いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 国分だいこん -追記あり-

2024-06-13 17:09:28 | 伝統野菜

 「国分だいこん」

 由来など
 霧島市隼人町浜之市付近で古くから栽培されていた。現在は,ほとんど見ることが無くなったが,近年,地元の農業青年クラブが産地復活に取り組んでいる。
 鹿児島県園芸史(園田準二著)には,大正時代に栽培されていたことや,根部が地上に露出していたことから飛び上がり大根の別名があったとの記述がある。
 作物の特徴・特性
 地上部の生育は旺盛で,葉長が60~70cm,葉幅が20cm程度でやや赤みがかった緑色である。根部は,桜島大根を小型化した形で淡赤紫色を帯びている。根重は2~10kgとバラツキが大きい。
 味や料理法
 軟らかくて煮崩れしない。煮物にしたらトロッとした食感。漬物にも適し,特有の辛み,色合い,カリカリ感に優れる。
 栽培カレンダー
国分だいこん暦

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/kokubu.html より

 

 「国分だいこん-こくぶだいこん」

 【生産地】霧島市隼人町浜之市(はまのいち)地区(旧:姶良《あいら》)地区)

 【特徴】地上部の生育は旺盛で,葉長が60~70cm,葉幅が20cm程度でやや赤みがかった緑色である。根部は,桜島大根を小型化した形で淡赤紫色を帯びている。根重は2~10kgとバラツキが大きい。表面がピンク色で中身は白色。肉質が緻密で煮崩れしにくい。さらにとう立ちしにくく、害虫がつきにくい。

 【食味】辛みが少なく甘みが強い。軟らかいが煮崩れしない。煮物にするとトロッとした食感。漬物にも適し、特有の辛みとカリカリ感に優れる。

 【料理】サラダ、煮物、漬物、ガーリックオイル炒めなど

 【来歴】同地区で古くから栽培されていた。現在は,ほとんど見ることが無くなったが,近年,地元の農業青年クラブが産地復活に取り組んでいる。園田準二著『鹿児島県園芸史』には,大正時代に栽培されていたことや、根部が地上に露出していたことから「飛び上がり大根」の別名があったとの記述がある。

 【時期】12月下旬~1月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_S4JyAudM より

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< 郷土料理 > 茨城 柚子大根

2024-06-13 17:04:09 | 郷土料理

 「柚子大根」

 主な伝承地域 北部地域

 主な使用食材 大根、柚子、酢、昆布

 歴史・由来・関連行事
 ピーマンやれんこん、ごぼうなど、収穫量全国1位の食材を多く抱える国内屈指の“農業県”茨城県では、実は柚子もよくつくられている。温暖な気候を好む柚子は、主に高知県や徳島県といった四国地方に産地が集中しているが、関東圏では埼玉県や茨城県などで栽培されている。8月から10月くらいは緑の柚子が出回り、気温が下がってくると黄色の柚子が店頭に並ぶ。
 「柚子大根」は茨城のほか、関東の幅広いエリアで食べられている冬の郷土料理である。
 大根は輪切りにした後に天日干しをするが、昔は冬になると各家庭の軒先に大根をつるしている風景がよく見かけられた。

 食習の機会や時季
 北部地域では、正月のおせち料理の中の定番の一品として食べられている。
 酢でさっぱりと食べられることから、箸休めとして日常の献立に取り入れる家庭も多い。

 飲食方法
 大根を2mmから3mmくらいの厚さの輪切りにし、2日くらい天日で干す。干すことで大根がしまり、小さくなるので、はじめに大きめの大根を選んでおくと良い。水で戻した大根で、千切りにした柚子を巻き、3mm程度の幅に切った昆布で結ぶ。最後に合わせ酢をかけ、2日程度寝かして味を馴染ませてからいただく。
 輪切りにした大根を天日干しにせず、少し塩もみして水分を抜いてつくる方法もある。
 酢につけることで保存が効くため、つくり置きもできる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 「柚子大根」は現在でも、北部地域を中心に、お正月の定番料理として食べられている。
 6次化の取組みで、柚子を使ったジュースやこしょう、ジャムなどの加工品もつくられている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/yuzudaikon_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 群馬 上州藤岡ラーメン

2024-06-13 13:43:16 | B級ご当地グルメ

 「上州藤岡ラーメン」

 群馬の伝統「上州藤岡ラーメン」
 群馬県藤岡市周辺には、美味と評判のラーメン屋が多く見られます。 多く取り扱っているのは、ご当地麺として有名な上州藤岡ラーメンです。 太い手打ちのちぢれ麺と、あっさりしたコクの醤油ベースのスープが基本の形ですが、お店ごとに違う進化を遂げています。 かつて主産業だった瓦産業が衰退し何か名物を、というラーメン店の店主たちの願いにより集まり上州藤岡ラーメン会が結成され、そこから生み出されたのが上州藤岡ラーメンです。 駅前などではなく群馬県各地に上州藤岡ラーメンのお店はあるので、来訪の際にみつけて食べ歩きするのも良いかもしれません。 オススメは、群馬藤岡駅から徒歩10分の距離にあるみやご食堂です。 青竹で打つ麺は、コシが強くてさっぱりとした美味しさです。

*https://taberukoto.jp/ramen/joshu-fujioka-ramen/ より

 みやご食堂 群馬県藤岡市藤岡230

*https://tabelog.com/gunma/A1005/A100502/10000771/ より

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うまいッ! NHK「涼やか!つるつるシコシコ ところてん~静岡~」

2024-06-13 10:29:21 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「涼やか!つるつるシコシコ ところてん~静岡~」 2016年06月26日

 番組内容
 夏の味覚トコロテン。静岡県下田はトコロテンや寒天の原料となる良質なテングサの産地。この季節、海女が素潜りで収穫している。地元の工場ではテングサと水をじっくりと煮込んで、歯ごたえシコシコの絶品のトコロテンを作っている。その職人技を拝見。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201606260615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「下田のテングサ」

 <再発見!伊豆学講座>ところてん生産 大収入源だったテングサ 2020年12月13日 08時06分

 寒い季節になると、かつては重要な仕事が一つあった。寒天製造である。信州では冬の副業として盛んに行われた。寒天は「干天」とも書く。ところてんを寒い空のもと日にさらして作る天然の「フリーズドライ」だ。
 元となるところてんは海藻のテングサを煮て溶かし、冷やして固めたもの。その製法は奈良時代初期、遣唐使により伝えられたという。
 箱根宿では安政六(一八五九)年、質屋を営む五郎右衛門が、箱根湖水の水を利用し寒天製造ができるとして、幕府の許可を受けて事業を始めた。いつまで続いたかは不明だが、明治五年までは製造していた(江川文庫「安政六年勘定方伺書」「明治五年伊豆国租税金取立(とりたて)帳」)。テングサは房総半島と伊豆半島からの取り寄せだった。
 テングサは、所天草とも言った。伊豆の代官江川家の宝永三(一七〇六)年の正月料理に「ぶと」という名で登場する。これはところてんの隠しみそ酢の料理だ。
 正徳二(一七一二)年の「和漢三才図会」にテングサの産地として宇和島、鎌倉、佐賀関、伊豆、熊野がある。しかし、もともとは伊豆近海には生息していなかったという。
 白浜村(下田市)の人が伊豆諸島の神津島より種子を海岸に移植、繁茂するにしたがい、これを採取し食料とすることによって、初めて伊豆の各地でテングサ生産が始まったといわれる。慶長三(一五九八)年の記録があるという。寛文・延宝期に作成の「豆州下田湊之図」には、柿崎・須崎村(いずれも下田市)で徴収された、テングサを仲買人に売る際にかかる税金「心太役(ところてんやく)」の記載がある。
 慶応二(一八六六)年の「賀茂郡皆済目録」(江川文庫)には下田町(下田市)の鈴木吉兵衛がアワビ、サザエ、テングサの出荷を請け負っていた記載がある。吉兵衛は穀屋を営み、伊豆の米相場の一角をなしていた。また那賀郡浜村(西伊豆町)、賀茂郡浜村(河津町)のテングサ集荷も請け負っていた(明治三年「那賀郡午皆済目録」)。
 吉兵衛は文久元(一八六一)年から慶応三(一八六七)年の七年間、アワビ、サザエ、テングサの集荷請負にかかる税である運上金を、毎年二百十六両余納めている(江川文庫、文久三年伊豆駿河国御年貢諸運上取立帳)。吉兵衛と柿崎村平右衛門という者が両者で請け負ったテングサは十三両余であった(同)。
 税でこれだけの金額を納めたが、実際の生産額は少なくとも約十倍はあったとみられる。運上金は生産前に申告するもので、伊豆では慣例として、仲買人が買い取り価格の十分の一を税として納める「分一」という制度があったからだ。
 現在も沿岸地域でのテングサ収穫が行われているが、かつては当地の大きな収入源であった。 (橋本敬之・伊豆学研究会理事長)

*https://www.tokyo-np.co.jp/article/74067 より

 「テングサ」

 テングサ(天草)は、紅藻類テングサ科 Gelidiaceae の海藻で心太、寒天の原料になるものの総称。石花菜(せっかさい)とも呼ぶ。

 歴史
 古くから交易の品物として取り扱われ、延喜式には、「大凝菜卅」(オゴノリ)という名で記載されていた。また、万葉言葉の残る地域では「てぐさ」と呼ばれている。

 用途
 赤紫色をしているが、水にさらし、天日乾燥させることを4、5回繰り返し、退色して白色になり、それを乾燥させたものを利用する。江戸時代の伊豆地方では肥料としても用いられてきたが、1822年、伊豆の代官が肥料への使用を禁止したため、食用のみに用いられるようになったと伝えられる 。現代では寒天や心太(ところてん)の原料とするほか、寒天質は菌類や細胞などを培養するために使われる培地(寒天培地)のもっとも基本的な素材である。

*Wikipedia より

 【夏の風物詩】日本一のテングサが生む、ところてん

 伊豆半島は、日本一のテングサ(テングサは寒天質を抽出できる海藻の総称で、伊豆半島ではマクサやオオブサという海藻が主流)の産地として知られています。
 暖流である黒潮が流れテングサが生育するのに適した水温であること、日光が届く浅い海域にテングサが付着する大きな石があること、伊豆半島の山々から豊かな栄養分が流れ込んでいることなどの好条件が重っています。
 それゆえ伊豆半島沿岸のテングサは肉厚でコシと弾力があり、そして磯の香りも強く、寒天質を多く含む高品質なテングサに成長します。

 テングサの歴史
 テングサとの関りは古く、伊豆半島では1600年以前からテングサ漁が行われてきました。
 テングサ漁は5月ごろから夏にかけて行われ、海女さんが素潜りで採取することが多く、西伊豆では「まんが」と呼ばれる串状の道具で船の上からテングサを取る方法もあります。

 水揚げされたテングサは真水で洗い、浜辺で天日に干します。
 この作業を繰り返すと赤かったテングサは色が抜け白くなっていきます。
 テングサ漁が行われる浜辺では天日干しの赤や白の絨毯が広がり、夏の風物詩となっています。
 そして、その間、手間暇をかけて砂や牡蠣殻、ほかの海藻を取り除き、純度の高いテングサに仕上げているのです。

 生産者のコメント
 伊豆半島の豊かな自然が育んだ最高品質のテングサを厳選吟味し、天城山麓の湧き水から作られる「ところてん」は、まさに伊豆のソウルフードです。
 一口食べると、ねばりとコシが強い弾力感のあるつるつるとした喉越し。そして、海の恵みが凝縮された上品なテングサの香りが口いっぱいに広がります。海の恵みをたっぷり浴びて育ったテングサだからこその、深い味わいをお楽しみいただけます。
伊豆にお越しの際は、ぜひ、伊豆産のテングサで作られた「ところてん」をお召し上がりください。 伊豆の心太 盛田屋

*https://b-izu.com/feature/post-20822/ より

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<料理用語-和食> 氷鉢盛り

2024-06-13 10:12:24 | 料理用語

 「氷鉢盛り-こおりばちもり」

 氷塊を氷ノミで削って、あるいは細かくした砕氷を型に入れて再凍結させて作った鉢やかまくらに、お造りの洗いなどを盛る。夏場の盛り方である。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/017.html より

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<異名-食べ物> 山のキャビア

2024-06-13 08:03:20 | 異名

 「山のキャビア とんぶり」

 「山のキャビア」と呼ばれるとんぶりは、アカザ科ホウキギ属の一年草であるホウキギ(ホウキソウ、ホウキグサ)の成熟果実を加熱加工した物の、日本語での名称。

 日本では古来、民間療法で用いる生薬の一つでしが、現代では日本文化における食品の一つとして用いられることが多くなりました。

 ホウキギという植物もその実を薬用および食用とすることも古代中国からの伝来で、日本で言う「とんぶり」と同じものを、古来中国であれ日本であれ漢方医学では地膚子と呼び、利尿と強壮を主な薬効とする生薬として取り扱ってきました。

 果実は直径1 - 2mmの小さな球形で、黒緑色で光沢があり、歯ざわりも似ていることから、日本語では「山のキャビア」「畑のキャビア」「和製キャビア」とも呼ばれるようになりました。

*https://www.alias-food.com/mountain/mountain-of-caviar より

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<難読漢字-鳥類> 鴎

2024-06-13 07:59:38 | 難読漢字

 「鴎 かもめ」

 カモメ(鴎、Larus canus)は、鳥綱チドリ目カモメ科カモメ属に分類される鳥類。

 和名は幼鳥の斑紋が籠の目(かごめ→カモメ)のように見える事が由来とされる。

 漢字表記は本種の鳴き声に対する当て字で、アメリカ合衆国における英名mewも鳴き声(英語圏でのネコの鳴き声にあたる)に由来する。

*Wikipedia より

 

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<慣用句・諺> 手に職を付ける など

2024-06-13 07:52:41 | 慣用句・諺

 「手に職を付ける」

 働くための技能を身につける。

 

 「手に据えた鷹を逸らす-てにすえたたかをそらす」

 飼い慣らした鷹を逃がしてしまう。いったん手に入れた大切なものを失うことのたとえ。

 

 「手にする」

 1 手に取って持つ。

 2 自分の物にする。

 

 「手に付かない」

 心が他に奪われてその事に集中できない。

 

 「手に手を取る」

 互いに手を取る。特に、相愛の男女が行動をともにする。

 

*goo辞書 より 

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<日本酒メーカー> 山形 酒田酒造

2024-06-13 07:34:50 | 日本酒

 「酒田酒造」

 昨今の吟醸ブームに関係なく、究極の酒造りを目指してしました。

 純米酒、純米吟醸酒の製造研究に力を入れ、商品ごとに特徴のある味や香りを持ち、消費者のニーズに合った酒をつくっています。また、清酒の熟成について、社長自ら取り組み、熟成の方法の違いや、清酒のタイプ別、熟成年数別等、色々な熟成酒を研究しています。

 酒田酒造 山形県酒田市日吉町二丁目3-25

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/67/ より

 代表銘柄

上喜元 限定大吟醸 古流しずく採り

原料米:山田錦

精米歩合:38%
アルコール度数:17~18度

日本酒度:+4

酸度:1.2

*https://hosoe-saketen.com/SHOP/sa-da-gentei.html より

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<四国八十八箇所> 第74番札所 甲山寺

2024-06-13 07:25:42 | 巡礼

 「甲山寺」

 甲山寺(こうやまじ)は、香川県善通寺市にある真言宗善通寺派の寺院。医王山、院号は多宝院と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第七十四番札所。甲山(かぶとやま)の麓に位置する。

 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌:十二神(じゅうにしん)味方に持てる戦(いくさ)には おのれとこころ甲(かぶと)やまかな
 納経印:当寺本尊、多聞天堂毘沙門天、うさぎの朱印(200円)
 概要

 伝説では、壮年期の空海が寺を建立しようと幼きとき遊んだこのあたりを探索していると老翁が現れ、この地にお寺を建立すべしとお告げをした。この地の岩窟に住む毘沙門天の化身と悟った空海はこの岩窟に毘沙門天を祀った。 その後、嵯峨天皇の勅命を受け別当として満濃池の修築を命じられた空海は、この地で薬師如来を刻み修法すると数万の人々が集まり、無事に築造を完成に導いた。弘仁12年(821年)その功績に対して朝廷から二万銭が与えられ、その一部によって堂を建立したのが当寺の始まりであるという。

 天正年間の兵火により本尊とわずかの寺宝が残ったのみで、『四国徧礼霊場記』(1689年刊)には、「むかし大伽藍の所といえども荒涼せり盛衰は世の数ある・・」と記されている状況であったが、享保20年(1730)に本堂、寛保2年(1742)に大師堂が再建され、『四国遍礼名所図会』(1800年刊)の挿絵では現在の形に近い形に復興している。

 甲山(標高87.2 m)には、室町時代に天霧城の出城があったと云われていて、山頂に石舞台跡があり、頂上には神武天皇孝明天皇震儀石がある。また、当寺から山頂に向かう山道には江戸時代末期に開かれたという西国三十三所の石仏が並んでいる。

 伽藍

 山門:2008年落慶
 中門:旧山門を中門として修築。
 本堂:本尊を拝観できる(脱履物)。
 大師堂:2014年と2020年に大師像が開帳された。
 護摩堂
 多聞天堂:境内左奥の岩窟内に毘沙門天が祀られている
 子安地蔵:大師堂に向って右前にいて、前掛けを持ち帰ると子供が生まれたというエピソードから。
 淡島大明神
 ウサギが16羽:本尊脇仏の月光菩薩の持物にウサギが描かれていることから、山門や中門の内側および茶堂の屋根と手水舎の前にいる。
 山門をくぐり右に手水舎を越え、左に曲がり中門をくぐると右手に納経所、わずかな石段を上がると本堂その右の続に護摩堂、左に数段上がると大師堂があり、鐘楼がその先にあり、その向こうに毘沙門窟入口があり、中に毘沙門天の石像が祀られている。

 宿坊:なし
 駐車場:無料大駐車場が山門前にあり

 甲山寺 香川県善通寺市弘田町1765番地1

*Wikipedia より

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