うまいッ! 「涼やか!つるつるシコシコ ところてん~静岡~」 2016年06月26日
番組内容
夏の味覚トコロテン。静岡県下田はトコロテンや寒天の原料となる良質なテングサの産地。この季節、海女が素潜りで収穫している。地元の工場ではテングサと水をじっくりと煮込んで、歯ごたえシコシコの絶品のトコロテンを作っている。その職人技を拝見。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201606260615001302100 より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
「下田のテングサ」
<再発見!伊豆学講座>ところてん生産 大収入源だったテングサ 2020年12月13日 08時06分
寒い季節になると、かつては重要な仕事が一つあった。寒天製造である。信州では冬の副業として盛んに行われた。寒天は「干天」とも書く。ところてんを寒い空のもと日にさらして作る天然の「フリーズドライ」だ。
元となるところてんは海藻のテングサを煮て溶かし、冷やして固めたもの。その製法は奈良時代初期、遣唐使により伝えられたという。
箱根宿では安政六(一八五九)年、質屋を営む五郎右衛門が、箱根湖水の水を利用し寒天製造ができるとして、幕府の許可を受けて事業を始めた。いつまで続いたかは不明だが、明治五年までは製造していた(江川文庫「安政六年勘定方伺書」「明治五年伊豆国租税金取立(とりたて)帳」)。テングサは房総半島と伊豆半島からの取り寄せだった。
テングサは、所天草とも言った。伊豆の代官江川家の宝永三(一七〇六)年の正月料理に「ぶと」という名で登場する。これはところてんの隠しみそ酢の料理だ。
正徳二(一七一二)年の「和漢三才図会」にテングサの産地として宇和島、鎌倉、佐賀関、伊豆、熊野がある。しかし、もともとは伊豆近海には生息していなかったという。
白浜村(下田市)の人が伊豆諸島の神津島より種子を海岸に移植、繁茂するにしたがい、これを採取し食料とすることによって、初めて伊豆の各地でテングサ生産が始まったといわれる。慶長三(一五九八)年の記録があるという。寛文・延宝期に作成の「豆州下田湊之図」には、柿崎・須崎村(いずれも下田市)で徴収された、テングサを仲買人に売る際にかかる税金「心太役(ところてんやく)」の記載がある。
慶応二(一八六六)年の「賀茂郡皆済目録」(江川文庫)には下田町(下田市)の鈴木吉兵衛がアワビ、サザエ、テングサの出荷を請け負っていた記載がある。吉兵衛は穀屋を営み、伊豆の米相場の一角をなしていた。また那賀郡浜村(西伊豆町)、賀茂郡浜村(河津町)のテングサ集荷も請け負っていた(明治三年「那賀郡午皆済目録」)。
吉兵衛は文久元(一八六一)年から慶応三(一八六七)年の七年間、アワビ、サザエ、テングサの集荷請負にかかる税である運上金を、毎年二百十六両余納めている(江川文庫、文久三年伊豆駿河国御年貢諸運上取立帳)。吉兵衛と柿崎村平右衛門という者が両者で請け負ったテングサは十三両余であった(同)。
税でこれだけの金額を納めたが、実際の生産額は少なくとも約十倍はあったとみられる。運上金は生産前に申告するもので、伊豆では慣例として、仲買人が買い取り価格の十分の一を税として納める「分一」という制度があったからだ。
現在も沿岸地域でのテングサ収穫が行われているが、かつては当地の大きな収入源であった。 (橋本敬之・伊豆学研究会理事長)
*https://www.tokyo-np.co.jp/article/74067 より
「テングサ」
テングサ(天草)は、紅藻類テングサ科 Gelidiaceae の海藻で心太、寒天の原料になるものの総称。石花菜(せっかさい)とも呼ぶ。
歴史
古くから交易の品物として取り扱われ、延喜式には、「大凝菜卅」(オゴノリ)という名で記載されていた。また、万葉言葉の残る地域では「てぐさ」と呼ばれている。
用途
赤紫色をしているが、水にさらし、天日乾燥させることを4、5回繰り返し、退色して白色になり、それを乾燥させたものを利用する。江戸時代の伊豆地方では肥料としても用いられてきたが、1822年、伊豆の代官が肥料への使用を禁止したため、食用のみに用いられるようになったと伝えられる 。現代では寒天や心太(ところてん)の原料とするほか、寒天質は菌類や細胞などを培養するために使われる培地(寒天培地)のもっとも基本的な素材である。
*Wikipedia より
【夏の風物詩】日本一のテングサが生む、ところてん
伊豆半島は、日本一のテングサ(テングサは寒天質を抽出できる海藻の総称で、伊豆半島ではマクサやオオブサという海藻が主流)の産地として知られています。
暖流である黒潮が流れテングサが生育するのに適した水温であること、日光が届く浅い海域にテングサが付着する大きな石があること、伊豆半島の山々から豊かな栄養分が流れ込んでいることなどの好条件が重っています。
それゆえ伊豆半島沿岸のテングサは肉厚でコシと弾力があり、そして磯の香りも強く、寒天質を多く含む高品質なテングサに成長します。
テングサの歴史
テングサとの関りは古く、伊豆半島では1600年以前からテングサ漁が行われてきました。
テングサ漁は5月ごろから夏にかけて行われ、海女さんが素潜りで採取することが多く、西伊豆では「まんが」と呼ばれる串状の道具で船の上からテングサを取る方法もあります。
水揚げされたテングサは真水で洗い、浜辺で天日に干します。
この作業を繰り返すと赤かったテングサは色が抜け白くなっていきます。
テングサ漁が行われる浜辺では天日干しの赤や白の絨毯が広がり、夏の風物詩となっています。
そして、その間、手間暇をかけて砂や牡蠣殻、ほかの海藻を取り除き、純度の高いテングサに仕上げているのです。
生産者のコメント
伊豆半島の豊かな自然が育んだ最高品質のテングサを厳選吟味し、天城山麓の湧き水から作られる「ところてん」は、まさに伊豆のソウルフードです。
一口食べると、ねばりとコシが強い弾力感のあるつるつるとした喉越し。そして、海の恵みが凝縮された上品なテングサの香りが口いっぱいに広がります。海の恵みをたっぷり浴びて育ったテングサだからこその、深い味わいをお楽しみいただけます。
伊豆にお越しの際は、ぜひ、伊豆産のテングサで作られた「ところてん」をお召し上がりください。 伊豆の心太 盛田屋
*https://b-izu.com/feature/post-20822/ より