今日は、朝から用事を片付けてと言うかキャンセルして、のんびり過ごす事にしました。
午前中は、雨も降り出していませんでしたし、 を持って、庭に
お隣の生垣に絡んだ、野ブドウが色づいてきているのです。
そして、コメントのお返事入れたり、 を見たり、またブログを訪問したり、
たり、
以前訪問したブログに、五木寛之の【林住期】について、書かれていました。
気になっていたので、調べてみました。↓ な一文を見つけました。
インドのヒンズー教の教えは、人生を学生(がくしょう)期、家住期、林住期、遊行(ゆぎょう)期の四期に分ける。
学生期は、子供のころ、人生の準備期で、あとすぐ仕事をし、家庭を持ち、子供を育てる家住期に入り、
やがて子供が大きくなって家を出て行くころから、仕事と家庭のしがらみを離れて自由に生きる林住期の
一時期を過ごし、あとサトリを開いて「聖者」となった人間を除けば、たいていの人間は林住期の後家に戻る。
あと何をするか―死ぬ。
補足しますと、一生を100年として、25年づつに区切られるそうです。
その時、子育ても終え、息子たちは、巣立った今まさに、林住期なのだと思っただけでしたが。
改めて、家庭のしがらみからはともかく、林住期の真っ只中、遊行期に向けてどう生きるのか、
前の二つを、曖昧に生きてきた私としては、ここが勝負 と、思い当たりました。
聖者とまでは言いませんが、自分を、家族を、世間を楽しんでいたいです。
そして、こんな二つの相反するような意見にも、同調しているのです。
1.身の回りを整理してコンパクトに生活する。
2.いろんなものに興味を持ち、死の直前まで、何かやっていたい。
( ↑ いろんなやりかけの物を残したまま死にたいとも、言っていらっしゃた様に記憶しています)