いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 さつま大長レイシ -追記あり-

2024-06-19 09:20:33 | 伝統野菜

 「さつま大長レイシ」

 由来
 我が国における”にがうり”の栽培は,江戸時代から行われていた。鹿児島では,瓜を「ゴイ」とか「ウイ」と呼び,”にがうり”を「ニガゴイ」と呼ぶ。
 大長レイシ(おおながレイシ)は,昭和初期には,既に県内各地で栽培されており,昭和50年代頃までは各地でよく見かけていた。
 作物の特徴・特性
 果長35~40cmと細長い。果皮色は白緑色や緑色である。
 味や料理法
 現在の栽培品種よりは,苦みは強い。薄切りして湯通しする,油炒め,卵とじ等。
 
 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/oonagareisi.html より

 

 「さつま大長レイシ-さつまおおながれいし」

 【生産地】鹿児島全域

 【特徴】苦瓜(にがうり)の一種。長形で果長35~40cmと細長くなる。果皮色は白緑色や鮮緑色である。両端が紡すい状に細くとがる円筒形タイプ。生育旺盛で着果がよく、多収。

 【食味】果肉は硬めで歯応えが良い。現在の品種よりもやや苦みが強く感じられる。若い果実に苦味がある。

 【料理】主として油炒め料理に使われる。薄切りして湯通する。油炒め、卵とじ等。

 【来歴】鹿児島では,瓜を「ゴイ」とか「ウイ」と呼び、苦瓜を「ニガゴイ」と呼んだりする。「レイシ」とも呼ばれる。「苦瓜」は、アジアの熱帯地方原産で、国内でも暑い地域での需要が多く、沖縄、九州、四国などの西南暖地で多く栽培されている。栽培は,江戸時代から行われていた。大長レイシ(おおながレイシ)は,昭和初期には,既に県内各地で栽培されており1965(昭和40)年代までは県内各地に多種な系統が見られ、1975(昭和50)年代頃までは各地で栽培されていた。

 【時期】7月~9月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_yiMY5TYM より

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< 郷土料理 > 茨城 あんこうの共酢

2024-06-19 09:02:24 | 郷土料理

 「あんこうの共酢」

 主な伝承地域 北部地域

 主な使用食材 アンコウ、味噌

 歴史・由来・関連行事
 ゆでたアンコウを肝入りの酢味噌につけて食べる郷土料理。
 アンコウは茨城県の地場産品で、質の良い常磐ものとしての評価も高い。江戸時代には水戸藩からの献上品とされるなど、茨城県沖合いでは昔からアンコウ漁が盛んにおこなわれてきた。アンコウ料理は他県でも食べられるが、共酢につけて食べる「あんこうの共酢」は茨城県特有のものである。
 茨城県では、アンコウを使った料理が多彩。観光客から人気のある「どぶ汁」は、水を使わず、大根などの野菜や味噌でつくり,アンコウの肝が溶け出して汁がどぶのように濁ることからこの名が付いたという説もある。一般家庭では「あんこう汁」や「あんこう鍋」としての利用が多い。また、アンコウの肝は江戸時代には五大珍味「三鳥二魚」(ひばり、ばん、鶴、アンコウ、タイ)に数えられており、いずれも冬の郷土料理として広く知られている。

 食習の機会や時季
 アンコウは、「西のフグ 東のアンコウ」と並び称される茨城県を代表する冬の味覚である。主に水揚げがおこなわれる11月から3月に食べられるが、12月から2月にかけてが特に肝が肥大するため味が良いとされている。「あんこうの共酢」は、北部地域で馴染みの深い食べ方で酒の肴として親しまれている。アンコウは骨やあご、眼球以外は余すところなく食べることができるが、皮にぬめりが多いため、つるして回しながら捌く方が速く、つるし切りが一般的である。北茨城市では水揚げの時期になると吊るし切りの観覧イベントなども開かれている。

 飲食方法
 アンコウの7つ道具といわれる部位(身、ヒレ、皮、肝臓、エラ、胃袋、卵巣)をゆでて、酢味噌とアンコウの肝を練り合わせたタレをつけて食べる。さまざまな部位があるため食感を楽しめる。付け合わせとしてわかめをそえることが多い。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 水揚げの時期に、つるし切りの観覧イベントが開かれている。地元の観光協会や県のホームページで、沿岸部を中心にアンコウを提供する飲食店や宿泊施設を紹介しており、茨城県の冬の風物詩として大々的に発信されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ankounotomozu_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 群馬 タルタルカツ丼

2024-06-19 08:57:17 | B級ご当地グルメ

 「タルタルカツ丼」

 1886(明治19)年創業の板鼻館。
 1925(大正14)年に始めたカツ丼を一ひねりし、2005年に提供を始めた「タルタルカツ丼」。
 2011年6月に商標を登録した「タルタルカツ丼」。

 板鼻館 群馬県安中市板鼻2-4-36

 

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うまいッ! NHK「やわらかジューシー 松山長なす~愛媛県~」

2024-06-19 08:42:20 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「やわらかジューシー 松山長なす~愛媛県~」 2016年09月25日

 番組内容
 松山長なすは、松山市周辺でつくられている郷土野菜。全長40cm、重さ300gと驚くほど細長いのが特徴で実の肉質はやわらかく、ジューシーな味わいが楽しめる。もともとは昭和の初めに在来品種の「竹原長なす」からつくられたもの。現在生産している農家は77軒。全国なす総生産量のうち0.1%にも満たない希少なす。生産者を取材し、うまさの秘密を探る。また、その長さと味を生かした地元ならではの料理を紹介。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201609250615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「松山長なす」

 特長1 果皮も実も柔らかく、甘みがあって、食味がいい!

 特長2 煮てよし、漬けてよし、焼いてよし、揚げてよしと四拍子揃う。

 特長3 食べ方は“旬”の特性を活かそう。

 特長4 温暖な道後平野が育んできた特産品。

 品種特性
 〇通常の千両・筑陽に比べ、平均40cmと果実が長く、皮、実がやわらかい。

 〇風等によるキズがつきやすく、また果実が長いため、曲がりやすいといった栽培の難しさもあります。

 〇皮と実が特に柔らかい8月までは塩もみ等、9月以降の秋なすは油いためなど収穫時期によって違う料理が楽しめます。

 来歴
 <栽培の確立>
 〇夏秋なすは、戦後伊予市や伊予郡の海岸を中心に栽培が始まり、当初は油紙を利用した温床育苗による栽培でしたがビニール温床、ビニールトンネル栽培へ移行し、現在の長期獲りのトンネル早熟栽培や露地普通栽培が確立しました。

 <産地の確立>
 〇愛媛県での本格的な産地化は、1970年代前半に伊予市南伊予地区で水稲転換対策として古くから松山市周辺で栽培されていた晩生本黒長なすの栽培に取り組み、1976年に県外出荷して、その後、北条地区、周桑地区へと栽が普及し、産地が確立してきました。
 <品種の変遷>
 〇品種の変遷は、1953年ころまでは松山長、熊本長、本長を栽培していましたが、1960年代後半には千両2号、晩生本黒長が大半を占めた。現在では庄屋大長が主力となっています。

 産地の概要
 〇長なすの栽培には台風などの風雨が少なく、安定した気象条件が必要で、他の地域では栽培しにくく、昔から松山長なすは松山城が見える範囲が一番適地といわれてきました。

 選び方
 〇ヘタが黒く筋がはっきりしていて、トゲが張っているものが新鮮です。

 〇水分が多い野菜なので、ハリと弾力がありずっしりと重く、首までしっかり太ったもの、皮の色は濃くツヤのあるものを選びましょう。シワや変形しているものは避けましょう。

 保存方法・加工法
 〇なすは風邪をひきやすいといわれています(乾燥と低温に弱い)。風に当たると、しなびれてくるので、ポリ袋の入り口をきちんと止めて冷蔵庫に保管すると、2~3日もちます。

*https://www.zennoh.or.jp/eh/food/Introduction/ssi/vegetable/nagnasu.html より

 

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<料理用語-和食> 御講汁

2024-06-19 08:21:41 | 料理用語

 「御講汁-ごこうじる」

 伊勢の郷土食で農家の冬料理。

 伊勢講、お伊勢参りにも関係した料理。

 味噌、豆腐、大根を三日ほどかけて煮込む。

 「おこうじる」が正確らしい。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/024.html より

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<異名-食べ物> 自然界のバイアグラ

2024-06-19 08:18:56 | 異名

 「自然界のバイアグラ 蜂の子」

 はちのこ(蜂の子)は、クロスズメバチなどの蜂の幼虫で、日本では長野県・岐阜県・愛知県・静岡県・山梨県・栃木県・岡山県・宮崎県などの山間部を中心に日本各地で食用とされています。

 生命の根源、生物の体をつくっているアミノ酸は20種類あり、この20種類の組み合わせで全ての器官がつくられています。うち11種類は人間の体内で合成できますが、残りの9種類は体内で作ることが出来ず、これを含む食品から食べ物として体内に摂り込まなければなりません。この9種類を「必須アミノ酸」と言います。

 蜂の子に含まれる天然アミノ酸量は50%以上と多く、天然のアミノ酸なので、他の含有栄養素との相乗で、より吸収率の高い状態になっています。

 蜂の子は、二千年以上前からある、栄養価のずばぬけて高い最高級の滋養・強壮 食品として、注目されています。そのため、自然界のバイアグラと呼ばれています。

*https://www.alias-food.com/crop/nature-of-viagra より

 

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<難読漢字-鳥類> 雉、雉子

2024-06-19 08:06:56 | 難読漢字

 「雉、雉子 きじ」

 キジ(雉子、雉)は、キジ目キジ科キジ属に分類される鳥類。日本産の個体群のみで独立種 P. versicolor とする説と、ユーラシア大陸に分布するコウライキジ P. colchicus の亜種とする説があり、後者の説に従うと P. colchicus の和名がキジとなり本種のみでキジ属を構成する。日本鳥学会などでは2012年現在、Clements Checklistでは2015年現在は後者(キジは日本やユーラシア大陸広域に分布する単一種)の説を採用している。以下の内容はIOC World Bird ListおよびBirdlife Internatinal(IUCN)などが2015年現在に採用している前者の説(キジは日本にのみ分布する独立種)に従ったものと思われる。

 日本鳥学会が選定した国鳥であるとともに、国内の多くの自治体でも「市町村の鳥」に指定されている。種小名の versicolor は、ラテン語で「色変わりの」を意味する。日本の古語では「雉子(きぎす)」(10世紀前半成立の『和名類聚抄』巻十八「羽族名」での表記は、「木々須」と記す)。

 キジやコウライキジは世界中で主要な狩猟鳥とされ、キジ肉は食用でもある。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 寺から里へ など

2024-06-19 08:03:07 | 慣用句・諺

 「寺から里へ」

 《檀家から寺へ物を贈るのがあたりまえなのに、寺から檀家へ物を贈る意から》物事が逆であることのたとえ。本末顛倒 (てんとう) 。

 

 「手を空ける」

 仕事の予定などを入れないでおく。

 

 「手を上げる」

 1 降参する。

 2 なぐろうとして手を振り上げる。乱暴をはたらく。

 3 腕前や技量が進歩する。上達する。

 

 「手を合わせる」

 1 両方の手のひらを合わせる。感謝の気持ち、懇願の気持ちなどを表す。

 2 拝む。合掌する。

 3 相手として勝負する。手合わせをする。

 

 「手を入れる」

 1 よい状態にするために、補ったり、直したりする。手を加える。

 2 捜査や検挙のために、警察などが現場に踏み込む。

 

*goo辞書 より 

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<日本酒メーカー> 山形 奥羽自慢

2024-06-19 07:54:30 | 日本酒

 「奥羽自慢」

 品質本位をもって、厳選した庄内米を原料として醸造しています。
 酒処東北にあって『品質本位をもって酒を造れ、出来た酒は東北でも自慢の酒である』との酒造方針の基、厳選した庄内米を原料として醸造している。

 奥羽自慢(株) 山形県鶴岡市上山添字神明前123

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/28/ より

 代表銘柄

奥羽自慢50
芳醇で華やかな香りが感じられます。しっかりとした甘味が特長で、その味わいはパイナップルを連想させます。生ハムやフルーツサラダなど塩味のある食べ物と合わせるとより一層美味しくお召し上がりいただけます。

原料米/山形県産酒造好適米100%使用
精米歩合/50%
使用酵母/山形KA、協会1801号
アルコール度数/15度
日本酒度/-2
酸度/1.4

吾有事 特別純米
原材料名/米(国産)・米麹(国産米使用)
原料米/山形県産米100%使用
精米歩合/60%
アルコール分/15度

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<四国八十八箇所> 第80番札所 讃岐国分寺

2024-06-19 07:46:47 | 巡礼

 「讃岐国分寺」

 讃岐国分寺(さぬきこくぶんじ)は、香川県高松市国分寺町国分にある真言宗御室派の寺院。白牛山(はくぎゅうざん)、千手院(せんじゅいん)と号す。本尊は十一面千手観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第八十番札所。札所寺院としては単に「國分寺」と称するのが通例である。

 本尊真言:おん ばさら たらま きりく
 ご詠歌:国を分け野山をしのぎ寺々に まいれる人を助けましませ
 納経印:当寺本尊、満願証「願行成満」、弁財天、五色台三霊場参り(白峯寺・根香寺と共に)
 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、讃岐国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である讃岐国分寺跡(国の特別史跡)についても解説する。

 概要
 高松市西部、国分台丘陵の南に立つ。讃岐国府跡推定地の東方2 kmに位置し、一帯は讃岐国の中心地であり多くの遺跡が発掘されている。

 現在の境内は、創建当時の国分寺の伽藍と重複している。伽藍跡は全国に残る国分寺跡の中でも保存状態が良く、国の特別史跡に指定されている。なお国分寺跡で特別史跡であるのは、当寺の他に遠江国分寺跡と常陸国分寺跡のみである。そのほか、本堂・本尊・銅鐘が国の重要文化財に指定されている。

 歴史
 国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国六十八箇所に建立されたとされ、当寺もその頃の創建と推測される。寺伝では、行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(現存する本尊像は当時のものではないが、四国霊場の江戸期以前作の仏像で、丈六仏は善通寺の薬師如来坐像と当寺本尊のみで、しかも立像であるので四国霊場で最大の大きさである)。史実としての具体的な創建年は定かでない。

 『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記載があり、この頃に寺観が整っていたと考えられる。

 明徳2年(1391年)の文献には当寺が西大寺の末寺である旨が記されており、その他の文献から鎌倉末期までには西大寺末となっていたと推測されており現存本堂の建造も西大寺系の僧が関わっていたものと考えられる。

 天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。

 その後、江戸時代には讃岐高松藩主から崇敬され、63石前後の寺領寄進を受けた。

 境内

 山門(仁王門):創建時の中門を踏襲すると見られている。
 本堂:本尊開帳は60年に一度で次回は2040年。前立の千手観音・不動明王・大師像を拝観できる。創建時の講堂の礎石を利用して建てられている。
 大師堂(弘法大師礼拝殿万霊塔):大師像を拝観できる。
 大日如来堂:安永7年(1778)大師堂として建立、以前は毘沙門堂であった。2014年から、大塚純司住職発案、彫刻家の大森暁生制作で、1497年まで東寺講堂の立体曼荼羅の本尊であった空海作の大日如来坐像を『東宝記』の記録を基に復元する計画が進行中であり公開は未定。
 閻魔堂
 千体地蔵堂
 春日神社堂:村落から移された鎮守社。
 良縁社(祠):愛染明王を祀る。
 弁財天像、延命地蔵尊、水かけ地蔵などの石像が点在。
 御衣木(みそぎ):福龍とも呼ばれ空海が本尊を修理した際の残木と伝わる。
 福松:黒松の大木で中ほどに天然の黒松の葉のコブがある。
 鐘楼:重要文化財の銅鐘は平安時代前期の鋳造と考えられる。
 ミニ四国八十八箇所の石仏:近隣の里山にあったものを昭和初期に境内に移設したもの。
 仁王門をくぐり八十八ケ所の石像が両脇にならぶ参道を進むと左に閻魔堂があり右に四国最古の釣鐘があり、さらに行くと礎石のならぶ間を行き小さな橋を渡ると正面に本堂が立つ。本堂を背に左手を進むと白い多宝塔があり、それが大師堂である。その右の門から遍路用品のならぶ店内に入るとそこが大師堂拝殿であり、納経所でもある。 (注意)参拝には最短でも10分かかるとのことで、午後4時50分以降は閉門され入場できない。

 宿坊:なし
 入山料:200円
 駐車場:大型2台、普通車7台、山門前に無料であり

 讃岐国分寺跡

 手前に金堂、奥に七重塔。
 発掘調査で明らかとなった奈良時代の寺域は南北240メートル、東西220メートルで、現在の国分寺や東隣にある宝林寺を含んでいる。伽藍は大官大寺式伽藍配置で、中門・金堂・講堂が南北一直線上に並び、中門と金堂を回廊で結んだ内側の区画の東側に塔が建てられていた。

 遺構の保存状況はよく、金堂、七重塔などの礎石が原位置に残っている。現国分寺の本堂は奈良時代の講堂跡に建ち、現本堂はこの礎石を再利用している。他に、回廊・僧房・鐘楼・掘立柱建物・築地塀の遺構が発掘で確認されているほか、中門・南大門があったと推定される。

旧 伽藍跡は遺跡公園として整備され、奈良時代の伽藍が縮尺10分の1の石造模型で再現されているほか、築地塀の一部が実物大で復元されている。また、僧房跡は残存状況が良好であったため遺構を覆屋で覆い、建物の一部が復元されている。

 現在の境内エリア
 金堂礎石 - 正面7間・側面4間。
 講堂跡 - 現本堂の位置で、礎石は本堂に使用されている。正面7間・側面4間と推測される。
 塔跡 - 3間(約10 m)四方・高さ63 mの七重塔と推測される。創建当時の礎石17石中15石が原位置のまま残る。聖武天皇自ら金字で金光明最勝王経を書写し塔に納めたと云う。
 遺跡公園エリア
 僧房跡 - 東西21間・南北3間。これを東西21間を3間ずつ7単位に壁で仕切り、中央の3間×3間を食堂的な共同利用室に、残りの6単位では柱の間をさらに区切って小さな部屋を設け、各単位に4室ずつ計24部屋を備えていたと考えられる。一部復元した内部構造を覆屋内に展示する。
 鐘楼跡 - 東西2間・南北3間。
 掘立柱建物跡 - 南北7間・東西4間。建物の用途はわかっていない。
 回廊
 築地塀 - 下幅1.8 m・上幅1.5 m・高さ3.93 mの土塀が、東西220 m・南北240 mの敷地を方形に囲っていた。また、築地塀の外側には堀をめぐらしていたとされる。

 文化財
 重要文化財

 銅鐘(重要文化財)
 本堂 - 明治37年8月29日指定。
 鎌倉時代後期の建立。桁行五間、梁間五間、単層入母屋造、本瓦葺。奈良時代の講堂跡に立ち、その礎石を再利用している。
 木造千手観音立像 - 明治37年8月29日指定。
 彩色、彫眼。脇手を除く本体を﨔の一木造とする。十一面四十二臂、像高524 cm。平安時代末期作。本堂内陣の須弥壇上の厨子内に安置。
 銅鐘 - 昭和19年9月5日指定。
 国の特別史跡
 讃岐国分寺跡 - 昭和3年3月24日指定(国の史跡)、昭和27年3月29日指定変更(国の特別史跡)

 讃岐国分寺 香川県高松市国分寺町国分字上所2065番地

*Wikipedia より

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