いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 トイモガラ -追記あり-

2024-06-27 08:11:27 | 伝統野菜

 「トイモガラ」

 由来
 栽培起源は不明だが,明治時代から継承栽培されている。
 ハスイモの葉柄(ずいき)のことを鹿児島ではトイモガラと呼んでいる。
 日陰でよく育ち,葉は一見さといものような形をしているが,根から葉先まで青々としているのが特徴で,茎に包丁を入れるとスポンジのように空気を含んだ無数の穴が通っている。
 太い割にもろいトイモガラを人に例え,見かけだけで心身共にもろい役立たずの人を鹿児島では「いもがらぼくと」と呼んでいた。
 野菜の不足する夏,生でよし,煮てもよし,独特のシャリ感のあるトイモガラは根強い人気がある。案外「いもがらぼくと」もそのような存在だったのかもしれない。
 作物の特徴・特性
 生育等は,さといもと同じ,長いもので1.8m位伸びる時もある。年柄によっては花が咲くこともまれにある。
 収穫を間違えると苦い。午前中早い時間に収穫。
 味や料理法
 料理は,皮を必ず剥く。
 刺身のつま。キュウリ等を合わせて酢の物。
 適当に刻み味噌,醤油汁。煮染め「どんな材料と合わせても良い味がでる」。
 鶏(かしわ)汁に最適。ソーメンと煮込み汁。
 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/toimogara.html より

 

 「トイモガラ」

 【生産地】姶良町など

 【特徴】ハスイモの葉柄(ずいき)のことを鹿児島では「トイモガラ」と呼んでいる。外観は一見、里芋(さといも)のような形をしており、長いもので1.8m位まで伸びるものもあるが、根から葉先まで青々としており、茎に包丁を入れるとスポンジのように空気を含んだ無数の穴が通っているのが特徴である。年によっては花が咲くこともまれにある。日陰でよく育つ。午前中早い時間に収穫する。収穫のタイミングを間違えると苦い。

 【食味】野菜が不足する夏には、独特のシャリ感のあるトイモガラは根強い人気がある。味は淡白でクセがなく、食感を楽しむ。

 【料理】生食でも煮ても良いが、必ず皮をむく。刺身のつま。キュウリ等を合わせて酢の物。適当に刻んで味噌,醤油汁、煮染め、鶏(かしわ)汁、煮込み汁などさまざま料理に合う。

 【来歴】詳細は不明だが,明治時代から継承栽培されている。鹿児島では、見かけだけで心身共にもろい役立たずの人を鹿児島では「いもがらぼくと」と呼んでいた。

 【時期】6月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_OZ2rwYG2 より

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< 郷土料理 > 栃木 小麦まんじゅう

2024-06-27 08:07:37 | 郷土料理

 「小麦まんじゅう」

 主な伝承地域 栃木県全域

 主な使用食材 小麦粉、小豆

 歴史・由来・関連行事
 「小麦まんじゅう」は、小麦粉で作った皮で小豆あんを包み蒸したもの、単にまんじゅうとも、また、炭酸(重曹)を加えて作られるため、「炭酸まんじゅう」とも呼ばれ、昔から各家庭で作られてきたふるさとの味である。
 栃木県は、二毛作で麦の作付けも多く、古くから小麦を使った料理が人々に親しまれてきた。小麦まんじゅうも年中行事や冠婚葬祭の日には欠かせない料理の一つとなっている。特に、小麦収穫後の新鮮な小麦粉が出回る盆行事には欠かせない料理だった。
 旧暦7月1日は「釜蓋朔日(かまのふたついたち)」と呼ばれ、「地獄の蓋が開く日」とされ、この日「釜蓋」に供えるまんじゅうを「釜蓋まんじゅう」といった。ご先祖様が迎え盆の13日に間に合うように帰るため、地獄の窯の蓋が開くと言われる釜蓋朔日にあの世を出発すると言い伝えられ、ご先祖様が腹を空かせることのないよう、釜蓋まんじゅうを供える。

 食習の機会や時季
 栃木県は、台地や二毛作田が広がり日本有数の麦作地帯である。6月ごろから始まる大麦や小麦の収穫は7月まで続き、盆前に挽きたての小麦粉が出回るので盆にはまんじゅうやうどんなど小麦粉を用いた料理が作られた。

 飲食方法
 小麦粉に重曹を入れふるいにかけ、砂糖水を加えながら、耳たぶより柔らかな生地を作り、あんを包み込んでまんじゅうを蒸し上げる。近年は皮にカボチャやほうれん草、春菊などをペースト状にして加えて作ることも多く、色や香り、味ともにバラエティーに富んだまんじゅうが楽しめる。他にも、白砂糖のかわりに黒糖を使うと茶まんじゅうになる。あんも小豆だけではなく、味噌あんやサツマ芋あんなどを応用して作っている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 県内の農村直売所で、手作りの小麦まんじゅうが販売されることが多い。また、宇都宮市内の市民活動団体は、郷土料理教室を通じて、小麦まんじゅうをはじめとする伝統料理の保存、伝承を行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/31_7_tochigi.html より

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<B級ご当地グルメ> 栃木 にらやきそば

2024-06-27 08:04:12 | B級ご当地グルメ

 「にらやきそば」

 都道府県 栃木県
 地域 鹿沼市
 推進団体 
 概要 「にらやきそば」は、栃木県鹿沼市のB級グルメ。
 鹿沼市は、県内一の生産量を誇るニラの産地。厚く、歯ごたえもあって甘いと自慢のニラをふんだんに使った焼きそば。

*https://b9navi.com/%e3%81%ab%e3%82%89%e3%82%84%e3%81%8d%e3%81%9d%e3%81%b0/ より

 ただそれほど広がりはみせてないようです。

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うまいッ! NHK「濃厚な脂とプリプリ食感 明石鯛~兵庫・明石市~」

2024-06-27 07:57:37 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「濃厚な脂とプリプリ食感 明石鯛~兵庫・明石市~」 2016年11月20日

 番組内容
 全国的にも名高い兵庫県明石市の鯛(たい)。春に獲れる桜鯛に比べ、秋に水揚げされる紅葉鯛は、より脂が乗っていて濃厚な甘みを味わうことが出来ます。春に産卵を終えた鯛は、夏から秋にかけてエビやカニなどの豊富なエサを食べて、秋に最高の状態を迎えるからです。産地を訪ね、おいしさの秘密を探ります。さらに、秋の鯛をおいしく味わう、地元ならではの料理法も紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201611200615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「明石鯛」

 兵庫県明石市周辺で水揚げされる、日本有数の高級魚である明石鯛。その魅力について明石浦漁業協同組合の土井祐介(どいゆうすけ)さんに教えてもらった。

 明石鯛とは、兵庫県明石市周辺で水揚げされている真鯛を指す。明石鯛が高級魚として人気なのは、明石の眼前の明石海峡*の地の利にあるという。

 明石海峡は、潮の流れが急であり、特別な海の流れ(イヤニチ)を起こして、海の深みに沈む栄養源を海面に届け、鯛のエサとなるエビやカニなどの甲殻類が豊富に育ち、浅い所は魚介類が豊富な天然の生簀(いけす)となっている。明石鯛は、それらを食べて育ち、かつ、早い潮流を泳ぐことから身が引き締まり、旨味が強くなることで、真鯛の中でも格別のおいしさを持つと言われている。

 特に明石港で水揚げされた鯛は、1尾1尾丁寧に扱い、独自の処理を施すことで個体の鮮度を保持したまま消費者の手元に届けることを実現しているという。

 明石鯛は、その風味、食感の素晴らしさから、一流料亭や高級レストランなどで提供されることが多く、お造り(刺身)や寿司を始め、さまざまな料理に使われている。

 また、その人気の理由は、外観の美しさにもある。アイシャドウと呼ばれる目の上に青く化粧を施したような模様があることや、青い斑点を散りばめた薄ピンク色の身体をしていることから、「磯の女王」と形容されることも。特に春頃に水揚げされる明石鯛は、春に咲く桜の花の色に似た美しい桜色であることから「桜鯛」とも呼ばれ、縁起物として重宝されている。

 明石は、鯛のみならず、タコ(明石蛸)も有名だ。また、世界屈指の長さ(3911メートル)を誇る明石海峡大橋も臨める。機会があれば、明石をぜひ訪ねて、明石鯛を始めとする海産物や海を臨む美しい景色を堪能してほしい。

* 兵庫県明石市と淡路島(あわじしま)に挟まれた幅約4キロメートルの海峡。

*https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202305/202305_02_jp.html より

「食べるだけでなぜかめでたい"桜鯛"」

 
 春になると、気候のせいか、なぜか街が華やいで見えます。街を闊歩する人達も春の陽気とともに行動的になるようにさえ思えるのです。何はともあれ、春はめでたいと言いたくなりそうなので、今月は"桜鯛"を旨いもんとして取り挙げることにしました。日本人は昔から語呂合わせが好きなようで「めでたい」と称し、祝い事に鯛を用いてきました。鯛は、スズキ目タイ科の総称で、クロダイ・キダイ・アカレンコなどがありますが、一般的には真鯛を指すことが多く、「真鯛こそ、魚の王様」と言う人が多いのも我が国の特徴でしょう。鯛を魚の王様とみなすのは日本独自のようで、フランスでは釣れた場合は外道と言われ、あまり評価が高くないからです。ところが、日本では赤い色がめでたいとされ、七福神の恵比須様は鯛を釣り上げた姿になっているのです。江戸時代には、将軍家では"大位"とし、宮中でも"高位"と書いてそれを持て囃して来ました。
 春になると、日本人は桜の花見をしてきた歴史がありますが、その頃に貴ばれるのが"桜鯛"です。桜鯛を調べてみると、「桜の花が盛りの頃に産卵のため内湾に群集する鯛」と記されています。瀬戸内海では、特にこの季節の鯛を好むようで、花見鯛とも呼んで日本代表の花・桜を重ね合わせていいイメージで伝えています。産卵期を迎える前の真鯛は、ピンク色に色づくため、その色合いが"桜"を連想させるとの説もありますが、私は春=気候の良さ=桜の三つのイメージを重ねて名づけているように思えます。
 真鯛は雌雄同体の魚で、温かい地域では2月頃から産卵期を迎えます。瀬戸内で"桜鯛"とも"花見鯛"ともいい、春の真鯛を持て囃すのは、4~5月頃が産卵期で、美味しいとされているからでしょう。魚は産卵が終わるとエネルギーを使い果たし、栄養も子に与えてしまった後なので身が痩せてしまいます。その後、沢山食べて徐々に太って行き、秋を迎えるのです。鯛には旬が二回あるといわれ、もう一つの旬が太って脂が乗った秋、つまり"紅葉鯛"と呼ばれる季節がそれにあたります。実は、紅葉鯛の方が旨いという美食家は多いようで、この季節の鯛はどんな料理にも向くとされ、色々な調理法で食されます。一方、桜鯛は卵や白子が入っていることがあり、それがこの時季の特徴ともいわれ、卵や白子を好む人もいます。紅葉鯛に比べると、脂が少ないので蒸し物や煮物、汁物に向いているようです。
 一嘗三嘆(いっしょうさんたん)なる言葉は、俳人・正岡子規が清水則遠に宛てた手紙の中に出てくるもので、彼は「松山の鯛料理を一口食べると、何度も感動するほど美味しい」との意味をこめてそう表現していたのです。松山も神戸も瀬戸内海地域には違いありません。瀬戸内の東側で獲れた播磨灘の鯛をこの時季に味わい、我々も"一嘗三嘆"と誰かに伝えたいものです。
 さて「さかばやし」では、4月に播磨灘や瀬戸内で獲れる"桜鯛"を今月の旨いもんとして献立に用いることにしました。会席料理の一部にもそれを用いますし、一品料理としても提供する予定となっています。ぜひこの機会に、「何はともあれめでたい」という桜鯛をご賞味ください。

*https://www.shushinkan.co.jp/news/4%E6%9C%88%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%BE%E3%81%84%E3%82%82%E3%82%93%EF%BC%8F%E6%A1%9C%E9%AF%9B.html より

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<料理用語-和食> 五色-五色揚げ

2024-06-27 07:50:35 | 料理用語

 「五色揚げ」

 元々は種々の野菜を揚げる精進料理。
 人参、牛蒡、蓮根、薩摩芋、隠元など様々な色を持つ野菜を精進揚げにするか、上記の野菜に三つ葉、椎茸、葱などを加えて刻んだものをかき揚げにする。

 もう一つのやり方は「変わり揚げ」の一種であり、衣の色で五色を表現する。新挽き粉の白色、干し湯葉の黄色、もみ海苔の黒色、京人参やパセリのを刻んだもので赤や緑の衣にする。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/029.html より

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<異名-食べ物> キリストの身体

2024-06-27 07:48:04 | 異名

 「キリストの身体 パン」

 パンは、小麦粉やライ麦粉などに水、酵母、塩などを加えて作った生地を発酵させた後に焼いた食品。

 そんなパンが「キリストの肉」「キリストの身体」とも言われる由来ですが、「最後の晩餐」でのワンシーン。

 カトリック教会と正教会では、伝統的に聖体のサクラメントを7つある秘跡・機密の一つとし、「聖変化」という思想を尊重してきました。

 この聖変化とはパンとワインがミサの中で実際にキリストの体と血に変わるという教義で、『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」』と発言したことに由来します。

*https://www.alias-food.com/other/meat-of-christ より

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<難読漢字-鳥類> 鸛

2024-06-27 07:45:26 | 難読漢字

 「鸛 こうのとり」

 コウノトリ(鸛、Ciconia boyciana)は、鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属に分類される鳥類。

*Wikipedia より

 「コウノトリ」の語源
 『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房 2010 『こうのとり」の項目には「鸛は中国語で、「鸛、カン+の+鳥」が語源です。ンの表記のないころの日本読みで、コウと読んだ語です。鸛鶴(こうづる)とも、いいます。」とあり。
 『語源辞典 動物編』東京堂出版 2000 「こうのとり 鸛・鶴」の項には「歴史仮名はカウノトリ。『大言海』に「カウ」は鸛の音なるクヮヌの転」とあるようにクハン→ クヮン→ カン →カウ→ コウ の音変化と見られる。(後略)」とある。 

*https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000141169&page=ref_view より

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<慣用句・諺> 手を延ばす など

2024-06-27 07:27:08 | 慣用句・諺

 「手を延ばす」

 その分野などに新たに進出する。

 

 「手を伸べる」

 ⇒伸べる1㋑-(「手をのべる」の形で)対象に向かって届かせるように手をのばす。積極的にさし出す。さしのべる。

 

 「手を離れる」

 1 その人の所有・管理でなくなる。

 2 世話や看護が必要でなくなる。

 

 「手を引く」

 1 手を取って導く。

 2 続いていた関係を断ち切るなどして退く。

 

 「手を翻せば雲となり手を覆せば雨となる-てをひるがえせばくもとなりてをくつがえせばあめとなる」

 《杜甫「貧交行」から。手のひらを上に向けると雲がわき、手のひらを下に向けると雨が降る意》人情が変わりやすく、頼みがたいことのたとえ。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 福島 名倉山酒造

2024-06-27 07:20:51 | 日本酒

 「名倉山酒造」

 名倉山酒造株式会社(なぐらやましゅぞう)は、福島県会津若松市の清酒製造業を行う酒蔵。

 概要
 社名と同じ『名倉山』、『善き哉』、『月弓』などの銘柄で有名である。

 名倉山酒造 福島県会津若松市千石町2-46

*Wikipedia より

 代表銘柄

名倉山 大吟醸
鑑評会出品に向け、最高の原料・技・条件で造られた酒。フルーティーな香りと抵抗感のない飲み口が好評です。

原料米/山田錦
アルコール度数/16~17%未満
日本酒度/+4
精米歩合/45%
酸度/1.1

純米吟醸 善き哉(よきかな)
吟醸仕込みで贅沢に造りました。酸味がありながら軽さと柔らかみが感じられる、飲み飽きない酒です。

原料米/山田錦
アルコール度数/16%
日本酒度/-3
精米歩合/50%
酸度/1.3

純米吟醸 月弓(げっきゅう)かほり
華やかな香りに特徴を持たせ、さわやかな果実香の印象後にお酒本来の馥郁とした味わいがひろがります。

原料米/夢の香
アルコール度数/15%
日本酒度/-1
精米歩合/55%
酸度/1.2

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<四国八十八箇所> 第88番札所 大窪寺

2024-06-27 07:12:51 | 巡礼

 「大窪寺」

 大窪寺(おおくぼじ)は、香川県さぬき市多和兼割にある真言宗の寺院。医王山(いおうざん)遍照光院(へんじょうこういん)大窪寺と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第八十八番札所であり、納経印は「結願所」(けちがんしょ)となっている。本寺では結願証明書(賞状)を有料で書いてもらうことができる。

 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌:南無薬師諸病なかれと願いつつ 詣(まい)れる人は大窪の寺(てら)
 納経印:当寺本尊、五大明王、奥之院胎蔵峯寺、弘法大師
 歴史
 寺伝によれば、奈良時代の養老年間(717年 – 724年)に行基がこの地を訪れたとき悪夢を感得し草庵を建て修行をしたのが開基とされ、弘仁年間 (810年 – 823年) に唐から帰朝した空海(弘法大師)が現在の奥の院にある岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、谷間の窪地に堂宇を建て等身大の薬師如来坐像を刻んで安置し、また恵果阿闍梨から授かった三国伝来の錫杖を納めて、窪地にちなみ「大窪寺」と名付けたとされている。

 その後、真済僧正が住職のころ寺領百町四方を結界とし大きく隆盛し、また、女人の参詣を許して勧請を授けたので女人高野として栄えた。

 戦国時代の兵火については文献により異なる。

 1.『南海通記』や『長尾町史』では天正2年に三好長治の軍勢が安富氏とともに寒川氏の昼寝城攻めをするも失敗した際に昼寝城の味方をした寺に火を放ったものであるとされている。
 2.寺の由緒を記した『大窪密寺記』(元禄十年頃)では乱れた世の騒乱で金像・建物が頻りに焼かれ、一院のみとなっていたところに盗賊の頭である土佐の長曾我部元親が入寇(原文)、僅かな宝物も掠め取られたとある。
 3.現在の寺の説明では、長曾我部が侵攻してくる前に寺が再建されていたとし、その再建されていた建物も宝物も悉く長宗我部が焼いたとされている。
 2,3は昭和以降に改竄されたようである。『大窪密寺記』では長宗我部の雑兵が一夜の宿に火を放ったとあるが三好と寒川の戦いにおいての記録がないことの不自然さや長宗我部の雑兵が燃やしたなどの記述は六萬寺のものと酷似しており、悪いことは全て長宗我部の所業とするという、後世の創作の可能性を考慮すべきである。

 また、明治33年の大火で苦難を受けたときもあるが結願霊場として法灯を守っている。

 伽藍

 山門(二天門) - 楼門(元禄年間に再建)
 仁王門 - 二重門
 本堂 - 礼堂、中殿、奥殿(多宝塔)からなる。
 「薬師如来本願功徳」の扁額の薬の11画と12画が書かれてないのは奉納者が願掛けしたためである。
 大師堂 - 1階には通常姿の大師像と両脇に四天王像、地下殿には剣を持った秘鍵大師坐像を祀り、また、四国八十八ヶ所の本尊仏像が並ぶ。
 阿弥陀堂 - 阿弥陀如来坐像を拝観できる。
 己王大明神祠
 五大明王石像 - 厄除け不動を中心に四明王はレリーフ石像。
 宝杖堂(ほうじょうどう) - 結願した遍路の金剛杖が奉納され、毎年春分の日と8月20日に柴灯護摩供の焚き上げが行われる。
 原爆の火 - 1988年10月24日より
 心経塔
 歌碑句碑 - 「あなうれしゆくもかへるもとどまるも われは大師と二人づれなり」が本堂の右前にある。山頭火「ここが打留の水があふれてゐる」が阿弥陀堂の右前に、「今迄は大師とたのみし金剛杖 つきて収める大窪の寺」が左前にある。年尾「一つ長き夜の藤房をまのあたり」が二天門をくぐって右へ行った庭園の縁にあり、田打男「西安の月長安の月おぼろ」が二天門から本堂前の石段の右にある球体に刻まれている。
 標高450m辺りにあり八十八箇所中8番目の高さのため厳冬期は積雪に注意が必要である。山門は南側から石段を上がった所にある木造の二天門と平成2年(1990年)に完成した西側から入る鉄筋の仁王門の2つがある。本堂は二天門の正面にあり、大師堂は仁王門の正面上にある。納経所は本堂の左手にある。

 宿坊:なし
 駐車場:山門下の東側に大駐車場あり、仁王門側境内にも約10台の駐車場あり、さらに西側の離れたところに大駐車場あり。いずれも無料。

 文化財
 この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(蜾髪の1文字目)が含まれています。
 国の史跡
 讃岐遍路道 大窪寺道
 長尾寺から当寺に至る遍路道のうち、以下の区間と建造物が指定された。2021年3月26日指定。
 1.多和相草の県道3号額峠(標高364 m地点)の65丁石付近から始まり、天体望遠鏡博物館付近から国道377号に入り当寺に至る車道に沿った遍路道のうち未舗装部分で保存状態のよい6区間の丁石や遍路墓などの石造物も含む合計約1.5 km
  1.65丁→63丁
  2.35丁→33丁
  3.34丁→32丁
  4.16丁→15丁
  5.12丁→11丁
  6.8丁→7丁(いづれもその付近)
 2.義染房庵跡:紀州伊都郡加勢田庄東村の教翁義染房が一万五千人の遍路に接待したことを刻した供養碑が文化13年(1816年)に建てられた。(56丁付近)
 3.一夜庵(43丁付近)
 4.一丁石(1丁)

 県指定有形文化財
 木造薬師如来坐像
 本尊で、本堂奥殿(多宝塔)に日光・月光菩薩と共に厨子に安置される。総高170.8 cm、像高89.3 cmで、本体はカヤ材、蜾髪はヒノキ材、一木造り、彫眼である。奈良時代末期(8世紀)の作とみられる。手には薬瓶でなく法螺貝を持っていたが、傷みが激しく法螺貝の形に造られた水晶に差し替えられている。改装され仏画が壁面に描かれた奥殿と修繕された本尊は2014年(平成26年)から翌年5月までの毎月8日から12日に五十年ぶりの開帳が行われた。2006年2月10日指定。
 鉄錫杖:2007年3月30日指定。
 さぬき市史跡
 大窪寺奥の院信仰遺跡
 香川の保存木

 大窪寺のイチョウ:樹高 26 m、胸高幹周 7.23 m、 枝張り 22.3×15.9 m 、平成3年3月29日指定
 大窪寺のサザンカ:バス停の所にあり、樹高 6.5m、枝張り 10.5×10.1 m 、昭和61年3月18日指定

 大窪寺 香川県さぬき市多和兼割96番地

*Wikipedia より

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