<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

世の中に音楽があってよかったなあ。

2022年09月02日 14時20分29秒 | Weblog

マイウエイのピアノ曲が流れています。YouTubeを聴いています。昼間の2時。うっとりしています。

 

世の中に音楽があってよかったなあと思います。こんな老爺でも耳を傾けることができます。

 

音楽を聴いているといっても深く聴き取れているわけではありません。3mmのうすっぺらです、わたしの鑑賞能力は。

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月刊誌「在家仏教」に1年間仏教詩を書き続けたことがありました。

2022年09月02日 14時04分19秒 | Weblog

在家仏教協会が毎月発刊している雑誌「在家仏教」誌に、1年間仏教詩を5編ずつほど書いていた頃がありました。協和発酵の加藤辨三郎氏が始められました。大学生の頃からわたしはこの本を愛読しました。仏教系の大学の先生や仏教の各宗派の指導者たちの講演録が主でした。宗派は問われていませんでしたが、浄土真宗系列や禅宗系列のお坊様方の講演録が多かったようにも思います。

いまその1年間書いていた詩をもう一度読んでみたくなりました。いまはこの雑誌は廃刊になっています。その術が在りません。

在家仏教協会主催でインドの旅、仏教遺跡を廻る旅に参加をしたことがありました。教会を主催する方々といっしょでした。協和発酵株式会社の第何代目かの社長ご夫妻も参加されていました。お釈迦様が説法された地を廻りました。法華経が説かれた霊鷲山の山頂にも登りました。お釈迦様に会えた感動で震えました。僕が50歳の時でした。

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今日の僕の即興詩 「草叢の虫」

2022年09月02日 13時44分43秒 | Weblog

今日の僕の即興詩 「草叢の虫」

 

10mm愛されているか。1cm愛されているか。1mの深さに愛されているか。

10mm愛されていないか。1cm愛されていないか。1mの深さに愛されていないか。

 

愛されていないおんなの人がいる。愛されていないおとこの人がいる。双方は愛し合っていない。愛され合っていない。そう思って暮らしている。

 

かなしいおんなの人がいる。かなしいおとこの人がいる。かなしいさみしいおんなの人がいる。かなしいさみしいおとこの人がいる。

 

草叢に虫が来て鳴いている。ふたりともまだ若いのに。やり直しができるはずなのに。鳴いている虫にしか慰めを得ていない。ふたりは別々の所に行って涙を落としている。

 

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旅に出て慰めるか

2022年09月02日 13時18分48秒 | Weblog

愛されている人は、愛されたいという欲少を少なくしていられる。愛されていない人は、では、愛されたいという欲求が強いだろうか。愛されていないという現実の重みに、深く沈んで、浮かんで来ようとしなくなっているケースもあり得る。あり得るだろう。

トライはそう何度もできることではないからだ。

では、どうするか。どうすればいいか?

鬱病になるか?

なりたくなければどうするか?

人ではなく、神や仏に愛してもらうように、方向転換をこころみるか。それは不純か。

愛される方には蓋をして、愛する方に路線変更をするか。

ペットを愛するか。虫を愛するか。花を愛するか。旅に出て慰めるか。

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帰って来ると手を取ります

2022年09月02日 12時33分28秒 | Weblog

お昼は、妻に、釜揚げうどんを作ってもらいました。

 

帰って来ると手を取ります。

 

老人僕はわずらわしい存在です。旅に出てる方がいいのです。

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あれこれ思い出すこと、

2022年09月02日 12時06分29秒 | Weblog

これも昔々のこと、僕がまだ若い頃に、佐賀新聞1月1日正月用の詩を依頼されて書きました。どんなのを書いたのかなあと思いますが、思い出せません。歳月が流れていきました。その一回切りでした。あまりよい作品ではなかったからだろうと思います。今頃になってそれが気になり出しました。現代口語詩を書きました。僕は不精者。スクラップもしていません。その詩を、お正月特集号で、元旦に、妻と一緒に読んだことは覚えています。

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全国植樹祭佐賀県大会開会式の詩を書いたのですが思い出せません

2022年09月02日 11時58分57秒 | Weblog

僕は全国植樹祭が佐賀県嬉野市で開催されたときに開会式の詩を書くように依頼されました。随分前のことです。

 

いまそれを検索しているのですが、はっきりしませんでした。県庁に問い合わせたらもしかして分かるかも知れません。

 

1月ほどもかかって書きました。どんな詩だったかも思い出せずにいます。開会式で詩の朗読がされたと聞きました。

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唐津玄海みらい学園校歌の 「音を知る」の根拠

2022年09月02日 11時11分31秒 | Weblog

2016年に僕は唐津玄海みらい学園の校歌を依頼されて書きました。ここは小学校6年と中学校3年を一貫している9年制学校です。

ふっと思い出しました。懐かしいです。何度も何度も書き直しました。いつかふっと訪ねてみたいです。

 

 

唐津玄海みらい学園校歌

 

玄海の 青の海原(うなばら) 

緑に匂う 峰 遙か

よきふるさとに 育(はぐく)まる 

幸(さち)を桜の 言祝(ことほ)ぎぬ

ああ ああ 玄海みらい学園 

われらが誇り われらが誇り

同胞(はらから)を 愛し愛さる

この大いなる 実践の

ここは道場 朝なさな

われら集(つど)いて 稽古する

ああ ああ 玄海みらい学園

われらが誇り われらが誇り

何者ぞ 問へる我とは

微にして大と 彼方より

説いて我をば 耀(かがや)かす

宇宙の意思と 会話せむ

ああ ああ 玄海みらい学園

われらが誇り われらが誇り

究むれば 深き智のあり

向上の意気 熱(あつ)ければ

己(おのれ)律して 整えて

新大陸を 目指し行く

ああ ああ 玄海みらい学園

われらが誇り われらが誇り

一道を 貫き 9年

大いなる道 はるばると

続く未来を 語り合い

われら互いの 音(おと)を知る

ああ ああ 玄海みらい学園

われらが誇り われらが誇り

 

5番の「われら互いの音を知る」は中国古代の故事友情を表す「知音(ちいん)」に基づきました。「列子」からの引用です。よく心を知り合っている親友のことを「知音」と言いました。音は琴の音です。

伯牙(はくが) 琴を鼓(こ)し 鍾子期(しょうしき)これを聴く 琴を鼓するに方(あた)りて 志 太山に在り 鍾子期曰(いわ)く 「善き哉乎(かな) 琴を鼓すること 巍巍(ぎぎ)乎(こ)として 大山の如し」と

小選(しょうせん=しばらく)の間にして 志 流水に在り 鍾子期又曰く 「善き哉乎(かな) 琴を鼓すること湯湯(しょうしょう)乎(こ)として 流水の如し」と

鍾子期 死す 伯牙 琴を破りて 弦を絶ち 終身 復(ま)た 琴を鼓せず

以為(おも)えらく 世に復(ま)た 為に琴を鼓するに足る者なし」と 

以上「列子」より

小学生には意味不明でしょうが、のちのちああ、そんなことだったのか、そんな意味が込められていたのかと分かるときがきっと来るでしょう。校歌が味わいを発揮するときです。

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17年前に僕の作詞した校歌を思い出しました。

2022年09月02日 10時16分04秒 | Weblog

2005年、いまから17年前に、僕は県立唐津青翔高等学校の校歌を作詞しました。ここはそれまでの唐津北高校と東松浦高等学校が合併になって新設された学校でした。玄海町仮屋湾を眺められるところに立っています。いまは総合学科のみのようです。作詞したときにはたしか国際学科のような特徴付ける学科があったようです。歌詞にもそれを盛り込んでいます。野球部も活動しています。相撲部は優勝をしています。

「唐津青翔高等学校校歌 青翔は空への翼」

青翔は 空への翼

青翔は 弾めるこころ

こころざし立つ 若き日に

足らざることの 何かある

桜明るい 阜(おか)に立ち

友と語るは 楽しかり

玄海の 仮屋(かりや)の波は

通じたり 万国の岸

南風(はえ)も難路を 超え行くに

惑えることの 何かある

国際理解と 友情の

時代の礎石 ここに置く

小さかる 野菊の露は

大きくも 星を宿せる

瞬(またた)く真理 映す目に

曇れることの 何かある

為すべき任を 思えとて

宇宙の愛の 降るを知る

永遠を旅して 出会い

しばらくを 別るる日なり

星座のわれら オリオンに

懼(おそ)れることの 何かある

有り難きかな ふるさとの

唐津青翔 わが母校

ああ、唐津青翔 ああ 青春

ああ 団結を見よ わが母校

17年前を思い出しました。いまも体育館に校歌が掲げられているでしょうか。地域の様々な活動と交流しながら地域に密接に貢献をしている学校です。いつかぶらりと訪れてみたくなっています。作曲は佐賀大学の音楽科の教授がなさっています。

4番は卒業式に歌えるようにしました。わたしたちはこれまでに已に永遠の時間を旅しています。そして出遭っているのです。卒業してしばらくをそれぞれに別れて行きますが、また戻って来て出遭えるはずです。

ふふ、わたしは3番が好きです。

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小説「ねえ、キスして!」が書き上がりました。

2022年09月02日 08時00分14秒 | Weblog

小説「ねえ、キスして!」が書き上がりました。原稿用紙58枚になりました。三日三晩を費やしました。書ける楽しみを味わいました。

 

頭の中のエンジンの回転数が毎秒2000回に跳ね上がりました。その後、元に戻るのに、しばらくの時間が掛かりました。投稿完了してほっとして、旅に出ました。

 

主人公の僕は36歳という設定です。キスをねだる寂しい女性は1歳年下です。人間を生きるというのは寂しいことなのです。寂しい男性がいたりします。寂しい女性がいたりします。どうしようもないのです。

 

もちろんもちろん愚作の愚作です。ま、いいじゃないですか。想像をたくましくして人間ドラマを書けたのですから。

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