ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

奇想天外の能『一角仙人』(その5)

2007-07-09 02:13:29 | 能楽
また、萩屋の作物を笛座前に置いた場合は、『安達原』とは逆に、地謡側の方が開くように扉を取り付ける事になります。型の要領は『安達原』と同じで、シテが扉を開いて身を作物から出すときにツレを認めるので、常座の方が開くように扉を取り付けてしまっては、その扉自体が邪魔になって、お客さまからシテがツレを見る型がよく見えないのです。

萩屋を笛座前に出した場合、舞台の前方が広く使えるメリットがありますが、今度は岩屋を二つに割るときに萩屋が大いに邪魔になります。バタンと岩を舞台の上に倒してしまわないなど、岩を割るのに工夫が必要になりますね。

こんなワケで、『一角仙人』の作物の置き場所には一長一短があって、そもそも広いようでいて狭い、また狭いようでいて広い、という三間四方の絶妙の空間を持つ能舞台に、岩屋と萩屋の作物を共存させること自体に多少の無理はあるのです。それを承知で作者はショー的で派手な舞台演出をこの能の第一の見どころとして演出したのに違いなく、舞台の使い勝手については演者の処理に任されているきらいが感じられます。だからこそ、でしょう、観世流では演者によって萩屋の作物を置く場所にいろいろな工夫が試みられています。

いろいろ考えて、ぬえは『一角仙人』のシテは初役ですけれども、今回は萩屋の作物は笛座前に置くことにしました。

さて萩屋の作物が出されると、ついで一畳台が大小前に出され、そのあとに龍神が入った岩屋の作物がその上に据えられます。前述しましたが、この岩屋の作物はのちに二つに割る都合から、上から見たら半円形というか三日月形のような形状で、要するに正面からだけ、その内側。。正確に言えばその「裏側」に隠れている役者の姿が見えないように造られています。これが二つに割れるように さらに半分にあらかじめ分けられて作られていて、それぞれ竹で骨組みを造った上に紺地などの緞子の生地を張って仕立ててあります。二つの岩はこれを割る場面になる前にバラバラにならないよう内側で2~3箇所 紐で繋がれていて、岩を割る場面の直前に後見がこの紐を解いて、二つの岩が独立して立っている状態にします。そしてやはり後見が、あらかじめ決められた地謡の文句で一気に岩を割るのです。

ちなみにこの岩屋の作物は、現行曲ではこの『一角仙人』と『殺生石』の2番にしか用いられません。ところがこの二つの能では岩屋の作物の使われ方はかなり違うのです。

『殺生石』では『一角仙人』と同じように、まず大小前に一畳台が置かれ、そのうえに岩屋の作物を据えるのですが、この曲では能の冒頭では岩屋の作物の中には誰も入っておらず、カラのまま。そして前シテが登場して、この前シテが岩屋の作物の中に中入するのです。間狂言が語リをされている間に岩屋の作物の中、という裏側でシテは扮装を改めて、さて後場では岩を割って後シテがその中から登場する、という趣向です。

これに対して『一角仙人』では能の冒頭に、あらかじめ龍神役が入った状態で岩屋を出します。この龍神役は下掛りでは子方が勤め、観世流ではツレ、つまり大人が勤めるのを本来とし、子方が勤めてもよい、という事になっています。いかに大きな岩屋の作物であっても、大人二人がその後ろに隠れるのはムリで、観世流で龍神が大人の場合は、二人のうち一人だけが岩屋の作物に入って能の冒頭に舞台に出ていて、もう一人は楽屋に控えていて、のちに幕から登場することになります。

龍神が子方であれば、今回はまさにそうなワケですが、この岩屋の作物に二人とも入って能の冒頭から舞台に出ていることになります。これにも少々問題がありますが。。

いわく、あらかじめ大小前に出された一畳台の上に岩屋の作物は載せられるのですが、このとき、岩屋の蔭に隠れて幕から登場した子方は、大小前の一畳台の前に岩屋が到着すると、そこから「よっこらしょ」と一畳台の上に上がり、このとき岩屋を運んできた後見は間髪を入れずに子方の動作にタイミングを合わせて岩屋を一畳台の上に載せます。ところが。。タイミングが合わないと、見所からは一畳台に載せられる岩屋の作物の下側から、一瞬、一畳台に上ろうとする子方のちっちゃな足袋が見えてしまうのですよ。。(^_^;)

もちろん小さな足袋が一瞬見えたお客さまは大喜びで、(かわいい~、あの中にずっと隠れているんだ!)と心の中で思いながらも、心の中だけにはどうしても収まりきれない気持ちから、見所にはどよめきが起こりますね。それだけならばいいんだが、ぬえはこの場面の小さな失敗で、見所から拍手が起きたのも見たことがあります。

お客さまは大喜びでも、これでは能は失敗です。。

奇想天外の能『一角仙人』(その4)

2007-07-08 00:32:58 | 能楽
巨大な岩屋の作物を大小前に出す観世流の場合、シテが中に入った萩屋の作物は脇座に出されるのが普通ですが、演者により脇座ではなく笛座前に出すこともあります。

これも、のちに岩屋を二つに割る、という事情を踏まえて いろいろ工夫されているのでしょう。たとえば萩屋を脇座に置いた場合、岩屋を割るときには近くに障害物がないので安心して舞台上に岩を倒すことができます。反面、脇座にある萩屋の後方~地謡の前のあたり~のスペースは正面席のお客さまから死角になってしまい、演技では使いにくい、という事になってしまいます。ただでさえ大小前は一畳台と岩屋で占領されてしまっているので、これ以上舞台のスペースが使えないというのは、ツレとの「楽」の相舞や、龍神との闘争の場面では大いに窮屈な思いをしなければなりません。

もう一つ考えられるのは、萩屋が脇座にあった場合、そこからシテが出てくるときに少々難儀があるように思います。初同「柴の枢を推し開き」でシテは作物の扉を開けて出てくるのですが、このときに作物から身体を出しながら旅人の様子を見、ツレの旋陀夫人の美しい姿を認めて足を止めて、しばらく見とれる型があるのです。それから後ろ向きになって(作物へ身体を向けて)扉を閉め、今度はワキの方へ向いて少しだけ出て座ることになります。

この型は『安達原』にも似た型がありますね。『安達原』では大小前に出された萩屋の作物の扉は見所から見て左側が開くように作っておくのです。これは作物からシテが出るときに、脇座に居るワキ・ワキツレからは扉の中が見えないように作っておく(のちに中には死骸が山のように積み上げられていることが判明)ので、シテも扉は最小限だけ開けて作物から身体を出し、旅人であるワキの姿をしっかりと見て(この時に身体でかばって扉の中を見せないようにする心得があります)、それから扉を閉めて、さてワキに対面して着座するのです。

『一角仙人』の場合、脇座に萩屋の作物を出す場合は、扉は観客席側の方が開くように取り付ける必要があります。これは囃子方の方向に開くように扉を取り付けてしまうと、シテが扉を開けて登場する場面ではその扉が邪魔になってしまってお客さまからシテの姿が見えないからで、これでは上記のように扉を開けるその蔭からツレの姿を盗み見るようなシテの型はまったく舞台効果をなさないことになってしまうのです。

もっとも同じく脇座に作物を出す場合はすべて見所側が開くように扉を取り付けるのか、というとじつはそうでもなくて、『蝉丸』ではツレ蝉丸が入った作物(これは萩屋ではなく、そのうえに藁葺き屋根を載せた藁屋ですが)には囃子方の方向に開くように扉を取り付けます。これは蝉丸が、小屋の外から声を掛ける人物が自分の姉・逆髪である事に気づいて驚いて出てくる場面で、盲目杖をつきながら扉を開いて出てくるのに かなりの手間が掛かり、それに対してその型を行う文句が大変短いため、忙しい型のための便宜という意味でしょう。この曲ではツレ蝉丸は作物から出たあとに扉を閉めることさえしません。

『一角仙人』では脇座に萩屋を置いた場合、前述のように観客席側を開けて扉から出て、ツレを見込み、さて扉を閉めてワキに向いて少し出て着座するのですが、扉の開け閉めが舞台の縁で行うことになって、やや型が窮屈になるのと、もう一つ、この位置の作物から出てワキに向かって少し出て座ると、舞台ではかなり真ん中に近い位置になってしまうのです。じつはこれは大変困った事で、シテはここで着座した位置でそのまま動かず、次に立ち上がるのはツレが「楽」を舞い始めたのを見て、浮かれたシテがその舞のマネをする場面まで待たねばならないのです。これはツレが「楽」を舞うのには少し邪魔になってしまいます。

まあ、もっともシテが能の中心なのだから、ツレが心得て舞えば済む問題とも言えるし、扉の開け閉めもシテがうまく型を処理すれば目障りにはならないでしょうが。

奇想天外の能『一角仙人』(その3)

2007-07-06 12:23:32 | 能楽
ところで『一角仙人』は宝生流を除く4流が伝えている曲ですが、という事は下掛りでは金春・金剛・喜多の3流すべてでレパートリーとしているのに、上掛りでは観世流だけで上演されている、ということになります。

能のシテ方5流のうち、かつて都を拠点として活動した観世・宝生の2流を「上掛り」とくくり、奈良を本拠とした金春・金剛の2流、および金剛流から派生して誕生した喜多流が「下掛り」と呼ばれている事は広く知られているところだと思います。5流にはそれぞれに謡や舞に持ち味や特徴があるのは無論なのですが、とくに能の演出の面では、大きく上掛りと下掛りに2分類できる場合が多いのです。例として挙げれば、『清経』は上掛りではワキはツレに清経の遺髪を渡すと、清経の霊(シテ)が登場する前に切戸に退場してしまうのに、下掛りではのちに神詠の和歌の部分を謡うために曲の最後まで居残っている、とか、『歌占』では最初に子方とともに登場する近在の者の役が、上掛りではツレが勤めるのに、下掛りではワキの役だったり、といった違いがあるのです。

流儀による演出の違い、というのは実際にはさらに複雑で、4流までが同じ演出なのに、観世流だけが違う演出を取っている、という事が非常に多いのです。これは観世流が歴史の中で常に作品や演出に工夫を加えてきたからで、観世流は、その生きてきた時代によって、常に「現代風」であり続けようと、ある意味で変化を続けてきた流儀と言えるかも知れません。もちろん芯だけはしっかりと守っているのは当然ですが。

話がそれましたが、そういうわけで同じ上掛りの流儀である宝生流が『一角仙人』をレパートリーとしていないので一概に比較はできないのですが、観世流と下掛り3流との大きな相違がこの『一角仙人』の演出にも見られます。すなわち、萩屋と岩屋の作物を舞台に置く位置が、観世流とほかの3流とでは反対なのです。つまり、囃子方が座着くと、後見によって一畳台が運び出されてこれが脇座に置かれ、ついで岩屋の作物が出されてさきほどの一畳台の上に据えられ、最後にシテが中に入った萩屋の作物が出されて大小前に置かれるのです。

タネ明かしをしてしまえば龍神役は岩屋の作物の中にいて、シテと同様に最初から舞台の上には居るのです。ですから、観世流のように岩屋の作物を大小前に出してしまえば、のちにこの作物を二つに割って引っ込めるまで、お客さまには龍神の姿が見えてしまう気遣いはありません。ところがこれを脇座に出す、となると、岩屋の作物は後方が開け放された形(上から見れば半円形、というか三日月形)なので、これを脇座に真横に、脇正面に向けて置いてしまうと、正面の右の方のお客さまからは龍神の姿、少なくともその背中は丸見えになってしまいます。ぬえは下掛りの『一角仙人』の実演に接したことがないので、舞台写真で拝見したかぎりでは、この場合は岩屋の作物は脇座で斜めに向けて出されているようですね。

それでもこの場合は龍神の登場の場面では脇座で岩屋の作物を二つに割ることになり、観客席に近い方の岩を舞台から落とすことなく割り、それを切戸に取り入れるのは至難の技ではなかろうか。また、龍神役も岩が割れて立ち上がると、すぐ左側は舞台のヘリの断崖絶壁であるワケで、これはまた大変怖い思いをしながら舞うことになります。

それでも下掛りのこの岩屋の位置は、岩屋が割れて龍神が登場する、という『一角仙人』でもっとも劇的な場面が観客席のすぐ手が届くような目の前で行われるので、舞台効果としては抜群でしょう。事故や失敗と隣り合わせの危険なシチュエーションを設定することで耳目を驚かす舞台効果を狙う。。演出には本来そういう面もあるのかも知れません。それだけに事故や失敗がないように演者や後見は万全の準備と稽古、そしてシミュレーションをしておくのです。

奇想天外の能『一角仙人』(その2)

2007-07-05 10:56:55 | 能楽
上演所要時間に比べてあまりに準備の手間の時間が掛かる能『一角仙人』。でも、よく考えてみたら作物に工夫のある舞台づらが派手な切能というのは、どれも準備に手間が掛かります。『一角仙人』と同じ造りの石の作物を出す『殺生石』はやはり公演日よりも前のうちに作物を組み立てておくし、これは『道成寺』でも同じですね。『舎利』や『土蜘蛛』にしても、作物の組み立ては公演日に楽屋で行うまでも、舎利台の作物や障子紙で作って作物に貼り付ける蜘蛛の巣などは、あらかじめ作っておかなければ公演に間に合いません。。

さて今回より、もうすでに恒例となりました『一角仙人』の舞台の進行状況を順番にご説明してゆきたいと存じます。

囃子方・地謡が着座すると、すぐに幕を揚げて作物が舞台に出されます。『一角仙人』の場合は萩屋、一畳台、岩屋の三つ。おそらく一番の能の中で出される作物の数では最多タイといったところでしょう。

これらの作物を舞台に出す順番は決まっていて、やはり揚幕から見て遠くに出す作物から先に出すのが基本です。観世流の『一角仙人』の場合、シテが中に入った萩屋の作物は脇座(笛座前のことも)に出し、大小前には一畳台を置いてそのうえに岩屋の作物を乗せます。同じく大小前に一畳台と石(石は岩屋とまったく同じ作物)を出す『殺生石』とほとんど同じ舞台づらになり、そこに萩屋が追加されている、といった感じですが、『一角仙人』ではこの萩屋を一番はじめに舞台に出すのです。

要するにこれは揚幕から作物を出す便宜のために順番が決められているので、揚幕の方から見て舞台の「奥」(脇座とか正先とか。。)に置く作物を先に出し、逆に「手前」に置く作物を遅れて出すことで、舞台上に作物を運び出す後見が混乱や衝突を起こさないようにしているのです。ですから、終演後に作物を引くときは これとは全く逆の手順で作物を舞台から退場させることになります。

そういうワケで、『一角仙人』では萩屋の作物の中に入って、シテが最初に舞台に登場する事になります。この能に限らず、シテが作物に入って舞台に出る曲はいくつもあるのですが~たとえば『安達原』や『菊慈童』、『楊貴妃』などなど~、ぬえはいつまでもこの登場の仕方には慣れないですね~。なんだか自分だけ目隠しされて舞台が進行しているような気分で。。

もちろん、ワキが登場したあとにシテが出る通例の登場の仕方の場合でも、おワキの名宣リや道行のときにはすでに鏡之間で面を着けてしまっている事が多いので、鏡に向かいながら限られた視野の中で じっと道行を聞いている気分は作物の中で静かに道行に耳を傾けているのとそれほど違いはないはずなのですが。。やっぱり ぬえは橋掛りを歩んで舞台に入る方が好きです。まあ、「慣れ」の問題かも知れませんが。。

ちなみにシテが中に入ったまま舞台に持ち出される萩屋の作物は、引廻しと呼ばれる布で三方を覆い隠しているので、お客さまの目にはシテが中に入っている様子は見えません。ただ、作物の後方だけは開け放されていて、囃子方からは中が丸見え。(;^_^A それは後見から作物の中のシテの様子が見えるようになっているので、シテに事故や異常があった場合は後見がそれを察知して対処するのです。引廻しはこの作物後方の屋根にあたる部分で紐で縛り付けられていて、しかるべき場面で後見によってこの紐が解かれて引廻しが下ろされ、シテの姿がはじめてお客さまの目に見える事になります。

なお、『一角仙人』ではこの萩屋の作物に蔦を這わせることになっています。実際には省略される事もあるのですが、舞台づらでは赤く染まった色蔦が木地の茶色一色の萩屋の作物にまとわりついていた方が見栄えはするでしょう。ただ ぬえは、後述の理由でこの色蔦はおかしいと思いますけれども。

また、演者の工夫によってか、あるいは家の伝承によるのか、萩屋の作物の上に塚の作物のように榊の枝をこんもりと載せる場合もあるようです。舞台効果として特段に印象が深まるワケでもないとは思いますが。。この場合は、萩屋の作物の柱を、常の竹の丸木ではなくて、塚と同じく割った竹を逆U字に曲げた柱を台輪の対角線上に渡して柱とするなどの工夫が必要になります。

奇想天外の能『一角仙人』(その1)

2007-07-04 02:03:12 | 能楽

来る8月18日(土)、静岡県伊豆の国市で催される「狩野川薪能」で ぬえは能『一角仙人』のシテを勤めさせて頂きます。それに向けて、今回よりこの曲について少しく考えていこうと思います。毎度のことながらコアな内容かも。。ご寛恕くださいまし~~

しかしこの『一角仙人』という能、稀曲。。のはずなのですが、最近は意外に上演頻度はあるのではないかと思います。それも地方公演に出される事が多いのではないかと感じているのですが、それはやはりこの曲のショー的な派手な面白さがホール能に向いているからなのかもしれません。

ぬえもそう考えて伊豆での薪能でいっぺんはこの曲を掛けてみようとは思っていて、昨年の「狩野川薪能」ですでに『一角仙人』の上演をいったんは決めたのですが、なんと同じような時期に静岡県の近在の市でのホール能に、やはり『一角仙人』が上演される予定だと聞きつけて断念した経緯があって、それで上演を一年延ばして、今年の薪能で勤める事にしました。

しかしまあ、去年、同じ静岡県で、別の会によって、同じ『一角仙人』が上演される、という情報には驚かれました。やはり能楽師としてはこの曲は「稀曲」と考えて間違いないですし。。地方公演だからこそ、と選んだのに同じ事を考えていた能楽師はおられたのですね~。どうやら今年も ぬえの他にも誰か別の能楽師が、どこかの地方で『一角仙人』を演じられるらしいし、まさに地方公演では花形の人気曲と呼んでもよいような上演頻度ですね~。

こういうような例はほかにもあって、たとえば『土蜘蛛』などは好例でしょう。『土蜘蛛』自体は稀曲とは言えず、よく上演されます。また観世流では謡の稽古の順場では初心のうちに習う曲なので、お弟子さんにもなじみが深い曲でしょう。そのうえ能では如何にも華やかでド派手で。。まさにホール能や薪能には打ってつけの曲。ところが、その「なじみ深さ」「派手さ」という点でホール能や薪能に打ってつけであるために。。東京の能楽堂で催される公演で『土蜘蛛』が上演される事は、むしろ少ないのではなかろうかと思います。能楽師としては「よく上演される曲」。。でも、ふだん東京の能楽堂で能楽の公演をご覧になるお客さまにとっては、『土蜘蛛』は案外珍しい能だったりするのではないでしょうか。

『一角仙人』も、何というか、ある種「フォーマル」な能楽堂での公演よりも、地方公演のホール能や薪能のような公演の方が似合う能なのかも知れません。その都市で年に1回程度しか催されない能楽公演は、もちろん「フォーマル」でない、とは言いませんが、お出でになるお客さまが常設の能楽堂での公演と比べても初めて能に触れる方も多い関係上、どこか「ショー」としての性格も兼ね備えている必要もあるのだろうと思います。

さあ、そんなワケで ぬえは今年、伊豆の国市の「狩野川薪能」で『一角仙人』を上演する事に決めたのですが、決めてみて、さて公演の準備やら当日の進行やらを考え出してみましたら。。これは大変なことになったなあ。。と思いました。

なんせ東京から公演会場に運び込む作物が萩屋と岩屋という巨大なものが二つあるうえに一畳台も必要。囃子方や地謡、後見を除いて必要な登場人物がシテ・ツレ(旋陀夫人)・龍神二人・ワキ・輿舁二人の合計7名(つまり装7名分の装束が必要)。そのうえ輿や剣、木葉付きの腰蓑、葉団扇など独特の小道具もたくさん必要。。それでいて上演時間はせいぜい50分しかないのです。楽屋での準備に要する時間は、上演時間のゆうに三倍は必要でしょう。それどころか岩屋の作物を仕上げるのは公演当日では絶対に間に合わず、これは事前に東京で作り上げたものを運び込まねばなりません。これは。。大変だ。。

今日の画像は、先日に引き続いてご紹介の伊豆の国市の小学校で行われた「古典芸能教室」のときの物です。「狩野川薪能」の予行演習的な意味合いも込められていて、「子ども創作能・江間の小四郎」全曲、『一角仙人』の一部(面装束ナシ)などが上演されたほか、見学の子どもたちも囃子の体験を楽しみました。









日本大学能楽研究会OB・OG会創立60周年記念祝賀会

2007-07-01 18:35:25 | 能楽

昨日は文京シビック・センターの見晴らしの良い会場で開かれた「日本大学能楽研究会」の「OB・OG会創立60周年記念祝賀会」に参加してきました。「日本大学能楽研究会」は ぬえが大学時代に所属していたサークルで、ここに入部する以前から能の舞台は拝見していたのですが、このサークルに所属したことで、学生に謡・仕舞を教えておられた現在の師匠とめぐり会い、そして ぬえは能楽師の道に進むことになったのです。ぬえの原点のひとつでしょうね。

で、やっぱり ぬえはこういう場面では司会を頼まれたのだった。。(^◇^;)
はいはい。どうせ おしゃべりですよ。ぬえは。(×_×;)

それにしてもOB会が創立してから60年が経過した、というのは なんと途方もなく長い歴史を持ったサークルであることか。大学時代にお世話になった大先輩のOBの中にはすでに他界された方も何人かおられるし、また ぬえを含めて8名もの能楽師を輩出もしました。そして一方、新入部員の不足に悩んだ時期もあって、一時は部員がたったの1名、という危機的な状況に陥った事さえありました。

ぬえがこのサークルの会長を務めていた学生時代も部員は数名といったところだったと思いますが、ところが今年は部員が10名もいるんですって!しかも新入生が5名も入部したそうで。このIT時代、伝統芸能は時代とともに学生にはどんどんアナクロ視されてしまうのかなあ、なんて危惧していたのですが、まだまだ捨てたものではないなあ。

そしてこの学生たち。み~んなリクルートスーツに身を固めて、かいがいしくOBらのお世話をしていたり、さてパーティーが始まっても学生だけでひとつのテーブルに固まって座ってしまうのではなく、顔も名前もよくわからないOBの席にそれぞれ座って、先輩の言葉に耳を傾けていました。偉いなあ。。ぬえが学生の頃はああいう態度ができてたかしらん。。

そして、学生は自分の所属するサークルのOBである ぬえらの舞台を、どうやらほとんど欠かさずに見ているらしい。昨日は会場に到着するや否や 現・会長さんの学生が近づいてきて ぬえに挨拶すると、先月の ぬえの舞台について感想を述べました。別な場面では ぬえの去年の舞台の事も話していたらしい。偉いなあ。。

今の現役の会長さん(3年生)が かなりよく出来た子で、おそらく彼女の影響力が大きいのでしょう。それでも後輩の学生に無理矢理手伝わせたり、叱咤している様子もなく、よく学生さんはまとまっている印象でした。

うんうん。これほど今の学生さんがしっかりしているとは思わなかった。これならば、まだ伝統芸術の世界も観客や後継者の面で希望が見いだせそう。

大学のサークルの「能楽研究会」というのは実質、謡や仕舞を習うサークルで、師家の舞台を拝借して、その指導の下で年1回行われる発表会があるほか、大学構内で小さな発表会を催したり、大学どうしの横のつながりで、年に2~3回の合同発表会などを行っています。ぬえとしては「能楽研究会」なんだから、能の研究も少ししてほしいと思いますけれどね。学生が最も得意な分野のはずだし、卒業論文の予行演習にもなるし。なにより、そういう活動が師匠には刺激になると思います。なかなか実現するのは難しい面もあるとは思いますが。

伊豆の国市の子どもたちといい、あ~、なんだか ぬえは楽しくなってきたぞ~。