沖縄のたたかいと連帯する東京南部の会

辺野古新基地・高江ヘリパット建設反対。東京南部の地で、尊厳をかけて島ぐるみでたたかっている沖縄の人々と連帯していきます。

「海上の座り込み」に参加した

2017-07-27 08:44:00 | 日記

 7月25日、今日も6時半ごろシュワブゲート前についたら、すでに平良さんと山口さんがプラカードをかざしてゲート前にいらした。私もそばに陣取って、ゲートに入ってくる米兵や工事関係者に工事の中止を呼び掛けた。昨日と同じようにテントの前に、のぼりを立てたり、もくもくと掃除をしている男性がいた。辺野古で母親が米兵に殺された方だという・・・。しばらくして、知花さんが「カヌーに乗ろうと思ってきたら、研修をうけていないから乗るなと言われた」とプラカードをもって私たちのところにきた。
 そうです、今日は、「海の座り込みの日」。私は8時すぎにゲート前から海の座り込みテントに移動。

 カヌー71艇、抗議船8隻、150人が参加。私は「不屈」の抗議船に乗せてもらった。手作りしてきた横断幕「ジュゴン・海ガメ・青サンゴのいる辺野古・大浦湾の海を壊すな!」といつもの南部の会のジュゴン親子のイラストを書いて、船に掲げた~
 平和丸にマイクがあり、主催者のあいさつや世界各国・地域から寄せられたメッセージが紹介された。「違法工事やめろ」「ゆたかな自然をこわすな」などシュプレヒコールも美ら海に響き渡った~

 台風の接近で、雨の予想がはずれ、「海の座り込み」は開催された。しかし、終了間際に雨がポツリポツリ。
 午後1時から浜の集会があると聞いていたが、私は、シュワブゲート前の座り込みに参加した。手作りの横断幕は、座り込みテント後ろの金網にしばりつけ貼りだした。

 印象に残ったのは、本土から沖縄観光に来たという若者が、ゲート前を通りかかり、初めて、基地建設反対の座り込みを目にした。そして、自分も参加し、ごぼう抜きをする機動隊がこわくてさっと囲みにもっていってもらった。が、見ていて、いろんなごぼう抜きのされかたがあるんだとわかった。この次は友達といっしょに来て、そのときは足を踏ん張って抵抗しようと思う、とマイクで話、喝采をあびていた~たのもしい~

 3時ごろ雨がふり、テントに移動。アンケート用紙に記入。
 7月25日、シュワブゲート前座り込み「1115日」、辺野古の浜のテントの座り込み「命を守る会の座り込み8年プラス4846日」であった。充実した辺野古だった。「明日は東京へ・・・大田知事の県民葬にも参加したかったが・・・・


7月24日ゲート前座り込み

2017-07-27 08:41:58 | 日記

 7月24日、6時半ごろゲート前についた。だれもいないだろうと思っていたら、すでにシュワブゲート前で、椅子に座って、白い服の女性二人が基地に入る米軍人や作業員に工事中止・海兵隊撤退を呼びかけていた。
 私もすぐにプラカードを手にして横に並んだ。聞けば、毎日3時半に起き、4時半にうちをでて、6時ごろにはシュワブゲート前でプラカードをかざしているという。毎日だという。平良さんと山口さんである。

 83歳の平良さんは2003年ごろから新基地建設反対の運動を取り組んでいて、80歳までカヌーに乗っていたそうだ。海に潜って戦う若い人が、潮に流されるのを見て、助けるためには船の免許が必要だと75歳のときその免許をとったという。基地建設反対の筋金いりである。戦争で命を失わせたくないと、米兵にも「あなたのおかあさんもあなたの命を戦争で失いたくない」と英語のチラシをつくり米兵の車のドアにはさんで訴えたそうだ。米兵がチラシを受け取ると罪になるので、駐車している車のドアに挟んだという。東京生まれの山口さんも平良さんと行動を共にして、今では、猫3匹と辺野古に住むようになったという。
 思いもかけず、早くきたおかげで、本当にすばらしい話を聞くことができた。

 ゲート前の座り込みに太陽の光は容赦ない!汗がだらだら!3回ごぼう抜きにあった。機動隊の車3台と機動隊員で囲みをつくりそこに手足をつかんで強制的に入れるのである、おまけに車のエンジンはかけっぱなし!。本当にひどい話だ。
 
 テントで、ジュゴン裁判がアメリカで審議されている状況が報告された。その裁判官らが、ゲート前の弾圧の状況の調査にくるそうだ。そのために、座り込み参加者にアンケートを実施していくという。早速アンケート用紙が配られた。毎日、参加者にアンケートを実施し、それをまとめ、調査の参考にしてもらうそうだ。

 24日の座り込みは30人から40人ほど。3回ごぼう抜きにあい、工事車両・ミキサー車に入られてしまった。翁長知事の「違法工事差し止め」の提訴の報告があり、翁長知事をささえ、裁判に勝利しよう!8月12日の県民集会に結集しようと呼びかけがあった。


164年前、ペリー艦隊の兵士「ウイリアム・ボード」の墓を見てきた

2017-07-27 08:39:24 | 日記

 7月23日、名護に向かう途中、ペリーの上陸の記念碑がある泊高校の近くの「外人墓地」(通称 オランダ墓)によった。ボード事件をおこした、ボードの墓を一度は見ておきたかった。

 外人墓地は以外にもこじんまりしていて、想像していたよりもせまかった。1718年の中国漂流民を含む381人(わかっているだけで)が埋葬されているそうだ。 
 1853年5月、ペリーは琉球に。ペリー艦隊は10隻で、うち2隻は当時最大級の2000トンクラスの軍艦、乗組員は1985人、大砲は大小128門の大艦隊だった。

 1853年6月12日、その乗組員のウイリアム・ボードが仲間二人と那覇の町に上陸し、酒をかっぱらい、酔っぱらって、二人は道端で眠り込んだが、ボードはナイフで女性を脅して強姦。駆けつけた村の人たちが石を投げつけ追っ払ったが、ボードは逃げる途中、海に落ちて死亡。琉球での米軍による最初の強姦事件の犯人だ。そのボードの墓が外人墓地のはずれにあった。

 以来、どれだけ多くの女性たちが、米軍の性暴力の被害にあっただろうか。昨年の島袋りなさんの米軍属の暴行殺害死体遺棄事件が重なり、怒りと悲しみが押し寄せてくる。名護への途中、恩納村安冨祖の104号線ぞいのりなさんの献花台によって手をあわせた。たくさんの花が添えられていた。
 本当に、基地はいらない!でていけ米軍基地!