ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

奇想天外の能『一角仙人』(その11)

2007-07-17 22:23:17 | 能楽
シテ、ツレ、ワキ一同が着座してさて会話が始まるのですが、これまた ちょっと珍妙なやりとりなのです。意図的にそう作られているのだろうけれど。。

ワキ「只今思ひ出だしたる候の候。これは承り及びたる一角仙人にてましますか。
シテ「さん候これこそ一角と申す仙人にて候。さてさて面々を見申せば。世の常の旅人にあらず。さも美しき宮女の貌。桂の黛羅綾の衣。さらに唯人とは見え給はず候。これはいかなる人にてましますぞ。
ワキ「先に申す如く。踏み迷ひたる旅人にて候が。旅の疲の慰めに酒を持ちて候。ひとつ聞し召され候へ。
シテ「いや仙境には松の葉を好き。苔を身に着て桂の露を嘗め。幾年経れども不老不死のこの身なり。酒を用うる事あるまじ。
ワキ「仰はさる御事なれども。ただ志を受け給へと。夫人は酌に立ち給ひ。仙人に酒を勧むれば。
シテ「げに志を知らざらんは。鬼畜には猶劣るべしと。

最初にワキが、シテの奇妙な姿を見て「ははあ、そういえば一角仙人というお方があると聞きましたのはあなた様のことですか」と聞き、シテは、まあこれは普通に「さよう、私が一角でございます」と答えるのですが、もう気持ちはそぞろで、美しい官女の素性を聞かないわけにはいかない。。すぐにそれを問うのですが、これまたワキは全然違う話をします。

「さっき申しました通り道に迷った旅人です」。素っ気ない。そしてすぐにワキが言うことには、「旅の疲れをみずから慰めるために酒を持っております。おひとついかが?」一夜の宿を借りたその返礼に酒を勧めるのです。じつはまだ一角仙人は「宿を貸してあげよう」とは言っていないのですが。それどころか乞われて姿は現したものの、ここまでの経緯では仙人は「人間の交はりあるべき処ならず。とくとく帰り給へ」という拒絶のスタンスから離れてはいないはずなのに。

しかしすでに何年も人間を見たことのない仙人にとって、突然の美女の訪問は頭の中に大混乱を来たし、会話の論理を超越しちゃったのでしょう。酒を勧められたシテは「いやいや」と、不老不死を獲得したその身を誇らしげに語ります。美女の前でちょっと自慢をしたかったのかも。でも、よく考えると仙人が最初に持った疑問~この旅人たちはどういう身分の者なのか、なぜこの仙境に迷い込んできたのか~には ワキは一切答えようとしていないのです。それなのに

シテ 人間の交はりあるべき処ならず。とくとく帰り給へ
     ↓
ワキ さては天仙の栖やらん。まづまづ姿をまみえ給へ
     ↓
シテ この上は恥づかしながら我が姿。旅人にまみえ申さん

と、すでにシテはワキの言いなり。そして酒を勧められると、

ワキ 酒を持ちて候。ひとつ聞し召され候へ
     ↓
シテ いや仙境には松の葉を好き。。。酒を用うる事あるまじ
     ↓
ワキ ただ志を受け給へと。夫人は酌に立ち給ひ。仙人に酒を勧むれば
     ↓
シテ げに志を知らざらんは。鬼畜には猶劣るべし

と、これまたワキの術中にみごとに引っかかりました。根が素直というか、なんだか憎めない仙人で、この曲を最後まで見たときに、なんとなく微笑ましく後味が悪くないのも、こういったシテの造形が悪人としては描かれていないところに その原因があるのでしょう。