お友達が、お花を持って茶道教室に来ます。教室で使うには余るほどたっぷり、
それぞれ頂いて帰ります。
お友達は、この花の苗を貰ったときから、名前は解らないそうです。
調べてみるね。と、貰ってきました。キク科でしょう。と、当たりをつけ、
≪ダンゴ菊≫らしいと判断。花芯がダンゴのようだと言うのです
現在の病院に入院してから、週に1度、見舞いに行っています。
寝たきりになってしまいましたが、身体は動かします。
話は、、、殆ど解りません。
でも、穏やかな表情でいてくれるのが救いです。
ただ、変わりないことを確認するだけの見舞いです。
行く度、考え込んでしまう私でした。
この状態、ハハ(姑)は、今どういう状態なのか?
何も解らないのじゃないか?
.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
認知症だと確信するようになり、ハハ(姑)の言動が理解しにくいものになりました。
今だってそうなのでしょう・・・
孫(私の息子H)の事も、タイミングよく認識でき、訪問を喜んでくれた。
何かのヒントで法事のことを思い出した時に孫夫婦が見舞いに行ったのでしょう。
孫嫁を自身の娘と勘違いし、孫を医師と見間違える。それを訂正しなかったそうです。
良かったと思います。
訂正されたら、ハハ(姑)の頭の中の孫の引き出しを探し出すのは、困難だったでしょう。
きっと、パニックになったでしょう。
今度、引き出しが開いてる時に行けたら良い。行けなくっても良い。
今、ハハ(姑)はハハ(姑)のペースで、日々を送っているのでしょう。
.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
見舞いに行き、寝たきりのハハ(姑)を見ると、、ソラジは生年月日を
父母の名前がわかるかと聞きます。串本節、歌ってみるか?
ハハ(姑)がはっきり覚えていたのは、生年月日と父母の名前でした。
そして、驚くほどシッカリ、串本節を歌ってくれたことを、ソラジは、もう一度
今日こそはと思うのでしょう。
けど、ハハ(姑)は質問に答えることが出来ません。歌えません。
うるさく質問してくる、どこかのおじさんに閉口しているようです。
優しく頭を撫で、元気か?と聞いてくれたけど、もう帰って、、、と、言いたげです。
そんなやり取りを見るのも辛いです。
帰りの車の中で、
きっと、オバアチャンは尋ねられたことが解らなかったんだと思う、
答えられないことを質問されて、知らないっていえない性格はそのまま、
きっと、負担になったんでと思う。
「だから、もうオバアチャンに質問しないであげて、話してくれたら、頷き、
話さなければ、そのまま帰ってくれば良いじゃない。」
.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
ハハ(姑)は、決して寝たきりじゃないのです。何かを考え、何かをしてるのです。
何を考えてるのか、他の誰のことだって解りません。
それぞれ、生きているのです。私だって、日々悩んだり喜んだりしています。
そう考えたら、気持ちが晴れました。精一杯生き抜いてもらいましょう~~
最新の画像[もっと見る]
病院ですが、無期限?のようです。
あの、入院と書いてありますが入所ではないのですよね。病院に入院だったら期限があるのではないかと思って。
ずっといられる病院ですか。今後のために聞いておきたいです。
息子さんたちが大人の対応をしてくれて、よかったですね。
振り返ると、施設に通ってたのは2年半でしたが、
当初から、荷物も用意できない状態で、、まず驚き、
認知度の進行が、加速していくに連れ、戸惑っておりました。
皆様のコメントに励まされ、仲間がいるって感じて、
そんな気持ちを他の戸惑い迷ってる方にもお分けできたら、
と、書いて、
また勇気を頂いてでした。
今、振り返って、書こうと思っても書けないものですね^^;
タティングレースは、急に中断しても解ける心配が無い、、
その分解きにくいですが、、
ハハ(姑)の通院中、待ち時間にもって行きました。
ハハ(姑)は、私が仕事をしてると思って、静かにしてくれましたし、
誰かが興味を乗って話しかけてこられると張り切って対応してくれていました。^0^
そして、タティングレースで、ルイコさんとさらに繋がった感じです^^
私も認知症の姑を送ったころでしたから、少し気持ちも分かりコメントをしたものの、介護が終わった者と、介護の入り口に立つ人の気持ちが違うことにも気づかずいました。
今、精一杯生き抜いてもらいたいと穏やかに見守られているのん太さんだとかんじました。
お姑さんは、顔を見るだけの見舞いでじゅうぶん嬉しいのではないですか。
今日、ようちゃんにお会いし、のん太さんの作品を見せていただきました。
細やかな手作業に打ち込まれているのん太さんを想像しました。きっとのん太さんにとっては安らげる時間なんでしょうね。そんな時を大事にして自分を保てればいいですね。
ようちゃんとのん太さんレースに出会えた嬉しい日でしたよ。 ぶきっちょルイコより
それぞれ進行も症状も違うので、書いても、個々の事例を細かく書くことも出来ませんし、
直接役に立たないかもしれませんが、
でも、認知症のご家族をお持ちの方々から体験談を聞くことで
自分だけじゃないって気になれて、救われました。
そんな風に読んでいただけたら良いなぁ~と思って、
でも、最近は、、、休止状態でしたが、
今のハハ(姑)の状態も、悲しいだけじゃないのだと解って、
これは書いておかねば、と思いまして、
私の独断かも、、、ですが、キミコさんの後押しを得て^^
もしかしたら、根が生えるかなぁ~~って、期待しています。
ソラジにとって、自慢の母でした。ですから、、、、何とか、
もしかしてなんて期待してしまうのかも、
嫁いびりした現場も見てるけど、、やっぱり自慢の母のようです。
そうそう、息子に、嫁いびりするような姑にはなりたくないって言ったら、
そんなことさせないって言われちゃった。
なんか中間管理職の悲哀を感じた瞬間でした。
そしてハハ(姑)は、心まで無くなったわけじゃないと確信したら、嬉しくなって
書きました。
先はわからないから、キチンと生きなきゃと思うのですが、、^^;
初期の頃は、、娘や息子の前では気が緩むらしく、
私の前では、はっきりしてる。って感じの頃がありました。
もう、すっかり、忘れられて、どこかのオバアサンですって、せめてオバサンにして、、
頑張ってこられて、良かったですね。
気が向いた時はしゃべっていました
そのタイミングは誰にもわかりませんけどね
病状も進み方もそれぞれなので誰にも予測ができません
意外と心穏やかにしてはるのかもしれませんね
心の内は見えませんから・・・
そう思っておくしかないじゃないですか^^;
のん太さん正解だと思います((・_・(_ _ウンウン
怪我をする前も、限界が近いと感じ始めていました。
幸い施設に通ってるので,その時間がお休みとして
残りの時間、目が離せないな?と思ってた矢先でした。
否応無く、今の病院に入るしかなくなって、それは幸いだったのだと思うようにしています。
団子ですね。葉は菊とは似てないものの花は春菊にも
似ています。
姑さまのご様子はやがて母もこうなるだろうと思います。
ソラジ様は母上の串本節をもう1度聞きたいでしょうね。
いつかは自分も通る道 順送りとは思いますがなるだけ
周りに世話を掛けずに通りたい道です。
状態も理解出来ていないようです。
お兄様も、そうでしたか、
怪我をした当初、ハハ(姑)が怯え、怒り、嘆いていて
宥めても、説明しても理解してもらうことが出来なかった頃は、
皆が、暗闇の中だった気がします。
今、心底、穏やかに暮らせています。
ようちゃんも無理をしないで、引くことも、、引き際を見極める覚悟を今から、、
ね、、、、
冷静に見ているのは辛いです。悲しいものがあります。
私は自己防衛として、少し距離を置くようにしました。
夫は、自信の親のこと、辛いと思います。
ハハ(姑)の感情は生きているし、今、ここが自分の家と思ってるようです。
今は、見守るしか、何も出来ません。
でも、見守るのも心の準備が要りますね^^;
肉体は現生でも、精神は違う世界。。
お姑様に合わせてあげるのが一番かと思います。
仰る通り、誰しも行く道かもしれません。
ところでお姑さま のご様子 我が姑と重なる部分があり、色々思い出しました。
亡くなる2年ほど前から、殆どの人の顔が識別できず、大昔の事を良く覚えていました。
私の顔も時には忘れる事があり、色々 話しかけるとふっと思い出したりして…
そんな状態なのに、意識が亡くなる寸前に「koyukoさん 有難うね」と言って驚きました。
常日頃、素直にお礼を言わない人でしたので、私もびっくり、その言葉は生涯 忘れません。
認知症って未知の世界 私達が考えても分からない世界ですね
施設は有難い事です 全て看て下さる
個人が看るには限界がありますからね
など 母親の姿にショックをうけ 躍起になって思い出してもらおうと
する人がいます。
夫の兄もそうでした。
気持はわかります。
でも ふと戻ることはあっても 別の世界で生きている という気がしますね。
今 施設で 大事にしてもらって ご機嫌よく過ごしてくれていれば
子の立場として 一番ありがたい と おもいます。
ソラジさんにしてみれば実の母、何か喋ってほしいと思う気持ちは分かります。
当の相手が、どういう事になってるのかが、誰も分からないのが辛いですね。
誰も経験していない、、、行く道です。
感情は元気なときのまま。
自分がその状況に置かれたら何をしてほしいか
あたしの場合は実家近くの老人ホームまでの移動時間がたっぷりあるので
落ち着いて考えてから会いに行けます。
もう少し近い方が良いんだけどな、と思う反面
東京で現役生活のスピードを考えると
その移動時間で両親の生活のスピードにまで減速できるかな、と思うようになりました。
距離とスピードと思いやりと、いろんなグッズをもって共に生きて行くってことですね。