ぬえの能楽通信blog

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壮大な童話…『舎利』(その6)

2014-11-16 22:14:36 | 能楽
前シテが地謡のうちに幕のうちに走り込むと、橋掛リ一之松の裏欄干。。狂言座に控えていた間狂言が大声を出して橋掛リを転げ廻ります。

『道成寺』の間狂言と同じ演出で、前シテが舎利殿の天井を蹴破って逃げ去ったその轟音を、雷が落ちたと思って大騒ぎになるのですが、『舎利』のようなスペクタクルの能にはまことに良く似合った演出だと思います。

狂言方・大蔵流の詞章の例をここで掲出しておくと。。

ああ、桑原々々。桑原々々。さてもさても鳴ったり鳴ったり。したたかな鳴り様であった。今のは神鳴か、または地震か知らん。何にもせよ、胸がだくめいてならぬ。(舞台へ入りながら)まづ御舎利へ参り、心を鎮めて胸のだくめきを直さう。(舎利台を見て)南無三宝。お舎利がお見えない。(名乗座へ帰り)さてさて合点の行かぬ事ぢゃ。何者が取って失せた事ぢゃ知らん。おお、それそれ。最前往来のお僧にお舎利を拝ませ申したが、定めて彼奴が取って失せたものであらう。まだ遠くは参るまひ。急いで追掛けう。(正面へ走り進みワキを見て)いや、是に居らるる。いやなうなう。お僧はお舎利を何と召されたるぞ。(脇「愚僧は存ぜず候」)いやいや左様にはおりゃるまひ。それ故最前申すは、当寺のお舎利は聊爾には拝ませ申さね共、お僧の事にて候間、某が心得を以て拝ませ申したる上は。お僧が知らひで誰が知らふぞ。さては妄語ばしおしゃるか。(脇「いやいや妄語などは申さず候。それに就き不思議なる事の候間、近う御入り候へ」)心得申し候。(真中に座し)さて思ひ合する事と仰せ候は。如何様なる事にて候ぞ。(脇「御舎利を拝し申し候所に。いずくともなく童子一人来られ。御舎利を取り天井を蹴破り。虚空に上ると見て姿を見失ひて候。なんぼう不思議なる事にては候はぬか」)(一畳台の上を見る)や、誠に天井がくわっと破れてある。さては最前おびたたしう鳴ったは、これを破った時の音であらう。左様の事とも存ぜず、咎もなきお僧を疑ひ申して候。真平御免あらうずるにて候。これに付き思ひ合はする事の候。語って聞かせ申さうずるにて候。(正面へ直り)さても、釈尊入滅の刻、足疾鬼と申す鬼神。ひそかに双林の元に立寄り、御歯をひとつ引掻いて取る。仏弟子達、驚き騒ぎ、止めんとしたまへ共、片時の間に四万由旬を飛び越へ、須弥の半ば、四王天まで逃げ登り候を、韋駄天追掛け、取り返し給ひ、大唐の道宣律師に御渡し被成候が、その後我が朝へ御渡りあって、則ち当寺の宝と成り給ひて候。(ワキに向かい)さては我等の推量には。古しへの疾鬼が執心、仮に人間と顕れ、仏舎利を取って逃げたると存知候。さて是は何と仕り候ぞ。(脇「昔も今も仏力神力に変る事は有るまじく候間。此の度は韋駄天に祈誓あれかしと存じ候」)実々昔も今も、仏力神力の替る事有るまじく候間、韋駄天へ祈誓申し、再びお舎利を取り返し申さうずる間、御僧も力を添へて賜り候へ。(脇「心得申候」)(一畳台の前へ行き片ヒザ数珠取り出し手に掛けて)実々昔も今も仏力神力の替る事夢々あるべからず。一心頂来万徳円満釈迦如来。信心舎利を韋駄天取り返し給ひ。再び当寺の宝と成し給へ南無韋駄天、南無韋駄天(南無韋駄天にて数珠する。終りて数珠懐中に入れ板付に座す。能済み脇に付き入る)

この韋駄天に祈る間狂言の言葉に付けて太鼓が打ち出し後シテの登場音楽たる「イロエ」となります。

一体、「イロエ」という言葉は能楽の囃子事としては大変曖昧な用語ですね。ひとつの規範というものがなく、どちらかというと他の用語で律しきれない囃子事は多くの場合「イロエ」という呼び方にされている印象さえあります。

現に能『舎利』ではもう1か所「イロエ」があるのですが、それはこの後シテの登場場面で奏される「イロエ」とはまったく異なるものです。

「イロエ」とはシテの所作を修飾する、という意味の「彩色」を語源としているという説が有力ですが、前述のように一定の規範というものがありません。…そうは言っても、一方では同じやり方で演じる一群の「イロエ」、というものもあるので話は複雑です。

その一定の同じやり方で演じられる「イロエ」とは大小鼓がノッて地を打ち行き、そこに笛がアシライを吹く、というもので、この間シテは静かに角へ行き、正へは直さずに左へ廻り、正中で一度正面を向くのをキッカケに大小鼓は打上の手を打ち、シテはその間にもうひとつ左へ小さく廻って大小前で左右します。戯曲上の意味というものはほとんどないのですが、強いて言えばシテの不安な揺れ動く気持ちを表現していたり、人間ではないシテの神秘性を高める、という程度の効果があるでしょうか。必ず女性のシテが舞うのもこの定式の「イロエ」の特徴で、『船弁慶』の前シテ、『桜川』『百萬』『花筐』などの狂女能のシテ、また『楊貴妃』『杜若』など本三番目能のシテが舞います。

この定式のイロエ以外の「イロエ」は、これは千差万別と言える違いがあって、とても「イロエ」という一語で表すのは不可能ですね。『熊野』の「短尺ノ段」と呼ばれる部分、『杜若』『養老』に小書がついた場合に演じられる舞のあとの短い動作、『弱法師』は狂女能のイロエと基本的には同じものでしょう。

この「イロエ」に類する囃子事。。シテの動作の修飾的な囃子事には「立廻リ」というものがあります。これも曖昧な用語で、「イロエ」との区別もかなり不分明。一説には太鼓が入るものを「立廻リ」、大小物を「イロエ」と区別するのが本義、とも耳にしたことがありますが、『忠度』『歌占』『橋弁慶』『通小町』など大小物の「立廻リ」も数多くありますし、それらと太鼓物の「立廻リ」がある『阿漕』『山姥』『恋重荷』とを比べても、シテの所作に共通するような一定の法則はありません。

さて『舎利』の「イロエ」なのですが、これはまたこれまで述べてきたような所作事の一種としての「イロエ」とはまた一線を画す、登場音楽としての「イロエ」です。

そうしてこの登場の「イロエ」は、太鼓入りの能の後シテが登場する場面ではごくごく一般的な登場音楽である「出端」とほとんど同じものです。「出端」との おそらく唯一の違いは笛が「出端」の譜ではなく「イロエ」の譜を、休止なく吹き続けていることだけではないかと思います。

じつはまたこの登場の「イロエ」は『舎利』のほかにも奏される能があって、それは『道明寺』『白鬚』『東方朔』の3曲で、これはこれで一群と呼べるまとまりを示しています。

なぜ「出端」とほとんど替わりがないのに、わざわざ「イロエ」とするのか。それは『舎利』を除く前掲の3曲では「出端」が奏されていて、さらにそれとは別の役が登場する際に「イロエ」が奏されるのです。たとえば『道明寺』ではまずツレ天女が「出端」で登場し、そのあとに後シテ白大夫神が「イロエ」で登場し、『白鬚』では逆にまず後シテ白鬚明神が「出端」で現れ、ついでツレ天女が「イロエ」で登場。『東方朔』ではやはり後シテ東方朔が「出端」で登場し、通常は地謡が謡う中でツレ天女が登場しますが、替エとして「下リ端」または「イロエ」で登場する場合もある。。すなわちこれらの曲では同じ「出端」が2度演奏されるので、重複を避けるために一方の「出端」を「イロエ」に替えているのです。

ところが『舎利』には登場音楽としての「出端」はありません。なぜこの能では「出端」ではなく「イロエ」としているのか。