いてあったので撮ってみました。
手前には、ちゃぶ台があって茶碗やお椀などが置いてありました。
ご覧のような黒電話がありましたが、黒電話は使ったことがあります。
「府中市郷土の森公園」からはバスで分倍河原駅に行って、駅前近くにあった居酒屋で飲んで帰りました。
今回の「府中市郷土の森公園」は、彼岸花や「萩のトンネル」は見頃が過ぎていましたが、「水遊びの池」の近くでテラノザウルスや「ツツジの滝」が楽しめたので良かったです。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩近くになっていました。
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