9月20日(土)は、9月に入って久しぶりの青空だったので、運動不足の解消を兼ねて玉縄城址があるJR大船駅の西側を歩いてみました。
JR大船駅の周辺は「涼を求めて「田谷の洞窟」」・「大船フラワーセンタワー」などで何回も訪れていますが、玉縄城址は2020年9月の「大船をぶらり」で行ってみたかった所です。
今回のルートは次のようにしました。
大船駅西口-大船観音-龍寳寺-玉縄城址-久成寺-圓光寺-貞宗寺-大船駅
<大船観音に向かう>

大船駅西口から地上に下りて、柏尾川に架かる大和橋を渡って大船観音に向かいました。
県道402号線の横断歩道で信号待ちしていると、明治地所の左側にマスクを付けたアンパンマンがいました。

折角なので、アンパンマンをアップで撮ってみました。

大船観音入口を左に曲がって先に行きます。

道路の突き当りの駐車場の壁に、ご覧のような絵が描かれていました。



素晴らしい絵だったのでアップで撮ってみました。
<大船観音寺>

大船観音に着いたので、入り口を撮ってみました。


ご覧のような参道を上って山門に向かいました。

参道の途中で、大船駅西口交通広場が見えたので撮ってみました。


更に、参道を上ると山門が見えたので撮ってみました。

取り敢えず、昭和60年(1985)に建てられた山門を撮ってみました。

山門の扁額「大船観音寺」をアップで撮ってみました。

山門で拝観料(300円)を納めて、参拝順路の先に行ってみました。


参拝路から大梵鐘が見えたのでアップで撮ってみました。

又、案内板「観音様の由来」があったので撮ってみました。


階段の下に、石碑があったのでアップで撮ってみました。
尚、左側の石碑には「鎌倉市戦没者の英霊を観音御胎内に祀る」と刻まれていました。

取り敢えず、これから上る急な階段を撮ってみました。


折角なので、観音様を倍率を上げて撮ってみました。

階段の上に近付いたので観音様をアップで撮ってみました。

階段の上に着いたので、香炉と一緒に観音様を撮ってみました。

売店の手前に、ご覧のような手水鉢があったのでアップで撮ってみました。


折角なので、観音様の正面に行って観音様を倍率を上げて撮ってみました。


境内の右側にあった通路を通って、観音様の胎内に向かいました。

通路から大船駅西口の歩行者デッキが見えたのでアップで撮ってみました。

通路の左側に、句碑「御前に 結ぶゑにしや 紅しだれ」があったので撮ってみました。

通路の先に行くと、観音様の左側のお顔が見えたのでアップで撮ってみました。

ご覧のような鉄階段を上って観音様の胎内に行ってみました。

胎内に入って左に行くと、ご覧のような観音様が祀られていました。


折角なので、観音様を倍率を上げて撮ってみました。

胎内の中央には、ご覧のような小部屋がありました。


左側の小部屋に、観音様のお顔が重なって描かれている絵があったのでアップで撮ってみました。

右側の小部屋には、ご覧のような千体仏がありました。

ご覧のような観音菩薩像(?)が立っていたので撮ってみました。

右側の小部屋に、お願い「未完の大船観音像志納金(一口 10,000円)」がありました。


観音様の左側に戻って来たので、観音様をアップで撮ってみました。

通路の右側にあった八重桜に、ハチ捕獲器「ハチ激取れ」があったの撮ってみました。
ハチ捕獲器は、容器に入れた誘引液でハチを誘引し、ハチが透明な衝突トラップにぶつかり下の容器に落下するハチを捕獲する器です。

折角なので、ハチ捕獲器をアップで撮ってみました。

売店の近くに、ご覧のような御神籤があったので撮ってみました。

慈光堂に行ける石段の脇に、絵馬掛けがあったので撮ってみました。

急な石段を下りて慈光堂に行ってみました。

石段を下りると、ご覧のような慈光堂がありました。

慈しみの光を与えたいという願いが込められている慈光堂を撮ってみました。

ついでに、扁額をアップで撮ってみました。

折角なので、堂内を撮らせて頂きました。

慈光堂を後に、急な石段を下りてみました。


石段の下に、子育地蔵尊があったのでアップで撮ってみました。

台座の下に、ご覧のような観音様と小さなお地蔵様があったので撮ってみました。

右側に、厄除け地蔵尊があったので撮ってみました。

台座に、小さな観音様とお地蔵様があったので撮ってみました。

通路の右側に、戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。

境内の奥に、平和祈念碑・原爆慰霊碑・原爆の火の塔があるので行ってみました。

原爆投下の残り火(分火)が灯っている「原爆の火」の塔を撮ってみました。

平和記念碑(左)と原爆慰霊碑(右)を撮ってみました。
尚、平和記念碑には碑文「核兵器もない 戦争もない 平和な世界を」が刻まれていました。


右側にあった原爆慰霊碑をアップで撮ってみました。

案内板「慰霊碑」に依ると、被爆した土台石・湾曲した石・瓦などが寄贈されています。

境内を後に、ご覧のような寺務所の脇を通って大船観音を後にしました。
<龍寳寺に向かう>

大船観音からは龍寳寺に行くので、大船駅西口交通広場の北側にあるバス通り出てみました。

バス通りを暫く歩くと、擁壁の上に行けそうな階段がありました。

ご覧のような門扉がありましたが、閉まっていて入れそうにありません。

先に行くと、大船観音の一部が見えたので寺務所に行ける階段だったのかも知れませんね!

玉縄児童公園の北側にある住宅地を歩いていると、伏見稲荷神社の入り口がありました。


参道(?)に入ると、石像が祀られていたのでアップで撮ってみました。

ご覧のような石段を上って先に行ってみました。

石段の上に着くと、案内板があったので撮ってみました。

取り敢えず、右側の石段を上って岡本神社に行ってみました。


石段の上には、扁額「岡本神社」が掛かっている鳥居がありました。

案内板「岡本神社(別称)お伊勢山神明神社縁起」があったので撮ってみました。

取り敢えず、社を撮ってお参りをしました。


岡本神社を後に、石段を下りていると秋の七草の萩があったのでアップで撮ってみました。


左側の石段を上ると、鳥居に扁額「伏見稲荷」が掛かっている伏見稲荷神社がありました。

取り敢えず、社を撮ってお参りをしました。

お参りしてから社の内部を撮らせて頂きました。

伏見稲荷神社を後に、住宅街を5分程歩くと玉泉寺がありました。

取り敢えず、境内に入って本堂でお参りすることにしました。


本堂に掛っていた扁額を撮ってお参りをしました。

境内に、ご覧のような布袋尊(?)があったので撮ってみました。

墓地の前に、六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。


右側に、「よくばり地蔵さま」と案内板があったので撮ってみました。
<龍寳寺(りゅうほうじ)>


玉泉寺を後に、県道402号線に出ると龍寳寺トンネルがありました。

龍寳寺トンネルを通って龍寳寺に向かいました。

トンネルを出て暫く歩くと、龍寳寺の山門がありました。

左側に、龍寳寺の案内板があったので撮ってみました。

山門に、山号「陽谷山」が掛かっていたのでアップで撮ってみました。


山門の先に行くと、ご覧のようなお釈迦様(?)が祀られている社がありました。

折角なので、お釈迦様を倍率を上げて撮ってみました。

ご覧のような参道を通って本堂に向かいました。


参道の右側に、姫小菊(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。

又、句碑「いざさらば 吾が身散るとも我が心 堅く護らん皇孫の國」があったので撮ってみました。

参道の左側に、石像(道祖神、馬頭観世音、庚申塔など)がありました。

折角なので、別角度からアップで撮ってみました。


参道の右側に、ご覧のような柿の木があったので倍率を上げて撮ってみました。


参道の左側に、黄花コスモスが咲いていたのでアップで撮ってみました。



参道の先に行くと、薄ピンク色のコスモスが咲いていたので倍率を上げて撮ってみました。


ついでに、黄花コスモスも倍率を上げて撮ってみました。

本堂の下の階段に着いたので、立派な本堂を撮ってみました。

折角なので、本堂をアップで撮ってみました。

階段の上に着いたので、本堂を撮ってみました。

取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


本堂の扉が開いていたので祭壇を撮らせて頂きましました。

祭壇の奥には、釈迦如来坐像(?)が祀られていました。

折角なので、お参りをしてから天蓋を撮ってみました。


本堂の左側に行くと、玉縄北条氏供養塔があったので撮ってみました。

傍に、案内板があったのでアップで撮ってみました。

北条氏供養塔の左側に、見事な松があったのでアップで撮ってみました。


折角なので、松を倍率を上げて撮ってみました。

本堂を後に参道を5分程戻ると、山門に着いたので反対側から山門を撮ってみました。
<七曲坂(ななまがりさか)>

龍寳寺を後に、県道402号線を渡って左(西)方向にある玉縄城に行ってみました。
通り掛かりの人に玉縄城の行き方を聞くと、「みどり幼稚園」の方に行けば良いと教えてくれました。

右側の山間に、大きなマンション(コープ鎌倉植木?)が見えたので撮ってみました。

龍寳寺からは10分程で、(学)鎌倉みどりこども園に着くことが出来ました。

山道の右側に、案内板「鎌倉・玉縄城を偲ぶコース マップ」が出ていました。
どうやら、七曲坂の上に玉縄城があるみたいでした。

幼稚園の脇に、七曲坂の登り口があったので撮ってみました。

歩き出すと、掲示板「玉縄城址緑地保全地区」が出ていました。

舗装された坂道を暫く進むと、ご覧のような階段の坂道になりました。

ご覧のような冠木門があったので撮ってみました。
尚、冠木門(かぶきもん)は、左右の柱の上部に一本の貫(ぬき)を通しただけの簡単な門のことです。

折角なので、冠木門をアップで撮ってみました。

坂道に、七曲坂の案内板が出ていたので撮ってみました。

ご覧のような坂道を登って先に行ってみました。

坂道に、案内板「七曲坂武者だまり跡」があったので撮ってみました。
武者だまりは、 敵から玉城城の中心部を守る武士達が防御の拠点にした場所のようです。

更に、ご覧のような坂道を登って先に行ってみました。

坂道の先に行くと、崖の上に社(?)が見えたので撮ってみました。

曲がりくねった坂道を登って先に行ってみました。

七曲坂を5分程登ると、下の方に「みどり幼稚園」の屋根が見えました。

更に坂道の上に行くと、崖の上の社には塩ビ管(?)が引かれていました。
⇒ 崖の下に着くと表札があったので個人の住宅の建物(物置?)のようでした。
<玉縄城太鼓櫓址>

七曲坂を登り切ると、ご覧のような掲示板「植木1号市民緑地」がありました。

掲示板に、16世紀頃の玉縄城想像図(鳥瞰図)があったのでアップで撮ってみました。
鳥瞰図には、玉縄城の本丸址は、太鼓櫓址(中央)のやや上に載っていました。

掲示板の右下に、案内<この上 玉縄城太鼓櫓址>が出ていました。


案内に従って、山道を上って太鼓櫓址(たいこやぐらあと)に行ってみました。

山道を暫く上ると、ご覧のようなベンチのある太鼓櫓址に着きました。

太鼓櫓址の周りは、木に覆われているので見晴らしは良くありません。
又、玉縄城址がありそうな高台も見当たりません。

太鼓櫓址には、鳥瞰図の他に焔硝蔵(えんしょうくら)の案内板がありました。
焔硝蔵址は、太鼓櫓の南側斜面下に広がる、嘗ては武器弾薬庫があったとされる場所です。

太鼓櫓址のベンチで一休みしてから、玉縄城址を探しに行くことにしました。
道なりに暫く歩くと、清泉女学院(?)のグラウンドの下に玉縄城の案内板がありました。

どうやら、玉縄城址は清泉女学院の敷地内にあるようなので行くのは諦めました。
次は、坂道を下って県道沿いにある久成寺に行くことにしました。
<久成寺に向かう>


取り敢えず、ご覧のような急坂を下って県道に向かいました。

急坂を下りて左の方に行くと、伐採現場(?)があって作業員がいたのでアップで撮ってみました。
道路の先に行くと、県道302号線(小袋谷藤沢線)に着きました(玉縄城址からは15分程でした)。
<久成寺(くじょうじ)>

県道を藤沢方面に10分程歩くと、バス停「久成寺前」の先に久成寺の入り口がありました。

境内に入ると、ご覧のような山門があったので撮ってみました。

取り敢えず、先に行って山門を撮ってみました。

山門の左側に、松の木と十三重石塔があったので撮ってみました。


十三重石塔の前に、十月桜(?)が咲いていたので倍率を上げて撮ってみました。

又、松の木の下に、白い彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。

山門に山号「光園山」(?)が掛かっていたので撮ってみました。

山門の先には、本堂に上れる石段がありました。


石段の左側に、日蓮上人が建っていたのでアップで撮ってみました。


石段を上って本堂に行ってみました。


取り敢えず、本堂に掛かっていた扁額をアップで撮ってみました(扁額は達筆で読めませんでした)。
本堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


本堂の手前に、観音様が祀られていたのでアップで撮ってみました。

石段の上から、山門を撮って久成寺を後にしました。

県道に出たのでバス停「久成寺前」を撮って、次の圓光寺に向かいました。
<圓光寺(えんこうじ)>

県道を5分程下って右に入り、道なりに5分程歩くと圓光寺の石段下に着きました。

石段を上ると、ご覧のような本堂がありました。


立派な扁額「圓光寺」が掛かっていたのでアップで撮ってみました。

本堂の扉が開いていたので、お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。

折角なので、祭壇をアップで撮らせて頂きました。

ついでに、立派な天蓋を撮ってみました。

本堂の右側に、薬師堂があったので行ってみました。

折角なので、薬師堂に掛っていた扁額をアップで撮ってみました。

ご覧のような無縁佛石(?)があったので撮ってみました。

石段の下に戻って来たので、石段の上の方を撮ってみました。
圓光寺を後に、次の貞宗寺へは住宅地の中を通って行ってみました。
<貞宗寺(ていそうじ)>

住宅地を歩いていると、民家の入口に素晴らしいペチュニア(?)が咲いていたので撮らせて頂きました。

圓光寺からは10分程で貞宗寺に着きました。

境内に入ると、参道の左側に地蔵堂がありました。

取り敢えず、不動明王(左)・いぼとり地蔵(右)を撮ってみました。

地蔵堂に、何故か草履と傘が吊るされていたので撮ってみました。

墓地に、御霊屋があったので行ってみました。

御霊屋には、貞宗院(二代将軍徳川秀忠の祖母)の墓といわれる宝篋印塔が安置されていました。

参道に戻って先に行くと、鯉が泳いでいる池があったのでアップで撮つてみました。

参道の先に行くと、ご覧のような本堂に着きました。

折角なので、本堂の入り口を撮ってみました。
本堂で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


本堂の扉が開いていたので堂内を撮らせて頂きました。

折角なので、祭壇をアップで撮らせて頂きました。


本堂の前に、ご覧のような睡蓮の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。

本堂を後に、参道を戻っている萩が咲いていたのでアップで撮ってみました。
貞宗寺からは県道に戻って、バス停「公会堂前」からバスに乗ってJR大船駅に向かいました。
大船駅に着いたので、9月4日の「大船フラワーセンター」の帰りに寄った大船駅東口の居酒屋に行って飲んで帰りました。
今回の「大船駅西側ハイキング」は、念願の玉縄城址(玉縄城太鼓櫓址)に行けて良かったのですが、遺跡や遺構は期待が大いだけに物足りさを感じますね!
但し、それなりに歩いたので運動不足の解消にはなりました。
尚、万歩計は22,000歩を超えていました。
JR大船駅の周辺は「涼を求めて「田谷の洞窟」」・「大船フラワーセンタワー」などで何回も訪れていますが、玉縄城址は2020年9月の「大船をぶらり」で行ってみたかった所です。
今回のルートは次のようにしました。
大船駅西口-大船観音-龍寳寺-玉縄城址-久成寺-圓光寺-貞宗寺-大船駅
<大船観音に向かう>

大船駅西口から地上に下りて、柏尾川に架かる大和橋を渡って大船観音に向かいました。
県道402号線の横断歩道で信号待ちしていると、明治地所の左側にマスクを付けたアンパンマンがいました。

折角なので、アンパンマンをアップで撮ってみました。

大船観音入口を左に曲がって先に行きます。

道路の突き当りの駐車場の壁に、ご覧のような絵が描かれていました。



素晴らしい絵だったのでアップで撮ってみました。
<大船観音寺>

大船観音に着いたので、入り口を撮ってみました。


ご覧のような参道を上って山門に向かいました。

参道の途中で、大船駅西口交通広場が見えたので撮ってみました。


更に、参道を上ると山門が見えたので撮ってみました。

取り敢えず、昭和60年(1985)に建てられた山門を撮ってみました。

山門の扁額「大船観音寺」をアップで撮ってみました。

山門で拝観料(300円)を納めて、参拝順路の先に行ってみました。


参拝路から大梵鐘が見えたのでアップで撮ってみました。

又、案内板「観音様の由来」があったので撮ってみました。


階段の下に、石碑があったのでアップで撮ってみました。
尚、左側の石碑には「鎌倉市戦没者の英霊を観音御胎内に祀る」と刻まれていました。

取り敢えず、これから上る急な階段を撮ってみました。


折角なので、観音様を倍率を上げて撮ってみました。

階段の上に近付いたので観音様をアップで撮ってみました。

階段の上に着いたので、香炉と一緒に観音様を撮ってみました。

売店の手前に、ご覧のような手水鉢があったのでアップで撮ってみました。


折角なので、観音様の正面に行って観音様を倍率を上げて撮ってみました。


境内の右側にあった通路を通って、観音様の胎内に向かいました。

通路から大船駅西口の歩行者デッキが見えたのでアップで撮ってみました。

通路の左側に、句碑「御前に 結ぶゑにしや 紅しだれ」があったので撮ってみました。

通路の先に行くと、観音様の左側のお顔が見えたのでアップで撮ってみました。

ご覧のような鉄階段を上って観音様の胎内に行ってみました。

胎内に入って左に行くと、ご覧のような観音様が祀られていました。


折角なので、観音様を倍率を上げて撮ってみました。

胎内の中央には、ご覧のような小部屋がありました。


左側の小部屋に、観音様のお顔が重なって描かれている絵があったのでアップで撮ってみました。

右側の小部屋には、ご覧のような千体仏がありました。

ご覧のような観音菩薩像(?)が立っていたので撮ってみました。

右側の小部屋に、お願い「未完の大船観音像志納金(一口 10,000円)」がありました。


観音様の左側に戻って来たので、観音様をアップで撮ってみました。

通路の右側にあった八重桜に、ハチ捕獲器「ハチ激取れ」があったの撮ってみました。
ハチ捕獲器は、容器に入れた誘引液でハチを誘引し、ハチが透明な衝突トラップにぶつかり下の容器に落下するハチを捕獲する器です。

折角なので、ハチ捕獲器をアップで撮ってみました。

売店の近くに、ご覧のような御神籤があったので撮ってみました。

慈光堂に行ける石段の脇に、絵馬掛けがあったので撮ってみました。

急な石段を下りて慈光堂に行ってみました。

石段を下りると、ご覧のような慈光堂がありました。

慈しみの光を与えたいという願いが込められている慈光堂を撮ってみました。

ついでに、扁額をアップで撮ってみました。

折角なので、堂内を撮らせて頂きました。

慈光堂を後に、急な石段を下りてみました。


石段の下に、子育地蔵尊があったのでアップで撮ってみました。

台座の下に、ご覧のような観音様と小さなお地蔵様があったので撮ってみました。

右側に、厄除け地蔵尊があったので撮ってみました。

台座に、小さな観音様とお地蔵様があったので撮ってみました。

通路の右側に、戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。

境内の奥に、平和祈念碑・原爆慰霊碑・原爆の火の塔があるので行ってみました。

原爆投下の残り火(分火)が灯っている「原爆の火」の塔を撮ってみました。

平和記念碑(左)と原爆慰霊碑(右)を撮ってみました。
尚、平和記念碑には碑文「核兵器もない 戦争もない 平和な世界を」が刻まれていました。


右側にあった原爆慰霊碑をアップで撮ってみました。

案内板「慰霊碑」に依ると、被爆した土台石・湾曲した石・瓦などが寄贈されています。

境内を後に、ご覧のような寺務所の脇を通って大船観音を後にしました。
<龍寳寺に向かう>

大船観音からは龍寳寺に行くので、大船駅西口交通広場の北側にあるバス通り出てみました。

バス通りを暫く歩くと、擁壁の上に行けそうな階段がありました。

ご覧のような門扉がありましたが、閉まっていて入れそうにありません。

先に行くと、大船観音の一部が見えたので寺務所に行ける階段だったのかも知れませんね!

玉縄児童公園の北側にある住宅地を歩いていると、伏見稲荷神社の入り口がありました。


参道(?)に入ると、石像が祀られていたのでアップで撮ってみました。

ご覧のような石段を上って先に行ってみました。

石段の上に着くと、案内板があったので撮ってみました。

取り敢えず、右側の石段を上って岡本神社に行ってみました。


石段の上には、扁額「岡本神社」が掛かっている鳥居がありました。

案内板「岡本神社(別称)お伊勢山神明神社縁起」があったので撮ってみました。

取り敢えず、社を撮ってお参りをしました。


岡本神社を後に、石段を下りていると秋の七草の萩があったのでアップで撮ってみました。


左側の石段を上ると、鳥居に扁額「伏見稲荷」が掛かっている伏見稲荷神社がありました。

取り敢えず、社を撮ってお参りをしました。

お参りしてから社の内部を撮らせて頂きました。

伏見稲荷神社を後に、住宅街を5分程歩くと玉泉寺がありました。

取り敢えず、境内に入って本堂でお参りすることにしました。


本堂に掛っていた扁額を撮ってお参りをしました。

境内に、ご覧のような布袋尊(?)があったので撮ってみました。

墓地の前に、六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。


右側に、「よくばり地蔵さま」と案内板があったので撮ってみました。
<龍寳寺(りゅうほうじ)>


玉泉寺を後に、県道402号線に出ると龍寳寺トンネルがありました。

龍寳寺トンネルを通って龍寳寺に向かいました。

トンネルを出て暫く歩くと、龍寳寺の山門がありました。

左側に、龍寳寺の案内板があったので撮ってみました。

山門に、山号「陽谷山」が掛かっていたのでアップで撮ってみました。


山門の先に行くと、ご覧のようなお釈迦様(?)が祀られている社がありました。

折角なので、お釈迦様を倍率を上げて撮ってみました。

ご覧のような参道を通って本堂に向かいました。


参道の右側に、姫小菊(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。

又、句碑「いざさらば 吾が身散るとも我が心 堅く護らん皇孫の國」があったので撮ってみました。

参道の左側に、石像(道祖神、馬頭観世音、庚申塔など)がありました。

折角なので、別角度からアップで撮ってみました。


参道の右側に、ご覧のような柿の木があったので倍率を上げて撮ってみました。


参道の左側に、黄花コスモスが咲いていたのでアップで撮ってみました。



参道の先に行くと、薄ピンク色のコスモスが咲いていたので倍率を上げて撮ってみました。


ついでに、黄花コスモスも倍率を上げて撮ってみました。

本堂の下の階段に着いたので、立派な本堂を撮ってみました。

折角なので、本堂をアップで撮ってみました。

階段の上に着いたので、本堂を撮ってみました。

取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


本堂の扉が開いていたので祭壇を撮らせて頂きましました。

祭壇の奥には、釈迦如来坐像(?)が祀られていました。

折角なので、お参りをしてから天蓋を撮ってみました。


本堂の左側に行くと、玉縄北条氏供養塔があったので撮ってみました。

傍に、案内板があったのでアップで撮ってみました。

北条氏供養塔の左側に、見事な松があったのでアップで撮ってみました。


折角なので、松を倍率を上げて撮ってみました。

本堂を後に参道を5分程戻ると、山門に着いたので反対側から山門を撮ってみました。
<七曲坂(ななまがりさか)>

龍寳寺を後に、県道402号線を渡って左(西)方向にある玉縄城に行ってみました。
通り掛かりの人に玉縄城の行き方を聞くと、「みどり幼稚園」の方に行けば良いと教えてくれました。

右側の山間に、大きなマンション(コープ鎌倉植木?)が見えたので撮ってみました。

龍寳寺からは10分程で、(学)鎌倉みどりこども園に着くことが出来ました。

山道の右側に、案内板「鎌倉・玉縄城を偲ぶコース マップ」が出ていました。
どうやら、七曲坂の上に玉縄城があるみたいでした。

幼稚園の脇に、七曲坂の登り口があったので撮ってみました。

歩き出すと、掲示板「玉縄城址緑地保全地区」が出ていました。

舗装された坂道を暫く進むと、ご覧のような階段の坂道になりました。

ご覧のような冠木門があったので撮ってみました。
尚、冠木門(かぶきもん)は、左右の柱の上部に一本の貫(ぬき)を通しただけの簡単な門のことです。

折角なので、冠木門をアップで撮ってみました。

坂道に、七曲坂の案内板が出ていたので撮ってみました。

ご覧のような坂道を登って先に行ってみました。

坂道に、案内板「七曲坂武者だまり跡」があったので撮ってみました。
武者だまりは、 敵から玉城城の中心部を守る武士達が防御の拠点にした場所のようです。

更に、ご覧のような坂道を登って先に行ってみました。

坂道の先に行くと、崖の上に社(?)が見えたので撮ってみました。

曲がりくねった坂道を登って先に行ってみました。

七曲坂を5分程登ると、下の方に「みどり幼稚園」の屋根が見えました。

更に坂道の上に行くと、崖の上の社には塩ビ管(?)が引かれていました。
⇒ 崖の下に着くと表札があったので個人の住宅の建物(物置?)のようでした。
<玉縄城太鼓櫓址>

七曲坂を登り切ると、ご覧のような掲示板「植木1号市民緑地」がありました。

掲示板に、16世紀頃の玉縄城想像図(鳥瞰図)があったのでアップで撮ってみました。
鳥瞰図には、玉縄城の本丸址は、太鼓櫓址(中央)のやや上に載っていました。

掲示板の右下に、案内<この上 玉縄城太鼓櫓址>が出ていました。


案内に従って、山道を上って太鼓櫓址(たいこやぐらあと)に行ってみました。

山道を暫く上ると、ご覧のようなベンチのある太鼓櫓址に着きました。

太鼓櫓址の周りは、木に覆われているので見晴らしは良くありません。
又、玉縄城址がありそうな高台も見当たりません。

太鼓櫓址には、鳥瞰図の他に焔硝蔵(えんしょうくら)の案内板がありました。
焔硝蔵址は、太鼓櫓の南側斜面下に広がる、嘗ては武器弾薬庫があったとされる場所です。

太鼓櫓址のベンチで一休みしてから、玉縄城址を探しに行くことにしました。
道なりに暫く歩くと、清泉女学院(?)のグラウンドの下に玉縄城の案内板がありました。

どうやら、玉縄城址は清泉女学院の敷地内にあるようなので行くのは諦めました。
次は、坂道を下って県道沿いにある久成寺に行くことにしました。
<久成寺に向かう>


取り敢えず、ご覧のような急坂を下って県道に向かいました。

急坂を下りて左の方に行くと、伐採現場(?)があって作業員がいたのでアップで撮ってみました。
道路の先に行くと、県道302号線(小袋谷藤沢線)に着きました(玉縄城址からは15分程でした)。
<久成寺(くじょうじ)>

県道を藤沢方面に10分程歩くと、バス停「久成寺前」の先に久成寺の入り口がありました。

境内に入ると、ご覧のような山門があったので撮ってみました。

取り敢えず、先に行って山門を撮ってみました。

山門の左側に、松の木と十三重石塔があったので撮ってみました。


十三重石塔の前に、十月桜(?)が咲いていたので倍率を上げて撮ってみました。

又、松の木の下に、白い彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。

山門に山号「光園山」(?)が掛かっていたので撮ってみました。

山門の先には、本堂に上れる石段がありました。


石段の左側に、日蓮上人が建っていたのでアップで撮ってみました。


石段を上って本堂に行ってみました。


取り敢えず、本堂に掛かっていた扁額をアップで撮ってみました(扁額は達筆で読めませんでした)。
本堂で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


本堂の手前に、観音様が祀られていたのでアップで撮ってみました。

石段の上から、山門を撮って久成寺を後にしました。

県道に出たのでバス停「久成寺前」を撮って、次の圓光寺に向かいました。
<圓光寺(えんこうじ)>

県道を5分程下って右に入り、道なりに5分程歩くと圓光寺の石段下に着きました。

石段を上ると、ご覧のような本堂がありました。


立派な扁額「圓光寺」が掛かっていたのでアップで撮ってみました。

本堂の扉が開いていたので、お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。

折角なので、祭壇をアップで撮らせて頂きました。

ついでに、立派な天蓋を撮ってみました。

本堂の右側に、薬師堂があったので行ってみました。

折角なので、薬師堂に掛っていた扁額をアップで撮ってみました。

ご覧のような無縁佛石(?)があったので撮ってみました。

石段の下に戻って来たので、石段の上の方を撮ってみました。
圓光寺を後に、次の貞宗寺へは住宅地の中を通って行ってみました。
<貞宗寺(ていそうじ)>

住宅地を歩いていると、民家の入口に素晴らしいペチュニア(?)が咲いていたので撮らせて頂きました。

圓光寺からは10分程で貞宗寺に着きました。

境内に入ると、参道の左側に地蔵堂がありました。

取り敢えず、不動明王(左)・いぼとり地蔵(右)を撮ってみました。

地蔵堂に、何故か草履と傘が吊るされていたので撮ってみました。

墓地に、御霊屋があったので行ってみました。

御霊屋には、貞宗院(二代将軍徳川秀忠の祖母)の墓といわれる宝篋印塔が安置されていました。

参道に戻って先に行くと、鯉が泳いでいる池があったのでアップで撮つてみました。

参道の先に行くと、ご覧のような本堂に着きました。

折角なので、本堂の入り口を撮ってみました。
本堂で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


本堂の扉が開いていたので堂内を撮らせて頂きました。

折角なので、祭壇をアップで撮らせて頂きました。


本堂の前に、ご覧のような睡蓮の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。

本堂を後に、参道を戻っている萩が咲いていたのでアップで撮ってみました。
貞宗寺からは県道に戻って、バス停「公会堂前」からバスに乗ってJR大船駅に向かいました。
大船駅に着いたので、9月4日の「大船フラワーセンター」の帰りに寄った大船駅東口の居酒屋に行って飲んで帰りました。
今回の「大船駅西側ハイキング」は、念願の玉縄城址(玉縄城太鼓櫓址)に行けて良かったのですが、遺跡や遺構は期待が大いだけに物足りさを感じますね!
但し、それなりに歩いたので運動不足の解消にはなりました。
尚、万歩計は22,000歩を超えていました。
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