いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 ハンダマ -追記あり-

2024-06-25 09:19:25 | 伝統野菜

 「ハンダマ」

 由来
 和名は,「水前寺菜」「金時草」「春玉」。奄美地方の「ハンダマ」は「ハルタマ」から来たという説がある。
 熱帯アジア原産で,奄美群島やトカラ列島ではハンダマと呼ばれ,古くから(現在80歳位の方が,幼少期から食していたとのこと)自給野菜として各家庭で栽培され,鉄分が不足しやすい産後の食事として欠かせない食材である。
 作物の特徴・特性
 高さ60cm程に群生するキク科の多年草で,葉の裏が鮮やかな赤紫色をしている。鉄分・ビタミンA・カルシウム・マグネシウム・ナトリウム等を豊富に含み,葉の赤紫色にはポリフェノールを含み抗酸化作用等の機能性が期待される。
 味や料理法
 おひたし,サラダ,炒め物,天ぷらや漬け物として利用されている。
 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/hanndama.html より

 

 「ハンダマ」

 【生産地】奄美市など

 【特徴】キク科の多年草。高さ60cm程で群生する。葉の表が緑、裏が鮮やかな赤紫色をしているのが特徴。鉄分・ビタミンA・カルシウム・マグネシウム・ナトリウム等を豊富に含み,葉の赤紫色にはポリフェノールを含み抗酸化作用等の機能性が期待される。

 【食味】クセがなくて食べやすく風味がある。茹でるとぬめりが出る。

 【料理】おひたし,サラダ,炒め物,天ぷらや漬け物として利用されている。

 【来歴】沖縄や奄美で昔からよく食べられてきた。古くから自給野菜として各家庭で栽培され,鉄分が不足しやすい産後の食事として欠かせない食材である。 熱帯アジア原産で、奄美群島やトカラ列島では「ハンダマ」と呼ばれている。名の由来は、葉の色が半分ずつ違う事と、花が咲いた後に球状になる事からその名がついたという説や奄美地方の「ハンダマ」は「ハルタマ」から来たという説がある。 和名は,「水前寺菜(すいぜんじな)」「金時草(きんじそう)」「春玉(はるたま)」など、いくつもの呼び名があり、全国に植生が見られる。

 【時期】通年

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_KmrqyNbq より

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< 郷土料理 > 栃木 さがんぼの煮つけ

2024-06-25 09:05:27 | 郷土料理

 「さがんぼの煮つけ」

 主な伝承地域 栃木県全域

 主な使用食材 サガンボ(アブラツノザメ)

 歴史・由来・関連行事
 海なし県栃木では、冷蔵庫が普及する以前、海の生魚といえばサガンボ(アブラツノザメ)やモロ(ネズミザメ)と称されるサメ類を食べた。サメは、体の中に尿酸を蓄えており、命が尽きると尿酸が分解しアンモニアへと変化して腐りにくくなり保存が利くからである。
 栃木県内で流通したサガンボは、もともと北茨城の漁港で水揚げされたもので、漁港では高値で売れるヒレや皮を取り除き、紡錘形になった身の部分を内陸の栃木県に出荷した。「サガンボ」という特徴的な名前は、北茨城から栃木県北東部あたりの方言で、紡錘形の氷柱(つらら)のことをさがぼうとかサガンボと呼ぶことが由来。江戸時代に全国の方言をまとめた『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』によると、サメについて「下野国宇都宮周辺にてはさがぼうとよぶ」との記述があり、栃木県でサメを食べるようになった歴史は古い。

 食習の機会や時季
 日本近海でも比較的寒い地域での漁獲量が多いとされるアブラツノザメは、一年中漁獲されるが、特に12~2月のものは身のしまりがよい。「さがんぼの煮つけ」は、かつては冬の定番料理であった。一晩おいて出来上がった煮こごりも美味とされる。現在では栃木県内全域で親しまれているが、大田原市周辺では正月などの「晴れの日」の料理としても食卓を賑わせる。

 飲食方法
 サガンボの切り身を、醤油、砂糖、みりん、酒を合わせた調味料で10分ほど煮込む。最後に千切りにしたしょうがをのせる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 県内の店頭では、「アブラツノザメ」の切り身が「サガンボ」「むきサメ」という名で日常的に販売されており、煮付けやフライなどの料理として家庭で食されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/31_5_tochigi.html より

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<B級ご当地グルメ> 栃木 ポテト入りやきそば

2024-06-25 08:58:40 | B級ご当地グルメ

 「ポテト入りやきそば」

 都道府県 栃木県
 地域 足利市・栃木市
 推進団体 ポテト入り焼きそばをひろめる会
 概要 「じゃがいも入りやきそば」は栃木県のご当地B級グルメ。
 足利市では「ポテト入り焼きそば」、栃木市では「じゃがいも入りやきそば」と品名は変わるが同じもの。

 栃木の地元では、焼きそばにはじゃがいもが入っているのが普通で、戦時中から一般的な料理として駄菓子屋などから普及したものとされている。

 価格は並300円から大盛り400円程度と低く抑えられ、市内約20店舗で提供されている。
 麺、ソースは提供店によって異なるがごく一般的なものが使われ、茹でるか油で揚げたジャガイモを焼きそばと一緒に焼く。

*https://b9navi.com/%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%8c%e3%81%84%e3%82%82%e5%85%a5%e3%82%8a%e3%82%84%e3%81%8d%e3%81%9d%e3%81%b0%ef%bc%88%e6%a0%83%e6%9c%a8%e7%9c%8c%e8%b6%b3%e5%88%a9%e5%b8%82%e3%83%bb%e6%a0%83%e6%9c%a8%e5%b8%82/ より

*https://web.archive.org/web/20190101004453/http://www.geocities.jp/yamapon65/tisantisyou_yakisoba_asikaga_1.html より

 ポテト入り焼きそばの会とは? 2009年03月01日(日)08時00分

 足利在住のみなさんポテト入り焼きそばという物が足利市と栃木市にしかないと言うことをご存じでしたか??

 私たちが焼きそばを食べるとき当たり前のように入っているホクホクしたじゃがいもは足利市が始まりだったのです。

 この足利の食文化でもあるポテト入り焼きそばを少しでも周りの市や県の人たちに知っていただきたい、広めたい…そして、足利市をさらに栃木県を広める1つの会となりたい。

 そんな思いでポテト入り焼きそばをひろめる会を発足させていただきました。

*https://www.tsukiboshi-s.co.jp/potato/index.cgi?field=5 より

 ポテト入り焼きそばのはじまり 2009年07月08日(水)13時30分

 大正初期栃木県南部近辺では良く取れたじゃがいもをおやつに主食にとよく食べられていました。当所は長ネギとじゃがいもの醤油炒めが子供たちのおやつとして食べられいました。そこに月星ソースが醤油の替わりにソースで子供たちに食べさせたところ大変好評で、醤油の替わりにソースで食べられるようになりました。

*https://www.tsukiboshi-s.co.jp/potato/index.cgi?field=4 より

 

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うまいッ! NHK「香り豊かで辛さ抜群!しょうが」

2024-06-25 08:43:48 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「香り豊かで辛さ抜群!しょうが」 2016年11月06日

 番組内容
 近年のブームで国内の年間収穫量は10年前のおよそ1.4倍になっているショウガ。中でも、鳥取市の気高町で栽培されているショウガは、辛みが強く香り高いのが特長です。生産量が20トンと少なく、知る人ぞ知る希少なショウガです。400年の歴史を持つ産地を訪ね、そのおいしさの秘密に迫ります。さらに、ショウガブームに乗って、町おこしにつなげようという産地の人々の取り組みも紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201611060615001302100 より

 「しょうが」

 ショウガ(生姜、学名: Zingiber officinale)はショウガ科ショウガ属の多年草であり、根茎部分は香辛料として食材に、また生薬として利用される。熱帯アジア原産。各地で栽培されている。

 名称
 和名ショウガの由来は、大陸からミョウガとともに持ち込まれた際、香りの強いほうを「兄香(せのか)」、弱いほうを「妹香(めのか)」とよんだことから、これがのちにショウガ・ミョウガに転訛したとする説と、漢語「生薑(しゃうきゃう)」が「ミャウガ」からの干渉によって転訛したという説とが有る。

 別名はハジカミ。古くはサンショウと同じく「はじかみ」と呼ばれ、区別のために「ふさはじかみ」「くれのはじかみ」ともよばれた。

 英名は Common ginger(コモン・ジンジャー)といい、日本でもジンジャーの別称で呼ばれている。仏名は Gingember(ジャンジャンブル) 、伊名は Zenzero(ゼンゼロ)、中国植物名(漢名)は、「姜」(きょう)、あるいは「薑」という。

 gingerの由来は、古代インドで使われていたるサンスクリット語sringa-veraで、「枝角の形」を意味する語から来ている。

*Wikipedia より

 「気高の生姜(瑞穂生姜、日光生姜)」登録日: 2011年12月1日

 血行促進の作用があり、身体を温める効果を持つ生姜。古くは日本最古の医学書「医心法」にも、その名が登場しています。

  鳥取県東部の鳥取市気高町は、鳥取県内随一の生姜の産地です。その歴史は、鹿野(しかの)城主の亀井茲矩(これのり)が朱印船貿易により東南アジアから生姜を移入し、現在の鳥取市気高町瑞穂(みずほ)地区の日光(にっこう)集落で栽培を奨励したことが起源とされ、400年以上の栽培の歴史を有します。

 “日光生姜”と“瑞穂生姜”のある気高の生姜は、栽培方法がそれぞれ独自のもので、辛味や香りが強く、生産量の少ない希少な生姜で知られています。収穫した生姜は、横穴を利用した貯蔵庫「生姜穴」で半年以上も貯蔵され、サラサラの土の中で熟成されることで、生姜の美味しさと効能をさらに引き出しています。

*https://cgi.search.biglobe.ne.jp/?q=%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80+#gsc.tab=0&gsc.q=%E6%B0%97%E9%AB%98%E7%94%BA%E3%80%80%E7%94%9F%E5%A7%9C&gsc.sort= より

 

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<料理用語-和食> 小吸い物

2024-06-25 08:33:56 | 料理用語

 「小吸い物」

 「箸洗い」「一口吸い物」とも言う。

 コップのような細長い独特の専用椀を使用する。

 食事を終え、献州に進む前の口改と箸を清める意味で出される汁。

 だしに薄い塩味を付けただけのもので、椀種も軽く梅干しやむかごなどを浮かべるだけである。針生姜や欄花を口にする。

 これで舌を洗い、次に出る酒と八寸を賞味する。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/028.html より

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<異名-食べ物> 陸の牡蠣

2024-06-25 08:29:42 | 異名

 「陸の牡蠣 松の実」

 松の実は、マツ科マツ属の植物の種子の胚乳の部分で、食用になります。
 世界では20種ほどの種が、食用に充分な大きさの種子をつけ、食用に適しています。

 漢方薬としては、「海松子」、「松子仁」、「松子」などと呼び、体を温める性質があり、気を補い、肌を潤し、咳を鎮め、内臓機能を調節し、脳を活性化するされています。
 このため、高齢者や虚弱体質の人に薬膳として食べることを勧める場合があります。

 また、松の実には、亜鉛が豊富に含まれていて、亜鉛と言えば、牡蠣が有名ですが、
 牡蠣には及びませんが100g中6.9mgと全食品中トップクラスの含有量を誇ります。
 そのため、「陸の牡蠣」と呼ばれることもあります。

*https://www.alias-food.com/crop/land-of-oyster より

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<難読漢字-鳥類> 五位鷺

2024-06-25 08:24:47 | 難読漢字

 「五位鷺 ごいさぎ」

 ゴイサギ(五位鷺、鵁鶄、学名: Nycticorax nycticorax)は、ペリカン目サギ科ゴイサギ属に分類される鳥類。

 五位鷺という名前について
 『平家物語』(巻第五 朝敵揃)の作中において、醍醐天皇の宣旨に従い捕らえられたため正五位を与えられたという故事が和名の由来になっている。また、能楽の演目「鷺」はその五位鷺伝説に由来するものである。

 また、夜間に飛翔中に「クワッ」とカラスのような大きな声で鳴くことから、「ヨガラス(夜烏)」と呼ぶ地方がある。学名のNycticoraxもギリシア語の「夜(νύξ nyx)+カラス(κόραξ corax)」に由来する。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手を尽くす など

2024-06-25 08:18:08 | 慣用句・諺

 「手を尽くす」

 物事の実現や解決のために、あらゆる手段を試みる。

 

 「手をつくる」

 手を合わせて拝む。

 

 「手を付ける」

 1 着手する。仕事などを始める。

 2 使い始める。また特に、使い込む。

 3 料理などを消費する。

 4 目下の女性などと関係をもつ。

 

 「手を通す」

 衣服を着る。

 

 「手を取り合う」

 1 手を握り合う。

 2 親しい者どうしが連れ立つ。

 3 力を合わせる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 福島 栄川酒造

2024-06-25 08:09:26 | 日本酒

 「栄川酒造」

 栄川酒造株式会社(えいせんしゅぞう)は、福島県の清酒製造業を行う酒蔵。

 概要
 会津若松市に本社を置き、磐梯町に工場を持つ。同工場は「日本の名水百選」にも選ばれた土地であり、福島県道64号を磐梯山方面に登る途中にある。

 会津若松市内宮森文次郎酒造店より分家し、旧工場所在地で「宮森榮四郎酒造店」を創業したことに由来を持つ。

 沿革
 1869年 - 会津若松市の宮森文次郎酒造店より分家、旧工場所在地において宮森榮四郎酒造店を創業。
 1943年 - 戦時統制により、若松酒造株式会社榮川工場となる。
 1947年 - 国税庁から東北で初の一級酒工場の指定を受ける。
 1953年 - 若松酒造株式会社解散と同時に、榮川酒造株式会社を設立。
 1988年 - 磐梯山西山麓に新工場を新設。
 2008年 - 生産工程一元化事業、磐梯蔵竣工。
 2016年7月 - ヨシムラ・フード・ホールディングスの子会社となる。
 2021年6月 - 第三者割当増資により持株比率が、リオン・ドールコーポレーション81%、ヨシムラ・フード・ホールディングス19%となる。
 2023年7月 - 登記上本店が旧工場だった会津若松市駅前町2番1号からリオン・ドールコーポレーションの同一所在地である同市栄町2番14号に移転した。
 工場 磐梯蔵 - 福島県耶麻郡磐梯町大字更科字中曽根平6841-11

 栄川酒造 福島県会津若松市栄町2番14号

*Wikipedia より

 代表銘柄

榮川 純米大吟醸

この商品は、果実を彷彿とさせる繊細な香りと驚くほどのまろやかさが特徴です。
会津産酒造好適米「美山錦」を全量使用し、45%まで精米されたお米を低温発酵させています。
その結果、米本来の旨味と香りが存分に引き出され、淡麗で中口の味わいに仕上がっています。

華やかな香りとスッキリとした味わいは、食事の前に楽しむのはもちろん、大切な人との特別な時間を演出するディナーシーンにも最適です。

上質なお酒を求める方や特別な日のおもてなし、贈り物にも最適な一本です。

度数 :15度
原料米  :美山錦(会津)
精米歩合 :45%
甘辛濃淡 :淡麗中口
飲み方  :冷酒~常温

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<四国八十八箇所> 第86番札所 志度寺

2024-06-25 07:58:52 | 巡礼

 「志度寺」

 志度寺(しどじ/しどうじ)は、香川県さぬき市志度にある真言宗善通寺派の寺院。補陀洛山(ふだらくさん) 、清浄光院(せいじょうこういん)と号す。本尊は十一面観音菩薩。四国八十八箇所第八十六番札所。

 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
 ご詠歌:いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りのこえを耳にふれつつ
 納経印:当寺本尊、閻魔大王
 概要
 藤原不比等に関わる伝説は謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっている。 また、江戸時代、当地の出身の平賀源内を長崎に遊学させるため、当時の住職が尽力したという。本堂の背後で境内の北は志度湾で瀬戸内海が広がり、ひとつ前の札所である八栗寺のある五剣山と屋島が臨める。

 歴史
 本寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた檜の霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊・十一面観音を造立し、小さな堂を建て祀ったという。626年(推古天皇33年)のことで創建とされている。

 681年(天武天皇10年)藤原不比等が堂宇を増築し「死度道場」と名づけたという。また、693年(持統天皇7年)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、寺名を「志度寺」に改めたと伝えられている。この海辺は極楽浄土へ続いているとの信仰を伝えると『梁塵秘抄』に書かれているという。

 その後、巡錫に来た、弘法大師が伽藍の修理にあたったのは弘仁年間である。

 室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行うことで繁栄し、室町後期になると敷地内および近隣に多くの僧坊や支院末寺を塔頭として抱えた。のちの戦乱により寺院は荒廃するも、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて藤原氏末裔の生駒親正による支援などを得る事となり、慶長の頃には改めて「華厳坊」「常楽坊」「西林坊」「常林坊」「林蔵坊」「空圓坊」などの僧坊を復興させるに至る。1671年(寛文10年)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興。これに伴い復興させた僧坊も様々な要因により改めて再編され複数の塔頭寺院(後述)として独立するに至る。

 1962年(昭和37年)に重森三玲による枯山水「無染庭」が造られている。

 伽藍
 ここでは、参拝順路の順番に表示する。

 山門(仁王門)- 仁王像を安置。
 手水舎・鐘楼堂
 五重塔 - 高さ33 m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された。本尊は胎蔵大日如来坐像。
 奪衣婆堂 - 奪衣婆が拝観できる。脇侍は地蔵菩薩・太山府君
 本堂 - 毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。向かって右奥には凡薗子尼像が鎮座し、宮殿の背後には大きい阿弥陀如来図が直接描かれ、本堂奥の壁には伝持の八祖の掛け軸がかかっている。
 大師堂 - 以前は中に入れたが、納経所が移動してからは外からの参拝となった。
 三尊仏 - 阿弥陀・薬師・観音の金属製坐像。藩主松平頼重が切腹させた家来三人を祀る。
 閻魔堂 - 十一面閻魔大王が鎮座。毎月17日開帳。
 三社(祠)
 薬師堂 - 薬師如来坐像を拝観できる。
 松風塚・椎本芳室翁文塚 - 向かって左は渡辺桃源(俳号・三千舎みちのや)のもので、右は椎本芳室(しのもとほうしつ、俳号・甘泉庵)のもので、共に平賀源内(俳号・李山)を支えた。
 書院 - 浄瑠璃『花上野誉の石碑』の舞台となった。
 無染庭 - 枯山水庭園。細川勝元によって完成された。納経所の中からも眺めれる。
 お辻の井戸 - 歌舞伎『花上野誉石碑』に出てくるお辻が水垢離した井戸。無染庭の南側にあり。
 曲水式庭園 - 室町時代、四国管領であった細川氏によって造成。
 納経所
 仁王門をくぐり、左側の2つ目の通路を行き手水舎と鐘楼堂の間を進むと五重塔の前に出る。その先にある奪衣婆堂を参拝後、右前に進むと本堂があり、その右に大師堂がある。大師堂を背に左に三尊仏があり、進むと閻魔堂がある、さらに進むと三社の祠を過ぎ薬師堂がある。右に曲がり左のピンク色の納骨堂を越えて左側の宝物館と書院の間を入って行くと右側に垣根に囲まれた無染庭があり前方に曲水式庭園が広がる。 無染庭の垣根に沿って右に進んだ先にお辻の井戸が前方にある。薬師堂前の参道に戻り、納経所は書院を過ぎて左手の白壁の蔵との間の小径を入って行くとある。

 句碑 - 山頭火「月の黒鯛ぴんぴんはねるよ」が本堂の右前にある。

<北西の駐車場方向>

 生駒親正の墓所 - 境内の北側の墓地の中にあり、海女の墓を囲む柵の右側に沿って奥。
 海女の墓 - 「海女の玉取り」伝説:藤原不比等は唐より授かった「面向不背の珠」という宝珠を沖で龍神に奪われた。これを取り戻すためこの地の海女に後に藤原房前となる子を産ませる。その海女は龍神の棲む龍宮へ向かい我が子と引き換えに宝珠を取り戻して亡くなる。不比等は薗子尼が建てた堂の傍らに海女の墓を造り弔った。その後、大人になった藤原房前は当地に訪れ母の供養のために千基の石塔を建立したと伝えられる。その残った一部の20基余が海女の墓といわれてる。
 句碑 - 高浜年尾「盆に来て海女をとむらふ心あり」が海女の墓び前にある、
 弁財天堂(祠) - 境内の北西端にある。

 宿坊 - なし
 駐車場 - 仁王門の直前を右へ入った納経所の前は普通車までで、境内の海側にバスも可能な駐車場が2ケ所にあり、いずれも無料。

 年中行事

 藤原房前忌 4月17日
 柴燈大護摩 5月13日 - 護摩法要を屋外の本堂前で執行する柴燈護摩
 凡園子忌 6月16日
 志度寺の十六度市 7月16日 - 海女の命日(旧暦6月16日)にあわせ、境内に市が立ちっていた(現在は中止)。また年に1度、本尊十一面観音の御開帳を行う。
 藤原不比等忌 8月3日
 永代土砂加持法要 12月10日
 文化財
 国の史跡

 讃岐遍路道 志度寺境内:本堂や仁王門、大師堂、海女の墓五輪塔群などに、歴代住職墓も加えた約2 ha、2022年11月10日追加指定
 重要文化財
 本堂(附 棟札2枚) - 1670年(寛文10年)建立。初代藩主松平頼重の寄進。桁行七間、梁間五間、入母屋造。1983年(昭和58年)6月2日指定。
 仁王門 - 本堂と同様の年代と寄進。三間一戸の八脚門。 1983年(昭和58年)6月2日指定。
 木造十一面観音立像および両脇侍(不動明王立像・毘沙門天)立像 - 1901年(明治34年)3月27日指定。
 (十一面147.0 cm榧の一木造り彩色・藤原時代、不動78.2 cm、毘沙門79.4 cm) 絹本著色十一面観音像 - 鎌倉時代(13世紀)作。202.5 cm×85.8 cm。1901年(明治34年)3月27日指定。
 絹本著色志度寺縁起 6幅(附:紙本墨書志度寺縁起等付属文書9巻)- 鎌倉末期から室町初期作、120 cm×170 cmが6幅の大作。1901年(明治34年)3月27日指定、附の文書は昭和39年1月28日追加指定。2015~2017年度(平成27~29年度)国・県・市の補助による解体修理を実施。
 県指定有形文化財
 閻魔堂 - 1984年(昭和59年)8月14日指定。
 奪衣婆堂 - 1984年(昭和59年)8月14日指定。
 木造如来形坐像(五重塔内) - 像高101 cm、欅材の一木造、漆箔。寺伝では胎蔵大日如来であるが、通常の大日如来像と異なり装身具をつけていない。1969年(昭和44年)3月28日指定。
 木造金剛力士立像(仁王門内) - 1969年(昭和44年)3月28日指定。
 さぬき市指定有形文化財
 絹本著色十一面観音立像 - 1986年(昭和61年)2月27日指定。
 さぬき市指定史跡
 生駒親正墓塔 - 1991年(平成3年)3月6日指定。
 海女の墓五輪塔群 - 1990年(平成2年)12月26日指定。

 志度寺  香川県さぬき市志度1102番地

*Wikipedia より

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