午後からは裏の畑に出て、種から蒔いて育てていた空豆の苗を移植した。苗床のポットの底の穴からもう長い根が飛び出していた。
空豆は連作を嫌う。5年ほどは同じ土では育たない。
畑は前日に、スコップで掘り起こして、土作りをしておいた。水撒きをたっぷりして作業を終えた。
とにかく、畑に出ていれば、この老人は機嫌がよい。雑念から離れられるからだ。
午後からは裏の畑に出て、種から蒔いて育てていた空豆の苗を移植した。苗床のポットの底の穴からもう長い根が飛び出していた。
空豆は連作を嫌う。5年ほどは同じ土では育たない。
畑は前日に、スコップで掘り起こして、土作りをしておいた。水撒きをたっぷりして作業を終えた。
とにかく、畑に出ていれば、この老人は機嫌がよい。雑念から離れられるからだ。
自然薯ヤマノイモは秋になればムカゴを付ける。ムカゴご飯にして食べるが、今年は食べないで、種にして蒔いて育てることにした。順調に行けば、3年から5年の歳月の後には、食べてもよいほどの大きさに成長するだろう。大型の深いプランターに蒔いた。3列x6粒の3箱。土作りから始まった。これだけの作業をするのに、午前中一杯掛かってしまった。
1年1年の成長を楽しみにしよう。
さ、しかし、それまでこの老人が生きておれるかどうか。生きておられたら、他人様にも差し上げられるかも知れぬ。
てふてふが野に出て舞えば秋深し磯の白波化けて砕ける 薬王華蔵
☆
僕の落選の作品。ことばは画家。キャンバスに絵を描く。描ければそれは叙景歌と呼ばれる。
一首を読んだ者が風景をはっきりと鮮やかに目に映せるかどうか。で、そこに某かのエモーションの香気が立ち上がって来るかどうか。
秋が深くなっている。秋の野原を白い蝶蝶が飛び回る。これに応じたような案配に、磯の白波が砕け散って、蝶に化ける。野原にも磯にも誰も居ない。わたしの抒情が一人遊んでいる。
真夜中2時に起きた。悪夢を見ていた。もうこれ以上は見たくない。見らされたくない。ベッドを下りて、炬燵に足を延ばした。
あちらこちらに彷徨い出て、今自分が何処にいるのか分からなくなっていた。帰れる道がなくなっていた。何処が帰るところなのかも思い出せないでいた。苦しかった。一人取り残されて、夢の中で泣いていた。
いま6時になった。後半時ほどで夜が明けるだろう。眠らないように、目覚めている。眠れば、また悪夢が捕まえに来るだろう。
イヤダイヤダ嫌だ。厭世がハブのように首を擡げてくる。さっとおしまいにしてくれぬか。そんなことを思う。その一方で、今日は畑に出て何をしようか、などとも思う。混線している。
そんなことどうだっていい はずなんだ
☆
僕の落選の川柳。
☆
どうだっていいことが多い。終わってみればそれはどうだっていいことに映るが、その時にはそれが重大に思えてしまう。
結局は、どうだってよかったことに熱を上げていたことになる。
初めから<どうだっていいこと>に映っても、その場でそれが捨てられない。結局はそれに振り回されてしまうことになる。
じゃ、してもしなくても「どうだっていいこと」ばかりなのか。否、そうじゃあるまい。肝心要なことも混じっているだろう。
生死はどうか。肝心要にして重たくしていると、執着も重たくなってしまうだろう。死ぬに死ねなくなるだろう。
だったら、軽くしておいていい。生死の間は、百千万億どれもどれも、<どうだっていいこと>にしておいた方がいい。いいかもしれない。
穂を拾ふ雀の分の落ち穂かな 山鳩暮風
☆
僕の落選の俳句。
稲の収穫が終わった。田圃にはなんにもなくなった。空までが平ったくして地平の遠くまで続いている。ときおり風が舞う。僅かばかりの落ち穂が舞う。雀が大空より飛び降りてきて、穂を拾う。雀の食べる分は残っているようだ。