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だからわたし(=此処ではさぶろう老人のこと)もまた、洩れずに成仏を勝ち得ているということである。生きているときでもいいし、死んでからでもいい。兎に角完了している。どのみち、安心をしていていいということである。わたしを救わないようでは、阿弥陀仏とは言えないのである。阿弥陀仏になったということは、わたしを救う仏と成ったということでなければならなかったのである。
わたし(=此処ではさぶろう老人のこと)を救えないようでは、仏とは言えない。しかし、阿弥陀仏の誓いは成就したのである。仏に成られたのである。わたしは「救われている者」となったのである。