ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

マリカ姫とはだあれ?(付・ぬえのネット史)(その3)

2008-11-30 01:26:52 | 能楽
さてパソコンを電話線に繋いで「ニフティサーブ」に接続した ぬえでしたが、まだ当時はネット(当時はまだ「通信」というのが一般的だったと思いますが。。)について右も左もわからないまま入会したのでした。そして能、だけではない伝統芸能全般を話題にする会議室を発見して、すぐにそこに入会したわけです。

ところが入会して、IDを割り当てられ、パスワードを設定して。。ここまでは良かったのです。このあと あおもうろに「ハンドルを決めて下さい」とかいう表示が出て、「ええっ??ハンドル??」と驚いた ぬえなのでした。

再三申していますが、当時は電話線のジャックにモジュラーケーブルを繋いで「通信」するのが当たり前で、パソコンに内蔵された、または外付けのモデムを操作して、接続している場所から一番近い「アクセスポイント」に電話を掛けるのです。通信中は常に電話料金も加算されているため、できるだけ市内通話で接続できるように気を遣いながら接続するのですね。接続を試みると、スピーカーから「ギ~~コロコロコロ、ギャウンギャウン。。」という すんごい音が聞こえてきて、まあファクスと同じような音がするわけですが、やがてブラウザ(。。という言葉もなかったような)が立ち上がって、いよいよ書き込みをすることになります。

で、このときは入会手続きを進めている最中に、それが自分のすべての書き込みに発言者として表示される「ハンドル」を、今すぐ決めるよう求められたのです。考えている時間はない。その間にも電話料金の課金はふくらんでゆく。。そこでとっさに、つい先日勤めたばかりの能、そして自分なりに割とうまくできたと思える能『鵺』が頭に浮かんで、それをひらがなに直して「ぬえ」と決めたのでした。今考えれば非常に安易な決め方だったですね。でも、ぬえは一代目の能楽師でして、外の世界から能に飛び込んだ「新参者」でした。名前のない怪物『鵺』。まさに当時の ぬえはそういう状態だったと思います。いつか名前を持ちたい。。そんな渇望を常に持っていましたし、そんな ぬえには まさに似つかわしいハンドルだったのではないかと思います。

さてそうすると、ぬえが『鵺』を舞った年が、ぬえが通信を始めた元年ということになります。今、自分の演能記録を見てみると。。ははあ、それは平成7年の11月ですね。その半年後に ぬえは『石橋』を披いていて、それに向かう心境を「会議室」に何度も書いた覚えがありますから、ぬえが通信を始めたのは平成7年の終わりか翌年の初め頃ですね。ふうん。。もう13年前後も通信をしているんだ、ぬえ。。

さて当時の通信事情の話題に戻って、当時の ぬえはマックを使っていましたが、ネットスケープはその頃からありました。がしかし。「インターネット」のブラウザとして、つまりサイトをあちこち覗く、というような使い方は、少なくとも ぬえはしていませんでしたね。

まずもって「ニフティサーブ」はパソコン通信で、今で言う「サイト」とはちょっと違います。やりとりする情報はもっぱらテキストだけ。いわば画像の貼り付けられないBBSでした。大体、電話線を通じて情報をやりとりするナローバンドでは、とても画像を多用した、ましてや今のようにフラッシュやJavaまで埋め込まれたサイトは表示できなかったと思います。

かろうじてメールを使って画像のやりとりをしたり(テキスト以外のファイルを添付するメールを「バイナリメール」などとわざわざ別に呼んでいました)、それからフリーソフトのDLなどはできましたが、どちらもえらく時間が掛かり、後者のDLの場合などヘタをすれば1~2時間も掛かったのです。その所要時間はDLを始めてみなければわからないので、これは。。時間が掛かるな。。と思うと、やはり電話料金の課金にハラハラドキドキしながら、ひたすら早く終わるよう念じたものです。