20年ほど使った冷蔵庫が壊れた。
(よくもまあ長年使いこなしたもんだ)
近くの電気屋さんで、買い換えることにした。
明日、電気屋さんが運んで来てくださる予定。
お金が高い。年金暮らしだから、コタエル。
外気温は37℃、38℃。暑い暑い。
いよいよ冷蔵庫が価値を持つ。
僕の小さい頃は、井戸の中が冷蔵庫だった。西瓜を釣瓶の中に入れて,井戸の底に下ろして、冷やしてあった。
20年ほど使った冷蔵庫が壊れた。
(よくもまあ長年使いこなしたもんだ)
近くの電気屋さんで、買い換えることにした。
明日、電気屋さんが運んで来てくださる予定。
お金が高い。年金暮らしだから、コタエル。
外気温は37℃、38℃。暑い暑い。
いよいよ冷蔵庫が価値を持つ。
僕の小さい頃は、井戸の中が冷蔵庫だった。西瓜を釣瓶の中に入れて,井戸の底に下ろして、冷やしてあった。
お昼はカツ丼。
家内に作ってもらった。昨夜の残り物のトンカツで。
大好きな玉葱をたくさん加えてもらった。おいしかった。
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老爺だから、胃袋は小さめ。
お茶碗半分ほどで腹一杯になった。
*
誰も居なくなった。いつもの留守番をしている。
限定せず。
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無限定にする。
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どう思ってもいいことにする。
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広げると広がる。
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境目をどんどん越えて行く。
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制約を超えて行く。
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何処へでも行く。
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「人間界はここまでで」の項目を外す。
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自由でいる。宇宙を闊歩してみる。
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それができる魂の、その自由でいる。
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炎天に、冬瓜の黄色い花が咲いている。美しく咲いている。
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花房の宇宙の、静寂の中に入って行く。
「思った」ということが、即、「実現した」ということになっているのかもしれない。
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だとすれば、いいなあ。
*
そこで満足していてもいいなあ。
*
思う、思う、思う。思いの世界を思う。
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思わなくなったら、そこで消える。
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消えた後に、菜の花畑が広がっている。金色に輝いている。
思うのは自由。
どう思ってもいい。
ここがいいなあ。
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いい方にいい方に思っていい。(悪い方に思うのも自由だけど)
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制限はかからない。
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だったら、どこまででもいい方へいい方へ思っていたくなる。
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来たことがないところまで来たら,帰り道が分からなくなって困るかも知れない。
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宇宙の広さだけは広げていてもいいのかもしれない、わたしの思いを。いい方へいい方へ。
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ひとりで思い上手になっている。遊び上手になっている。
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思った分だけ、それだけいい方へ動いて行くといいなあ。(でも、その制約もない方がいいのかなあ?)
畑で、ピーマンがまあるくふっくらふくらんで実っている。いい気持ちで実っている。
見てても気持ちがいい。
ピーマンさん、よかったなあを言いたくなる。ピーマンさんをしててよかったなあを言いたくなる。
ピーマンの神様になったような気分だ。
よろこびの品数はたくさんです。たくさんあります。
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体験したよろこびだけに限定されていません。
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未経験のよろこびが列をなしています。順番待ちをしています。
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えええっ、ええええっ、そんなよろこびもよろこんでいいのかあ、と驚くことがたくさん増えるだろうと思います。
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よろこびの品数は限定されていません。
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開発することもできます。
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開発しないでも、どんどん送りつけられてくるものだけでもいいのかもしれません。
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隠れているよろこびを見出すことも可能です。
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開発するよろこびのほかに、発見するよろこび、創造するよろこびもあります。再価値を付与するというよろこびもあります。
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出世もお金儲けも,恋愛成就も、欲望実現も、よろこびですが、決して決してそれだけではないというところが面白いです。
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健康体で居るというのもよろこびですが、決して決してそれだけではないというところが面白いです。
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其処にも此処にも、隠れよろこびが処々に潜んでいるというところも面白いです。
今日は、いろんなことを書いています、このブログに。とりとめもなく。
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その分の気づきがあっているようです。よしも悪しも。気づきがないと一行も書けません。
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死んでしまうと、気づきがあってもブログは書けません。
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でも、でも、でも肉体の気づきを失っても、魂の気づきは続いて行きそうにも思います。
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魂は霊体を持っているからです。
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肉体の伴侶を失った霊体は、二倍分の仕事量をこなす任務に就きます。その分の気づきが増えるかもしれません。
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わたしは限定されていません。そこが面白いなあと思います。
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肉体の気づきがなくなるともうそれでなにもかもが終わってしまうかというとそれがそうとも限らずに、また新しい活動待ち受けています。
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わたしは限定されていないのです。どこまでいっても「ダメだ」になりません。変化をするのです。新しい形態に変化をします。そこがまた面白いなあと思います。
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肉体の機能を終息したあとの、霊体活躍が活躍が、いちだん増量増加するかもしれません。
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どんなものを、わたしに提供してくれるようになるのでしょう?
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どんな美しい世界をわたしに見せてくれるようになるのでしょう?
肉体が快感を得るとわたしのこころも快感を得ています。
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その順序は、しかし、いつも同じではないのかもしれません。
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こころがさきに快感を得たら、肉体がそれに応じて快感を得るということもあっているように思います。
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でも、どうでしょうね。快感の強さ弱さは、どうも肉体の方が、こころよりも敏感なような気もします。
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セックスは肉体の快感度が高いように思います。でも充足度は肉体とこころで分け合っているようです。
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音楽を耳が聞くと耳が快感を得てよろこびます。耳の快感の後を受けてこころが快感してよろこびます。
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美しい風景や美しい絵画を、目が見ると、目がまっさきに快感を得て、よろこびます。その後、わずかに遅れてこころがこれに同じます。
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おいしい食べ物を口が食べるとどうでしょう。口が得た快感ほどを、こころが得ているかどうか。わたしの場合はやや疑問です。
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感謝をするのは、どっちの仕事でしょう? 肉体が感謝をすると健康になります。こころが感謝をすると安らぎを得ます。だとすると、どっちもどっちかなあ。
わたしに肉体を授けて下さった方に感謝します。此処へ来たら肉体がどうしても必要だったので、授けてもらいました。魂が宿りました。魂は非物質だから、魂だけでは物質世界を生きて行くことは出来ません。
授けてくださった肉体は、物質世界を離れて行くときに、また授けて下さった方にお戻しします。肉体が死ぬと、肉体は分散して元の元素に還元されます。
わたしに肉体を授けて下さった方は、その仲介者として、セックスをして受胎をもたらした父と母になっていますが、生命体としてのわたしに物質化をして下さった方が、大元の大元にいらっしゃいます。地球上にある大いなる意識体に、そうしようとする意思があったからです。
大いなる意識体のその意思に感謝します。肉体なしに、わたしが此処で生きることは出来ませんでした。授けて下さったわたしの尊い尊い肉体様に感謝します。
肉体様が病むとわたしも病みました。肉体様が怪我をするとわたしも怪我をしました。肉体様が老いるとわたしも老いました。なにをするのもいっしょでした。ずっと一心同体でした。即かず離れずずっとごいっしょくださった肉体様に感謝します。
ご恩を忘れないようにしなければならないと思っています。