ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

無色の能…『六浦』(その1)

2016-10-26 10:19:31 | 能楽
さて毎度 ぬえがシテを勤めさせて頂く際に行っております上演曲についての考察ですが、今回もちょっとスタートが遅れてしまいましたが、例によって舞台の進行を見ながら進めてゆきたいと考えております。しばしのお付き合いを~

お囃子方の「お調べ」が済み、お囃子方と地謡が舞台に登場、所定の位置に着座すると、すぐに大小鼓は床几に腰を掛け、「次第」の演奏が始まります。「次第」は「名宣笛」と並ぶ、ワキの登場の際に奏せられる代表的な登場音楽で、「名宣笛」がワキの登場に限って用いられる登場音楽であるのに対して、「次第」はシテやツレの登場場面にも広く用いられます。同じく登場音楽の一つである「一声」と並んで、能の冒頭場面で最も多く聞く機会がある登場音楽ですね。

同じく多用される登場音楽としては「出端」がありますが、「名宣笛」が笛の独奏、「次第」「一声」が笛と大小鼓によって奏されるのと比べて、「出端」は太鼓が入るのが大きな特徴です。ご存じの通り、能の曲には太鼓が参加する曲と、太鼓は参加せず笛・大小鼓だけで上演される曲とがありまして、当然ながら「出端」は太鼓が入る曲でのみ演奏されます。また太鼓は、それが参加する曲であっても、能の中で演奏する場面は限定されています。笛や大小鼓が能の中で比較的多くの場面で演奏されるのと違って、太鼓は ここぞという場面で演奏に参加する、という感じです。

太鼓という楽器の能の中での役割を考えてみると、大ざっぱに、乱暴に言えば「勇壮」「荘重」な場面、また「軽快」「神性」などを表現するために用いられるように思います。これの対極。。つまり太鼓が参加しない曲には「閑寂」「静謐」の情感が込められている場合が多いように思います。

さらに言えば太鼓の有無はシテのキャラクターにも大きく影響されています。神仏や草木の精の役がシテの曲にはほとんど太鼓が入り、シテが直面で登場する、武士など現実の人間の役である場合などはほとんど太鼓が入りません。もちろん例外はたくさんあって、草木の精が主人公である『芭蕉』には太鼓が入りませんし、静謐な能である『姨捨』には太鼓が入ります。

こうして能『六浦』を見てみると、シテが楓の精である能の通例の通り太鼓が参加します。が、太鼓が演奏されるのは後シテ。。つまり草木の精たるシテがその本性を現してからなのであり、しかもその後シテの登場には太鼓が入る「出端」ではなく、大小鼓による「一声」が演奏されます。こういうところにシテの演者は作者の意図を感じるわけです。すなわち『六浦』では後シテの登場ではまだ三番目物能らしい情趣があるべきなのであり、クセのあと太鼓が入って奏される「序之舞」からは草木の精としての軽やかさが現れるのでしょうし、そうした演出の意図を、音楽面だけではなく、これが若い女性ではなく落ちついた中年女性の姿とどうマッチングさせるのか、というところを演者が工夫して作り上げてゆくものだと思います。


さて話はワキの登場に戻って、早速 詞章を見てゆきましょう。

「次第」の演奏にのって登場した僧(ワキ)とそれに付き従う僧(ワキツレ=通常2名)は、舞台に入ると向き合って謡い出します。

ワキ/ワキツレ「思ひやるさへ遥かなる。思ひやるさへ遥かなる。東の旅に出でうよ。

この謡の部分も小段として「次第」と呼んでいますが、この「次第」が謡われる場合の通例として、「地取り」と言って、地謡が同じ文句を低音で復唱します。この「地取り」の間にワキは正面に向き直り名乗ります。

ワキ「これは洛陽の辺より出でたる僧にて候。我いまだ東国を見ず候程に。この秋思ひ立ち陸奥の果までも修行せばやと思ひ候。

「名宣リ」の終わりにワキは両手を胸の前で合わせる型。。「掻キ合セ」とも「立拝」とも呼ばれる型をし、続いてワキとワキツレは再び向き合い、「道行」と呼ばれる紀行文を謡います。

ワキ/ワキツレ「逢坂の。関の杉村過ぎがてに。関の杉村過ぎがてに。行方も遠き湖の。舟路を渡り山を越え。幾夜な夜なの草枕。明け行く空も星月夜。鎌倉山を越え過ぎて。六浦の里に着きにけり。六浦の里に着きにけり。

「道行」の途中でワキは正面に向き直り、数歩前へ出て またもとの位置に立ち返ります。この数歩でワキが旅行したことを表す能の特徴的な技法で、『六浦』では京都から遥々相模国の三浦半島まで移動したことになります。