いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 こうき芋 -追記あり-

2024-06-12 08:46:53 | 伝統野菜

 「こうき芋」

 由来など
 屋久町郷土史によると,栗生集落の羽生幸吉氏が岡山県より大正10年に導入し,屋久島内に広がった。当時の品種名は,「七福」の別名,「アメリカいも(コキガライモ)」とされる。地元では,導入者の名前「幸吉」にちなんで,こうき芋「コーキドンボ」と呼ばれる。
 美味で貯蔵がきくことから,戦前は食糧として多く栽培されたが,戦後は,でんぷん含量の高い芋に主体がおかれるようになり,栽培する農家,生産量ともに減少していった。
 作物の特徴・特性
 皮・中身ともに薄い黄色で,よく育つと芋が長くなる。
 外観は凹凸があり,形状・そろいが悪くて根のような芋も多い。
 焼き芋にすると粘性・糖度が高くなる。

 味や料理法
 主に焼き芋

 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/kouki.html より

 

 「こうき芋」
 【生産地】屋久島町

 【特徴】さつま芋の一種。皮・中身ともに薄い黄色で、よく育つと芋が長くなる。外観は凹凸があり、形状・揃いが悪く、根のような芋も多い。

 【食味】

 【料理】焼き芋にすると粘性・糖度が高くなる。

 【来歴】屋久町郷土史によると、1921(大正10)年に、栗生(くりゅう)集落の羽生幸吉氏が岡山県より導入し、屋久島内に広がったと記載。当時の品種名は「七福いも」の別名である「アメリカいも(コキガライモ)」とされていた。地元では、導入者の名前「幸吉」にちなんで、「こうき芋」「コーキドンボ」が訛って「こきろんぼ」と呼ばれる。 美味で貯蔵がきくことから戦前は食糧として多く栽培されたが、戦後はデンプン含量の高い芋が主体となり、栽培する農家・生産量とも減少していった。

 【時期】8月~11月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_wW1XSZw9 より

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< 郷土料理 > 茨城 そぼろ納豆/しょぼろ納豆

2024-06-12 08:44:02 | 郷土料理

 「そぼろ納豆/しょぼろ納豆」

 主な伝承地域 県央地域

 主な使用食材 納豆、割り干し大根、醤油、みりん、酒

 歴史・由来・関連行事
 水戸市では、江戸時代、台風が来る前に収穫できる早生小粒の大豆を美味しく食べる工夫として、納豆づくりが盛んになった。
 「しょぼろ」とは、「そぼろ」の方言である。秋に収穫した大豆で納豆をつくり、近所やお寺等に配る際、余った納豆を長い間食べられるように工夫をこらした。納豆と割り干し(切り干し)大根を合わせて、塩や醤油などに漬けこんだ水戸市の伝統的な料理である。割り干し大根は、 3日間天日と寒風にさらし、最後の夜に夜風で凍らせる。歯ごたえが良いのが特徴。
納豆といえば、いわずと知れた水戸市の名産である。平安時代の武将・源義家が水戸市に赴いたとき、わらで包んだ煮豆を食べたところ、非常に気に入った。以降、将軍へ献上されるとともに、大豆とわらという庶民でも手に入れやすい材料だったことから、農民の間に一気に広まり、現代にいたる。水戸市では、那珂川(なかがわ)の氾濫などに備え、水害に強い小粒大豆が栽培されていることから、水戸市の納豆といえば、小粒が特徴である。
 茨城県では現在でも家庭で納豆をつくる人がいる。手づくりの納豆は、匂いも強く、味もインパクトがあり、個性が強い。よって、市販の納豆に食べ慣れている人は、その味の濃さにびっくりするという。
 納豆と非常に馴染みが深い水戸市を中心とする県央地域では、ほかでは見られない、納豆を使った伝統食が存在する。それが、刻んだ割り干し大根を納豆と混ぜ合わせる「しょぼろ(そぼろ)納豆」である。茨城県では、大根も多く収穫されるため、各家庭で寒干し(切干)大根を保存食としてつくっていた。 糸引きが良くない納豆ができた際に、寒干し(切干)大根を混ぜて塩漬けにしていた。つくる手順も簡単なことから、いまでもごく一般的につくられている。納豆に割り干し大根を混ぜるだけでなく、醤油、みりんなどで煮詰めることで、納豆を日持ちするようにした保存食ともいえる。

 食習の機会や時季
 現在でも、各家庭でつくられている。納豆と割り干し大根という高栄養価の食材を使っていることから、県央地域を中心に、日常的に親しまれている。

 飲食方法
 割り干し大根を水で戻した後、食べやすい大きさに切り、納豆と合わせた後、納豆のたれ(もしくは、醤油)と一緒に和え、1ヶ月ほど経ってしっかり味が染み込んでからいただく。塩気が濃いため、ごはんのおともに食べられるほか、お茶漬けの具や酒の肴としても食べられている。納豆のほくっとした食感と、割り干し大根のシャキシャキした食感の対比も楽しめる料理である。
 また、最近では、さまざまなアレンジも楽しまれているという。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 各家庭でつくられているほか、スーパーマーケットなどでも手軽に購入できる。また、水戸の有名納豆店で販売されている「そぼろ納豆」はお土産として観光客から人気を博している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/soboronatto_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 群馬 ポテト入りやきそばとは

2024-06-12 08:39:43 | B級ご当地グルメ

 「ポテト入りやきそばとは」

 ポテト入りやきそば(ポテトいりやきそば)は、栃木県足利市、群馬県桐生市周辺で見られる焼きそば。ソース焼きそばに、一口大の蒸したジャガイモが入っている。

 足利市周辺では、その昔蒸したジャガイモをソース味で炒めた「ポテト」というおやつが存在したが、それとの関係は不明である。桐生市では同様のおやつは「子供洋食」(こどもようしょく)と呼ばれている。また、栃木県栃木市では「じゃがいも入りやきそば」といった同様のものが存在する。

*Wikipedia より

 

 「じゃがいも入りやきそば」

 じゃがいも入りやきそば(じゃがいもいりやきそば)は栃木県栃木市のご当地焼きそば。一口大に切ったゆでたジャガイモか、いもフライを焼きそばと一緒に炒めたものである。

 栃木県足利市や群馬県桐生市など両毛地域では、同様の焼きそばがポテト入りやきそばとして普及している。ただし、栃木市のじゃがいも入り焼きそばとは起源が異なるとされる。

 背景
 栃木市に限らず、北関東は粉もの料理の多い地方であり、群馬県には水沢うどん・ひもかわうどん、茨城県にはスタミナラーメン・那珂湊焼きそばなどがある。栃木県の場合、佐野ラーメンの知名度が高い一方で、複数のご当地焼きそばが存在する。特に県北のスープ入り焼きそばと県南のじゃがいも入りやきそば・ポテト入りやきそばが2大名物となっている。粉もの料理が多く分布する理由は不明ながら、北関東3県はいずれも小麦生産で日本の上位に入ることから、小麦を入手しやすかったことが粉ものの普及に寄与した可能性がある。また両毛は織物産地で女工が活躍した地域であり、粉もの料理のほかに佐野市のいもフライ、前橋市・桐生市のソースかつ丼、太田市の太田焼きそばなどソースを使う料理も多く、女工向けのファーストフードとして普及した可能性も指摘されている。

 栃木市は江戸時代に日光例幣使街道の宿場町、明治時代初期に栃木県の県庁所在地として発展してきた市であるが、県庁が宇都宮へ移り、鉄道の幹線から外れると目立たない地方都市になっていった。栃木市では他の地域と同様に「食」を切り口としたまちづくりに取り組み、夕顔ラーメン・すいとんと並び、じゃがいも入り焼きそばが売り出された。

 大正時代には存在したという説もあるが、太平洋戦争後に小麦粉の輸入が増えて焼きそばが普及し、以前から同地でよく食べられていたジャガイモが具として入れられるようになったとする、1950年代中期以降発祥説が優勢になっている。これは富士宮やきそばや横手やきそばと同時期に当たる。食糧難の時代にあって、焼きそばにジャガイモを入れてかさ増しをしたという説もある。なお戦前はジャガイモよりサトイモの方がよく食べられていた。

 テレビドラマ『ロングバケーション』中で、山口智子(栃木市出身)演じる葉山南が木村拓哉演じる瀬名秀俊と、焼きそばにジャガイモを入れるか入れないかについて議論する場面がある。栃木市ではジャガイモを焼きそばに入れるのが当たり前であり、栃木市出身者は他者から指摘されるまでジャガイモを入れるのが珍しいということに気付かないという。

 ご当地グルメ化
 栃木市出身の阿部佳司は、東京で働いていた頃、東京では焼きそばにジャガイモを入れないことを知って栃木市へ帰郷した。飲食店・好古壱番館を開いた阿部は、じゃがいも入り焼きそばでまちおこしができないかと1992年頃から活動を開始し、焼きそば店や製麺所などに働きかけを開始した。活動を開始した当初は、食糧難の時代にかさ増しとしてジャガイモを入れたのがじゃがいも入り焼きそばの起源とされることから、「貧しさ」のイメージがあり、「なぜ今さら」と名物とすることに難色を示す店主もいた。2003年10月4日に、焼きそば店など30店で「じゃがいも入り栃木やきそばの会」を設立し、最初の活動として翌10月5日にとちぎ山車会館前で500食を無料で振る舞った。2006年時点の会員は17店であった。2009年時点では20店と製麺業者2社を会員としていたが、零細経営店舗が多いため地元のイベント時に出店するほかは目立った活動はせず、B-1グランプリにも出場しなかった。

 2008年5月には、ローソンがじゃがいも入り焼きそばを焼きそばパンに仕立て「栃木やきそばロール」として関東地方で発売した。2010年3月に栃木市が大平町・藤岡町・都賀町と合併し、新・栃木市となったことを記念して、新・栃木市域のセブン-イレブン全店でじゃがいも入り焼きそばが販売された[20]。2011年7月1日には、ご当地B級グルメシリーズの1つとして「ランチパックじゃがいも入り栃木やきそば風」が関東地方で発売された。

 2016年4月、「蔵の街栃木美味しいジャガイモ入り焼きそば研究会」が発足した。栃木市の焼きそばを提供する飲食店、駄菓子屋など12店と製麺所など協賛企業5社が加入している。

 じゃがいも入り焼きそばの立役者である阿部は、じゃがいも入りやきそばを一過性のブームに終わらせないように、B級グルメではなく「路地裏グルメ」と呼んでいる。

 調理法
 栃木市食生活改善推進団体協議会によるレシピは以下の通り。

 皮をむいたジャガイモを8等分し、電子レンジで温め、竹串が通る程度のかたさにする。
 キャベツを一口大、シメジは1本ずつに、豚肉は1 cm幅に切る。
 フライパンにサラダ油を熱し、豚肉を炒め、キャベツ、モヤシ、シメジを追加して更に炒める。
 上記に、ほぐした中華麺とジャガイモを入れて炒め、ソースとコショウで味を調える。
 特徴
 麺は長めの時間蒸した二度ぶかし麺を使う。本来は売れ残った麺の品質低下を防ぐ工夫であったが、二度ぶかしすると麺に独特の香りと食感が生まれた。二度ぶかし麺は炒める前から茶色をしている。本来は二度ぶかしによって自然と茶色くなったが、21世紀現在は着色料で茶色にする店が多い。足利・桐生のポテト入り焼きそばは二度ぶかし麺を使わないことから、栃木市のじゃがいも入り焼きそばとはルーツが異なるとされる。

 じゃがいも入り焼きそばを供する栃木市内の店舗では、隠し味にひき肉からとった肉だしスープを使う。冷蔵庫がない時代、生肉を保存できなかった屋台や駄菓子屋で、焼きそばにほんのりと肉の味を付けるために生み出された。

 21世紀の現在はふかしたジャガイモを入れるのが主流であるが、昔ながらのじゃがいも入り焼きそばはいもフライを入れる。蔵の街栃木美味しいジャガイモ入り焼きそば研究会では、いもフライを入れるものを「クラシカルじゃがいも入りやきそば」、ふかしたジャガイモを入れるものを単に「じゃがいも入りやきそば」と呼び分けている。ジャガイモの大きさは店舗によって異なり、ソースとの絡み方が変わる。

 店舗
 じゃがいも入り焼きそばが名物となる以前は、屋台や駄菓子屋で販売され、居酒屋やスナックで〆の料理として供された。屋台は1990年代頃まで営業する姿が確認されており、駄菓子屋や駄菓子屋を起源とする焼きそば店は現役で営業している。

 屋台では、JR思川駅(小山市)周辺で30年ほど営業していた「とっぱさん」と呼ばれる人の屋台が周辺住民に愛されていた。高齢になった「とっぱさん」は引退したが、「とっぱ」の名と味を引き継いだ店舗が営業している。

 栃木市では学校帰りの児童・生徒が駄菓子屋に集って焼きそばやもんじゃ焼きを食べる文化が健在で、学校の近くにある店舗は「御用達」と呼ばれている店もある。

 じゃがいも入り焼きそばの専門店は少なく、学校の近くで営業する駄菓子屋と、名物になってからメニューの1つに加えた飲食店が中心である。基本の具材は中華麺とジャガイモのみで、客の注文に応じてキャベツ、モヤシ、豚肉などをトッピングする。

*Wikipedia より

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うまいッ! NHK「とろける甘さ夕張メロン~北海道~」

2024-06-12 08:32:22 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「とろける甘さ夕張メロン~北海道~」 2016年06月19日

 番組内容
 高級フルーツの王様「夕張メロン」。まるでリキュールのような芳じゅんな香りと赤く輝く果肉、とろけるような舌触りからうまれる甘さが特徴。贈答品需要に支えられ、1970年代後半から北海道を代表するブランドとして全国に名をとどろかせるようになった。高級感漂う細かな網目は、人が丹念に手をかけ作り出した装飾品。甘さを生み出すのは人の手と夕張の気候との共同作業。栽培の現場を訪ね、おいしさの秘密をたっぷり紹介。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201606190615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「夕張メロン」

 夕張メロン(ゆうばりメロン)は、北海道夕張市を生産地とする赤肉系メロンで、夕張市農業協同組合(JA夕張市)の登録商標(登録番号:第2591067号)である。品種名は夕張キング(ゆうばりキング)。

 概要
 「スパイシーカンタロープ」を父、「アールスフェボリット」を母とするF1品種(一代交配種)である。そのため、夕張キングから取った種を植えても同じメロンはできない。

 形状は長円形で、ネットを形成する。果皮色は収穫時は緑~灰緑色で、食べごろには黄色となる。芳醇な香りが強く、果肉は繊維質が少なくジューシーで柔らかいオレンジ色で、糖度は10度以上である。

 名称
 夕張市農業協同組合(JA夕張市)に集荷され、ブランドを守るため、厳しい品質検査に合格したものだけが「夕張メロン」のラベルシールが貼られて出荷される。検査員は生産者の中から選出される。外観が基準を満たさないものは加工用となる。

 夕張メロンは登録商標であるため、隣接する市町村産のメロンは、夕張メロンの名を冠することはできない。そのため、90年代前半まで北海道内で栽培されていた夕張キングを箱詰めした場合、その地域ブランド名を記したケースや箱で販売されていた。但し、箱に記載の品種名は「夕張キング」と表示がなされていた。

 流通
 日持ちに難点があり、大手宅配業者、フットワークと提携。当時としては、画期的な産地直送システムを導入。それまで北海道内でしか食べられなかった夕張メロンを、産地直送化することにより、道外への出荷が可能になる。

 生産
 夕張メロンの種は、農協の金庫で厳重に保管されている。ハウス栽培とトンネル栽培があり、ハウス栽培は7月中旬までに出荷し、トンネル栽培は9月までに出荷する。いずれも地這え栽培を主として、一つの株から二本の蔓を伸ばして3 - 4個収穫する。受粉はミツバチによって行われ、受粉からの日数は40 - 46日位である。しかしながら、条件によってはその日数も異なり、気温が高いときのほうが、収穫は早まって糖度も落ちる傾向にある。

 類似品種
 札幌キング、キング系と呼ばれている赤肉メロンも、夕張メロンとほぼおなじ掛け合わせで交配されている(アールス・フェボリットには種類が色々あり、そのうちの一つを親としている)。一方、ルピアレッドに代表されるレッド系と呼ばれるものは、食感と糖度が違う別の品種である。

 夕張IKメロン(夕張愛渓メロン)は、小林2号(I.Kメロン)と夕張キング(夕張メロン)の交配種。
 歴史
 1960年(昭和35年)4月5日 - 17名の有志により夕張メロン組合が設立。「夕張キング」誕生。
 1972年(昭和47年)12月 - 日本農業賞受賞。
 1973年(昭和48年)10月5日 - 最初の商標出願。
 1979年(昭和54年)5月31日 - 商標登録(メロンに貼るシール)。登録番号:第1379023号および第1379024号 全国初の産地直送を開始。
 1993年(平成5年)10月29日 - 「夕張メロン」商標登録。登録番号:第2591067号および第25910678号 ふるさと小包郵政大臣賞受賞。
 1996年(平成8年)6月28日 - 「夕張キング」「夕張キングメロン」商標登録。

*Wikipedia より

 美しい長円形・ネットのきめ細やかさなどが夕張メロンの特徴です。
 夕張市農協検査場で規定の項目を厳しくチェックし、検査に合格したメロンのみが「夕張メロン」のブランド名で出荷されます。
 特秀・秀・優・良の4等級があり、当店では秀・優・良を取り扱っています。

 特秀・秀・優・良の4つの等級があります。生産者やJA職員の中から選ばれた熟練の検査員が、以下などいくつかの基準を総合し等級を決めます。
 ・早もぎ、もぎ遅れではないか
 ・ネットの張り、盛り上がり、密度の度合い
 ・きれいな長円形かどうか
 各等級とも、味に間違いのないものを選んでおりますが、容姿がよく適期に収穫した ものほど、おいしい傾向にあります。

 夕張メロンは果肉が非常に柔らかく、とてもジューシーです。その分、熟すスピードが他品種のメロンに比べかなり早いのが特徴です。商品到着後はすぐに箱から出し、同封の「食べ頃ガイド」をご参照の上、熟度の確認をお願いします。 ギフトでお送りする場合は、おいしいタイミングを逃さずに食べていただくために、ぜひお届け先に一言添えてくださいますようお願いします。

 夕張メロンは農産物なので、お天気等の影響により、日によって出荷量が変わります。このため、注文から発送までお時間をいただくことがあります。
 また、父の日前後やお中元シーズンは注文が殺到し、到着日指定をお受けできない場合があります。何とぞご了承ください。

 GIは地域で長年育まれた特別な生産方法によって、高い品質や評価を獲得している農林水産物・食品等の名称を知的財産として、品質とともに国に登録できる制度です。夕張メロンは平成27年12月22日に、第一号として登録されました。

*https://www.ja-yubari-shop.jp/hpgen/HPB/entries/25.html より

<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号4. 夕張メロン

*https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=12b425094c4b36c54d4f1544aa02e0e4&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTUlQTQlOTUlRTUlQkMlQjUlRTMlODMlQTElRTMlODMlQUQlRTMlODMlQjMmcD0x 

こちらもご参考に

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<料理用語-和食> 甲羅蒸し など

2024-06-12 08:16:12 | 料理用語

 「甲羅蒸し」

 カニのほぐし身と百合根、銀杏、きのこ、筍などを合わせて泡立て卵白でまとめ、それを甲羅に詰めて蒸したもの。仕上げの段階で青味を加えてもよい。出汁で割った合わせ酢を添える。

 他にもカニ味噌を残した甲羅に熱燗を注ぐ「甲羅酒」や、大きな甲羅を利用した「甲羅鍋」など色々なものがある。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/015.html より

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<異名-食べ物> 山ウナギ

2024-06-12 08:12:53 | 異名

 「山ウナギ 自然薯」

 自然薯は、里でとれるいもである「里いも」に対して、山でとれるいもの意味で「山いも」の一種です。

 山いもという名称は、ヤマノイモ科ヤマノイモ属の総称として使われることが多く、種類も豊富で、市場に出回るものには、長いも、いちょういも、大和いも、自然薯などがあります。

 自然薯は、漢方の世界では「山薬」と呼ばれ、滋養強壮に効くとされています。
 日本でもその効果はよく知られていて、「山のうなぎ」の呼び名があります。

 このほか、高血圧の予防に効果的なコリンや、皮膚などの組織の弾力性を維持するコンドロイチン硫酸などの成分も含まれています。

 このように、自然薯は数多くの有効成分が、体のいろいろな機能に働きかけて、「山のうなぎ」と呼ばれるほど、元気のもとになっています。

*https://www.alias-food.com/mountain/mountain-of-eel より

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<難読漢字-鳥類> 鴨

2024-06-12 08:02:15 | 難読漢字

 「鴨 かも」

 カモ(鴨、鳧、英: Duck, quacker)とは、カモ目カモ科の鳥類のうち、雁(カリ)に比べて体が小さく首があまり長くないものの総称。分類学上のまとまった群ではない。冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるが、カルガモのようにほとんど差がない種もある。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手に負えない など

2024-06-12 07:57:25 | 慣用句・諺

 「手に負えない」 

 自分の力では扱いきれない。手に余る。

 

 「手に落ちる」

 その人の所有となる。支配下にはいる。手に帰する。

 

 「手に掛かる」

 1 直接に取り扱われる。

 2 殺される。

 3 世話を受ける。

 

 「手に掛ける」

 1 自分で直接行う。

 2 自分で世話をする。手塩にかける。

 3 人に処理などをたのむ。

 4 自分の手で人を殺す。

 

 「手に帰する」

 所有物となる。支配下になる。手に落ちる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 鯉川酒造

2024-06-12 07:50:40 | 日本酒

 「鯉川酒造」

 鯉川酒造は「地酒」という言葉にこだわりを持って、酒造りをしております。地元の「米」、「水」で地元杜氏が酒を造る。地域に根ざした「酒」をおいしさそのままに提供したい。「亀の尾」米の発祥の地である余目町で「亀の尾」を栽培してその米で酒を仕込ます。酒造りは一人ではできない。農業があって、酒蔵があります。「地酒」という言葉、大切にしたいですね。全量純米酒100%の酒蔵です。

 鯉川酒造 山形県東田川郡庄内町余目字興野42

 代表銘柄

純米大吟醸 鯉川 亀の尾100%

酒 別 純米大吟醸
アルコール度 16.3%
原料米 山形県庄内地方産米「亀の尾」100%
精米歩合 40%
日本酒度 +5
酸 度 1.5

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/60/ より

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<四国八十八箇所> 第73番札所 出釈迦寺

2024-06-12 07:43:52 | 巡礼

 「出釈迦寺」

 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)は、香川県善通寺市にある真言宗御室派の寺院。我拜師山(がはいしざん)、求聞持院(ぐもんじいん)と号す。本尊は釈迦如来。四国八十八箇所第七十三番札所。

 本尊真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
 ご詠歌:迷いぬる六道衆生(ろくどうしゅじょう)すくわんと 尊き山に出づる釈迦寺(でら)
 納経印:当寺本尊、奥之院捨身嶽跡、七ヶ所参り恵比寿神、奥之院粟嶋社、奥之院蛭子社、久延毘古神(山田のかかし)
 概要
 弘法大師が真魚と呼ばれていた7歳の時に身を投じた山は奥の院捨身ヶ嶽禅定として、また、大師が虚空蔵菩薩求聞持法を修めたところとして、大師出家の原点であり一代記の中には必ず記される霊跡として大師信仰の重要な大願成就の場所となっている。

 歴史
 寺伝によれば、空海(弘法大師)が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り、「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと飛び降りた。すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就された。成人の後に空海は思い出の霊験の山に再度登って、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」と名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。

 現在の当寺の奥之院である我拝師山山上のお寺は、かつては曼陀羅寺の奥之院であった。1653年巡拝の澄禅のとき麓に寺はなく、屏風を立てたる様の山上に登って少なき平らな所の昔の堂の跡に釈迦如来・石像文殊・弥勒の石像など有りと表現される所に参拝していて、ここに近年お堂を造立しようとしたが一夜にして吹き崩れ割れた板や瓦が多しという状態であった。その後、麓に宗善(~1690年寂)が寺を建立し、山上が札所であるが麓の寺で納経するようになっていた。そして、1920年(大正9年)に札所は麓の寺に移された。

 2023年、弘法大師生誕1250年を記念して、大正時代に札所と本尊を麓に移したとき造られたとみられる奥の院安置の秘仏・釈迦如来坐像、地蔵堂安置の宗善のとき造立の弘法大師像[4]が麓の本堂横で初公開され、あわせて奥の院安置されていた市文化財・不動明王立像も公開され、また、大師堂の弘法大師像の顔が目まで見えるまですだれを引き上げられた。

 伽藍

 境内への参道:信者寺ゆえ、参道の左側には多くの寄進された石像や記念石や句碑(山頭火「山あれば山を観る」など4基)が並び季節の花が咲く。
 山門:2008年落慶。
 本堂:すだれ越しにうっすらと本尊釈迦如来坐像が浮かび上がる。脇陣に虚空蔵菩薩坐像(着色であったが修繕のとき金箔貼に)と不動明王立像(身体は青色で衣は赤に着色)。軒下のホウキは、釈迦の十代弟子の愚鈍な周利槃特(チューダ・パンタカ)は自分のことを愚かだと知っておりいつもホウキで掃除ばかりしていたが、優秀な兄の摩訶槃特(マハー・パンタカ)より先に悟りを得た解脱者になったという逸話から。
 大師堂:鼻から下の顔が拝顔できる。大師像のまとう緋色の衣は定期的に新調される。
 地蔵堂
 鐘楼堂:2017年5月21日開眼
 奥之院遥拝所(おくのいんようはいじょ)
 奥の院である捨身ヶ嶽禅定の遥拝所。石碑には、身を投げる空海とそれを救う釈迦如来と天女の図が描かれている。この場所で念仏を唱えると、捨身ヶ嶽禅定に登ったのと同じ利益(りやく)が得られると言われており、捨身ヶ嶽禅定の建物を望める。
 山門を進み右に折れると左に納経所があり、正面に本堂、その右側が大師堂と並置されている。本堂の左の石段を上がると赤い壁の地蔵堂があり、その先に奥之院遥拝所と大きな石の台座に虚空蔵菩薩石像があり、眼前に奥の院のある我拝師山がそびえる。

 宿坊:なし
 駐車場:山門に上がる参道手前に広い駐車場が無料であり。

 文化財

 善通寺市指定有形文化財
 木造不動明王立像 - 平成21年12月25日指定。
 檜の寄木造り、彫眼、像高103cm、平安後期作。2009年10月16日に初めて公開されるまでは、絶対秘仏だった。
 禅定石造層塔 - 平成23年4月11日指定。
 造立時期は8〜10世紀と推測

 出釈迦寺  香川県善通寺市吉原町1091番地

 *Wikipedia より

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