小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



雨上がりのバラ園はとても素晴らしい。葉や花に残った雨粒が日差しで輝き、湿った空気に花の香りが満ちている。背の高いバラの枝の向こうには雲間から初夏の青空。そんな雨上がりのバラ園の風景を今年も見ることが出来た。小田原市久野のフラワーガーデンのバラ園は花の見頃を迎えている。雨上がりのバラ園が好きなので、5月中旬から機会を伺っていた。24日は、朝方まで強く降っていた雨が昼過ぎに止んで午後から晴れ間が広がった。午後2時過ぎ、客先に向かう途中のほんの僅かな時間だけだったが小田原フラワーガーデンに立ち寄った。園内には色とりどりのバラが咲いている。どの品種にも優雅な名前が付けられていた。切り花になったバラは好きではないが、外で咲いているバラの花はとても綺麗で見飽きない。バラの花が香る遊歩道を写真を撮りながら歩いた。小田原フラワーガーデンのバラ園の見頃は6月上旬までとのこと。今年はあと何回雨上がりのバラ園を見ることができるだろうか。次の晴れ間が待ち遠しい。

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30年前、いこいの森で見たダムを確かめるために坊所川を遡り小さなダムまでたどり着いた。記憶の中のいこいの森ダムは、打ったばかりの堤体のコンクリートが夏の日差しに照らされ白く大きく見えた。本来、いこいの森からダムに向かえばすぐにたどり着けるのだが、いこいの森ダムを下から見たことが無かったのと、同じようなダムがいこいの森ダムの下流にいくつか点在している可能性もあるので坊所川を下流から遡った。いこいの森の林間運動広場前から坊所川に下り、沢沿いを上流に少し進むと小さなダムにたどり着いた。大きさからして砂防ダムでは無く治山ダムのようだ。このダムがいこいの森ダムの可能性もあるが、記憶の中のダムと大きく印象が異なるので、いこいの森ダムの下流にある治山ダムだと判断して、再び坊所川沿いの林道に戻った。先ほどの治山ダムの堤体に取り付けられたプレートによると、昭和55年の着工で昭和57年の完成。ダムの名前は付けられていなかった。林間運動広場先から林道と坊所川が離れてしまったので沢沿いの様子が分からなくなった。しばらく進むと道路と合流。坊所川沿いの林道をずっと上がってくると、わんぱくランド先の道路に合流した。いこいの森の管理棟のすぐ近く。いこいの森の管理棟前に到着。中学時代のキャンプ以来、久しぶりに訪れた。管理棟前の地図を見ると、ちゃんといこいの森ダムも記載されている。ダムがあったという記憶が正しくてほっとした。いこいの森の中を流れる坊所川。この下流に目指すいこいの森ダムがある。期待が高まる。いこいの森の中を流れる坊所川の右岸側はバーベキュー場、左岸側はキャンプファイヤー場になっている。左岸側から下流に向かった。キャンプファイヤー場からすぐにいこいの森ダム周辺に出られると思っていたらなんと藪に行く手を阻まれた。迂回路も見当たらないし、この藪を漕いで坊所川沿いを下らないといこいの森ダムにたどり着けない。30年前は沢遊びの時に、簡単にダムまで行けたのだが。藪を漕ぐこと5分。くもの巣と埃まみれになり、両足ともびしょびしょに濡れてやっといこいの森ダムに到着した。目の前のいこいの森ダムは、記憶の中のダムとまったく違い、堤体は黒ずみ周辺は藪だらけで荒れている。30年前は出来たばかりの堤体周辺は開けていて、沢の水がダムのように溜まっていたのだが。しばらく呆然と眺めていたが、先ほど下流で見た治山ダムと、このいこいの森ダムが同じかどうか確かめなければならないことに気づいた。とりあえずいこいの森ダムのクレスト部分から下流方面を撮影。先ほど撮った写真と見比べるが釈然としない。藪の中を再びキャンプファイヤー場まで戻り、いこいの森ダムの下へ向かうルートを探した。キャンプファイヤー場の上にあるアスレチック施設の斜面沿いに遊歩道を発見、大きく迂回していこいの森ダムの下に向かった。途中、金網越しにいこいの森ダムが見えた。滑りやすい遊歩道を下り、どうにかいこいの森ダム下流の坊所川左岸に到着。見覚えのある沢沿いの風景、堤体にぶらさがった流木が一番最初に見た治山ダムと同じである。なんともあっけなくいこいの森ダムの探索が終了した。30年の時間がダムと周辺の景観を大きく変えていて、なんとも感慨深い散策となった。

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小田原市久野にいこいの森が開園したのは昭和57年5月。当時小学生だったので子供会やスポーツクラブの夏の行事で、毎年のようにいこいの森で行われたキャンプに参加した。大抵、小田原駅の西口に集合し徒歩でいこいの森まで移動。毎回同じようなスケジュールでのキャンプだったのでどれも似たような記憶しか残っていないが、いこいの森の中を流れる沢を下ったところにダムのようなものがあったのを鮮明に覚えている。あれはただの堰堤だったのか、それともかなり大きな砂防ダムだったのか急に興味が湧き、30年近く前の記憶を確かめるためにいこいの森に出かけた。小田原市久野の工芸技術所前付近の久野川。久野川支流の坊所川上流に目指す場所がある。自転車で久野川沿いを上流に向け進む。久野川沿いも星山橋を過ぎたあたりからだいぶのどかな風景が広がる。星山橋の少し上流の場所には手積みの堰が作られていた。手積みの堰から100mほど上流に進むと向田橋に到着。向田橋のすこし下流で久野川と坊所川が合流する。写真右が坊所川、左が久野川。坊所川沿いの道路を進む。この周辺の坊所川はところどころに堰堤が作られている。農道と合流する手前で左側の細い道を下り坊所川沿いに向かう。細い道を下ると駐車場のような砂利の広場に到着。農道の下をくぐり坊所川沿いを進む。砂利の広場の先はこのような未舗装の林道となっている。道沿いに畑が点在しているので、農作業の軽トラックが通行しているようだ。しばらく進むと林道横の林間に木製の遊具やベンチが設置されていた。どうやらいこいの森の敷地のようである。いこいの森は何度か拡張されたようで現在の敷地面積は27ヘクタール。林道をさらに進むと林間運動広場という場所に到着。その林間運動広場前の道の反対側に坊所川へ下りる散策路があった。道路の脇から林の中を通り坊所川に下る。この道は親水目的で作られたいこいの森内の散策路のようだ。坊所川に下りて沢沿いをすこし上流に進むと治山ダムのようなものが見えてきた。<後編に続く>

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この春から足柄平野に点在する足柄観音を巡ろうと計画していたが、震災や計画停電のため出鼻を挫かれてしまった。4月に入り計画停電も当面見合わせになったので、再び足柄観音巡礼の計画を進めることにした。この足柄観音を巡る目的は信仰心からではなく、巡礼ルート沿いを散策しながら各寺で色々な話を聞ければいいかなぐらいの気持ちなので、巡礼に関する心得や知識は無いに等しい。しかし、この小田原には古くから信仰を集めてきた坂東三十三観音の札所の一つである飯泉観音がある。まずは足柄観音を巡る前に巡礼や札所にまつわる知識を深めようと飯泉観音を訪れた。小田原市飯泉の飯泉山勝福寺。坂東三十三観音五番札所飯泉観音として古くから親しまれている。創立は天平勝宝五年(753年)。坂東三十三観音は鎌倉時代の初期に開設された巡礼ルート。神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にまたがる33か所の観音霊場を巡り、その行程距離は1300km。室町時代の頃から一般庶民の巡礼が盛んになり、この飯泉山勝福寺にも多くの巡礼者が訪れた。国府津から飯泉までの巡礼街道は坂東三十三観音巡礼の名残である。門前の石柱には坂東五番の文字。坂東三十三観音の巡る順番は札所の順番に関わらず古来より自由だったようで1300kmの行程を徒歩で巡礼すると40日程度かかったようだ。堂々たる仁王門は宝暦8年(1758年)の造営。当初は茅葺屋根だったが、昭和30年代に銅板葺に改変された。天井や柱には千社札が多く貼られている。仁王門をくぐり境内へ。巡礼者は霊場で何をするのかといえば、本堂入口の箱に用意してきた納札、写経を納め、お灯明、線香、賽銭をあげてから本堂でご本尊を念じ合掌し読誦。また巡礼した証に巡礼衣装や納経帳にご朱印、納経を頂く。巡礼者は霊場へ入ったら、まず水屋で口をすすぎ、手を洗わなければならない。勝福寺の水鉢は小田原市指定重要文化財。作者は江戸神田の鋳物師小沼播麿守藤原正永で宝永元年(1709年)の作。水屋で身を清めたら続いて、鐘楼で鐘を打つ。参拝後は「戻り鐘」になるので絶対に打ってはいけないとのこと。勝福寺の銅鐘も小田原市指定重要文化財。江戸時代初期の寛永六年(1629年)の作。飯泉観音の本堂は宝永三年(1706年)の建立。本堂は県の重要文化財に指定されている。本堂入口には納経所の看板。本堂の中に進む。本堂内に賽銭箱と並んで納札入も設置されている。ここに用意してきた納札を納める。納札やお灯明、線香を済ませてからご本尊を念じ、合掌し読誦する。飯泉山勝福寺の本尊は木造十一面観音立像。一通りの参拝を終えてからご朱印を巡礼衣装や納経帳に押してもらい次の観音霊場へ向かう。勝福寺では寺務所に申し付けるように案内が貼ってあった。坂東三十三観音五番札所の飯泉山勝福寺を訪れてみて、正式な巡礼は衣装や納札など用意するものも多く、霊場での参拝も時間がかかるのが分かった。さて足柄観音はどのように巡ろうか。


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都市計画道路穴部国府津線が5月28日に開通する。計画が始まった昭和53年から実に33年、総工費338億円をかけた事業も一つの区切りを迎える。開通まで残り1週間となった穴部国府津線に出かけた。穴部国府津線の工事区間である成田側の石神交差点。28日の9時半からここで開通式が行われるとのこと。車両規制されている石神交差点の先には舗装したての道路に引かれたばかりの路面表示。道路の真ん中を自転車でフラフラ走れるのもあとわずか。小田厚のガード手前には通行規制用のゲートを設置していた。小田厚の下が窪んでいるので冠水時の車両規制用のゲートと思われる。小田厚のガードをくぐった先から成田方面を撮影。写真右側の建物はポンプ施設。地下水の処理用なのか小田厚下の雨水の排水用かは不明。こちら側にも通行規制用のゲートが取り付けられていた。工事区間の道路中央のところどころに看板が置かれていた。28日に中央分離帯が設置されるとのこと。一番工事が遅れていた高田橋交差点付近は舗装作業の真っ最中のため歩行者も通行規制していた。高田浄水場西側交差点から成田方面を撮影。供用開始は28日の13時頃。写真を一通り撮った後、高田浄水場西側交差点から石神交差点まで戻った。途中、片側2車線の広い道路で一輪車の練習をしている子供やサッカーをしている親子を見かけた。のんびりとした広場代わりの道路も来週の今頃は自動車が行き交っていることだろう。石神交差点近くのレザンで遅い昼食にした。昼時は混んでいることが多いが2時近かったのでだいぶ空いていた。レザンでよく注文するのが肉あんかけチャーハン大盛り。醤油味の肉あんがたっぷりかかっていてボリュームも申し分なく美味い。食後に穴部国府津線の沿道に建築中のPCデポの工事の様子を見に行った。前回来たときは鉄骨だけだったが建物の外壁が出来上がっていた。こちらのオープンも楽しみである。

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