観世元章は明和の改正において『翁』の詞章や演式にも大きな改革を施しました。
それまで観世流の『翁』は、三日間あるいは四日間に渡って興行された勧進能に対応する形で、日によって演式を少し違えて上演することは行われていましたが、元章はそれを九種の演式に拡充して、『九祝舞』という書物にまとめました。これが現在の観世流にほぼそのまま受け継がれて『翁』の様々な演式、すなわち「初日之式」「二日之式」「三日之式」「四日之式」「法会之式」「十二月往来」「父尉延命冠者」「船立合」「弓矢立合」となっています。つまり観世流に伝わる『翁』の九つの演式はすべて観世元章が整備した。。というか実際には彼が作詞した『翁』のバリエーションなのです。
『翁』の「初日之式」「二日之式」。。という日次の演式については、よく能楽入門書で「往時は勧進能が数日に渡る場合、翁は初日之式→二日之式。。というように毎日演式を替えて上演し、四日目以後は四日之式を連続して上演した」「そのため結果的に四日之式が最も上演頻度が高くなり、現在では翁を上演する場合はこの四日之式を上演する習わしとなった」などと説明されているのを目にしますが、実際はどうも少し事情が異なるらしい。
前述のように古い形の『翁』は父尉も延命冠者も必ず登場していたり、かつては専門の演者が勤めていた『翁』を能役者が勤めるようになるなど、『翁』の上演史にもかなり大きな変動があるのです。勧進能もかつては三日間の定めがあったらしいのが、その後四日間に延長され、さらに時代を経て長大な日数におよぶ勧進能も催されるように変化したようで、観世流の『翁』の日次のバリエーションも、三日間の演式の違いが最初にあり、その後四日目の演式が増補されたようで、さらに後代に日数の延長に伴ってこれらの四種のバリエーションの組み合わせを工夫して上演したもののようです。
観世元章はすでにあった四種の『翁』のバリーションをすべて新作したのですが、彼の死後 改正は旧に復され、『翁』の通常の演式も「四日之式」という名は残りながら詞章は古来のものに戻されました。
ところが通常上演される「四日之式」以外の演式は退転せずに、元章が新作したそのままの姿で『翁』の小書のような形で残されたのです。元章の新作になる能の新演出が小書で残った例は『采女』の「美奈保之伝」などほかにもたくさんありまして、観世流に能の小書が多い理由になっています。
そういうわけで『九祝舞』の中に納められたほかの『翁』のバリエーションも、『翁』の小書? として現在にまで残っているのです。たとえば「十二月往来」は奈良の興福寺や春日大社で演じられた立合能としての『翁』の演式でありながら、観世流に伝わる詞章は元章の新作ですし、「法会之式」は奈良・多武峰に伝わる独特の演式で、元章はその詞章こそ導入しているものの、その頃には多武峰での上演も絶えていて、演式を忠実に模したものではないようです。
「父尉延命冠者」も、前述のように古来は『翁』に登場していた役を復活させた演式なのですが、現在のそれは翁の代わりに父尉を登場させ、千歳の代わりに延命冠者が登場するもので、「露払(千歳)→翁→三番叟→父尉→延命冠者」という古来の『翁』の登場順とはかけ離れています。これは元章が新作した演式だからなのです。
それまで観世流の『翁』は、三日間あるいは四日間に渡って興行された勧進能に対応する形で、日によって演式を少し違えて上演することは行われていましたが、元章はそれを九種の演式に拡充して、『九祝舞』という書物にまとめました。これが現在の観世流にほぼそのまま受け継がれて『翁』の様々な演式、すなわち「初日之式」「二日之式」「三日之式」「四日之式」「法会之式」「十二月往来」「父尉延命冠者」「船立合」「弓矢立合」となっています。つまり観世流に伝わる『翁』の九つの演式はすべて観世元章が整備した。。というか実際には彼が作詞した『翁』のバリエーションなのです。
『翁』の「初日之式」「二日之式」。。という日次の演式については、よく能楽入門書で「往時は勧進能が数日に渡る場合、翁は初日之式→二日之式。。というように毎日演式を替えて上演し、四日目以後は四日之式を連続して上演した」「そのため結果的に四日之式が最も上演頻度が高くなり、現在では翁を上演する場合はこの四日之式を上演する習わしとなった」などと説明されているのを目にしますが、実際はどうも少し事情が異なるらしい。
前述のように古い形の『翁』は父尉も延命冠者も必ず登場していたり、かつては専門の演者が勤めていた『翁』を能役者が勤めるようになるなど、『翁』の上演史にもかなり大きな変動があるのです。勧進能もかつては三日間の定めがあったらしいのが、その後四日間に延長され、さらに時代を経て長大な日数におよぶ勧進能も催されるように変化したようで、観世流の『翁』の日次のバリエーションも、三日間の演式の違いが最初にあり、その後四日目の演式が増補されたようで、さらに後代に日数の延長に伴ってこれらの四種のバリエーションの組み合わせを工夫して上演したもののようです。
観世元章はすでにあった四種の『翁』のバリーションをすべて新作したのですが、彼の死後 改正は旧に復され、『翁』の通常の演式も「四日之式」という名は残りながら詞章は古来のものに戻されました。
ところが通常上演される「四日之式」以外の演式は退転せずに、元章が新作したそのままの姿で『翁』の小書のような形で残されたのです。元章の新作になる能の新演出が小書で残った例は『采女』の「美奈保之伝」などほかにもたくさんありまして、観世流に能の小書が多い理由になっています。
そういうわけで『九祝舞』の中に納められたほかの『翁』のバリエーションも、『翁』の小書? として現在にまで残っているのです。たとえば「十二月往来」は奈良の興福寺や春日大社で演じられた立合能としての『翁』の演式でありながら、観世流に伝わる詞章は元章の新作ですし、「法会之式」は奈良・多武峰に伝わる独特の演式で、元章はその詞章こそ導入しているものの、その頃には多武峰での上演も絶えていて、演式を忠実に模したものではないようです。
「父尉延命冠者」も、前述のように古来は『翁』に登場していた役を復活させた演式なのですが、現在のそれは翁の代わりに父尉を登場させ、千歳の代わりに延命冠者が登場するもので、「露払(千歳)→翁→三番叟→父尉→延命冠者」という古来の『翁』の登場順とはかけ離れています。これは元章が新作した演式だからなのです。