62年前の6月30日午前10時40分頃、米軍ジェット機が周囲の民家30軒をなぎ倒しながら、宮森小学校に激突した。ちょうど、学校ではミルクを飲む準備をしている最中であった。小学生を含む死者が18人、重傷者200人以上の大惨事であった。
あれから、62年である。今年も宮森小学校では「なかよし地蔵」の前で追悼集会が開かれたそうだ。
その後わかったことだが、そのジェット機は台湾で整備し、嘉手納に飛んできたが、嘉手納でもう一度点検し、検査飛行中だったという。操縦士は激突前にパラシュートで降り、無傷だったそうだ。さらに、激突前に、搭載していた50キロの爆弾を海中に投下したという。・・・・・恐ろしい!
現在も沖縄では、米日の実戦訓練がされ、低空飛行訓練や実弾訓練が繰り返されている。4月の米首脳会談で、菅首相は「自国の軍事力をアップさせる」と発言。台湾有事を想定し、沖縄・琉球列島は「第一列島線」と位置付けられ、軍事要塞化が加速され、重要土地規制法が強行採決された。
さらに宮森小ジェット機墜落事故の10日前の1959年6月19日には、米軍ナイキ基地(現那覇空自基地)から「ナイキ・ハーキュリーズ」の核弾頭が那覇沖に誤射された。たまたま、海中に沈み、不発だった。その事故で、二人の米兵が命を落とした。米軍は秘密裏に海中に落ちた核弾頭を回収したというが、ナイキ基地では2台の核弾頭発射台があり、4発の核弾頭がいつでも発射できるよう準備されていたそうだ。沖縄には1300発の核弾頭がおかれていたという。
米軍は核弾頭を使用し、その反撃として、沖縄へ核弾頭が撃ち込まれこともありうる、と予測していた。恐ろしい!
復帰に伴い「撤去された」という確証はない。現在も。
与那国出身の友が「戦争は国境周辺から起こる」と言った言葉が胸を突く。
62年前の6月30日の宮森小学校のジェット機墜落に思う。