飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

旧津久井道の寺社巡り

2021年01月31日 | Weblog
 1月30日(土)は、小田急線の登戸駅から向ヶ丘遊園駅を歩いて旧津久井道の面影をたどってみました。

 今回は、多摩区観光協会「旧津久井道と職人の街を歩く」のモデルコースに従って歩くつもりだったのですが、小田急線登戸駅の西側が再開発(登戸土地区画整理事業:2025年度完了予定)されていたのでモデルコース通りには歩けませんでした。

 結果的に、次のような寺社巡りのコースになってしまいました。
 登戸駅-多摩川土手-登戸第2公園-丸山教-光明院-登戸稲荷社-善立寺-小泉橋-大道橋-向ヶ丘遊園駅
 又、今回の寺社は2017年5月の「向ヶ丘遊園駅~東生田緑地」で訪れていました。

<登戸駅周辺>

 小田急線登戸駅を降りて西側に行くと、北向地蔵・馬頭観音がある筈なのですが影も形もありませんでした。


 折角なので、小田急線登戸駅の出入口の前に出来た再開発の空地を撮ってみました。


 JR南武線の踏切を超えて多摩川の土手に行ってみました。


 交差点「登戸駅北側」に着きましたが、この辺りは昔と変わっていませんでした。


 横断歩道を渡って多摩川の土手に向いました。

<多摩川土手>

 多摩川の土手に着いたので、小田急線の下を通って下流にある「登戸渡しの碑」を探しに行ってみました。


 折角なので、小田急線の多摩川橋梁の下を撮ってみました。


 多摩川に架かる小田急線多摩川橋梁を撮ってみました。


 土手を暫く歩くと、登戸排水樋管の手前に「登戸渡しの碑」がありました。


 折角なので「登戸渡しの碑」をアップで撮ってみました。


 「登戸渡しの碑」の先に行って、左側から登戸排水樋管を撮ってみました。


 登戸排水樋管の下に、ご覧のような岩場があったのでアップで撮ってみました。


 登戸排水樋管を正面から撮って、多摩川土手を戻ることにしました。


 多摩川の土手を戻っていると、多摩川橋梁に下りの小田急ロマンスカーVSEが遣って来たので撮ってみました。


 土手を歩いていると、多摩川橋梁が見えたので撮ってみました。




 今度は、小田急ロマンスカーMSEが遣って来たのでアップで撮ってみました。


 多摩川橋梁の近くに戻って来ましたが、橋桁の高さは2.3mもあったのですね!


 多摩川橋梁をくぐると、河川敷にグランドがありました。


 グランドの先に、多摩川に架かる多摩水道橋が見えたので一緒に撮ってみました。


 折角なので、多摩水道橋をアップで撮ってみました。


 土手の先に行くと、河川敷にご覧のような施設がありました。


 施設の間から多摩水道橋が見えたので撮ってみました。


 施設に、ご覧のような量水標があったので撮ってみました。




 何の施設か気になったので、土手から河川敷に下りて施設に行ってみました。


 取り敢えず、施設の外観を撮ってみましたが、多摩川からは大分離れていますね!


 施設の近くに行ってみると、ご覧のような鋼桁(?)があったので撮ってみました。




 何かを支えているような鋼桁をアップで撮ってみました。




 施設の横に行くと、構造物名称「五反田川放水路樋門」・プレートガータ構造鋼製鋼製ローラゲートのプレートがありました。
 どうやら、五反田川の洪水全量を地下トンネルに流入させ、直接、多摩川に放流させる施設みたいです。


 多摩川の土手に戻って、多摩水道橋に向いました。
 尚、左側を通っているのは多摩沿線道路です。


 土手の右側に、多摩水道橋が見えたのでアップで撮ってみました。


 交差点「多摩水道橋」に着いたので、多摩水道橋の東京方面を撮ってみました。

<世田谷通り(津久井道)>

 交差点を左に曲がって、津久井道の高架上を通って登戸第2公園に向いました。


 高架上を歩いていると、道路の先に富士山が見えたのでアップで撮ってみました。




 素晴らしい富士山だったので、更に、倍率を上げて撮ってみました。


 交差点「多摩水道橋」から5分程歩くと、高架下に行ける階段があったので下りてみました。


 高架下は、ご覧のような大きな駐輪場になっていました。

<登戸第2公園>

 駐輪場の先に行くと、ご覧のような登戸第2公園に着きました。


 公園には、ご覧のような遊具があって、ベンチもあったので一休みすることにしました。




 道路に、薄茶色の実(?)を付けている木があったのでアップで撮ってみました。


 更に、倍率を上げて撮ってみましたが、木の名前は分かりませんでした。


 登戸第2公園を後に、JR南武線を超えて丸山教に向いました。


 河原第1踏切で待っていると、上りの南武線が通過したので撮ってみました。


 踏切を渡ると、正面に登戸稲荷社がありましたが、取り敢えず、角を右に曲がって丸山教に向いました。


 住宅地を歩いていると、ご覧のように庭木が剪定されている三平果樹園がありました。


 失礼して、見事に剪定されている庭木を撮らせて頂きました。






 ついでに、道路からも庭木を撮ってみました。


 庭木の後ろに、咲き始めた紅梅があったのでアップで撮ってみました。


 折角なので、倍率を上げて撮ってみました。

<丸山教(まるやまきょう)>

 ご覧のような丸山幼稚園の看板がある丸山教本庁の東門に着きました。
 丸山教は、明治3年(1870)登戸村の農民であった伊藤六郎兵衛が、富士講の一派である丸山講を背景として興した新興宗教です。
 以前(2017年5月)来た時は、丸山教の正門から入って東門から出た記憶があります。
 尚、登戸第2公園からは15分程でした。


 東門から入ると右側に、藤棚(六尺藤?)の下に、ご覧のような遊具があったので撮ってみました。


 正門の近くに、境内案内図があったような気がしたので行って現在地(中央下)を確認しました。
 折角なので、松霊殿・大教殿・御法殿の順に回ってみることにしました。


 近くに、登戸静修校記念碑があったので撮ってみました。


 取り敢えず、松霊殿に行ってお参りすることにしました。


 松霊殿の前に、手水舎がありましたがコロナ禍で入り口は閉まっていました。


 松霊殿を撮ってお参りすることにしました。




 お参りしてから松霊殿の扁額を撮って、大教殿に向いました。


 大教殿の手前に、北原白秋作詩の多摩川音頭の歌碑「多摩の登戸六郎兵衛さまよ 藤は六尺藤は六尺いま盛り」があったので撮ってみました。


 折角なので、歌碑をアップで撮ってみました。
 尚、後ろにある松は奉納された「たんせい松」です。




 正面から大教殿を撮ってお参りすることにしました。


 大教殿の屋根に珍しい鬼飾りがあったのでアップで撮ってみました。




 お参りしてから大教殿の扁額をアップで撮ってみました。


 大教殿の左側の軒下に、ご覧のような彫り物があったので撮ってみました。


 丸山会館の前を通って御法殿に行ってみました。


 藤棚の奥に、ご覧のようなクスノキ(樟?)があったのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、御法殿を正面から撮ってみました。




 御法殿の手前に、ご覧のようなフユザクラ(冬桜?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 扁額「神道丸山教泰祠宇」が掛かっていたので撮ってみましたが意味不明です。


 奥に、扁額「天明海天」が掛かっていたので撮ってみましたが・・・


 御法殿の右側に、教祖の御試石(おためいし)があったのでアップで撮ってみました。
 御試石は、教祖が七十二日間の断食行納めの日(明治20年10月24日)に、持ち上げた石(28貫=105kg)です。


 藤棚の左側に、ご覧のような十国柱(じっこくばしら)があったので撮ってみました。
 十国柱は、下から「 心国 人国 愛国 孝国 日国 生国 桑国 明国 礼国水穂国」と十の国の名が記されていて、人が人らしく生きるための「心の物差し」を定めたものです。


 丸山教の東門から外に出ると、向かい側に「ご法聖地」がありました。


 「ご法聖地」には、丸山教の開祖の伊藤六郎兵衛が埋葬されています。


 鳥居の手前に、梅の木があったのでアップで撮ってみましたが未だ蕾の状態です。


 右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。


 奥に、二股松と「ご法塔」があったので近くに行ってみました。


 折角なので、二股松の奥の「ご法塔」をアップで撮ってみました。

<光明院(こうみよういん)>

 「ご法聖地」の後ろに、真言宗豊山派の光明院の仁王門があったので撮ってみました。






 折角なので、金剛力士の阿形像を倍率を上げて撮ってみました。






 ついでに、左側の吽形像も撮ってみました。


 仁王門に掛かっていた山号「稲荷山」の扁額を撮ってみました。


 仁王門を通って本堂を撮ってみましたが、左側にあった聖徳太子堂は改修工事中(?)でした。


 右側の五重石塔の近くに、五葉松(?)があったので撮ってみました。


 折角なので、別角度から五葉松をアップで撮ってみました。


 参道に戻ったので本堂を撮ってみました。


 本堂の前に遣って来たので、立派な向拝を撮ってみました。






 向拝に掛かっていた扁額を撮ってお参りをしました。








 本堂の左側の軒下に、極彩色の壁画や彫刻があったのでアップで撮ってみました。








 ついでに、右側の壁画や彫刻もアップで撮ってみました。


 本堂の左側に、ご覧のような石仏があったのでアップで撮ってみました。




 折角なので、境内を回ってみることにしました。
 本堂の右側に行くと、聖観世音菩薩が建っていたのでアップで撮ってみました。


 又、六地蔵尊も建っていたので撮ってみました。


 足元に、蓮の葉を持っている稚児がいる水子地蔵尊がいました。


 折角なので、水子地蔵尊のお顔をアップで撮ってみました。


 ついでに、蓮の葉を持っている稚児も撮ってみました。


 弘法大師像も建っていたので撮ってみました。


 ご覧のように本堂が見える境内の外れに遣って来ました。
 尚、本堂の右側に見える建物は光明院の客殿です。


 大盃紅葉の名札が付いている紅葉があったので撮ってみました。


 ついでに、後ろの客殿も撮ってみました。


 参道の近くに戻って来ると、橙色の実が付いている木がありました。


 黒鐘黐(くろがねもち)の名札が付いていたのでアップで撮ってみました。 




 折角なので、黒鐘黐の実を倍率を上げて撮ってみました。


 仁王門に戻って来たので、反対側から撮ってみました。


 仁王門の反対側にも、ご覧のような極彩色の彫り物と壁画があったので撮ってみました。


 仁王門から外に出たので、正面から仁王門を撮って光明院を後にしました。


 光明院の横を通って登戸稲荷社に向いました。

<登戸稲荷社>

 光明院から道なりに暫く歩くと、ご覧のような鳥居がある登戸稲荷社に着きました。


 折角なので鳥居をアップで撮ってみました。


 境内には、登戸稲荷神社の御利益・「稲荷社と左官職人」・保存樹林の案内が出ていました。
 「稲荷社と左官職人」には、登戸には左官職人が多く、その評判は東京、埼玉まで評判が伝わっていた。そして、樹林には主な樹種としてイチョウとケヤキが出ていました。


 又、鳥居の右側には、稲荷社の由緒書(斎神、合併社?)のような古びた案内板がありました。


 取り敢えず、境内に入って拝殿を撮ってみました。




 ついでに、神狐をアップで撮ってみましたが、右側の神狐の鼻は欠けていました。


 拝殿に行って、お参りすることにしました。


 拝殿の屋根に、ご覧のようなドーマー(?)があったのでアップで撮ってみました。


 お参りしてから拝殿の向拝の下を撮ってみました。




虹梁に立派な龍の彫り物があったので倍率を上げて撮ってみました。


 向拝にあった鈴紐は、新型コロナウイルス感染予防のため神鈴が使用で出来ないようになっていました。


 拝殿の扉にも、ご覧のような彫り物があったので撮ってみました。
 



 折角なので、龍のような彫り物をアップで撮ってみました。
 取り敢えず、拝殿の周りを一回りすることにしました。


 拝殿の脇障子に、坂田金時のようなの彫り物があったので撮ってみました。
 尚、脇障子で拝殿と本殿が区切られているようでした。


 脇障子の後ろ側にあった漆喰壁に、左官職人が鏝で仕上げた鏝絵(こてえ)がありました。




 折角なので、鏝絵をアップで撮ってみましたが、漆喰壁全体に波間を泳ぐ龍が描かれていました。


 本殿の後ろ側の壁の上部に、狐(?)が描かれていたのでアップで撮ってみました。


 又、境内の後ろにも、ご覧のような鳥居があったので撮ってみました。


 本殿の東側に遣って来ると、ご覧のような火燈窓(?)がある漆喰壁がありました。


 ここにも左官が奉納した狐の鏝絵があったので撮ってみました。


 又、右側の上端には、屋根工事記念の納額がありました。


 東側にも脇障子があったので、軒下の彫り物と一緒に撮ってみました。




 ついでに、拝殿の軒下にあった彫り物も撮ってみました。


 社殿を一回りしたので、境内の左側にあった戦役記念碑などの石碑を撮ってみました。
 尚、中央の碑「明治三十八年役記念之碑」は乃木希典書となっていました。


 又、御社殿改修記念碑もあったので撮ってみました。


 ついでに、保存樹林(イチョウ?)も撮ってみました。


 折角なので、鳥居と一緒に保存樹林を撮ってみました。


 鳥居から外に出ると、保存樹林が見えたので社殿と一緒に撮ってみました。


 登戸稲荷社を後に、工事中の道路横から「職人の街」を通って善立寺に向いました。


 振り返って、歩いて来た「職人の街」(?)を撮ってみましたが、江戸末後期の面影は感じられません。
 尚、歩いて来た道には「登戸東通り商店会」の看板が出ていました。

<善立寺(ぜんりゅうじ)>

 登戸稲荷社から15分程で善立寺の入り口に着きました。


 ご覧のような参道を通って本堂に行ってみました。


 山門に着いたので本堂を撮ってみました。




 本堂の下に着いたので、階段の上に行ってお参りすることにしました。


 お参りしてから扁額の山号「龍燈山」をアップで撮ってみました。


 境内の左側に、ご覧のような七面堂があったので行ってみました。
 七面堂は、日蓮宗の七面大明神(七面天女)が祀られているお堂ですかね!?




 取り敢えず、注連縄と扁額を撮ってお参りをしました。


 又、左側には、ご覧のような三十番神堂がありました。


 三十番神堂の扉には「三十番神の由来」が出ていました。


 「三十番神の由来」には、「三十番神は毎日交替で国家や国民を守る法華経を守護する諸天善神である。・・・病気平癒・安産・子宝・家内安全・厄除・学業・良縁など諸々心願成就のご利益があると云われています。」と書いてありました。


 堂内を見ると、1日~30日の日毎に明神人形が祀られていました。

<小泉橋に向かう>

 善立寺からは「職人の街」に戻って、次の小泉橋に行ってみました。
 ご覧のような工事現場(再開発?)の横の道路を通って先に行ってみました。


 暫く進むと、道路脇に「なまずんの日」の案内が出ていました。
 「なまずんの日」は登戸東通り商店街のサービスデー(毎月第3土曜日 2月・8月を除く)でした。


 更に先に行くと、道路が二股に分かれていたので、賑やかそうな左側の商店街(中央銀座商店街?)に行ってみました。


 商店街に入ると、クリーニング店(?)のウィンドウに古びた写真が展示してありました。


 良く見ると、「尊王攘夷46士勢揃い」の写真なのでアップで撮ってみました。
 又、少し長いですが、次のようなコメントもありました。
 少し長いですが、『1865年(慶応元年)2~3月ごろ、長崎オランダ塾にて写す。この写真はフルベッキ博士の私塾「長崎市在」に集まった塾生、すなわち勤皇の志士ら46人衆です。長州、薩摩、土佐、幕中の志士、松下村塾生らも加わり、倒幕の世論が台頭する最中に、2カ月の労を経て勢揃いし撮影したものです。生存者としてもっとも彼らに接触のあった頭山満翁が、写真に人物名を書き入れました。』と書いてありました。
 尚、写真には、勝海舟(43)、大久保利通(36)、西郷隆盛(35)、大熊重信(34)、桂小五郎(33)、坂本龍馬(31)、高杉晋作(27)、伊藤博文(25)ら錚々たる人物が写っていました。


 時間が13時を回っていたので、商店街で食事処(兼居酒屋)を探すことにしました。




 ご覧のような定食屋「永花」がありましたが閉まっていました。


 派手な酒倶楽部「首領」がありましたが、当然、遣っていませんでした。


 商店街の外れに遣って来ると、暖簾が掛かっている居酒屋「呑ちゃん」があったので入ってみました。
 

 飲むことも出来そうでしたが、未だ先に行くので軽く飲みながら遅い昼食を取りました。
 尚、女将に聞くと、再開発の関係で今年10月で閉店すると云っていました。


 居酒屋には1時間程いて、来た道を戻って津久井道に向かいました。




 津久井道の手前に遣って来ると、看板「手造りビール醸造所」が出ている「ムーンライト クラフト ビア」がありました。


 折角なので中に入ってみましたが、昼間からご覧のように混んでいました。


 津久井道に出たので、新川橋を目指して生田方面に歩きます。




 新川橋に着いたので、下に流れている二ケ領本川を撮ってみました。

<小泉橋(こいずみばし)>

 新川橋を渡って府中街道を川崎駅方面に向かって暫く歩くと、二ケ領本川に架かる小泉橋に着きました。
 津久井道に出てからは15分程でした。




 小泉橋の近く休憩場所に、オブジェ「光のしじま」があったのでアップで撮ってみました。




 折角なので、二ケ領本川をアップで撮ってみました。


 又、ご覧のようなマガモが泳いでいたので撮ってみました。


 小泉橋から府中街道を渡って、細い道を右(西)に行くと「旧津久井道と職人の街を歩く」に載っていた老舗の御菓子司の寿々木に着きました。

<大道橋(だいどうばし)>

 津久井道に戻って、生田方面に向かって暫く歩くと、交差点「大道橋入口」の近くにある大道橋に着きました。


 折角なので、大道橋から下に流れている五反田川の上流を撮ってみました。

 これで全て回ったので、小田急線の向ヶ丘遊園駅に戻ることにしました。
 駅の近くに遣って来ると、10月で閉店する居酒屋「呑ちゃん」が気になったので飲みに行ってしまいました。

 今回の「旧津久井道の寺社巡り」は、小田急線登戸駅の西側が再開発中だったので、昔の面影は感じられませんでしたが、中央銀座商店街で珍しい写真や再開発前の街並みが見れたのは良かったです。
 尚、万歩計は、それなりに歩いたので20,000歩を超えていました。

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