<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

何処にも行かぬ。此処にをる。

2024年09月16日 20時47分35秒 | Weblog

白隠禅師は、「和尚様は死んだら何処へ行かれますか」と檀徒衆に尋ねられて、「何処へも行かぬ、此処におる」とお答えになられた。

死後も此処にいる、その此処とは?

大きく大きく広がった此処なんだろう。

此処は広い。

地獄も極楽も此処。この世も此処。あの世も此処。

その分、巨大化したわたし、大きなものの見方が出来るわたしが出来上がるのだろう。

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両の手によろこびが満ちる。

2024年09月16日 20時39分25秒 | Weblog

両の手にいただく。いただくと、いただけるようになっている。

両の手にいただくことをよろこびにすると、両の手にその分のよろこびが満ちる。

いただいていることを、知るようになる。

必要なものはなにもかも頂いているということを、知るようになる。

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いったいどうなるんだろう?

2024年09月16日 20時28分48秒 | Weblog

これまでにたくさんの楽しみを楽しんできたけど、わたしが楽しんだその楽しみは、これから楽しむ楽しみの10000000億分の1にも満たないと教えられる。

わたしは、楽しみがどんどん増大する国へ向かっていることになる。どんどんどんどん永遠に楽しみが増大する国へ進んで行く。

いったいどうなるんだろう?

それにはどんどん楽しみを楽しめる器量をふくらませておけねばならない、ということになる。

そうなればもう器量増大作業の他の、どんなことにも目が行かなくなってしまうのかも知れない。

 

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楽しんでいい、好きなだけ。どれだけでも。

2024年09月16日 20時15分22秒 | Weblog

楽しんでいい。おおいにおおいに。好きなだけ。あれもこれも、どれだけでも。

そう言われたって、そんなに楽しめるものでもない。

ちょっとでいい。ちょっとで腹が膨れてしまう。

小さな腹だ。それが残念。

腹が食べられる分以外は人様に差し上げよう。

という端からまたまたどんどん運搬されて来る。

貯蔵庫ももう入らない。

その代わり100年楽しむことにする。1000年楽しむことにする。10000年楽しむことにする。

と答弁するが、楽しみは毎日毎日新しく運ばれて来るから、保存貯蔵しておくこともない。

それに何処へ行ったって、そこにはそこの楽しみが用意されている。

死後の国では死後の国ならではの、大いなる楽しみが用意されている。

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そんなに近い距離に居る。

2024年09月16日 20時12分56秒 | Weblog

わたしが、仏陀に話しかけると、仏陀がわたしの前に現れて来る。

そんなに近い距離に居る。

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どちらにも、いいことがある。

2024年09月16日 20時09分22秒 | Weblog

此処に留まってもいいし、留まらなくてもいい。どちらにもいいことがある。

次へ進んでもいいし、進まなくてもいい。どちらを選んでもいい。どちらにもいいことがある。

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従うのがベストな選択だ。

2024年09月16日 20時06分52秒 | Weblog

従うときが来ているのなら、従う。

従うときが来ているのなら、従うのがベストな選択だ。

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従うときが来ているのなら,従う。

2024年09月16日 19時56分29秒 | Weblog

家内が朝方から発熱している。どうもコロナ感染みたいだ。移しちゃいけないからと気を揉んで、部屋に籠もっている。

僕はどうともない。発熱していない。

移るときには移るし、移らないときには移らない。気にしていない。まったく気にしていない。移ったところでどうということもない。ジタバタはしない。

むしろ、夫婦だから,夫婦仲良くコロナ感染していてもいい。

どうともない。コロナ感染くらいでどうこうするのもバカバカしい。

従うときが来ているのなら、従う。

 

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人間の枠の外に出て見ると、

2024年09月16日 19時46分08秒 | Weblog

一定基準の枠の中におさまってしまっていなければならないということもない。収まっている方が安定感があるという方は、収まっていていい。

逸脱が好きな方は逸脱をしていい。枠の外に出ていい。枠の外に出て見ると、枠の外の大きさが感得できる。

枠の外に出たらそこで、いままでどうしてオレはずっとずっと枠の内側にいたんだろうと思う。

自由でいてよかったのに、自由を行使してこなかったことを悔いる。

人間をしている間は,人間の大きさに準じていなければならないということは、ない。人間がする理解を超えてはいけない、ということもない。思いは自由だ。

枠の外に出て見る。ああ、いい気持ちだ。

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人間の大きさを離れる。逸脱は愉快。

2024年09月16日 19時25分34秒 | Weblog

おん・あぼきゃ・べいろしゃのー・まかぼだら・まにはんどまじんばら・はらだりたや・ふーん。

これは光明真言。マントラ。呪文。仏語(フランス語じゃなくて、ブツゴ)。仏様の言語。

だから、仏様にしか通じない。

通じるためには? 

瞬間的にだが、わたしも仏になるしかない、そういうことになる。

真言マントラは、仏様の発せられている言語だから、人間には理解不能。理解不能が心配でたまらない人は、だから、口にしない方がいい。

わたしはこれを唱えていっとき仏に変身する。芝居じみているがそれでいい。それでいい。その感触を楽しむだけでいい。

身の丈1000000000000000000kmの大巨人となる。マントラを唱えて、人間の大きさを離れる。人間の理解の大きさ基準を遙かに遙かに逸脱する。逸脱は愉快。愉快愉快を味わう。

真言マントラが、わたしにこういう愉快、超兆超兆巨大愉快を提供していてくれる。有り難い。

人間で居ながら、ときに人間を離れて、宇宙大になってしまうという痛快。こころは自由サイズ。それを可能にしてくれる。

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