いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<日本酒メーカー> 新潟 越銘醸

2025-02-15 06:15:30 | 日本酒

 「越銘醸」

 越後の名峰・守門岳(すもんだけ)は、素盞鳴尊にまつわる伝説を秘めた神の山として中越地方の人々に親しまれている。なだらかなスカイラインを描き、壮大な山容を見せる山肌には、樹齢300年を超えるブナの原生林が広がる。

 徳川8代将軍吉宗の時代から酒造り

 代表銘柄は『越の鶴』
 この山を源とする刈谷田川の上流、四方を山に囲まれた小さな盆地に位置する栃尾は、長岡市でもとりわけ雪深い里。
 日本名水百選の泉が湧き出し、冬はすっぽり雪に覆われる自然環境は、酒造りにこの上ない好条件となっている。 越銘醸はこの栃尾で、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の時代から酒造りをしてきた。
 「享保年間(1716~1736年)に創業の山家屋(やまがや)と、1845年創業の山城屋が合併して、1934年にできたのが越銘醸です。旧栃尾で第1号の株式会社なんですよ」と解説するのは、6代目当主の小林幸久社長。
 栃尾の歴史に精通し、この土地への並々ならぬ愛着が、言葉の端々にのぞく。

 戊辰戦争では蔵が長岡藩の兵糧所に

 かつては荷車も通ったという土間だが、車社会の現代に合わせ、隣に道路を作った
 栃尾人の誇りは、ここが名将上杉謙信の勉学を修めた地であること。幼少期を栃尾で過ごした長尾景虎は、栃尾から初陣の旗を上げて越後を平定し、上越の春日山城に移っていった。
 小林社長はこれに続く栃尾のストーリーを物語る。
 「ここは江戸時代、長岡藩栃尾組の代官町でした。1868年の戊辰戦争のとき、当社は同盟軍、米澤藩の兵糧所として使われたのです。蒸米用の大きな和釜を使って兵士ヘの炊き出しが行われました。
 このとき指揮をとったのは、米沢藩上杉家からの応援隊を率いる青年武将・八木朋直でした。後に第四国立銀行の頭取になり、資金を提供して新潟の初代「萬代橋」建造に一役買うなど、新潟市民の生活向上に貢献。
 新潟市長や県議も勤めた人物ですが、若き日、兵糧所を引き上げて米沢へ帰る際には、和歌を一首短冊に記して当社に残していきました」
 今も蔵には戊辰戦争に関わった栃尾の歴史の一端が残されている。

 なめらかで丸みのある柔らかな酒が伝統の味

 こうした長い歴史を持つ越銘醸の酒は、なめらかで、丸みのある柔らかな酒質。寒仕込みと伝統の製法を大切にしているという。
 「大雪の年には2~3mも積もり、雪に覆われた土蔵の中は低温で温度が一定しています。これが酒造りにはとてもいい環境なんです。うちの酒は栃尾の風土に育まれたものです」
 手間もコストもかかるが、手造りを軸にした伝統の醸造法はこれからも続ける方針と、小林社長。すうっと味わいが膨らみ、後口がきれいな、すっきりした旨口。言わば「淡麗旨口」を目標に造りに取り組んでいる。
 代表銘柄は『越の鶴』、1972年にそれまでの『越の川』に代わって誕生した。
 「万人に好かれるのは難しいけれど、欠点のない酒が理想です。香りが強すぎてもだめ、個性が強すぎてもだめで、10人中8人が美味いと感じる酒を目指したいです」
 そのために低温でコントロールする温度管理と、上槽の粕歩合に注意しているそうだ。

 栃尾の棚田産「越淡麗」100%で造られる『壱醸』

 酒造り道具は戦争時に炊き出しに使われた
 また栃尾は県内有数の棚田の里。秋には黄金色に染まる稲穂の波が見られる。しかし中越地震後には、やむなく多くの耕作放棄地が出現した。 そこで立ち上がったのが地元の日本酒小売店有志。
 「棚田の生き物を愛する会」を作り、酒米「越淡麗」を育て始めた。 越銘醸でもともに田植え稲刈りに取り組み、その米を使って酒を醸した。
 一から育てて醸し上げたので『壱醸』の名を付けて販売。米の収穫量が限られているので、新潟県内限定流通となっている。新酒ができると毎年披露パーティーを開催してきた。
 毎回プレミアが付くほど好評で、10年間もイベントは続いた。 栃尾の棚田産「越淡麗」100%で造られる『壱醸』シリーズもまた、この土地の風土か育てた名酒である。
 逆に首都圏を対象とした新潟県外限定の銘柄もある。3年前に新しく立ち上げた『山城屋』というブランドだ。
 「蔵の裏山には上杉謙信が初陣を飾った栃尾城があったので、山に城で山城屋という屋号で当社では代々お酒を醸してきました。

 杜氏を中心とした若手の蔵人たちが、この銘柄をリニューアル。酒質向上に果敢に挑戦し、旨さに磨きをかけています。それに、屋号をブランド名にするのは流行だしね」と社長は時代を読む目も忘れない。

 歴史的価値や伝統を受け継ぎ良好に維持

 「長岡市都市景観賞」に表彰された建物

 歴史ある建築物を守ることが未来への財産。それが理解され、表彰された
 越銘醸の蔵は雪国の知恵・雁木が連なる雁木通りにある。建ててから220年も経っていて、表の外観は明治の頃のまま。
 「数年前にリニューアルしようと、建築士に相談したんです。そうしたら、絶対このまま残すべきだと説得されました。補強にも新建材は使わない。えらい時間と費用がかかりましたが、なんとか昔ながらの風情を保つことができました」

 この建物は、歴史的価値や伝統を受け継ぎ良好に維持して、地域の景観を造り出すことに貢献した、として2016年「長岡市都市景観賞」に表彰された。
 最後に、会社の経営で大切にしていることを尋ねると「法令遵守、歴史の尊重、科学の尊重、社員の福祉」との答え。
 それは歴史を尊びつつも、科学の目を持って醸造に取り組む小林社長の姿勢を物語っていた。

 越銘醸株式会社 新潟県長岡市栃尾大町2-8

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k48.html より

 代表銘柄

大吟醸 越の鶴 鑑評会出品酒
約50日という時間をかけて丁寧に醸した杜氏と蔵人の技術と魂がこもった一品。
新潟県酒造好適米の「越淡麗」のみを使用し、酒造りの原点に戻り、手間暇を惜しまず作り上げた複雑かつ芳醇な味わい。越銘醸を代表するお酒です。アルコール度数 18度
精米歩合 38%

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<日本酒メーカー> 新潟 近藤酒造

2025-02-13 08:20:10 | 日本酒

 「近藤酒造」

 酒蔵は、良い水を求めて場所を選ぶもの。近藤酒造は、「5つの泉が湧き出る」という五泉市にある。地名が語るように、質もよく絶えることのない豊かな水に恵まれた地だ。

 水に恵まれた五泉市で

 「その水の恵みを、ここに生まれた子供たちにも知っておいてほしい」と、近藤酒造の近藤伸一社長は語る。今は当たり前と思っているけれど、決して誰もが与えられるものでない、恵まれたことなのだと。
 「その水で酒を醸している。大人になったらこの酒を飲みなさい。鮭が生れ育った川へ帰ってくるように、地の酒を求めて帰ってきてくれるように、今から教えておかないとね」
 真面目な顔で話していたかと思うと、見事にすり替えて笑いを取ってしまった。

 目の前の水も良質で豊富だが

 厳寒の2月に行われる水汲みだが、大勢の人が参加する
 街中といえども五泉市では、敷地内にある井戸水も、酒造りには最適の水。ところが、水にこだわるあまり、寒の入りから9日目、1月13〜14日頃という、そろそろ吟醸造りも始まろうという極寒の季節に、雪深い山奥へわざわざ水を汲みに行く。
 「この日に汲んだ水は体に良いとされますから。以前、街中のここから山の近くへ蔵を移転して酒造りがしたいと思ったことがありまして。結局、実現はしなかったのですが、やはり、山の水への興味は捨てきれず、3〜4箇所の清水から水を採取し、試験場で検査してもらったんです。

 そうしたら、どれも合格。どれも美味しい酒ができるという結果。どれに決めようかとなった時、迷いませんでしたね、そりゃ、一番奥の取りにくいところにある水でしょう」

 それが菅名岳にある『どっぱら清水』。この水で仕込んだ酒が美味しかったのだそうだ。
 寒九の水取りは、平成4年からスタートし、30回近くになる。一度も休まなかったばかりか、平成23年の新潟・福島豪雨の際にも社員他数人で汲みに行ったというツワモノ揃い。
 「そりゃそうですよ。寒九の日は、1年に1度しかありませんから」と、当然のことのように答えが返ってきた。山行きには、毎回、山岳会の有志も同行している。

 苗から育てる酒米作りは最大4町歩に

 近代的な事務所では、杉玉が迎えてくれる
 狂牛病、BSEが広がり、食の安全が叫ばれた翌年の2003年、トレーサイビリティ法が施行された。
 誰もが「それって何?」と、頭を抱えている中、米作りを始めた同蔵は、積極的にトレーサビリティに取り組んだ。世間も管理するほうもまだ暗中模索の時期。
 「そうは言っても、食の安全が重要なことは誰でもわかっていること。そのためには有効なこと。私たちは、私たちのやり方で、すべてルーツをたどることができるように、安全を証明できるようにしたのです」

 米作りに関わる人は減少が止まらない時代に入って久しく、休耕田が増えていた。もうやめようという田を借りて作っているうちに、専業農家並みの4町歩という土地での米作りをしていたという。
 「さすがに、そこまでの人手はないので、今では2町9反です」と謙遜するが、十分すぎる面積である。

 日本酒は「和材」

 風格ある酒蔵の趣きを残す
 日本酒は、美味しい嗜好品であるとともに、それ以上に、日本の誇るべき文化として伝えていかなければならない、と、近藤社長は強く考えている。
 それをさらに発展させて、広く世界へ、長く未来へ伝えるべき日本のもの、ことを改めて認識してもらうための総称として生み出したのが「和材」という言葉。『日本酒和材論』だ。
 「日本酒は、昔から最良のコミュニケーションツール、話材でもある。そして、その酒が美味しければ美味しいほど、人と人の仲が深まり、会話も深まる。いい酒はいい人を結ぶ。つまり、いい関係にあるということは、いい酒を飲んでいるということです。

 そのためにも、うまい酒を作っていかなければならない。飲む人がいい関係を結んでくれるように。それは酒屋の使命ですね」

 八代目近藤和吉を継いで歴史をつなぐ

 街中ながら、蔵の敷地内は緑が豊か
 近藤酒造では、代々の当主が「和吉」という名を受け継いでいる。
 「私の父は近藤伸平という名前でしたが、襲名して近藤和吉となりました。途絶えることなく続いてきた。だから、私もしかるべき時が来たら、名乗るものだと思っています」

 「和」の源はここにあったのかもしれない。襲名というものは、どんなタイミングで引き継ぐものなのだろうか。
 本来なら、父が亡くなってから、49日、1周忌、3周忌、などの機会に襲名披露を合わせて行うのが自然だが、タイミングを逸したと話す。
 「自分がその名を継ぐにふさわしいか、それもわかりませんしね」と、謙虚な中に自己への厳しさをのぞかせる。

 近藤酒造株式会社 新潟県五泉市吉沢2-3-30

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k29.html より

 代表銘柄

菅名岳 本醸造
新潟県五泉市の菅名岳の中腹から湧き出る「どっぱら清水」を仕込みの水に使った「菅名岳 本醸造」
清流を思わせるような透明感のあるスッキリとしたお酒です。辛口で飲み飽きしません。食中酒におすすめです。

日本酒度+5

酸度1.2

精米歩合60%

アルコール度数14度以上15度未満

原料米 五百万石

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<日本酒メーカー> 新潟 河忠酒造

2025-02-12 07:37:19 | 日本酒

 「河忠酒造」

 創業1765年の河忠酒造があるのは、新潟県のほぼ中央、西山連山の麓に位置する長岡市脇野町(旧三島町)。緑に抱かれた静かな町だ。

 酒銘は地元を想う気持ちから

 「江戸中期から天領だった地で、このあたりには造り酒屋が7~8軒あったようです」と語るのは、9代目当主の河内忠之さん。そして、この長岡三島ならではの酒を造るのが、地酒蔵としての使命と断言する。
 主要銘柄は『想天坊』。一度聞いたらなかなか忘れられない名前だが、じつは地元の昔話に登場する山の名前だとか。
 「越後の山々は昔、修験場だったので山伏が籠もる坊があったんです」とのことだが、 想天坊もそうした山のひとつだったのだろう。
 天を想う坊(人、町)の意味から、「蔵人の想いと天の恵みで醸した酒」とのメッセージを込めて採用したという。

 もう一銘柄も変わった名前

 河忠酒造がつくる、もうひとつの銘柄は『じゃんげ』。
 「蛇が逃げると書いて、じゃんげと読みます。蔵の裏山・西山山中には『蛇逃の滝』があって、この名も伝説に由来しています」
 高さ20mほどのこの滝は、あまりに水の勢いが激しくて、蛇も寄り付かないからという説と、この滝の近くを住処にしていた大蛇が、黒猫と争った結果、負けて逃げ出したのでこの名がついたという説がある。
 辛口のシリーズということで、一般的に言われる「鬼殺し」といったニュアンスで、さらにそこから連想。「鬼をも殺すような辛さ」→ 「蛇も逃げ出す辛さ」と土地の逸話に引っ掛けて名付けた。
「『想天坊』も『じゃんげ』も、地元以外の人が目にしたら何のことかと思うでしょう。この土地に関心を持ってほしいんです」と話す河内さんの言葉には、深い郷土愛がにじむ。

 個性豊かな越後流「淡麗旨口」を掲げて

 原料米は全て新潟産。蒸米には和釜と甑が使われる
 だから当然、原料米は地元産。河内さんは、 「うちは新潟県産米100%です。越淡麗が誕生してからは、こちらを使うようにしています」と胸を張る。
 地元の契約農家によって栽培された酒造好適米「たかね錦」や「越淡麗」を、可能な限り使用することにしているのだという。
 「たかね錦は吟醸造りに欠かせない米でした。でも亀の尾の孫に当たる古い品種で、新品種の普及により徐々に姿を消していきました。周りではだんだん使われなくなっていますが、うちではずっと使っています」
 今では希少米となった「たかね錦」。この米を使うとどんな酒ができるのか。使い続ける理由を尋ねた。
 「たかね錦は越後流の技、そしてうちの仕込み水との相性が良く、膨らみがあり米の甘みが感じられるきれいな酒になるんです」
 仕込み水には、西山連山からの伏流水を敷地内の井戸から汲み上げて使用。超軟水で、口に含むとほのかに甘さを感じるという。
 きれいな旨みが感じられ、ふっくらとしていて、すっとキレる「淡麗旨口」を目標とする蔵にとって、理想的な水なのだろう。

 越後流の技を踏襲する若き杜氏の挑戦

 杜氏は野水万寿生さん。東京農大短期大学部に学び、2000年に入社した。越後流の第一人者といわれた先代杜氏から33歳で技を引き継ぎ、甑による蒸米造り、全量手造りによる「箱麹法」など、キメ細やかな酒造りを継承する。
 野水杜氏に蔵内を案内してもらった。明るく広々とした蔵は、さらなる増石にも対応できそうな設備。250年の風格を残しつつも、麹室は近代的なステンレス造りにリニューアルされていた。先の地震の影響という。
 こうして 「伝統の継承と発展」をテーマに9代目と野水杜氏の酒造りは始まったが、発展を物語るのは「ゆらぎシリーズ」の発売。
 「ゆらぎとは自然界の未知なる働きのこと。規則正しいはずの天体の運行にも微妙なゆらぎがあります。酒造りにもゆらぎの要素は大きく、小川のせせらぎが心地よさを与えるように、ゆらぎのある酒を想定しました」
 と、熱い想いを杜氏は語った。野水杜氏の新しい試みは『想天坊』外伝として形になっている。

 これからの日本酒は酸があっていい

 歴史ある蔵でフレキシブルな造りが行われる
 「目指す酒は毎年変わります。だから使う酵母も状況によって変える。食生活、生活環境は日々変わっていくんですから。地元に合った晩酌酒という、うちのスタンスさえブレなきゃいいんです」
 と、蔵元は業界を展望し語った。 「同じ酵母を使っても耐性が出てくるから酒は違ってきます。米も同じ田んぼで作っても、毎年違ってくる。だから毎年が挑戦」 というのが、蔵元の持論だ。
 究極は家庭料理で飲める酒。和食といっても唐揚げもあれば生姜焼きだってある。和食に合う酒はこうだと形にはめることはできない、と話は続いた。
 「これからの日本酒は酸があっていい。ワインを飲み慣れてきたから、酸度の高い酒も受け入れられるようなっていますね。当社も、かつて持っていた酸への意識とは変わってきました。とはいえ、やはりシビアに捉えていて、バランスを重視しての許容範囲内で、です。肉料理なんかにも合うと思います」

 「新潟らしさ」の中に個性を

 河内さん:うちの酒をどこで最初に飲んでもらえるか、というと、飲食店で知ってもらうことになります。となると全国の酒との勝負。
 新潟らしさを出しながらも個性を感じてもらえる酒をコンセプトにしています。

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k40.html より

 河忠酒造株式会社 新潟県長岡市脇野町1677番地

 代表銘柄

《普通酒 越後の心伝える想天坊》
冷やでも燗でもおいしい「想天坊」の晩酌酒です。
幅広い飲酒スタイルに合わせられる酒質を目指しました。
特にぬる燗にした時に、旨み、ふくらみとやわらかな味わいが引き立ちます。

■ 原料米:新潟県産米100%使用
■ 精米歩合:70%
■ アルコール度:15度以上16度未満
■ 日本酒度:+3.0 (目標値)
■ 酸度:1.3 (目標値)

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<日本酒メーカー> 新潟 高野酒造

2025-02-11 07:31:38 | 日本酒

 「高野酒造」

 明治32年9月8日。二十四節気のひとつ、白露の日に創業を始めた蔵は『白露(シラツユ)』という名の酒を醸しはじめ、120年ほどに。
 今、『越路吹雪』を掲げる高野酒造では、40代の杜氏を中心に高品質で消費者に愛される酒造りを行っている。

 微生物が育つ環境を整えるために

 明治、大正、昭和、そして今。各時代の微生物が高野の酒を育ててくれている。そのサイクルを私たちは守るのみ。
 「酒造家は自分たちが酒を造っていると思いがちですが、じつはそうじゃない。麹菌と酵母菌、その2つの微生物が酒を造ってくれるのです。

 だから我々がこんな酒を造りたいとあれこれ計算しても、その通りになることはほとんどない。主役である微生物たちにいかにうまく働いていただけるか。その環境を整えるのが仕事です」
 人は微生物のサポート的存在。それが高野社長の考えだ。「自然の流れを見守る。これが難しい。ただ眺めているだけでは微生物はご機嫌になってくれません。温度に湿度、食料となる原料の状態を最善に保つのは、子育てと似ている」。

 切磋琢磨し意見をぶつける

 こうしたい!と蔵人全員で造りの意見交換は日常茶飯事。それが高野流の世界です。
 微生物に最高の環境については社長も従業員も関係なく、意見を言い合うのも高野流。

 「みんな若く元気がいい。それぞれのこだわりもあり、意見をビシバシ言ってくれる。いい意味で切磋琢磨できる情熱あふれる仕事場なのだが、言い方を変えればお互い頑固になることも。まあそれも全て微生物への愛情ですから、仕方ないですね」

 豊かな自然の恩恵を活かして

 世界から認められる最高の水源地。この地で育つ酒だからこそ、最高の味わいを醸すのみ。
 蔵は新潟市の西部に位置し、近くにはラムサール条約湿地のある佐渡弥彦米山国定公園も。

 「とにかく水資源に恵まれています。新潟には信濃川水系と阿賀野川水系がありますが、うちは信濃川水系。非常に水が軟水でミネラル分が少ないので、雑味のない淡麗な味わいの酒に仕上がります。昔から川が運んでくれた肥沃な土壌は新潟の宝。米どころといわれるのは、2つの川のおかげです。

 作り手が見える米作りでよりよい酒を

 契約農家7軒と共に2017年に発足させた「越後酒米栽培研究会」。熱い意見が交わされ、米から関わる意義の大きさを実感している
 「その水と大地で育つ米がうまいのは当たり前。そんな米を使わない酒造りなんてもったいない。だから原料米は燕、三条地域の地元農家と直接契約のものをメインにして、より上質で安心なものを求めています。

 直接契約をすることで、農家さんも高野酒造の酒の米を作っているんだと自負していただけていると思います。契約農家の田には緑色の看板があり、それを見ると私たちもその場所がより愛おしくなるのです」 と、米作りから関わることができる点に大きな意義を見いだしている。

 さらに酒米のクオリティをあげるべく、越後酒米栽培研究所を発足させて農家と蔵で意見交換を行っている。実家が農家の従業員も多く、同じ目線で話し合いができるのだそうだ。

 独自の味わいと香りを生み出す蔵独自のオリジナル酵母

 蔵に住み続ける微生物が蔵の味を、本来の地酒の世界を造りだす杜氏。
 日本酒を醸すうえで重要なのが酵母である。協会酵母が主流だが、最近、蔵付き酵母や蔵独自に抽出培養したオリジナル酵母に注目している酒蔵も少なくない。高野酒造は早くから酵母のオリジナル性に目をつけていた。

 「農学博士の廣井忠夫先生より、他にはない酵母で酒造りをしてみてはどうかとの指導を受けた。戦前はどの蔵も蔵付き酵母で醸してきた。よそにはない酒造りがしたいという気持ちを先代や先の杜氏も持っていたのでしょう。

 自家製オリジナル酵母を開発して18年以上経ちます。オリジナル酵母のおかげか、うちの酒は淡麗辛口系ですが、他の蔵と醸している味わいは異なる。本来、地酒とは蔵の個性があるもの。画一的な味わいは魅力がない」

 「高野酒造の酒は飲みやすいが、米の主張が強くて美味しいと称されたい」という高野社長。そんな酒を目指し、これからもとことん従業員全員で討論を繰り広げながら酒造りに臨むそうだ。

 高野酒造株式会社 新潟市西区木山24‐1

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k31.html より

 代表銘柄

越路吹雪 純米大吟醸 磨き二割
140時間かけて丁寧に精米歩合20%まで磨き上げた山田錦を100%使用し、熟した果実や高貴な花を連想させる香りが感じられ、口に含むと濃厚な味わいが舌の上に広がり、深く永い余韻がお楽しみいただけます。

原材料 米(国産)・米麹(国産米)
精米歩合 20%
アルコール度数 15度以上16度未満
日本酒度 +1
酸度 1.4
アミノ酸 1.1

越乃金紋 白露 本醸造
すっきりとしたのど越しと爽やかな香りが特長的な本醸造。

原材料 米(国産)・米麹(国産米)・醸造アルコール
精米歩合 65%
アルコール度数 15度以上16度未満
日本酒度 +3
酸度 1.3
アミノ酸 1.6

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<日本酒メーカー> 新潟 お福酒造

2025-02-10 07:23:32 | 日本酒

 「お福酒造」

 お福とはお多福とも表現、神仏から授かった品物や幸運のことだ。この福々しい名を冠したお福酒造の蔵は、長岡市街の南東部、長岡東山山系の麓に建っている。

 コメの旨みを重視した『お福正宗』

 2006年登録有形文化財指定のお福酒造母屋
 長岡市に合併されたが、豪雪で有名な旧山古志村の玄関口に当たる。 蔵に隣接する茅葺き屋根の家屋は、宝暦年間(1751~1763)より代々の当主に守り継がれてきたもの。
 高さ4m近い天井、池泉回遊式の庭など、まさに豪農の風格。藩主牧野家から周辺の庄屋を取り仕切る役を仰せつかった、肝いり庄屋・岸家の格式をうかがわせる。2006年、国の登録有形文化財になった。
 庄屋として余剰米で酒造りをしていた岸家は、1897年から本格的に酒造業に取り組むことになる。創業者は婿入りした岸五郎氏。旧姓名は関五郎松、北蒲原郡の大庄屋の長男に生まれたという。
 30歳で岸五郎商店を設立した創業者は、「飲むほどに福招く酒」として『お福正宗』を立ち上げた。 飲むほどに幸福感を味わえる酒、存在感のある酒が今も造りのコンセプト。
 「米をたっぷり使いあえて旨みのある味わいを追求しています。濾過を最小限にして、蔵癖のある個性豊かな酒造りを心がけています。もちろん、一貫して速醸酛を使っていますよ」と、代表取締役社長の岸伸彦さんは紹介する。

 醸造の安全性を目指した速醸酛

 黄綬褒章受賞の岸五郎
 速醸酛へのこだわりは、創業者岸五郎氏との関わり抜きには語れない。明治時代、初代蔵元が全身全霊を注いで酒質の向上、醸造の安全性を目指して研究した酒造法だからだ。
 当時、一般的だったのは江戸時代から続く生酛造り。この手法では、菌の管理に高度な技術が求められ、温度によっては酒母がダメになってしまうこともあったという。
 現在、全国の蔵で安定した酒造りのために使われている速醸酛は、『お福正宗』の蔵で試用されたのが始まり。創業者は酒母製造に乳酸の添加応用を試みた。
 酒母に乳酸を加えることで野生酵母を排除し、適正酵母の純粋培養に成功したのだ。 これにより、当時最も恐れられていた腐造を防ぐことが可能となり、醸造業界に大きく貢献。
 この功績により、後年、創業者は醸造界初の黄綬褒章を受章している。

 日本初の酒造り専門書を発刊

 明治27年発刊日本発といわれる酒づくりのバイブル「醸海拾玉」
 岸五郎氏は東京工業大学の前身、東京工業学校の応用化学科で発酵学、醸造学を学んだ。当時は醸造に関する書物が満足になく、上野の図書館に通ってパスツールの醸造論を写しては、夜間にこれを訳して研究したという。
 卒業後は埼玉県で醸造技師を務める傍ら、醸造用水加工や酵母培養の研究を続けた。 その集大成として1894年、酒造りの専門書「醸海拾玉(じょうかいしゅうぎょく)」を発刊。
 杜氏の勘に頼っていた酒造りを科学的見地から説いた酒造り教本で、とくに醸造用水の加工研究は、軟水での酒造りをいち早く可能にしたと言われる。このとき弱冠26歳というから驚きだ。
 日本酒がもっと多くの人に届き、杜氏の苦労も減るようにと、このような本まで出版して全国の酒蔵に広げた。
 「酒造のともしび」との副題の通り、酒造りに携わる者たちのともしびとなったに違いない。この日本初の酒造り専門書は国会図書館に原本が保管されている。

 地域との共存共栄を目指して

 契約栽培の山古志地区の棚田の風景
 岸五郎商店は、1949年にお福酒造株式会社に改組。初代の酒造研究機関的な場から、酒製造の場への転換を意図したというが、実際は常に酒質向上の研究が主体であったようだ。
 現当主は4代目の岸富雄代表取締役。会社の経営で大切にしていることは地産地消と地域貢献だという。
 「土地と原料は蔵の立地を反映できる要素。酒の原料はコメであり、酒質は、収穫される土地や品種によって異なります。その違いを伝えられるような酒質を追求したい」と語っている。
 お福酒造の地域性や独自性を生かす酒造りによって、地域活性化をもたらし、共存共栄を図れないかという想いからスタートしたのが、山古志地域との関わりだ。
 山間の傾斜地に刻まれた、面積の小さい田が階段のように連なる風景は、非常に美しく、懐かしい日本の原風景とも言われている。

 中越地震の苦難も乗り越えて

 主要銘柄の『お福正宗』と『山古志』
 お福酒造では1997年、生産農家から提供された圃場で当時の推奨酒造好適米・五百万石の作付けを開始。その収穫米によって『山古志純米吟醸』の醸造を実現した。
 以後、酒米作り体験ツアーや物産展を通じて山古志の豊かな自然環境とともに、新しいブランドのアピールを重ねてきた。
 「でも2004年、新潟県中越大震災により、醸造蔵の倒壊、山古志の棚田も壊滅状態になりました」
 こうした苦難を乗り越えて翌年に醸造を再開、棚田も修復されて2007年には山古志酒米生産者協議会が発足するまでになった。
 この年に新しい仕込み蔵が完成して、生産農家とともに『山古志』ブランドの醸造体制が整った。かくしてお福酒造では、このコメの旨みを生かす酒造りが今日も続けられている。

 お福酒造株式会社 新潟県長岡市横枕町606番地

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/ohuku/ より

 代表銘柄

お福正宗 越後 純米吟醸
新潟県の棚田の村として有名な上越市吉川町で酒米造りキャリア40年の竹内氏により栽培された好適米を使用し醸した、栽培者と越後杜氏の心意気の傑作酒です。

精米歩合 55%
日本酒度 約+5
酸度 約1.4
ALC 15

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<日本酒メーカー> 新潟 福顔酒造

2025-02-09 07:58:45 | 日本酒

 「福顔酒造」

 新潟県のほぼ中央に位置する三条市は「ものづくりのまち」。鍛冶の伝統を受け継ぎ、金属加工を中心に多様な加工技術が集積している。

 清流・五十嵐川の恩恵を受けて

 そもそもの起こりは、江戸時代の初め頃、五十嵐川の度重なる水害に苦しむ農民のために当時の代官が江戸から釘職人を招いて、農家の副業として釘の製造を指導・奨励したことと伝えられる。
 市の南東、魚沼市との境界にそびえるのは烏帽子岳。この山に源を発する五十嵐川が市街を流れ、やがて信濃川に合流する。アユやヤマメ、ウグイなどが生息し、秋にはサケが遡上するという清流だ。
 「いがらし」ではなく「いからし」と呼ばれる川の名前は、垂仁天皇の第八皇子・五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)に由来するとか。
 三条市下田地区周辺はこの第八皇子が開拓し、その子孫が「五十嵐(いからし)」を名乗ったためと伝えられる。 福顔酒造の銘柄『越後五十嵐川(えちごいからしがわ)』は、この川に因むもの。
 「三条市はこの水系の豊かな水と肥沃な土地に恵まれて、コメをはじめ多彩な農産物の産地でもあります。豊かな水とコメがあったので、三条には何軒かの酒蔵がありましたが、今は当社1軒のみになってしまいました」
 と、福顔酒造の5代目蔵元で代表取締役の小林章さんは話し始めた。

 「福顔」の由来は?

 恵比寿様がシンボルマークの福顔酒造
 恵比寿様がシンボルマークの福顔酒造 創業は1897年、代表銘柄は『福顔』。屋号「宇寿屋(うすや)」として『松風』という銘柄も出荷していたが、統制により『福顔』を残し、現在に至っている。
 「福顔は縁起のいい名前でしょう」と小林社長は酒銘のいわれを話してくれた。
 「初代・小林正次は飲んだ人が福の顔になる旨い酒を造り、日本酒で人を幸せにしたいとの志から、この名を付けたようです」
 福顔の酒で、福顔の人をつくる。飲むと福を呼び、至福の時を提供するお酒。これが創業以来の基本理念だという。
 「二代目小林正次に小林家の家訓として伝えられ、正次という名前は三代目まで家訓と一緒に当主が引き継いできました。父である四代目は正次を名乗らなかったので、私も名前は引き継いでいませんが、基本理念は受け継いでいます」
 福顔の人のシンボルとして七福神の一人である恵比寿様を、福顔酒造のシンボルマークに採用。飲んでにこにこ顔のえびす顔になるお酒が、福顔酒造の日本酒であるとの想いを明かしてくれた。

 五十嵐川伏流水で仕込む

 福顔になってほしいと願いを込めた代表銘柄
 福顔になってほしいと願いを込めた代表銘柄 そんな話を聞いては、是非とも恵比寿様の福顔にあやかりたいもの。して、その味わいやいかに。
 「米の旨みのふくよかな香り、飽きのこない奥ゆかしい旨み。ほのかな甘みと柔らかな酸味が醸し出すハーモニーが絶妙です」との説明。なんとも飲んべえ心をくすぐられるではないか。
 そんな味わいは何に由来するのかと問うと、小林社長は答えた。
 「仕込み水でしょうね。清涼感のある柔らかくさらりとした味わいは、五十嵐川の伏流水に負うところが大きい。うちの酒は五十嵐川の水と、五十嵐川が育む米で造っています」

 超軟水を造りに活かす

 ここに水を供給している浄水場は、五十嵐川の伏流水が水源。取水される原水の水質が良いことから、緩速濾過といわれる方法で浄化されているそう。
 緩速濾過とは薬品を使わずに、細かい砂の濾過層にゆっくりと原水を活かす方法で、自然水に極めて近い水とのことだ。
 しかもこの五十嵐川の水は県内でもトップクラスの超軟水。昔は、発酵力が弱い軟水では、思うような酒造りができなかったといわれる。
 この超軟水と向き合い、辛抱強く努力を重ねた末に、仕込み水として酒造りに上手く生かすことができたからこそ、福顔酒造は今日までこの地で生き残れたのであろう。
 事実、3年連続で全国新酒鑑評会において金賞を受賞するなど、その造りはますます磨きがかかっている。

 契約栽培の田んぼで田植え・稲刈りに参加

 こだわりのコメで醸す酒は純米になる
 こだわりのコメで醸す酒は純米になる 酒造りで最も大事にしていることは「地産地消」だという。従って原料米も地元での契約栽培が主体。
 五百万石を使い地元で古くから愛されている『福顔』、五百万石と越淡麗を使った『越後五十嵐川』、山田錦で醸す『越後平野』が3本柱だが、山田錦以外は地元産。
 「越淡麗は10年ぐらい前から契約栽培をしてもらっています。どうしたらいい酒米ができるか研究しながら。全量買い取りが前提です。田んぼが近くだから、田植え・稲刈りに参加していますよ」

 「地産」と「地消」にこだわり

 その越淡麗が十分に収量をまかなえるようになって、創業120年記念に『福顔特別純米酒』を発売。1年熟成させて出荷したという。契約栽培の越淡麗を100%使用、精米歩合は60%だから吟醸酒規格なのに、その表記はない。
 これだけコメにこだわれば、蔵で醸す日本酒全てが純米酒となる「全量純米蔵」を目指すのも当然の流れだろう。しかし、小林社長は「地産」だけでなく「地消」にも重きを置いていた。
 「純米蔵宣言といきたいところですが、純米に慣れ親しんでいない地元が大切なので、全量は難しいですね」
 実際の規格よりもワンランク低い値段設定で、コストパフォーマンスの良さに定評があるのも、飲んだ人の福顔にこだわる創業以来のDNAなのだという感を強くした。

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k60.html より

 福顔酒造株式会社 新潟県三条市林町1-5-38

 代表銘柄

大吟醸原酒 越後五十嵐川

仕込水である新潟の中央に位置する三条市を流れる川「五十嵐川(いからしがわ)」の水は軟水に恵まれている新潟でもトップクラスの超軟水です。最高の素材と伝統の技が醸した大吟醸酒のすべるような喉越し、上品でエレガントで幅がある味わいと華やかな香りをご堪能ください。

アルコール分:17度
使用米:山田錦
精米歩合:40%

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<日本酒メーカー> 新潟 越後鶴亀

2025-02-08 07:00:01 | 日本酒

 「越後鶴亀」

 新潟市の中心部から車で1時間。角田山の山麓に広がる田園風景の中に、新潟駅や越後湯沢駅にある『ぽんしゅ館』で選ばれる人気酒造『越後鶴亀』がある。

 ハレの日に選ばれる鶴亀

 越後鶴亀「オリジナルワイングラス」鶴亀の文字で注がれた量が分かる仕様
 越後のお酒ミュージアムとして県内外の愛飲家に人気のぽんしゅ館。『越後鶴亀』はその新潟店で利き酒人気銘柄ランキング1位を連続58ヶ月も記録した。
 「まず銘がいいでしょう。どこの酒かわかりやすく覚えやすい。それになんといってもおめでたい商標です」と、営業部長の松島智洋さんは人気の秘密を語り始めた。
 人々に喜ばれる美味しい酒造りを目指して1890年に創業、わかりやすく、おめでたい商標をと「鶴亀」という名を冠したという。
 東京芸術大学に学んだ5代目の、色彩心理学を生かしたオリエンタルなラベルデザインとも相まって、四季折々のハレの日に選ばれ、宮中晩餐会などいろいろな記念酒を皇室に献上してきた。
 しかし人気の理由はなんといっても美味しさ。松島さんに話を聞いた。

 「越後鶴亀」を語る1本

 ぽんしゅ館で人気銘柄ランキング1位に輝いているのは『越後鶴亀 純米酒』。
 「今の食事に合わせるには酸が必要。食中酒としての位置づけで造っています」 と部長が語るように、軽快でなめらかな口当たり、確かな旨みがありながら酸度1.6と高めゆえか、後味のキレが良く料理を選ばない。
 コメの上品な旨みを引き出すために、低温発酵でコメを溶かしすぎない仕込みを行っているという。 小仕込みで伝統的な造りにこだわりつつも、現代の食事情をしっかり分析していることが勝因とも言える。
 『ワイングラスでおいしい日本酒アワード』で2013年、2014年と金賞を受賞した他、多くの賞に輝き「越後鶴亀」を語る1本になっている。

 攻めの姿勢が美味しいお酒を生む

 越後鶴亀では毎年1本、「チャレンジ仕込み」がある。造り手に探究心なくして発展なしという考えからだ。
 「社長はいつも、確実に美味しいものを造ろうと言われます。美味しく造る心構えは、できたての酒をフレッシュローテーションで出すことです。
 普通、1年、2年寝かして出荷する生酛を、絞った2日後には瓶詰め。じつはこれが大人気」
と話すのは杜氏の横田伸幸さん。国家資格である1級酒造技能士検定を首席で合格した頼れる社員だ。社長からチャレンジ仕込みを課題にもらって以来、新潟では希少な造りに挑戦している。
 その一つがワイン酵母の日本酒。開発に3年を要したという。
 「酵母選びが大変でした。星の数ほどある中からコメに合う酵母を探し、見つかって仕込んでもアルコール度が上がらない。難しかったです」
 ワイン酵母の日本酒を造っているのは、日本酒蔵のわずか1%というのも事実。しかし苦労の甲斐あって、1年分が3日間で完売したという。開発者冥利に尽きる結果と言えるだろう。
 「社長は『日本酒もかっこよく飲もう』と言って、ロゴ入りのワイングラスも作ることになりました。ライトな感じの日本酒はワイングラスに似合い、和洋折衷の雰囲気も好評の要因だったようです」
 当初、県内のみの試験販売だったが、売れ行き好調につき2016年から全国販売されている。

 目標とする酒質を具現化する「越弌」ブランド

 国家資格「1級酒造技能士」を首席卒業した杜氏の横田氏
 杜氏自ら栽培した五百万石を中心に他県の酒米も積極的に使用し目標とする酒質を具現化。米のポテンシャルを最大限に引き出しつつ「クリアで瑞々しい味」を目指しています。無濾過、中取り原酒で上槽の翌日に瓶詰め、瓶火入れで仕上げることにより、生酒に近いフレッシュ感を再現。新しい形の新潟淡麗を表現しました。常にトレンドを意識しつつ蔵人達が今本当に飲みたいお酒を提供したいと考えてます。

 新感覚のラベルで世界へ発信

 象形文字でデザインした新ロゴマークは蔵内会議室の扉にも
 また鶴と亀の象形文字をデザインした新しいロゴマークを制作、『日本タイポグラフィ年鑑2014』に入選した。
 このロゴを「季節のお酒シリーズ」のラベルに使うと、『日本パッケージデザイン大賞 2015』アルコール飲料部門 で金賞を受賞。
 さらに『越後鶴亀』最高峰の『越王(こしわ)純米大吟醸』のラベルにも採用したところ、日本一美味しい市販酒を選ぶ利き酒イベント『SAKE COMPETITION』の2017年大会にて、その年に新設されたラベルデザイン部門で1位に輝いた。
 出品数286点中、審査員満場一致での1位採決だったという。 この酒は兵庫特A地区産山田錦を使い、香り重視ではなく味を追求した純米大吟醸。
 繊細なタッチ、柔らかい甘みと瑞々しい酸で世界に誇れる酒質を実現。世界に通じる象形文字の採用も、時代を読む確かな眼と言える。

 売れるからお酒は美味しくなる

 2018年のラインナップがずらりと並ぶ
 美味しい酒のためには設備も大事、と導入したパストライザーは、生酛を冷やしてワイングラスで飲めるレベルに引き上げた。
 美味しい酒を造るという小林社長の方針で気づいたのが、売ることで酒が美味しくなるという事実。「美味しいお酒だから売れる。フレッシュローテンションの理論上、売れるから酒は美味しくなるということです」と松島部長。
 ここまで話を聞いて感じたのは、マイナス発進はもはや過去。2011年以降の快進撃をたどれば、むしろ原動力に変えているともとれる。
 そんな蔵の情熱が市場に伝わって、新潟駅ぽんしゅ館の『越後鶴亀』コーナーは賑わっているのだろう。

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k69.html より

 株式会社越後鶴亀 新潟県新潟市西蒲区竹野町2580

 代表銘柄

越後鶴亀 純米

殿堂入りの酒
ぽんしゅ館の利き酒人気ランキングにて“58ヶ月連続1位”を記録し、初めて「殿堂入り」となった酒です。
殿堂入り後も凄まじい人気が続いており、その理由はこの酒を口にした時に理解されることでしょう。

まろやかかつ芳醇な米の旨みと、キュッと全体をまとめる程よい酸味が感じられます。
余韻には炊き立ての米をまるごと味わっているかのような濃厚なコク。
後味のキレもあるので、和食を中心にどんな料理でも合わせられます。

純米酒らしい米の旨みを味わいたい方には、このお酒はとてもオススメです。
酒米の自然の旨みや魅力を最大限に活かした日本酒と言えるでしょう。

【ワイングラスでおいしい日本酒アワード 2021】
★最高金賞受賞★

*https://shop.ponshukan.com/view/item/000000000079?category_page_id=sake より

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<日本酒メーカー> 新潟 弥彦酒造

2025-02-07 07:13:54 | 日本酒

 「弥彦酒造」

 「今、良い酒はどんな蔵でも醸せる時代に突入しているんですよ。だからテロワールを含めた凄い酒を醸さないといけない」と強烈なアッパーパンチを見舞うのは、弥彦山の麓に蔵を構える弥彦酒造の製造責任者でもある大井源一郎専務取締役である。

 普通酒を一番大事に

 僕は新潟の、弥彦の酒を作っている。すっぴんの美人。それが本当の酒
弥彦酒造は天保9年創業。初代が独自の酒造法『泉流醸造法』を確立し、多くの蔵人や杜氏を育てた老舗蔵である。

 「酒は人を楽しませるもの。美味いに終わらず、料理の邪魔をせず、飲む人の心を癒し和ませる酒。うちで造る酒はそれ以上でもそれ以下でもありません。 この蔵は『助演男優賞の酒』を造る蔵なんだ」と話す大井さん。
 「純米大吟醸、純米吟醸が美味いのは当たり前。でも一番美味くないといけないのは普通酒です」
食事で言えば、料理が主役で酒はあくまでも脇役であり、「目立つことはいけないのだ」と。
 一般的に、湿度や温度をしっかり管理できるサーマルタンクなどは、純米大吟醸や純米吟醸などに使われることが多いが、こちらでは普通酒と特別本醸造専用タンクである。
 「僕は、普通酒を大事にしないとダメだと思う。普通酒は、原料や価格においても安価。安価=良くなくてもいいという感覚はナンセンス」。
 「誰もが気軽に飲める普通酒の出来が悪いと、他の酒がいいはずがない。普通酒こそ大事にすべきで、品質もきちんと管理すべきだ」 と強い信念を見せる。

 寒い冬だけの小仕込み造り

 酒屋と蔵は、常に五分の関係。造りのプロは蔵、売り手のプロは酒屋。
 大井さんをはじめ、ほとんどの蔵人が一級酒造技能士という資格を取り、丁寧な手造りで厳寒期だけの小仕込みを行っている。
 「儲けすぎはダメ。黒字になるかどうかの瀬戸際がベスト。人のキャパを超えた造りになると、どうしてもおざなりになる部分が出てくる。
 隅々まで目が届き、管理できるのが今の石数。うちのどのお酒も飲んでくれる人を大満足させるだけの力量がある」
 自信を持って語れるのも、「量より質」を実践しているからだ。

 神さまがくれた天然酵母

 普通酒から大吟醸まで。1枚1枚手張り。「迷いがあったらまっすぐ貼れませんよ」(大井専務)
 古代米である「愛国」。この「愛国」を復活させたのは大井さんと地元有志である。
 「農業から醸造まで全て弥彦産のもので酒を造ろう」という思いのもと、地元の農家や酒販店、農協など多くの有志が集い、「彌彦愛國プロジェクト」が結成された。
 「愛国は昭和初期まで一世風靡をした米。新潟でこの愛国を復活せずして何が清酒王国だと思った。他の誰もほぼ扱っていない酒米ってロマンがあるじゃないですか」
 「愛国」の稲の背丈はかなり高く、ちょっとした風でも倒伏してしまう。しかし苦労に苦労を重ねても復活させたのは、今の酒米にはない魅力があるからだと熱く語る。
 「種籾10gから始まった愛国作りも弥彦村に定着し、村人もうちの米という自信がついた。酵母も弥彦山に1本自生する弥彦桜の花びらや樹皮から見つけた天然の弥彦産酵母。
 天然酵母が見つかるのはほぼ奇跡に近い確率だけど、この弥彦桜の酵母は2年目で見つかった。神がかっているでしょう。弥彦神社の神さまからのお裾分けですね」

 オール弥彦産のお酒で村おこし

 この酒は『彌彦愛國』と名づけられた。黄金色に染まる村の田圃をイメージしたラベルに描かれた文字は弥彦在住の書家、田中藍堂氏によるもの。
 ラベルの和紙は地元の子供たちが1枚1枚、手漉きで作ったもので、ひとつとして同じものはない。
 「生まれ育ったこの故郷を今一度、慈しんでもらいたいし、村外の人には弥彦の地の面白さ、素晴らしさ、村の心を感じてもらいたいという願いを込めています」
 愛国の育成にはクラウドファンディングを利用しており、援助のリターンとして、田植えや草取り、稲刈りには体験ツアーも組んでいる。
 「僕は造り手であると同時に弥彦村民としての矜持がある。」と、大井さんが醸す弥彦らしい地酒の物語はまだまだ続く。

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k21.html より

 弥彦酒造株式会社 新潟県西蒲原郡弥彦村上泉1830-1

 代表銘柄

泉流 彌彦 極
YAHIKO kiwami

長期低温完熟発酵
無濾過・瓶火入

弥彦村産こしいぶき使用

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<日本酒メーカー> 新潟 笹祝酒造

2025-02-06 08:20:04 | 日本酒

 「笹祝酒造」

 笹祝酒造の創業は明治32年。約120年続く老舗酒蔵にまた新しい波が起こっている。原動力となっているのは6代目、2018年12月に代表取締役社長に就任した、笹口亮介さんである。

 田舎が嫌で飛び出し都会へ

 笹祝酒造の6代目となる、代表取締役社長の笹口亮介さん
 「若い頃は都会で働いている人たちがキラキラ輝いて見えて、その世界に飛び込みたかった」と、笹口社長は語る。酒蔵の息子ならば醸造学部のある大学進学が当たり前。しかし蔵を継ぐ気持ちがなかったため、酒造りとは無縁の都内の大学へ進学した。
 転機が訪れたのは卒業も近い頃だった。「アルバイト先が日本酒の立ち飲みバーで、うちの『笹祝』もあった。多くの人たちが嬉しそうに飲んでいたんです。故郷の酒が、うちの酒が東京で認められていることに興奮。この時、日本酒の仕事がしたいという気持ちが芽生えました」。

 都会で見つけた故郷の魅力

 街道沿いになびく暖簾。昔から街道を歩く旅人を癒してきた地酒の証。
 家業を継ぎたい、しかし日本酒の勉強は全くしていない。そんな時、横浜の酒屋から「うちで働かないか」と声がかかった。
 「バーを併設したワインショップでワイン販売、飲食店向けの飛び込み営業と畑違いのことを任された。日本酒の勉強こそなかったけれど、この経験が私に日本酒蔵にこれから何が必要かを気づかせてくれた」。
 わからないことはとことん学び覚える。日本酒一辺倒ではなく幅広い酒の知識を深め、消費者、飲食店、酒販店に魅力を伝える重要さを学んだ。これが笹祝酒造の新しき波の始まりとなる。

 地元に愛され、地元とともに

 自分らしい世界を造りたい。アイデアはいくつも湧いてきます(6代目)。
 笹祝酒造は、中山道から越後国を結ぶ旧北国街道に面し、交通の要衡として栄えた場所にある。初代が街道で茶屋を営み、そこで酒を出したところ「旨い!」と大評判となったことから造り酒屋になったといわれている。
 昔から地元に寄り添った酒造りを心がけ、今も県内消費が全体の9割を占めている。
 「ありがたいことに地元の人が笹祝の酒が好きといってくれる。酒蔵は地元あってこそ。うちは杜氏も蔵人も全て地元の人間。地元への愛情は半端なく強い。それは私も同じ。一度外に出たから気づいた地元の良さ、それらを表現できる酒を醸したい。もちろん先代からの銘柄もきちんと受け継ぎます。でもそれだけではダメ。私は造る段階で飲む人を想定します。消費者も巻き込んでしまえばいいと思っています」。
 酒造りの基本技術は大切。しかし、酒のイメージを具体化するためには、その技術を柔軟に活用することこそ重要なのだ、と考える。

 父の背中を見ていた息子

 造りはチーム。誰が声をかけるわけでもなく、必要な時間には蔵人全員集まる。
 じつはこの考え、父で5代目の笹口孝明会長が約20年前、そして約10年前と新しいタイプを造り出した時に似ている。地元農家が育てた亀の尾は当時、純米大吟醸しかなく高値で地元の人は手が出なかった。
 地元米で造っているのに飲めないのはおかしいと、亀の尾と新潟産雪の精で醸し、気軽に飲める特別本醸造『竹林爽風』を生んだ。
 「高価な亀の尾を特別本醸造に」という考えは周りを驚かせた。地元の人が飲まないで何が地酒だという思いが為せた術だろう。
 「交通網も発達し、海に近いから魚中心の食事という時代ではない。揚げ物や肉料理などこってりした料理も当たり前になった食卓にすっきりした酒だけじゃダメだと父は思ったのでしょう。味わいのある膨らみのある酒も必要じゃないかと。そのイメージを形にするためにこだわったのが酒米でした」。

 話題を呼んだ『笹印』無濾過シリーズ

 リノベーションされたエントラスのウエルカムカウンター。「若い人にも気軽に入ってきてもらいたいしね」(6代目)。
 「当時の新潟県内の酒蔵で濾過しない酒はなかったようで、色がついた酒だと市場がざわついたそうです。賛否両論ありましたが、深み、飲みごたえがありながら飲みやすいと人気に火がついた。今ではうちの看板商品です」。
 父の精神は笹口社長にしっかりと受け継がれている。昨年、地元、松野尾地区で栽培した亀の尾のみで、昔ながらの生酛造りで醸した『壱ノ巻』を発表。結果、大好評となり、県産日本酒の新しい魅力として注目を浴びた。

 さまざまな人たちを巻き込む

 全て小仕込みの手造りが基本。基本忠実が蔵の味を未来へ繋げる。
 「この銘柄には新潟市内の酒屋や飲食店、日本酒サークルなど多くの知り合いで意見やアイデアを出しあいました。造りの手伝いにも来てくれたしね」。
 麹造りからラベル張りなど酒造りの楽しさを感じてもらうことで『壱ノ巻』の愛着を持ってもらうこともできた。
 「今期もいろいろ考えていますよ。新潟の酒は淡麗辛口の印象がまだ強いけど、もうそれだけでは誰も振り向かない。私は新潟の酒の未来に一波乱起こしたい。そのためにも地元で愛され、地元の人と共に歩んでいかなくては」。
 日本酒王国、新潟には常に新しい波が巻き起こっている。

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k09.html より

 笹祝酒造株式会社(ささいわいしゅぞう) 新潟県新潟市西蒲区松野尾3249

笹印 純米無濾過酒
純米の豊かな味わいと爽やかさを持ち合わせた、酸味と甘味のバランスが整っている純米酒です。無濾過の為、酒本来の旨味と吟醸香が引き立っています。

品質:特別純米酒  アルコール:15~16%
原料米:越淡麗  原材料:米・米こうじ
精米歩合:60

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<日本酒メーカー> 新潟 天領盃酒造

2025-02-05 07:36:50 | 日本酒

 「天領盃酒造」

 尖ることない、シンプルな味わい

 蔵があるのは両津港からほど近く。
 「自分の好みの日本酒を造りたい」
 そう考えたのが、加登さんが蔵元になろうと考えたきっかけだったそうです。当時、加登さんが目指そうとしたのは、甘くて酸味がある、当時流行りの味わいでした。日本酒は好きだが、そこまで量を飲める体質ではなかったという加登さん。
 「印象に残りやすいお酒というのが、当時の僕には分かりやすかったのだと思います」
 しかし、蔵元となり、目指す味わいを模索するうちにその考えは変わったそうです。
 「他県も含め、さまざまなお酒を試飲しました」
 すると、酒の減りに偏りが出た。洗練され、スッと体に馴染む酒。極度に甘いわけでも酸っぱいわけでもなく、余計なものが削ぎ落とされた味わい。尖りすぎていない酒の減りが圧倒的に多いことに気がついたそうだ。
 「現在は、酒造りのコンセプトを『キレイで軽くて、穏やかな酒を造る』としています」

 雅で楽しい時間を演出する酒

 常にコミュニケーションを取り、ベクトルを同じ方向に。
 就任2年目の造りから、製造責任者も兼務するようになった加登さん。現在は、20代、30代の蔵人とともに目指す味わいを醸しています。
 「現在のメンバーは、僕が酒を醸すようになってからSNSなどを通じて、蔵人になりたいと自ら応募してきてくれました」
 2019年、製造責任者として、加登さんは新しい銘柄を誕生させました。
 「雅楽代」(うたしろ)。
 天領盃酒造のある住所、佐渡市加茂歌代は、加茂地区と歌代地区が統合しできたもの。古い文献をたまたま見ていた加登さんは、天領盃酒造は旧・歌代地区にあることを知りました。調べてみると、佐渡に流されてきた順徳天皇に向けて、島民が歌を詠んでいた。歌人としても有名だった順徳天皇が歌を気に入ると、土地が与えられた。その土地が旧・歌代地区。
 「この場所を、雅で楽しい、時代の代と書いて、『雅楽代』という名字を名乗っていた一族が収めていたことを文献で知りました。うちのお酒が飲む方の楽しい時間を演出する要素になりたい。常に考えていたこの想いと、土地の名前のもととなる『雅楽代』が僕の中で合致したんです」

 進化し続けるお酒

 2022年に変わったばかりの麹室。
 「酒造りの設備に関しては、19年からの4年間で、ほぼすべて変わりました」
 目指す味わいを醸すには、旧設備では造れない。製造責任者として経験を重ねるごとに、より酒造りという仕事が明確になり、毎年設備投資を行い、一歩ずつ進化を遂げている天領盃酒造。
 「製造責任者初年度のお酒は今振り返ると、よく出せたなという味わいだったと思います。でも、おそらく数年後に今年出したお酒を振り返ると、同じようなことを言っていると思います。時代が進み、人との関わり方や楽しみ方が多様化していくのと同じように、『雅楽代』という銘柄も毎年、毎年、常に進化し続けたいと思っています」

 全国トップレベルの蔵元に

 売店スペースなども新設した。
 「新しいことに次々挑戦したい。そう思っていたときもありましたが、それは違うと気づいたんです」
 蔵元としても製造責任者としても、県内では最後発にあたる加登さん。酒造りを行えるのは実質半年。その限られた時間の中で、毎年、数種類の新銘柄に挑戦した場合、すべてがゼロからの積み上げになる。しかし、同じ銘柄を同期間で繰り返し醸せば……。
 銘柄を絞り、繰り返し造ることで、酒の味も自分の技術も成長スピードが格段に速まる。加登さんはそのように考えたそうです。
 「今後もあまり商品数を増やすつもりはありません。お酒の品質をどんどん高めて、名だたる県内の先輩たち、全国トップレベルの蔵元さんたちに追いつき、追い越すこと。これが僕たちの目標です」

*https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k14.html より

 

 天領盃酒造の変遷
 1983年 佐渡にあった3蔵が合併し、天領盃酒造の前身である佐渡銘醸株式会社を創業。

 2008年 佐渡銘醸株式会社が経営破綻し、天領盃酒造株式会社へ。

 2018年 後継者不在のため、廃業が危ぶまれていたが、現代表が経営権を引き継ぎました。

 2019年 新ブランド「雅楽代」並びに「THE REBIRTH」をリリース。以降、蔵元自らが酒造りの先頭に立つ、「蔵元杜氏」に就任。この年以降、大幅な設備投資を毎年行い、品質第一を掲げ、日々品質向上に励んでいます。

 醸造哲学 〜心きらめく酒造り〜
 お酒造りにおいて私たちが最も大切にしているもの。それは「心がきらめくかどうか」です。

 美味しいお酒は心がきらめく。ならば、仕込みごとに1mmでも、自分たちは美味しいを突き詰め、心がきらめく限界点を超えていきたいと考えています。

 少しでも妥協をしようものなら自分達の限界点は超えられません。どれだけの手間ひまがかかろうが、それが美味しいお酒に繋がるのならば、全て行う徹底的に品質を追い求めた酒造り。

 大変な時も多々ある。もっと楽できるのにな。と思う時も正直、たくさんありますが、出来上がったお酒を飲んだ時にはそれまでの辛さは全て吹き飛んでいきます。

 そしてまた、限界点が上がっていく…。常々思うことがあります。それは最高傑作は常に次の作品だということです。自分達のお酒に完成形などなく、挑戦する心を忘れずにひたむきに造り続けるということ。

 そして最後は、そのお酒を飲んだ皆様の心ときめく瞬間を創っていくことができれば幸せです。

 多くの挑戦多くの失敗小さな成功
 天領盃酒造ではお酒を仕込む毎にレシピや温度経過が全て異なります。

 2019年以降、同じ製造方法で行ったものはひとつもありません。

 よく言えばチャレンジ精神旺盛、悪く言えば全くの不安定。

 しかし、この挑戦全てに共通するものが一つだけあります。

 それは「より美味しくなる可能性のある理論に基づいた挑戦」であることです。

 前回の味がこうだった。であればここを変えてみたらもっとよくなるのではないか…

 よし、やってみよう。

  その結果、前の方がよかったのでは?ということもあります。

 しかしその挑戦がなければそれは気がつけなかったことでもあります。

 そして、その失敗から得た学びが次の「より良く」へ繋がっていきます。

 失敗を恐れず、次々と挑戦していくことこそが今の天領盃の精神です。

 徹底した品質管理
 お酒の仕込みは普通酒から純米大吟醸まで、全てにおいて大吟醸造りです。

 お酒を搾った後には酒粕が残ります。原料米がどれくらい酒粕として残ったかという指標を粕歩合と言うのですが、全国的に平均すると30%前後になるのではないでしょうか。

 弊社の粕歩合は平均して約50%ほど。原料米の半分が酒粕になっているということです。それだけ贅沢な造りをしています。(もちろん酒粕はお菓子などの原材料として循環しています)

 そして搾った2日以内に瓶詰め、瓶詰めから2日以内に加熱処理を行い、マイナス5度の冷蔵庫にて保管されています。

 全ては皆様の元へ最高品質でお届けするため。

 徹底した品質管理が弊社の当たり前。

 これからも皆様の期待に応えられるお酒造りを真っ直ぐひたむきに行っていきます。

 挑戦し続けること、変化や失敗を恐れないこと、お酒に対して誠実であること。

 これが天領盃酒造の全てです。

 天領盃酒造株式会社 新潟県佐渡市加茂歌代458

 代表銘柄

天領盃 大吟醸 YK-35

天領盃酒造のフラッグシップモデルの大吟醸タイプです。
フルーティな香りとキレのある後味が特徴で
大吟醸にすることにより、華やかな香りがさらに増し、エレガントなお酒となっっています。
少量生産のため、売り切れ次第終売となります。

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