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< 郷土料理 > 茨城 鯉の唐揚げ

2024-06-08 08:40:27 | 郷土料理

 「鯉の唐揚げ」

 主な伝承地域 南部地域、霞ヶ浦・行方市・土浦市

 主な使用食材 コイ

 歴史・由来・関連行事
 国内第2位の湖面積を誇る霞ヶ浦では、主に北浦において、昭和40年頃(1960年後半)からコイの養殖を開始し、現在では養殖生産量は全国トップクラスである。古くからコイはタイと並ぶ高級魚として知られ、奈良時代、平安時代には皇族や貴族の間で好まれた。その後は、庶民の間にも浸透し、さまざまなコイ料理が親しまれてきた。コイは”龍門の滝”をのぼると龍になるという言い伝えがあり、立身出世のたとえに使われる縁起物である。また滋養に富む魚であるため、結納などの祝いの席や妊婦に食べさせる風習があった。
 霞ヶ浦におけるコイの養殖は、1年から3年かけて育て上げる。1年目のコイは小骨が口に当たりづらいため、「鯉のあらい」という刺身料理に使われることが多い。また、2歳から3歳のメスは卵を持っているので、「鯉の甘露煮」といった料理に向いている。色々なサイズのコイを手に入れることができるからこそ、その他にも「鯉こく」や「鯉のうま煮」などのコイ料理が浸透していったと考えられる。現在、子どもから大人まで人気があるコイ料理の一つが「鯉の唐揚げ」である。

 食習の機会や時季
 養殖は特に旬がないため、1年を通して食べられている。「鯉の唐揚げ」は、揚げることで骨までそのまま食べられるので、子どもたちにも人気である。学校の給食メニューにも取り入れられている。

 飲食方法
 コイの切り身に片栗粉をまぶし、油で揚げる。家庭や店舗によってつくり方はさまざまで、コイに簡単に味付けをして唐揚げにしたり、揚げた後、タレにくぐらせて食べる。
 コイ料理で重要なのは、生臭さをしっかりとること。何度も水を取り替えながら洗うことで生臭さが消える。この時、お湯を使ってしまうと風味を変えてしまうので、必ず水でおこなうことが大切である。また、コイを捌くところからはじめる場合は、鮮度が重要なので生きたコイを使うこと。そして、内臓を傷つけないようにすることがポイントである。胆汁や未消化の餌が身についてしまうと、臭みが染みついたり、変色してしまうため、細心の注意を払っておこなう必要がある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 学校給食では、唐揚げ用に調理・冷凍したものを利用し、郷土料理として提供している。霞ヶ浦地域のスーパーマーケットや道の駅などでも、唐揚げが販売されている。また、霞ヶ浦地域の飲食店などでも食べることができる。現在は、霞ヶ浦北浦のコイ養殖業者が、鮮度の良いうちに下処理して真空包装した「凍結鯉フィレ」をつくって販売し、郷土料理が手軽に食べられるよう普及を図っている。
 現在行方市では、小骨を切って骨ごと食べられるように、プロが骨切りし、唐揚げ用に調理したものを冷凍し、学校給食に郷土料理として提供している。「鯉の唐揚げ」は、学校給食で人気メニューになっている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/koinokaraage_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 福島 会津カレー焼きそば

2024-06-08 08:37:05 | B級ご当地グルメ

 「会津カレー焼きそば」

 食物語・会津カレー焼きそば】 ご当地グルメ!豪快な一皿は『青春の味』 2016年10月23日   

 「会津のソウルフード」「30代以上の青春の味」とくれば第一に思い浮かぶのが会津のご当地グルメ、会津カレー焼きそば。カレー味の焼きそばではなく、ソース焼きそばにカレーをかけた見た目にも豪快な料理。衝撃的な外見に目を奪われがちだが、味は格別。焼きそばに絡まるカレーと、キャベツ、モヤシのシャキシャキ感がたまらない。近年になって人気に火が付き、全国区となりつつある。

 ◆給食にも登場

 まずは由来から。話は昭和50年代にさかのぼる。会津若松市に店を構えていた飲食店「トミーフード」(現在は閉店)。スーパーも経営していた当時の店長が、総菜として出していた焼きそばにカレーをかけて食べたところ、おいしかったため商品化した。安くてボリューム満点の料理が若者に受け、市内外の飲食店でメニューに取り入れられた。

 「カレー焼きそばで団体をつくったらどうか」。市内の飲食店に取材に来ていた東京のテレビ番組スタッフの提案がきっかけとなった。カレー焼きそばをメニューに取り入れる市内外の飲食店が協力して、会津の名物料理として全国に発信しようと、2010(平成22)年11月に「会津カレー焼きそばの会」を設立した。

 現在加盟するのは15店舗。店先にのぼり旗を掲げ、加盟店舗マップを作り、全国各地のイベントでPRした。学校給食への導入を実現させ、ギフトセットを発売、公式キャラクター「カレーなるヤキソバ子」を誕生させるなど幅広い活動を展開する。そのかいあってテレビで紹介され、注目度が増した。

 ◆全国から来店

 「全国から客が訪れるようになった」と語るのは発足を呼び掛けた会長の氏家義光さん(71)。同市で飲食店「ラーメン居酒屋 寿楽」を45年経営してきた。「昔はたまに注文があるくらいだったが、今では看板メニューだよ」と笑う。寿楽のカレー焼きそばは、香辛料がピリッときいたカレーとキャベツなど具材たっぷりの焼きそばが特徴で、「絶妙な調和」を生み出している。一度食べたらやみつきになる味だ。

 会津カレー焼きそばの会で注目すべきは会員店舗によって味や使っている具材が違うこと。会が定めるカレー焼きそばは「麺にカレーがかかっていること」といたってシンプル。そのためカツや目玉焼きがのっていたり、麺にパスタを使ったりとバラエティーに富んでいる。

 ◆個性磨き進化

 「まさに青春の味」と語るのは同市で洋食店「DOG HOUSE(ドッグハウス)」を営む堀金光治さん(48)。高校時代、部活動の大会帰りに友達とカレー焼きそばを食べ、空腹を満たした。「ファストフードがない時代。高校生が気軽に腹いっぱい食べられた」と振り返る。洋食店らしく麺にパスタを使った「カレー焼きスパ」を考案し、提供する。「思い出の料理で地域活性化に貢献したい」と意気込む。

 調理場に立つ氏家さんに会の今後の展開を聞いた。「伝統の味を守りながら、新しい挑戦もしていく。活動を通して会津のPRにつなげていけたらいいな」。会員店舗がそれぞれ工夫を重ね、全国的な知名度を得ようとしているカレー焼きそば。「自分に合う一品」を探しに、会津に足を運んでみてはどうか。

 全国的にファン急増中のカレー焼きそば。ラーメン居酒屋 寿楽、DOG HOUSEのカレー焼きスパ。仕上げに焼き目を付けるのがみそ

 ≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪

 【おしゃれな公式キャラ】カレー焼きそばをPRするため、2013(平成25)年に誕生したのがカレーなるヤキソバ子=写真。会津カレー焼きそばの会の公式キャラクターだ。皿に盛られたカレー焼きそばをモチーフにキャベツとニンジンの色をしたアイシャドーを塗り、紅しょうが風のリボンをつけている。県内外のイベントに登場、コミカルな動きで注目を集めている。

 【店の味を家庭で気軽に】会津若松市馬場町の飲食店ラーメン居酒屋 寿楽のカレー焼きそば。家庭でも店の味を楽しめる箱入りの「会津カレー焼きそば 名店『寿楽』」も発売中。同市の鶴ケ城会館や会津ブランド館、湯川村の道の駅あいづ湯川・会津坂下などでも扱っている。営業は午後6時30分からで日曜日が定休。

 【ナポリタンにもかける】会津若松市大町の洋食店DOG HOUSE(ドッグハウス)。店の名物のカレー焼きスパ。ナポリタンに辛さ控えめの特製ビーフカレーをかける。自家製の季節の野菜をふんだんに使用、仕上げにチーズをまぶしガスバーナーで焼き目を付ける。営業時間は昼が午前11時30分~午後2時、夜が午後5時~翌午前1時。

*https://www.minyu-net.com/gourmet/syoku-story/FM20161023-121554.php より

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うまいッ! NHK「まんまるで甘い小タマネギ ペコロス~愛知県・知多市~」

2024-06-08 08:29:23 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「まんまるで甘い小タマネギ ペコロス~愛知県・知多市~」 2016年05月22日

 番組内容
 直径3~4センチの小さなタマネギ=ペコロス。愛知県知多市ではソメイヨシノが咲く頃から5月中旬にかけて収穫される。西洋料理のつけ合わせやシチューなど煮込み料理に用いられ、煮崩れしにくく、濃厚な甘味が味わえる。実は、ひと口サイズで丸ごと食べられる事にこそ、うまさの秘密が隠されている。また、タマネギも極小サイズや、栄養価の高いものなどいろいろある。品種開発の最前線を紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201605220615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「ペコロス」

 ペコロスは、直径3 - 4cm程度の大きさの小型のタマネギである。小タマネギ、プチオニオンなどとも呼ばれる。一般的な品種のタマネギを通常の10倍程度に密植して作る場合と、専用品種の場合がある。

 概要
 ピクルスやシチュー、ポトフ、ジャーマンポテトなどの材料として、丸ごと使われる。ペコロスという名称は日本独自のもので、由来は不明である。

 長らく、日本国内での生産量の約70 - 80%は愛知県知多市産のものとされていたが、農畜産業振興機構の野菜情報総合把握システム「ベジ深」によると、東京都中央卸売市場における都道府県別出荷数量では、1991年には愛知県産224t、北海道産90tであったものが、2000年には愛知県産185t、北海道産203tと初めて逆転。以降北海道産が全国トップシェアを取り続け、2012年には愛知県産42t、北海道産146tとなっている。

 知多では通常の品種を密植。秋まきで、4月から12月まで出荷されている。日本国内では、他に北海道北見市(旧端野町)や大阪府が産地として知られる。北海道では専用品種が生産されており、春まきで、8月から3月まで出荷されている。

 小型のタマネギとしては、ペコロスのほかに、パールオニオン(白小タマネギ、pearl onion)やルビーオニオン(赤小タマネギ)がある。

*Wikipedia より

 

 知多市の逸話ストーリー#05 知多ペコロス 知多から全国へ!今が旬 “ペコロス”のおいしい秘密 更新日 2022年06月10日

 小さな名脇役・ペコロス
 知多市は「ペコロス」という小さな玉ねぎの栽培が盛ん。その直径はおおよそ3~4cmほどで、切らずにステーキの添え物や煮込み料理、揚げ物などに使われることが多く、関東地方のレストランや飲食店を中心に出荷しています。
 大きな玉ねぎほど万能ではないけれど、小さな玉ねぎならではの特性を活かして、さまざまな料理に彩りを添えることができる…。そんなペコロスの出荷に密着し、作り手の思いや直面する問題、はたまた農家直伝のマル秘レシピまで取材してきました。

  1箱5kgの段ボール2箱で出荷
 ペコロス農家の一日は、早朝から出荷作業に追われます。畑に天日干しにしておいたペコロスを1箱ずつ詰めてベルトコンベヤーへ。中を見ると、つやつやとしてまるでピンポン玉のよう。計量したら2箱まとめてバンドで縛ります。

 1箱あたり5kgの段ボールを、最盛期には一日に360箱ほど出荷するそうです。この日が初めての出荷だという南條さんという女性は「研修を含めて1年以上。やっとこの日を迎えられた」と感慨深げ。5kgという重さについても、女性でも運びやすいのでうれしいと話します。「子どもと一緒に手入れをしたり、成長を見守ったり、農業が教えてくれることは本当にたくさんありました」と出荷されていくトラックを、優しいまなざしで見送っていました。

 減少しつつあるペコロス農家
 ここ知多市の日長地区は土地も狭く、温暖で粘土質の少ない砂地のため、ペコロスの栽培に適しているのだと言います。「大草や新舞子などにも昔はたくさんペコロス農家がありましたが、今では1/10くらいになってしまいました。若い農家さんに積極的に声を掛けていますが、手作業なので手間も掛かるし、地元のスーパーにはあまり流通せず関東圏へ出荷してしまうので、まとまったお金にならないのでは、という先入観があるのかもしれません」と永井さん。
 しかし、東京や神奈川などのレストランでは知多市のペコロスはなくてはならない食材。「TVやドラマでペコロスの料理が写ると、知り合いから電話がかかってくるほどです。洋食でも和食でも、職人の手を煩わせることなく、皮をむいたらそのまま調理OK。小さいので短時間で料理できるし、いいことずくめです。そんな野菜を育てているというやりがいを、今の若い人にも感じてほしいですね」

 小農家が教えるおいしい食べ方
 スーパーなどでいつでもあるとは限りませんが、一部のスーパーや、産直市場や直営売り場なら知多市内でも手に入るペコロス。私たちでもできるおいしい食べ方を教えていただきました。
 「一番簡単なのは揚げ物ですね。頭とおしりを切り落として皮をむいたら、衣をつけて2分くらいサッと揚げるだけ。小さいので余熱で中まで火が通ります。カレーやシチュー、ハッシュドビーフなどの煮込み料理にもオススメ。ゴロゴロとした見た目が食欲をそそります。ただ他の野菜と一緒に煮込むと溶けてなくなってしまうので、ペコロスは電子レンジで加熱し、完成してから加えてください。ペコロスを半分に切って真ん中をくりぬいてミンチを詰めて焼けば、お弁当のおかずにもなりますよ」
 たくさんのレパートリーを教えていただき、感謝です!ペコロスが手に入ったらぜひ、おかずの一品に加えてくださいね!

  知多市の誇るブランド品として
 農家の高齢化が進み、作り手が減少しつつあるペコロス。全て手作業で、繊細かつ丹念に育てられていることが分かりました。一流の料理になくてはならない存在として、また、家庭料理のお助け野菜としてもおいしくて魅力たっぷりなペコロスを知多市の地域ブランド品として市を挙げて応援していきたいですね。

  取材日:令和元年5月 ライター:光田さやか

 お問い合わせ 企画部 秘書広報課

 

 ちたペコロス街道 掲載日:2022年1月27日更新 【知多市】

 街道の紹介
 知多市直径3センチから4センチの小さくて可愛らしい玉ねぎ「ペコロス」。

 形も特徴的ですが、“果物に匹敵する高い糖度”も特徴の一つです。

 知多市では、大正時代にペコロスの栽培が始まって以来、採種から製品化まで手作業による一貫生産を行ってきました。

 知多市のペコロスは、高い品質が特徴で、市の誇る特産品の一つに数えられています!

 おすすめ時期
 「知多ペコロス」の収穫時期は4月下旬から8月中旬まで。「知多ペコロス」の知名度向上と飲食店の活性化を目的として、毎年7月から期間限定で、「ペコロスフェア」を実施しています。

 煮る、揚げる、蒸す、焼く、さまざまなかたちで調理された「知多ペコロス」を、まるごと味わってみてください!

 皆様のお越しを心よりお待ちしております!

*https://www.pref.aichi.jp/site/kaidou/pekoros.html より

 

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<料理用語-和食> 紅白膾蒸し

2024-06-08 07:50:07 | 料理用語

 「紅白膾蒸し」

 主に祝事に出す椀種である。

 白髪に打った大根と人参をそれぞれ三つ葉や竹皮で結び、卵白を流した魚皮に並べて蒸す。

 紅白膾(こうはくなます)は、正月などに広く使われる大根と人参の酢の物。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/014.html より

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<異名-食べ物> 鉄砲

2024-06-08 07:47:37 | 異名

 「鉄砲 河豚」

 フグ(河豚、鰒、鮐、魨、鯸、鯺)は、フグ目、特にフグ科に属する魚の総称。

 およそ120種の魚がフグ科に分類されます。そのうち食用とする種として、トラフグ、マフグなどが有名です。

 また、食用可能な部位はフグの種類や漁獲場所によって異なるため、素人によるフグの取扱いや調理は危険です。

 そのため、「たまに(偶に)当たる」を「弾に当たる」「当たると死ぬ」に掛けた洒落から「てっぽう(鉄砲)」と呼びます。

 また、「てっさ(てっぽうのさしみ)」「てっちり(てっぽうのちり鍋)」という料理名はここから来ています。

*https://www.alias-food.com/seafood/gun より

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<難読漢字-鳥類> 鵲

2024-06-08 07:43:29 | 難読漢字

 「鵲 かささぎ」

 カササギ(鵲、Pica pica)は、鳥綱スズメ目カラス科に分類される鳥類。近年はP. picaから、P. asirensis・P. bottanensis・P. mauritanica・P. sericaを分割する説が提唱されている。

 日本
 古代
 古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。

 しかし、七夕の架け橋を作る伝説の鳥として、カササギの存在は日本に知られることとなった。奈良時代の歌人大伴家持は七夕伝説に取材した下記の歌でカササギを歌っている。(『新古今和歌集』・『小倉百人一首』に収載)

 鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける
 七夕のカササギの伝承は日本では「サギと付くからサギの仲間だろう」と思われたため、カササギではなくサギで代用されている。

 現代では「鵲」は鳥類のカササギを指す文字として使用されているが、古代における「鵲」の意味と読みは特定されていない。例えば『日本書紀』には、飛鳥時代の推古天皇6年(598年)、聖徳太子の使者として新羅に渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の「鵲」を持ち帰り献上、難波の杜(大阪市にある鵲森宮や生國魂神社などが比定地)で飼ったという記述がある。この日本書紀の「鵲」には万葉仮名が振られておらず、「かささぎ」という読みが初めて登場するのは平安時代中期の『和名類聚抄』である。

 江戸時代以降
 現在日本に生息するカササギは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前国の佐賀藩主鍋島直茂、筑後国(現福岡県)の柳川藩主立花宗茂など九州の大名らが朝鮮半島から日本に持ち帰り繁殖したものだとされる説がある[2]が、持ち帰りに関して記録した文献が無く、真相は不明である。一方、佐賀・柳川両藩では主に17世紀に入ってから、地誌や産物帳などに目撃例や生息地、生態に関する記録がみられるようになる。江戸時代には「朝鮮がらす」「高麗がらす」「とうがらす」の別称があり、当時の生息範囲は柳河藩と佐賀藩の周辺の非常に狭い地域に限られていた。また、佐賀藩では狩猟禁止令により保護されていた。また、佐賀県では県民からの一般公募により、1965年(昭和40年)に県鳥とされたほか、陸上自衛隊目達原駐屯地のシンボルマークにもあしらわれている[24]。また、先述のとおり佐賀県の生息域は国の天然記念物に指定されている。

 その一方で、冬には朝鮮半島から対馬に渡ってくる個体があるほか、ミヤマガラスの大群にカササギが混じっていることがあるという観察結果から、渡ってきたカササギが局地的に定着したという意見もある。

 中国
 七夕伝説における織姫と彦星の間をつなぐ掛け橋の役を担う鳥として、親しまれている。なお、現代中国語では「喜鵲」と表記する。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手出し十層倍 など

2024-06-08 07:39:53 | 慣用句・諺

 「手出し十層倍-てだしじっそうばい」

 いちばん初めに争いなどをしかけた者の罪は、他の者の十倍にあたるということ。

 

 「手玉に取る」

 手玉をもてあそぶように、人を思いどおりにあやつる。

 

 「鉄鎚を下す-てっついをくだす」

 厳しい制裁を加える。

 

 「鉄桶水を漏らさず-てっとうみずをもらさず」

 団結や守備が堅固で、少しのすきもないことのたとえ。

 

 「哲婦城を傾く-てっぷしろをかたむく」 

 《「詩経」大雅・瞻卬から》賢く才のある婦人は、いろいろと口出しをするので、国を衰えさせ、家を滅ぼすもとになる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 加藤嘉八郎酒造

2024-06-08 07:33:46 | 日本酒

 「加藤嘉八郎酒造」

 明治5年からの創業を受け継ぎ、調和のとれた酒質と豊かな吟香を誇ります。
 庄内平野の南西に位置する大山は江戸初期より本格的な酒造りが始まり、往時数十軒の酒蔵が軒を連ね、広島の西条、神戸の灘と共に酒どころとして並び称せられた。当社はこの地に明治5年創業し今日まで営々として大山酒の伝統を受け継ぎ、然も近代的な手法を取り入れた酒造りにより調和のとれた酒質と豊かな吟香を誇り、全国に販路を拡げてまいりました。

 加藤嘉八郎酒造 山形県鶴岡市大山三丁目1-38

 代表銘柄

大山 吟雅凛匠

酒 別 純米大吟醸
アルコール度 16.5
原料米 山田錦
精米歩合 40%
日本酒度 +0.5~+1.5
酸 度 1.35~1.45

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<四国八十八箇所> 第69番札所 観音寺

2024-06-08 07:24:55 | 巡礼

 「観音寺」

 観音寺(かんのんじ[1])は、香川県観音寺市(かんおんじし)にある真言宗大覚寺派の寺院。七宝山(しっぽうざん)と号す。本尊は聖観音菩薩。四国八十八箇所第六十九番札所。六十八番札所神恵院(じんねいん)と同じ境内にある。なお、市名は「かんおんじし」であるが、寺名は「かんのんじ」である。

 本尊真言 : おん あろりきゃ そわか
 ご詠歌 : 観音の大悲の力強ければ おもき罪をも引きあげてたべ
 納経印:当寺本尊、愛染明王
 歴史
 伝承によれば、大宝年間(701年 – 704年)に、法相宗の日証が琴弾山で修行をしていたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人が八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付けた。その神宮寺として当寺は建立され神宮寺宝光院と称していた。

 寺伝によれば、行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年 (807)空海(弘法大師)が第7世住職として入山し、奈良の興福寺を模して、中金堂(ちゅうこんどう)に聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、丈六の薬師如来を納めた西金堂(さいこんどう)や弥勒菩薩を納めた東金堂(とうこんどう)など七堂伽藍を整備し、さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃・珊瑚・瑪瑙などの七宝を埋め地鎮したことから、名称も七宝山観音寺と改めたという。その後、院号は神恵院に改められている。 そして、桓武天皇はじめ三代の天皇の勅願所となり、室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が45年間住職を務めるなど隆盛を誇った。

 伽藍

 山門(仁王門):日本遺産の石碑が当山門には日本で唯一両脇に2つ設置されている。
 本堂:中金堂で本堂。本尊は秘仏で、文化財調査の時でも住職はわざに外出していた程の秘仏であったが、2014年記録の無い初めての開帳がされ、さらに2023年12月に開帳、今後は10年に一度開帳予定。
 大師堂:大師像を拝顔できる。
 愛染堂:愛染明王は修復され2017年5月14日開眼法要が行われた。真言は「うんたきうんじゃく うんしっち」。
 薬師堂:元神恵院本堂で、西金堂である薬師堂。本尊は大きな薬師如来坐像、向かって右脇には胎蔵大日如来坐像。
 心経殿:コンクリート製の多宝塔で、本尊は金剛界大日如来坐像
 五智如来石像
 開山堂(東金堂):弥勒菩薩が祀られている。
 大日堂:開山堂の向かって右にある。
 経塚堂:薬師堂の向かって右にあり。文化財級であるが指定はされていない。
 宝物館:重文の涅槃釈迦涅槃像が収められている。
 鐘楼堂:天井裏に細かな彫物がされている。
 西国三十三所の写し石仏:天保11年(1840年)建立。本堂の向かって右より本堂背後の上の壇から薬師堂の左までにかけて配置されている。
 仁王門をくぐり参道を進み石段を上りきると正面に愛染堂、その左に大師堂、右手に鐘楼堂、さらに右奥に本堂がある。愛染堂の右の五智如来石像の右の石段を上ると正面に薬師堂がある。

 梧桐庵:Cafe&遍路グッズ販売
 宿坊:なし
 駐車場:山門前に無料であり。

 文化財
 重要文化財
 本堂(附:厨子、棟札):昭和34年6月27日指定
 寄棟造、本瓦葺き。室町時代建立の前身堂の部材を用いて延宝5年(1677年)に建立されたもの。重要文化財指定名称は「観音寺金堂」。
 木造釈迦涅槃仏像 :明治34年3月27日指定
 藤原時代末期作、像長74.0 cm、像高18 cm、ヒノキ材、寄木造り・目は彫眼・頭は蜾髪、彫像の涅槃仏で中世にさかのぼる稀有な例である。
 絹本著色不動明王二童子像:明治34年3月27日指定
 香川県立ミュージアム寄託。
 県指定有形文化財
 木造大日如来坐像(伝・聖観音)・薬師如来坐像・釈迦如来坐像:昭和44年4月3日指定
 大日如来坐像は当寺の本尊(伝・聖観音)で像高103.0 cm、平安時代(11世紀)の作。法界定印に蓮華を持し胎藏大日如来と聖観音が一体となる姿であるという。その左右に安置される薬師如来坐像(向かって左)と釈迦如来坐像はともに像高75.0 cm、平安時代(11 – 12世紀)の作。以上3躯ともに木造漆箔で、1基の宮殿(扉はそれぞれ別)に安置され開扉記録のない秘仏であったが、2014年に一般公開された。
 絹本著色両界曼荼羅図:昭和44年4月3日指定
 観音寺市指定有形文化財
 木造金剛界大日如来坐像:昭和41年1月13日指定
 浄土九品曼荼羅図:昭和53年12月19日指定
 弘化録:昭和53年12月19日指定

 観音寺  香川県観音寺市八幡町一丁目2番7号

*Wikipedia より

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