<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ぐえいっしょ。倶(とも)に一つの処で会います。

2021年11月29日 17時58分00秒 | Weblog

倶会一処。ぐえいっしょ。倶(とも)に一つの処で会えますからね。        仏説阿弥陀経より

 

わたしたちは倶に一つの場所で会えることになっています。もう一度。その後は幾度も幾度も。

 

死んで此の岸を渡って彼の岸に生まれて、そこでわたしたちはまた再会することになっています。

 

そのように仕組まれています。わたしがもくろんだわけではありません。わたしにはそのような力はないのです。

 

彼の岸というのは阿弥陀仏の国、極楽浄土を指しています。

 

ここは真如界です。仏智のはたらく世界です。真如によってそのように「せしめられていく」世界です。

 

不安はありません。仏陀のお慈悲がはたらく世界ですから。

 

倶に一つの処=仏国土で再会してどうするか。喜び合います。

 

互いに往生成仏を果たしたことを喜び合います。

 

そこで終わりでもありません。そこは新たなスタート地点です。

 

わたしたち自らが仏陀として活動を開始して行くのです。

 

 

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チューリップの球根を20球も買って来ちゃった。

2021年11月29日 17時35分36秒 | Weblog

チューリップの球根が1個20円でした。安い。しかも大きい。

 

ほかでは60円の値札がつけてあるのに。

 

で、買っちゃった。20個も。

 

明日、植え付けよう。道路に面するところに。

 

三月の末には花を着けてくれるだろう。

 

行き交う人たちが花を見て立ち止まるだろう。

 

感嘆の声をもらすだろう。わたしも是非そうしよう。

 

花を見たら、沈んでいた人のこころだって、切り替わって、はなやぐだろう。

 

 

店に置いてあったチューリップ売れて売れてしまいますように!

 

土に埋められて、あちこちでいのちがはなやいで、活動を開始することができますように!

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でっかくなった親芋も捨てない。いのちが繋がって行くからだ。

2021年11月29日 17時19分00秒 | Weblog

今日は午前中、一輪車を押して北の畑に行った。里芋畑の赤芋を掘った。四株掘った。親芋の周囲に子芋がぶら下がっていた。十分な収穫を得た。しかもみな太っていて、でかでかしかった。

 

我が愛情が里芋に行き渡ったのだろう。肥料をしたり土寄せをしたり、夏の炎天下に幾度か草取りをしたりした。「畑のものはみな人間の足音を聞いて育つ」の格言がある。その通りのようだ。

 

世話を焼くために足繁く通い詰めておかねばならない。好きな人の元へ通い詰めるようなものなんだろう。だから、里芋の子芋は相互交換の愛情の子芋でもあるのだ。

 

収穫した子芋は一輪車に載せて戻って来た。戻って来て、土を落とし、ごしごし擦って水洗いをした。友人宅へ、上等から選んで持って行った。

 

でっかくなった親芋も捨てない。畑の隅っこに深い穴を掘って埋めておいた。こうすれば寒さも防げるだろう。来春にはまた芽吹くはずだ。そうしたらまた畑に移植してあげよう。里芋はこうして命を繋いでいける。

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猫のAちゃんは暇を持て余していない。寝ている。いつも寝ていられる。

2021年11月29日 17時05分19秒 | Weblog

我が家の飼い猫のAちゃんは日の当たるベランダの濡れ縁の上でよく寝ています。寝ている時間が長いです。ときおり鼠を捕まえて来ます。捕まえて来て、これがAちゃんのお仕事です。

 

(鼠はすぐに食べません。ニャアニャアニャアと鳴きます。自慢をします。そしてそれを寝床の段ボール箱の中に暫く放置しています)

 

お仕事の時間は短いです。残りの時間はほとんど長く寝そべっています。ときどき目覚めて欠伸をして、四股を延ばします。よくそんなに寝られるもんだなあと思います。

 

暇そうにはしていません。退屈そうにも見えません。このお爺さんは暇がありすぎると退屈をします。そういうときには決まって要らぬことを考えます。

 

雑念妄念が湧きます。そしてそれに苦しめられます。苦しまないでいいように、本を読んだり音楽を聴いたりしています。

 

Aちゃんはどうでしょうね。雑念妄念なんて湧いてこないのでしょうか。

 

人間は案外馬鹿だなあ、などと思っているのでしょうか。おれたちは寝て過ごしていられるようになっているのに、人間たちはそうではないようだ。働いている。忙しそうにしている、暇を持て余している、などと観察しているのかもしれません。

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雀はどうやって情報伝達をしているのだろう?

2021年11月29日 16時44分20秒 | Weblog

もうすぐ午後5時になるところ。薄暗くなって来た。お爺さんは一足先に、畑から戻って来て、いまは炬燵の中であたたまっている。

 

庭に来る雀たちはもう塒(ねぐら)に戻っているようだ。姿がない。夕食は済んだのだろうか。炬燵の中に座っていて、窓の外が見える。

 

徐々に庭の餌場に来る雀の数が増えている。ということは? そうだ、情報伝達がなされているからなんだ。「あそこのお爺さんの家の、庭に行けば餌がもらえるよ」 そういう情報を広げているからだろう、数が増えてきたというのは。

 

雀の情報伝達の手段のことが気になる。伝達するための独自の「言葉」があるのだろうか? では、どういう言葉を使っているのだろう。チュンチュンチュンだけで、幾通りにも使い分けているのだろうか。尻尾の振り方に工夫を加えているのだろうか?

 

「あなたお腹が減っているのね」「だったらわたしについておいでよ」「そこへ行けばお腹いっぱい食べられるわよ」そういう誘いかけをしているはず。

 

だとすると雀は案外、社会性に富んでいるのだ。1人で餌を独占しない方針を立てているのだろう。お互い様で、互いに食べ物を分け合って暮らしているのだろう。雀はなるほど集団で暮らしている。助け合っているのだろう。

 

このお爺さんよりはよほど賢い。偉い。情愛が豊かである。

 

 

 

 

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今日は友人宅へ行く

2021年11月29日 08時56分03秒 | Weblog

午前9時。外気温8・9℃。日脚が室内にも延びて来ている。

 

僕は今日は白石の友人宅へ行く。甘柿と生姜と隼人瓜とつくね芋をもらいに。

 

昨日電話をもらった。彼は車に乗らないから、こちらから。

 

こちらからは、薩摩芋、里芋、百合の球根を届ける。彼の畑は猪に荒らされて全滅したらしいから。

 

 

 

 

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人は誰もが光り輝く一等星の恒星となる。

2021年11月29日 06時29分15秒 | Weblog

おはようございます。11月29日、月曜日です。わたしは死なずに目覚めています。

 

生まれて死んで、死んで生まれる。

 

どっちが先立ったんだろう?

 

生まれたから死んだんだよね、やっぱり。

 

死んだから生まれた、んじゃなくて。

 

生死は輪廻する。繰り返す。じっとしていない。

 

生死の間に中有があるとすれば、3進法。0・1・2。

 

死生の間にまた中有があるとすれば、0・1・2・0。

 

0120120120120を繰り返す。永遠に。

 

このサイクルを永久離脱する「上がり」があるか。ある。

 

あるとされる。それが解脱だ。運行を永久中止する。

 

それが仏陀だ。たとえば太陽系の中心に位置するようになる。

 

そこに仏陀系惑星が回転をするようになる。

 

仏陀は単数ではない。ガンジス川の河沙のようにたくさんいらっしゃるので、無限級数に近い。

 

それを可能にするのが仏陀の智慧、仏智である。悟りの智慧である。

 

智慧の中には慈悲がある。利他救済の慈悲が働くようになる。

 

生存の全エネルギーが、利己ではなく利他になる。

 

利己を克服できたのだ。そこでは利己の苦悩がなくなっている。

 

生まれて死んで、死んで生まれる。間、間で、軌道調整もしくは修正を図る中有があって、次の生を模索する。

 

これでよかったのかな? うううん、まだまだだったな。次こそはこの弱点を補強して生まれて行こう。・・・などなどと。

 

そう、生死には次があるのだ。一回二回の生死では完成を見ないのだ。百回も千回も繰り返すのだ。未完成未完成未完成未完成を繰り返して次第に完成に近付いていく。

 

 

もうすぎ1サイクルを終えようとしているお爺さんは、ベッドの中でそんなことを考えてみた。

 

完成したら光り輝く一等星の恒星になる。だったら、いいな。ロマンチックだな。

 

その全課程をじっと見守って導いて助けて働きかけて行く「力=パワー=エネルギー」が存在していなければならない。存在しているので、わたしの生死が具体化しているのだ。

 

 

7時。夜が明けた。障子戸の向こう、南の空がほんのり赤い。雲が朝日に染まっている。

 

薄暗がりの庭には雀たち。チュンチュンチュンチュンチュンチュン鳴いて賑やかだ。

 

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