ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼弾丸ツアー(その4=昆布の話、大島の震災被害の話、学生ボランティアの話)

2012-05-07 03:05:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼大島神社の奉納のあと、再びコンビニ(ちゃんと店名を書かなきゃ。グリーンアイランドおおしま、です)のご主人・菅原さんに送って頂き、この日3つめの公演地である大島総合開発センターへ。

。。と思ったら、車に乗せさせて頂いてすぐに菅原さんは「昆布の茎! 持って来ましたよ~」と、タッパーに盛り上げた昆布を差し出してくださいました。ははあ、奉納の間「ちょっと。。」と席を外した菅原さんは わざわざこれを ぬえたちのために取りに行ってくださったのか~。ありがたく頂戴しましたが、なるほど「茎わかめ」ならぬ「茎昆布」。食べ応えがある厚みで、こりゃおいしいですね~。その旨申し上げましたら菅原さん、「それじゃ これ作っているところに寄ってみますか?」「え? いやその、公演が。。」「寄ってみますかねえ!」「。。は、はい、た、楽しみだなあ。。」

こうして連れて行ってくださったのは、海岸から細い道をぐっと登ったところにある小さな小屋でした。中には海女さんが二人おられて、先ほど船着き場のところで見たよりも さらにもの凄い量の昆布をさばいておられる最中でした。「ちょっと見せてやってくれね」「ほいよぉ。どっがら来たの?」「。。東京です」「おお、そんな遠いところがらぁ」 もう、ぬえはその光景に釘付けでした。みぃんな手作業なんだもの。そしたら

「面白いかぁ? ほれ、これ持ってけや!」とドサッと袋に詰めたワカメと昆布のおみやげを頂きました。菅原さんは「ほれ、茎んところあったろ?」と言うと「あ、そこがいいの? ほれ、たくさんあっがら」と、今度は大きな紙袋2つに入れたおみやげまで。。これはとても ぬえでは持てない分量で、菅原さんが「海の掃除に来てくれる人たちで分けられるように小分けにしておくから」と、あれよあれよと車に積み込んで「さ、行きましょうか?」と。なんだか異次元に迷い込んだような、竜宮城でおみやげたくさんもらった浦島太郎状態で作業小屋をあとにしました。



風雨はあい変わらず激しく、移動の途中には菅原さんから震災のときの有様を伺いました。

気仙沼大島は津波の被害を受けたのですが、これがまた。。まずは太平洋から直接島に当たる津波と、本土の岸にぶつかって反射してくる津波と、その両方の波に襲われたのだそうです。なんとこの二つの津波によって大島は南北に分断されてしまいました。浸水域の地図はこちら→Civic Forceサイト

そのうえ対岸から気仙沼湾に漂流した重油タンクから瓦礫に引火し、それが島に燃え移り。。島の北端にあり、気仙沼市街に一番近かった亀山。。さきほどの大島神社はこの山の中腹にあるのですが、ここが山火事になってしまったそうです。火は山頂までを焼き尽くし、そこに通じていた観光用のリフトの設備も焼けてしまいました。→河北新報ニュース

しかし菅原さんや大島神社の宮司さまから伺った話はもっとすさまじく。。リフトのケーブルがおそらく山火事の熱で切れてしまい、すさまじい音を立てて山中をのたうちまわった その轟音を聞いたというのです。また幸いにして、山火事は亀山にある民家(大島神社も考えてみればそのうちの一つ)を避けるようにして燃え広がったのだそう。どちらも不思議な臨場感をもって ぬえの心に響いてしまいました。。

さてそうこうしているうちに次の上演場所「大島総合開発センター」に到着しました。上演場所となったのは1階の体育館でしたが、そこにはすでに先客が。これがなんと学生ボランティアさんで、関西の?大学のプロジェクトとして震災前の大島の様子を模型にして再現する活動をしていて、横浜などいくつかの大学の学生さんがそれに協力して模型を作っているところなのでした。



こちらも公演準備があり、学生さんも島内ではなく気仙沼市内で宿泊しながらここに通って模型造りをしているそうなので、あまり多くは話しませんでしたが、流された家屋について聞き取り調査をして綿密な模型を作り、復興の資料として活用してもらおう、という活動で、分割して作られた模型は完成すればかなり巨大なものになるようです。なんと明日からこの体育館で模型を展示するのだそうで、この日が最終仕上げの日だったんですね。



それでもさきほど菅原さんから頂いた昆布の茎を今夜のおつまみにおすそわけして、最終の船で学生さんたちは気仙沼市内に向けて帰って行きました。