ぬえの能楽通信blog

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壮大な童話…『舎利』(その2)

2014-11-08 22:25:54 | 能楽

まずは例によって能『舎利』の舞台の進行経過に沿って曲目の解説を進めて行きましょう。

囃子方・地謡が例によって舞台に登場し所定の位置に着座すると、後見によって一畳台が舞台の先に運び出されます。

目を引くのはその一畳台の上に載せられている物。台座の上に小さな塔が載り、そのてっぺんには火焔の装飾がついた宝珠が載っています。これこそがこの能の隠れた主役たる「舎利」。。すなわちお釈迦様の遺骨です。塔は「舎利塔」というもので、舎利を納める厨子です。大寺院にある五重塔や三重塔、また大塔や多宝塔と呼ばれる建築も本来の意味は舎利塔で、またお墓に供える卒塔婆も、この舎利塔を模して作られるものです。

能『舎利』の舞台である京都・泉涌寺には塔ではなく「舎利殿」があって、この中に舎利厨子が安置されています。厨子の形は塔というよりは日光東照宮の家康の墓。。唐銅宝塔墓に似た形式なので能に出てくるこの作物とは少々感じが違います。

なお台座は後述の目的のために演者が演能のたびごとに自作するもので、木で作り、緞子などの布で包みます。この台座と舎利塔をあわせると、高さは数十cmにもなるでしょうか。そのため一畳台に載せて出すとバランスが崩れる恐れもあり、台座だけを一畳台に載せて出し、それとは別に切戸口より舎利塔を出して台座の上に載せることもあるようです。このへんは定まったことではなく現場での判断ですね。

一畳台と作物が据えられ後見が引くとワキ(旅僧)は幕を上げて橋掛リを歩み出し、これを見て笛が「名宣笛」を吹き出します。これを合図に大小鼓も床几に掛かり、地謡もそれまでそれぞれの右横に控えておいた扇を前に置いて、これで一番の能が始まることになります。

ワキとともに目立たぬように間狂言も登場して、こちらは橋掛リ一之松の裏欄干に着座。これは泉涌寺の寺僧の役で、いうなればワキが寺にやって来る前からここに居る設定です。

ワキ「これは出雲の国美保の関より出でたる僧にて候。われ未だ都を見ず候程に。この度思ひ立ち洛陽の仏閣一見せばやと思ひ候。

シテ柱に立ったワキは自分の素性と旅行の目的を述べ、大小鼓も打ち出して「道行」を謡います。

ワキ「朝たつや。空行く雲の美保の関。空行く雲の美保の関。心はとまる古里の。跡の名残も重なりて。都に早く着きにけり。都に早く着きにけり。

「道行」の終わり頃、ワキは右斜めに数歩進み、また立ち戻る所作をします。これで出雲から都への旅が完了したことを表します。やがて正面に向き直ったワキは、都の泉涌寺を拝観することを述べます。

ワキ「日を重ねて急ぎ候間。程なく都に着きて候。まづ承り及びたる東山泉涌寺へ参り。大唐より渡されたる十六羅漢。又仏舎利をも拝み申さばやと存じ候。これなる寺を泉涌寺と申すげに候。寺中の人に委しく案内をも尋ねばやと思ひ候。

橋掛リの方へ向いたワキは間狂言(寺僧)を呼び出し、これに応えて間狂言は寺を案内することになります。

いかに誰かわたり候。
狂言「何事を御尋ね候ぞ。
ワキ「これは遥かの田舎より上りたる僧にて候。当寺の御事を承り及び遥々参りて候。大唐より渡りたる十六羅漢。又仏舎利をも拝み申したく候。
狂言「げにげに聞し召し及ばれて御参り候か。聊爾に拝み申す事適はず候。但し今日かの御舎利の御出である日にて候。われら当番にて唯今戸を明け申さんとて。鍵を持ちてまかり出で候。まづこの舎利を御拝あつて。その後山門に登りて十六羅漢をも拝ませ申し候べし。こなたへ御出で候へ。がらがらさつと御戸を開き申して候。よくよく御拝み候へ。
ワキ「あらありがたや候。さらば御供申し候べし。


このあたり、間狂言が口で擬音を唱えて舎利殿の扉を開ける所作をしますが、間狂言としては珍しく、楽しい場面です。中入でも間狂言は目立つ演技があって、なるほど『舎利』という能にふさわしい、見どころの場面が多く作られていると思います。