ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『朝長』おわりました(その5)

2006-06-13 01:19:42 | 能楽
【後シテについて】

『朝長』の前シテの年齢(精神的なものも含めて、ですね)がいろいろと問題になりましたが、そういえば後シテについても、彼は若いのだ、16歳だ、と言われているけれども、なんだか舞台づらではそれほど若い印象は受けないような…。なんというか、たしかに若い姿なのだけれど『敦盛』や『経正』のような溌剌とした若さではなくて、心の中はもう達観しちゃっているような、老成しているような、少なくとも『経正』のような「幼さ」ではなくて、凛々しい青年像に描かれているような気がします。

もちろん修理太夫平経盛の子の『敦盛』『経正』は、ともに公達として育てられておよそ武名とは縁遠く、むしろ管弦に優れていた芸術家だったので、単純には『朝長』とくらべる事はできないでしょうけれども、やはりワキに向かって「我が跡弔ひて賜び賜へ」と回向を頼む人物と、「朝長が後生をも御心安く思し召せ」と成仏を報告する人物とはおのずと違いがあるでしょう。以前にも書きましたが、この後シテは演者にとってはあちらこちら、どうも一つずつ型が少ない印象です。ぬえはその理由を、この後シテが、僧ワキに回向してもらう存在という、能には常套の構造に則って描かれていながら、同時に、逆にワキや前シテの女長者が彼の死によって受けた傷を「癒す」存在だからなのではないかと考えました。

救済される側でありながら、同時に救済する立場でもある、という。。おそらく他の能では類を見ない構造がこの曲には隠されているように感じますし、もしもそうであるならば「動かない」という事がこのシテの立場を表現しているのだ、と ぬえには感じられます。

それにしても。。およそこの『朝長』は演技の重心が前シテに置かれていて、これはほかの能では『道成寺』など少数の例外を除いてはほとんど見られない事でしょう。『道成寺』にもよく言われる事なのですが、前シテの稽古に神経を注ぎすぎるあまり、後シテが、どうも未完成のままになってしまう。稽古の時点ですでにバランスを失ってしまっていて、その結果「前シテはよかったが後シテは。。」と言われる事にもなる。ぬえは自分が『道成寺』を上演した際にも、ここだけは気を付けて、バランスを考えながら稽古をしましたが、今回の『朝長』も(『道成寺』とは意味はずいぶん違うかもしれないけれども)、この点はかなり意識して、稽古では前後のバランス。。この場合はコントラストかも知れないけれど。。には神経を使いました。

でも、上歌「あれはとも」以下の後シテの型の一部について「型の順番を追っているだけに見えた」という感想も ぬえに届いていまして。。ううむ、本来あるはずの型が一つずつ少ないこの曲で、ではその分ゆっくり動けば良いか、というと、もちろんそんな単純なものではないはずで。。ぬえ自身は気は配ったつもりでも、結果的にはそうは見えていないという事は。。つまり ぬえはまだ「動きたがっている」のね。。(/_;) こういう気分はすぐにお客さまに見えてしまいますね。まだ老成できていない ぬえ。。今後の反省材料にさせて頂きます~~。(/_;)


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