ぬえの能楽通信blog

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義経への限りないオマージュ…『屋島』(その7)

2023-04-12 01:08:44 | 能楽
シテの戦語りの最初に義経が名乗る場面がありますが、それに続いてツレが「言葉戦いこと終わり」と、大将の名乗りと同じく「言葉」による争いがあった事が語られます。

源平合戦当時の戦乱は現代のような指揮官の命令のもとでの秩序だった作戦による行動ではなくて乱戦でした。誰が一番に手柄を立てるかを競ったのです。そんな合戦でもいきなり乱戦から始まるのではなく、一応の「作法」というものがありました。

それがこの「矢合わせ」や「言葉戦い」で、矢合わせは敵味方の大将同士が合戦の前に「鏑矢(かぶらや)」を射あうもので宣戦布告のような感じです。「鏑矢」とは穴の開いた木製の矢じりがついた矢で殺傷能力はなく、矢が飛ぶ際に矢じりの穴に空気が通る事で長い音を発します。戦闘に使われる「征矢」(そや=とがり矢)とは違いまさに儀礼的に使われる矢ですが、なんと「扇の的」の那須与一はこの鏑矢で扇を射た、と「平家物語」に描かれています。重心が前重りになる上 飛距離も稼げない鏑矢を、まさに失敗が許されない場面でどうして使ったのか。。 と思いますが、「平家物語」によれば「扇の的」のエピソードは初日の合戦が一段落して一時休戦になった場面でのこと。すなわち戦闘ではなく翌日の合戦の再開に向けた儀礼的な意味合いが強いわけで、与一もそれに応えたのでしょう。

一方「言葉戦い」は両軍が接近していざ開戦という場面で相手の戦意をくじくために自軍の正統性を主張したり攻めてくる相手の不当性をなじる、などを行うものですが、それぞれ名乗った相手の出自の卑しさを罵りあったり、「矢合わせ」と比べるとちょっと低レベルな感じですが、相手の士気をくじき、自軍の勢いを高めるために有効であるならば実戦的ではありますね。

さてシテの戦語りが過去の思い出となり、シテは再びワキの前に着座すると、それまでシテの様子を見ていたワキは抱いてきた不審をシテに問います。

ロンギ地謡「不思議なりとよ海士人の。あまり委しき物語。その名を名のり給へや。
シテ「我が名を何と夕波の。引くや夜汐も朝倉や。木の丸殿にあらばこそ名のりをしても行かまし。
地「げにや言葉を聞くからに。その名ゆかしき老人の。
シテ「昔を語る小忌衣。
地「頃しも今は。シテ「春の夜の。
地「潮の落つる暁ならば修羅の時になるべしその時は。我が名や名のらんたとひ名のらずとも名のるとも。よし常の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ夢ばし覚まし給ふなよ。


「木の丸殿にあらばこそ名のりをしても行かまし」はちょっと難解ですね。本歌は「新古今集」の天智天皇の「朝倉や木の丸殿にわが居れば 名のりをしつつ行くは誰が子ぞ」に依ります。「木の丸殿」は皮のついたままの丸木で作った粗末な御殿で、これは天智天皇が中大兄皇子の時代に母の斉明天皇に従って九州に下ったときに詠んだ歌なのですが、能「屋島」ではこの御殿の警備のために出入りの人は氏名を名乗らなければならなかった、という後半の部分を使っています。「行かまし」の「まし」は古文の中でもいろいろな使われ方があって難しい品詞ですが、ここでは「反実仮想」の用法で「木の丸殿であったならば、名のって行くのだろうが(そういう由来もないので名乗らない)」という感じです。掛詞が重層的に使われているので難解さに拍車が掛かりますが、丁寧に訳せばこういう感じ。

「我が名を何と言うべきだろうか。この夕方に引いてゆく夜の汐の浅みを見るとそれに連想される朝倉の、新古今の歌に例えてみるならば、その主人公の木の丸殿であるならば名乗りもしようが。。(そうでないから名乗らない)」

「昔を語る小忌衣」も難解で、小忌衣は祭事に装束の上に着重ねる白地の浄衣ですが、ここではその前の「その名ゆかしき老人の」の「老い」と その後の「頃しも今は」の「頃」の音をつなげている程度で「老いの身が着る衣」程度の軽い意味ですが、屋島合戦の語りからただ者ではないはずとの確信を得てワキ僧から「その名ゆかしき老人」と言われたシテが、あえて名乗らないながらその実像は神に近い崇高な存在であることを想像させる効果があるのではないかと思います。

「潮の落つる暁ならば修羅の時になるべし」。。「落つる」は引き潮のことで、そんな暁ならば修羅道がこの現世に再現されるであろう、そのときは(いやでも自分の素性が分かるはずだから)名乗ろう、という意味に解しましたが、残念ながら ぬえは(引き潮の)暁に必ず修羅道が現世に再現される、という根拠を知りません。ほかの修羅能では同じように現世に立ち戻ってきたシテがしばしの懐旧に安んじていたが、やがて地獄から修羅道からの追っ手が現れて宿命的な闘争の世界に立ち戻ってしまう、と描かれているので、ここは単純に、このまま安寧な時間が過ぎるのではなく暁の頃には修羅道が立ち現れることになるだろう、と経験的に予言しているに過ぎないのかもしれません。

「たとひ名のらずとも名のるとも。よし常の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ」のところ、師匠からは「よし」常の」と分けて謡うように習ったところで、「よし常の」、の言葉の中に「義経」という言葉が隠されていて、シテが自分の本名をほのめかすのですね。「よし」は「もしも」の意味ですから「もしもあなたが私と出会ったこの体験が永遠に続くと思って安閑として過ごしているこの浮世のままだと思うならば、そのまま夢の中にいておきなさい(その夢の中に私は現れるから)」という意味。