ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『朝長』おわりました(その4)

2006-06-11 23:21:37 | 能楽
申すも憚られますが、この前シテを稽古で作っていく課程では、かなりいろいろな工夫をしました。ともかく謡がダメではとても見られない能なので、登場の場面ではツレ・トモと一緒に謡う稽古を何度か重ね、特に「語リ」については一句ずつ計算をしながら、ときには録音して自分の謡を聞き直しながら調整して。。謡の調子、抑揚、ツメ開き、呼吸の間。。ああ、考えるとキリがない。

そこにもってきて先輩から「もう少し歳を取った方が。。」とアドバイスをもらったので、段々と考えすぎてしまったかもしれません。申合で師匠から言われたひと言が。。「暗いよ」(~~;)

「暗い」事が身上のような前シテだとは思うのですが、そう言われて申合の録画を見てみたところ、なるほど「暗い」というのが最も適切な表現で、「殻に閉じこもっている」どころか、言うなれば自己完結してしまっていて、ワキとの問答が会話しているように聞こえない。。

う~ん、これではやはりダメなんで、前シテの女長者は朝長の子守り役だった僧と邂逅して、そこで自ら命を絶った薄倖の若者の思い出を共有するからこそ、その所望に応えて朝長の最期を語る事になり、それが彼女に自分の人生を変えてしまった事件を、思い出したくもない事件を追体験させる事になる。そこがこの前場の人生ドラマの核心だとすれば、僧ワキとのはかない出会いがなければなぁんにもならないんですよね。。

こうして公演の2日前の申合のあと、謡はもう一度作り直すはめになりました。まあ、公演前日は1日中謡っていました。 (;_:)

ところで申合では前シテが正先に置いた水桶を、後見がどのタイミングで引くか、について大問題になってしまいました。こういう事は型付け(振り付けを書いた台本)には指定がないので、舞台の進行の上で具合良く区切りがあればそこで取り入れるし、ちょうど良い区切りがなければ、おワキが謡っている最中に片づける事になっています。ですから、よく上演される曲であれば後見はおのずとどのタイミングで作業を行うかは決まってくるのですが、『朝長』はそれほど頻繁に上演されるわけではないので、そういった「決まり」のような事があまりハッキリしていないのです。

ぬえが拝見した舞台では、昨年暮れにはシテとワキとの問答の中で、ワキが謡っている場面で後見が出てきて水桶を片づけておられましたし、今年の春のあるお舞台では、そもそもシテが何も持たずに登場されたので、これは参考になりません。もっとも最近拝見したお舞台では、前シテが中入するまで水桶は正先に置かれたままでした。

ぬえは昨年末に拝見したお舞台と同じく、早めに水桶を引いてほしかったのです。それはつまらない理由からで、もしも正しく正先の真ん中に水桶を置くことができずに左右どちらかに偏って置いてしまった場合、お客さまにとっては見ていてとっても不安定で気持ちが悪いものなのです。置き場所を失敗した場合の予防策とは ぬえも情けない話ですが、そんな事で舞台の成否にキズがつくのも、これまた怖いことですから。。

ところが申合でこれをご覧になった師匠からは、「シテとワキとが会話をしている中での後見の動作が邪魔に見える。やはり会話をしている二人の間を遮るようにして後見が正先まで行くのは良くないだろう」というご意見を頂き、それに従って会話の部分を大切にして、お後見には水桶を中入で取り込んで頂く事にしました。正先にキチンと水桶を置けるか。。これまた公演前日に何度もシミュレーションを重ねて、万が一も失敗がないように努めたのですが、当日はちょっと目測を誤ったけれども水桶は間違いなく正先の真ん中に置くことが出来て、ホッと安心しました。。


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