「鎌倉五山と銭洗弁財天(前編)」から続く。
<浄智寺>
寿福寺から鎌倉街道を下って、JR横須賀線の踏切を渡ると左側に浄智寺があります(寿福寺から約10分)。
浄智寺も何回か訪れているお寺ですが、直近では2018年11月「山行:鎌倉葛原岡・大仏ハイキング(前編)」で来ています。
取り敢えず、ご覧のような石橋の脇を通って総門(高麗門)に向かいました。
扁額「寶所在近」が掲げられている惣門を撮ってみました。
尚、寶所在近(ほうしょざいきん)は、「大切なものは身近にあるよ!」と言う意味らしいです。
総門の先には、山門(鐘楼門)があるので上ってみました。
取り敢えず、受付まで行って山門を撮ってみました。
ここから先は拝観料(200円)を取られるので、斜めから山門を撮って参道を戻りました。
総門の手前に遣って来ると、左側にトイレのある駐車場が出来ていました。
折角なので、駐車場と崖上の大木をアップで撮ってみました。
<円覚寺>
浄智寺を後に、鎌倉街道に戻って10分程下ると、円覚寺の白鷺池(びゃくろち)に着きましたが、浚渫工事中のようで水が干上がっていました。
滅多に見ることが出来ない偃松橋(えんしょうきょう)の剥き出しの橋脚を撮ってみました。
石段を上って総門まで行ってみることにしましたが、円覚寺も何回か訪れているお寺の一つです。
総門に着いたので、山号「瑞鹿山」の額を撮ってみました。
ここから先は拝観料(300円)を取られるので、奥に見える三門(山門)を撮って石段を下りました。
JR横須賀線の踏切を渡って、白鷺池に向かいました。
白鷺池に架かる偃松橋を撮って、再び、鎌倉街道に戻りました。
<建長寺に向う>
次の建長寺に向って鎌倉街道を上っていると、反対側に「友野風呂」があるので撮ってみました。
鎌倉街道を歩いていると、良く見かけるので名前は覚えていましたが、入ったことはありません。
暫く進むと、石段にある門に鍵が掛かっている神社(?)も良く見るので撮ってみました。
右側の石碑(第六天?)の下に『「第六天」の由来』の碑があったので、通常は閉まっている第六尊天神社の参道かも知れませんね!?
<建長寺>
円覚寺からは20分程で、建長寺の外門(天下門)に着きました。
建長寺も、何回か訪れているお寺の一つですが、直近では2014年5月「山行:鎌倉アルプス」で来ています。
取り敢えず、総門まで行って山号「巨福山」を撮ってみました。
総門から先は拝観料(500円)を取られるので、奥の三門を撮って鎌倉街道に向かいました。
<円応寺(えんのうじ)>
鎌倉街道を歩いていると、石垣に円応寺(閻魔寺)の看板がありました。
又、説明案内板には『人が死後に冥界で出会う、閻魔大王を中心とした「十王」を祀るお寺です。・・・』と書いてありました。
円応寺は、2018年2月「鶴岡八幡宮~東慶寺」の途中で立寄ったことはありますが、撮影禁止だったので入りませんでした。
ダメ元で、奉納旗「南無地蔵菩薩」が並んでいる石段を上ってみました。
受付で、カメラをぶら下げたまま拝観料(200円)を払いましたが何も言われませでした。
早速、受付の向かいあった鐘楼を撮ってみました。
香炉の奥にあった本堂に行って、閻魔大王と十王像を拝むことにしました。
本堂の入口を撮ってみましたが、閻魔様達がこちらを睨みつけていました。
正面にいる閻魔大王に御挨拶をしてから、右端から反時計回りに回ってみることにしました。
取り敢えず、閻魔大王も含めて「十王」にお参りをして写真に収めました。
最初の脱衣婆と開山の智覚禅師、最後の延命地蔵を除くと9枚しか撮れていなかったので、閻魔帳に”渇!”と記帳されたかも知れませんね!?
鐘楼を別角度から撮って、円応寺を後にすることにしました。
受付の横に駐車場があったので、ご覧のような坂道を下って扇ガ谷トンネルに着くことが出来ました。
鎌倉五山の残りは、第五位の浄妙寺だけになったので気が楽になりました。
ここからは、鶴岡八幡宮でお参りしてから、県道204号線に出て浄妙寺に行くことにしました。
<鶴岡八幡宮>
円応寺から鎌倉街道を15分程下ると、鶴岡八幡宮の車祓所の近くある鳥居に着きました。
鳥居の傍に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
水盤に「元禄十年丁丑八月十五日」と彫ってあったので、今から300年以上も前に造られたものですね!
急な石段を上ると、本宮(上宮)の横に出るので、ショートカットして本宮に行けます。
折角なので本宮の横を撮って、大石段の上に行ってみました。
取り敢えず、本宮の桜門と扁額を撮ってみました。
本宮の拝殿は写真撮影禁止なので、内部は撮れませんがお参りはしました。
大石段の上から舞殿(下拝殿)を撮ってみました。
尚、舞殿は静御前が義経を慕い心を込めて舞ったところです。
大石段を下りると、倒伏した大銀杏(樹齢1000年)の跡があったので撮ってみました。
左手に、奉献された樽酒(4斗樽?)が並んでいましたが、 飲みごたえはありそうですね!?
舞殿を横から撮っていると、舞殿に向って人波が出来ていました。
暫くすると、神主につられて新郎新婦が遣って来たので撮らせて頂きました。
取り敢えず、舞殿を正面から撮って「三の鳥居」に向かいました。
「三の鳥居」の手前に太鼓橋があるので撮ってみました。
右側にある源平池を見ながら「三の鳥居」の先にある交差点「八幡宮前」に向かいました。
交差点を左折して、県道204号線を30分程歩けば最後の浄妙寺に着けます。
<荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)>
県道を20分程歩くと、荏柄天神社の鳥居があったので行ってみました。
参道は、ご覧のように真っすぐ伸びていて先がどうなっているか分かりません。
参道にあった紫陽花が咲き始めていたのでアップで撮ってみました。
鳥居から5分程歩くと、ご覧のような竹林があって道は二股に分かれていました。
取り敢えず、車が遣って来た左の方に行ってみました。
二股から暫く進むと、特徴的な松に見覚えのある荏柄天神社の手前に着きました。
県道にあった「一の鳥居」では、訪れたことのある荏柄天神社とは分かりませんでした。
尚、荏柄天神社は2015年11月「鎌倉七福神をぶらり(後編)」で来ていますが、この時も偶然で訪れています。
ここまで来て戻るのも何なので、石段を上ってお参りすることにしました。
取り敢えず、石段の上にあった神門を撮ってみました。
境内の右側に手水舎があるので身を清めて本殿に向かいました。
拝殿で、たまたま来てしまったお詫びを兼ねてお参りをしました。
折角なので、お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きました。
境内の左手奥に、絵筆塚があるので行ってみました。
尚、絵筆塚は、清水崑の遺志を継いで、横山隆一らのマンガ家が建てたものです。
手水舎の近くに、鎌倉市の天然記念物に指定されている御神木の大銀杏があったので撮ってみました。
帰りがけに、「二の鳥居」を撮って県道204号線に戻りました。
<浄妙寺(じょうみょうじ)>
県道を15分程歩くと、バス停「浄明寺」があって、先の左側に鎌倉五山の「浄妙寺」がありました。
紛らしいと思って、傍にあった住居表示街区案内図で確認すると、町名として「浄明寺1丁目~6丁目」がありました。
バス停の先を左に曲がると、浄妙寺の山門があったので撮ってみました。
説明案内板には、『源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利吉兼が、退耕行勇を開山として建立(文治4年(1188))しました。行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。・・・』と書いてありました。
拝観料(100円)を払って境内に入ると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。
右側に、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
参道の脇に、丸い苔のある碑と皐月が咲いていたので撮ってみました。
折角なので、咲き始めの皐月をアップで撮ってみました。
左奥には、ご覧のような花塚がありました。
本堂の手前に遣って来たので松と一緒に撮ってみました。
本堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。
本堂裏の墓地に足利尊氏の父・貞氏の墓があるようですが、時間がなかったのでお参りには行きませんでした。
境内に、一軒家レストラン「石釜ガーデンテラス」があったので行ってみましたが、LOを過ぎていて入れませんでした。
帰りは、時間が過ぎていたので、山門ではなく別の出口に向かいました。
入る時に見た素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
バス停「浄明寺」に戻ると、「金沢八景駅」行の京急バスがありました。
少し待てば、バスが来そうなので金沢八景駅まで行って、横浜駅で乗り換えて相鉄線で帰ることにしました。
横浜駅に着いたので、横浜駅西口にある馴染みの居酒屋で飲んで帰りました。
今回の「鎌倉五山と銭洗弁財天」は、どうにか全てを回ることが出来たので満足しています。特に、今まで訪れたことがない寿福寺・長寿寺・円応寺・浄妙寺に行けたのは良かったです。
又、走行時間の約3時間30分には拝観時間が含まれていないので、注意して歩いた方が良いと(含む、裏技)、途中で係の人が教えてくれたのも参考になりました。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので27,000歩を超えていました。
<浄智寺>
寿福寺から鎌倉街道を下って、JR横須賀線の踏切を渡ると左側に浄智寺があります(寿福寺から約10分)。
浄智寺も何回か訪れているお寺ですが、直近では2018年11月「山行:鎌倉葛原岡・大仏ハイキング(前編)」で来ています。
取り敢えず、ご覧のような石橋の脇を通って総門(高麗門)に向かいました。
扁額「寶所在近」が掲げられている惣門を撮ってみました。
尚、寶所在近(ほうしょざいきん)は、「大切なものは身近にあるよ!」と言う意味らしいです。
総門の先には、山門(鐘楼門)があるので上ってみました。
取り敢えず、受付まで行って山門を撮ってみました。
ここから先は拝観料(200円)を取られるので、斜めから山門を撮って参道を戻りました。
総門の手前に遣って来ると、左側にトイレのある駐車場が出来ていました。
折角なので、駐車場と崖上の大木をアップで撮ってみました。
<円覚寺>
浄智寺を後に、鎌倉街道に戻って10分程下ると、円覚寺の白鷺池(びゃくろち)に着きましたが、浚渫工事中のようで水が干上がっていました。
滅多に見ることが出来ない偃松橋(えんしょうきょう)の剥き出しの橋脚を撮ってみました。
石段を上って総門まで行ってみることにしましたが、円覚寺も何回か訪れているお寺の一つです。
総門に着いたので、山号「瑞鹿山」の額を撮ってみました。
ここから先は拝観料(300円)を取られるので、奥に見える三門(山門)を撮って石段を下りました。
JR横須賀線の踏切を渡って、白鷺池に向かいました。
白鷺池に架かる偃松橋を撮って、再び、鎌倉街道に戻りました。
<建長寺に向う>
次の建長寺に向って鎌倉街道を上っていると、反対側に「友野風呂」があるので撮ってみました。
鎌倉街道を歩いていると、良く見かけるので名前は覚えていましたが、入ったことはありません。
暫く進むと、石段にある門に鍵が掛かっている神社(?)も良く見るので撮ってみました。
右側の石碑(第六天?)の下に『「第六天」の由来』の碑があったので、通常は閉まっている第六尊天神社の参道かも知れませんね!?
<建長寺>
円覚寺からは20分程で、建長寺の外門(天下門)に着きました。
建長寺も、何回か訪れているお寺の一つですが、直近では2014年5月「山行:鎌倉アルプス」で来ています。
取り敢えず、総門まで行って山号「巨福山」を撮ってみました。
総門から先は拝観料(500円)を取られるので、奥の三門を撮って鎌倉街道に向かいました。
<円応寺(えんのうじ)>
鎌倉街道を歩いていると、石垣に円応寺(閻魔寺)の看板がありました。
又、説明案内板には『人が死後に冥界で出会う、閻魔大王を中心とした「十王」を祀るお寺です。・・・』と書いてありました。
円応寺は、2018年2月「鶴岡八幡宮~東慶寺」の途中で立寄ったことはありますが、撮影禁止だったので入りませんでした。
ダメ元で、奉納旗「南無地蔵菩薩」が並んでいる石段を上ってみました。
受付で、カメラをぶら下げたまま拝観料(200円)を払いましたが何も言われませでした。
早速、受付の向かいあった鐘楼を撮ってみました。
香炉の奥にあった本堂に行って、閻魔大王と十王像を拝むことにしました。
本堂の入口を撮ってみましたが、閻魔様達がこちらを睨みつけていました。
正面にいる閻魔大王に御挨拶をしてから、右端から反時計回りに回ってみることにしました。
取り敢えず、閻魔大王も含めて「十王」にお参りをして写真に収めました。
最初の脱衣婆と開山の智覚禅師、最後の延命地蔵を除くと9枚しか撮れていなかったので、閻魔帳に”渇!”と記帳されたかも知れませんね!?
鐘楼を別角度から撮って、円応寺を後にすることにしました。
受付の横に駐車場があったので、ご覧のような坂道を下って扇ガ谷トンネルに着くことが出来ました。
鎌倉五山の残りは、第五位の浄妙寺だけになったので気が楽になりました。
ここからは、鶴岡八幡宮でお参りしてから、県道204号線に出て浄妙寺に行くことにしました。
<鶴岡八幡宮>
円応寺から鎌倉街道を15分程下ると、鶴岡八幡宮の車祓所の近くある鳥居に着きました。
鳥居の傍に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
水盤に「元禄十年丁丑八月十五日」と彫ってあったので、今から300年以上も前に造られたものですね!
急な石段を上ると、本宮(上宮)の横に出るので、ショートカットして本宮に行けます。
折角なので本宮の横を撮って、大石段の上に行ってみました。
取り敢えず、本宮の桜門と扁額を撮ってみました。
本宮の拝殿は写真撮影禁止なので、内部は撮れませんがお参りはしました。
大石段の上から舞殿(下拝殿)を撮ってみました。
尚、舞殿は静御前が義経を慕い心を込めて舞ったところです。
大石段を下りると、倒伏した大銀杏(樹齢1000年)の跡があったので撮ってみました。
左手に、奉献された樽酒(4斗樽?)が並んでいましたが、 飲みごたえはありそうですね!?
舞殿を横から撮っていると、舞殿に向って人波が出来ていました。
暫くすると、神主につられて新郎新婦が遣って来たので撮らせて頂きました。
取り敢えず、舞殿を正面から撮って「三の鳥居」に向かいました。
「三の鳥居」の手前に太鼓橋があるので撮ってみました。
右側にある源平池を見ながら「三の鳥居」の先にある交差点「八幡宮前」に向かいました。
交差点を左折して、県道204号線を30分程歩けば最後の浄妙寺に着けます。
<荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)>
県道を20分程歩くと、荏柄天神社の鳥居があったので行ってみました。
参道は、ご覧のように真っすぐ伸びていて先がどうなっているか分かりません。
参道にあった紫陽花が咲き始めていたのでアップで撮ってみました。
鳥居から5分程歩くと、ご覧のような竹林があって道は二股に分かれていました。
取り敢えず、車が遣って来た左の方に行ってみました。
二股から暫く進むと、特徴的な松に見覚えのある荏柄天神社の手前に着きました。
県道にあった「一の鳥居」では、訪れたことのある荏柄天神社とは分かりませんでした。
尚、荏柄天神社は2015年11月「鎌倉七福神をぶらり(後編)」で来ていますが、この時も偶然で訪れています。
ここまで来て戻るのも何なので、石段を上ってお参りすることにしました。
取り敢えず、石段の上にあった神門を撮ってみました。
境内の右側に手水舎があるので身を清めて本殿に向かいました。
拝殿で、たまたま来てしまったお詫びを兼ねてお参りをしました。
折角なので、お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きました。
境内の左手奥に、絵筆塚があるので行ってみました。
尚、絵筆塚は、清水崑の遺志を継いで、横山隆一らのマンガ家が建てたものです。
手水舎の近くに、鎌倉市の天然記念物に指定されている御神木の大銀杏があったので撮ってみました。
帰りがけに、「二の鳥居」を撮って県道204号線に戻りました。
<浄妙寺(じょうみょうじ)>
県道を15分程歩くと、バス停「浄明寺」があって、先の左側に鎌倉五山の「浄妙寺」がありました。
紛らしいと思って、傍にあった住居表示街区案内図で確認すると、町名として「浄明寺1丁目~6丁目」がありました。
バス停の先を左に曲がると、浄妙寺の山門があったので撮ってみました。
説明案内板には、『源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利吉兼が、退耕行勇を開山として建立(文治4年(1188))しました。行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。・・・』と書いてありました。
拝観料(100円)を払って境内に入ると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。
右側に、素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
参道の脇に、丸い苔のある碑と皐月が咲いていたので撮ってみました。
折角なので、咲き始めの皐月をアップで撮ってみました。
左奥には、ご覧のような花塚がありました。
本堂の手前に遣って来たので松と一緒に撮ってみました。
本堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。
本堂裏の墓地に足利尊氏の父・貞氏の墓があるようですが、時間がなかったのでお参りには行きませんでした。
境内に、一軒家レストラン「石釜ガーデンテラス」があったので行ってみましたが、LOを過ぎていて入れませんでした。
帰りは、時間が過ぎていたので、山門ではなく別の出口に向かいました。
入る時に見た素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
バス停「浄明寺」に戻ると、「金沢八景駅」行の京急バスがありました。
少し待てば、バスが来そうなので金沢八景駅まで行って、横浜駅で乗り換えて相鉄線で帰ることにしました。
横浜駅に着いたので、横浜駅西口にある馴染みの居酒屋で飲んで帰りました。
今回の「鎌倉五山と銭洗弁財天」は、どうにか全てを回ることが出来たので満足しています。特に、今まで訪れたことがない寿福寺・長寿寺・円応寺・浄妙寺に行けたのは良かったです。
又、走行時間の約3時間30分には拝観時間が含まれていないので、注意して歩いた方が良いと(含む、裏技)、途中で係の人が教えてくれたのも参考になりました。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので27,000歩を超えていました。
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