いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 鹿児島 トカラ田いも -追記あり-

2024-06-18 08:57:34 | 伝統野菜

 「トカラ田いも」

 由来など
 昔(明治に入る前)からトカラ列島の行事食や正月料理には欠かせない伝統食材として,水田のある島では各家庭で栽培されている。
 作物の特徴・特性
 常に冷水のかかる水田での栽培でないと良質な芋はできない。
 白いも系と赤いも系があり,それぞれの島で水田によって適性があるようで,系統別の栽培適性の確認が必要となっている。
 味や料理法
 ホクホク感とネバリ感がよくマッチしており,トカラ伝統食材の人気食材になっている。
 にしめ料理,焼ダンゴ,トンコツ料理
 栽培カレンダー

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/taimo.html より

 

 「トカラ田いも」

 【生産地】鹿児島郡十島村吐噶喇列島(とかられっとう)

 【特徴】トカラ列島親芋専用種の田芋。白いも系と赤いも系があり,それぞれの島で水田によって適性があるようで,系統別の栽培適性の確認が必要となっている。水を張った水田で栽培されており、常に冷水のかかる水田での栽培でないと良質な芋はできない。

 【食味】ホクホク感とネバリ感のバランスが良い。

 【料理】煮しめ、焼き団子、行事食や正月料理にも欠かせない。

 【来歴】明治以前から屋久島と奄美大島という二つの世界自然遺産に挟まれたトカラ列島の水田のある島では、伝統食材として各家庭で栽培されていた。以前はいたるところで栽培されていたが、現在はかなり少なくなった。

 【時期】10月中旬~3月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_DZ5vPzSb より

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< 郷土料理 > 茨城 凍みこんにゃく

2024-06-18 08:52:40 | 郷土料理

 「凍みこんにゃく」

 主な伝承地域 北部地域

 主な使用食材 こんにゃく

 歴史・由来・関連行事
 茨城県北部の奥久慈群地方は、古くからこんにゃく栽培が盛んな地域であり、江戸時代には水戸藩の専売品として、藩の財政を支えてきた歴史をもつ。
 「凍みこんにゃく」は、そうした茨城県北部の農閑期の副業としてつくられてきた。江戸時代に、天下野町(旧・久慈郡天下野村)出身の北方探検家、木村謙次が丹波から製法を持ち帰ってきたと伝えられている。
 「凍みこんにゃく」は茨城県の自然環境がつくる寒暖差をいかした方法で製造される。12月中旬から2月頃までの厳冬期の畑にわらを敷き詰めて、こんにゃく芋からつくったこんにゃくを並べ、水をかけてから、夜間にかけて凍らせていく。そして、昼間の日光でゆっくりと解凍させることを20日間ほど繰り返すことで、こんにゃくの水分が抜けスポンジ状になり、「凍みこんにゃく」となる。完成まで1カ月を要し、手間暇かけてつくられる「凍みこんにゃく」だが、昭和30年代の後半(1960年ごろ)から生産者が激減しており、現在は茨城県北部のみで生産されている希少な食材である。

 食習の機会や時季
 茨城県の冬の風物詩として知られる「凍みこんにゃく」。乾燥状態を保てば長く食べることができる優れた保存食であるため重宝されてきた。各家庭でさまざまな調理方法で楽しまれてきたが、一般的には「煮しめ」という調理法が親しまれてきた。

 飲食方法
 「凍みこんにゃく」をそのまま15分ほど水に浸したあと、お湯で10分ほど煮てアクを抜いて下処理をし、煮物や鍋 などに入れる。
 味や香りがないためどんな料理にでも合い、料理の旨味や出汁がよく染み込んだ「凍みこんにゃく」独特の食感を楽しむことができる。地元でつくられる一般的な料理が、醤油、酒、みりん、砂糖で味付けをする「煮しめ」である。近年は、ほかにも煮しめた凍みこんにゃくを唐揚げや天ぷら、フライやグラタン、きんぴらにしたり、味付けしていないものをお吸い物の具、卵とじにするなど、さまざまな調理法が考案されている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 観光協会や特産品流通公社や県のホームページで、歴史や販売店の情報が発信されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/shimikonnyaku_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 群馬 ソースカツ丼

2024-06-18 08:47:41 | B級ご当地グルメ

 「ソースかつ丼」

 主な伝承地域 桐生市、前橋市、伊勢崎市

 主な使用食材 豚肉

 歴史・由来・関連行事
 群馬は30種以上の銘柄豚が存在するほど、豚肉の名産地として知られている。県内で生産された小麦をエサとして育てる「麦豚」など、飼育方法にこだわり、肉の品質やおいしさを追求。中でも前橋市は、全国屈指の豚肉産出額を誇るという。それゆえに県内では豚肉料理が根づいており、豚肉料理の代表格である「とんかつ」が多くの家庭や飲食店で提供されている。単品で食べるのはもちろん、カツカレーやカツサンドなど多様にアレンジされる中、ソウルフードとして特に愛されているのが「ソースカツ丼」だ。 元祖はとある鰻屋と言われている。伝統の鰻のタレにウスターソースをブレンドしたオリジナルソースをソースカツ丼に使用することで人気を集め、それに伴いソースカツ丼を提供する飲食店が増えていったとされている。

 食習の機会や時季
 織物業が盛んだった桐生市では、冷めてもおいしいソースカツ丼の出前がよく取られていた。現在もソウルフードとして親しまれており、さまざまな飲食店で提供されているメニューだ。桐生市内で「カツ丼」と言えば、卵とじのカツ丼ではなくソースカツ丼を指すほど、馴染み深い料理となっている。

 飲食方法
 桐生市の飲食店組合と麺類商組合の有志が集う「桐生ソースかつ丼会」では、「豚ヒレ肉を使い、揚げたてのカツをソースにくぐらせ、丼に盛ったご飯にのせる」と定義づけている。使うソースや豚肉の銘柄に明確な決まりはなく、家庭や店舗によって異なる味が楽しめる。また、地域によっては部位もヒレやロース、モモなどを活用するところも。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 桐生市では「桐生ソースかつ丼会」が、スタンプラリーやイベント出店、パンフレットの制作などを行い、広く認知されるよう努めている。また、ソースカツ丼自体は桐生市以外に前橋市や伊勢崎市の飲食店でも広く提供されるようになってきており、群馬県の名物グルメとしても親しまれている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/32_20_gunma.html より

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<料理用語-和食> 焦げ湯

2024-06-18 08:20:22 | 料理用語

 「焦げ湯」

 懐石料理の最後に出る湯桶の別名である。

 煎った米とおこげ(湯の子)にお湯を注ぎ、塩を少量加える。(元々は釜底のおこげを炙ったものだけを使っていた)

 同時に出される香物を利用して椀をきれいにする。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/023.html より

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<異名-食べ物> 不老長寿の果物

2024-06-18 08:16:50 | 異名

 「不老長寿の果物 イチジク」

 イチジク(無花果、映日果)は、クワ科イチジク属の落葉高木、またはその果実のこと。
 そんなイチジクですが、「不老長寿の果物」と呼ばれることがあります。

 というのも、果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどの様々な成分が含まれている点と、民間薬として、痔や疣(いぼ)に塗布したり、駆虫薬として内服したことが、そう呼ばれる理由として挙げられます。

 ちなみに、イチジクの「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する漢語で、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えています。

 また、「映日果」は、中世ペルシア語「アンジール」を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したものです。

 伝来当時の日本では「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれた。いずれも「異国の果物」といった含みを当時の言葉で表現したものです。

*https://www.alias-food.com/mountain/fruit-of-longevity より

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<難読漢字-鳥類> 翡翠、川蝉、魚狗

2024-06-18 07:58:20 | 難読漢字

 「翡翠、川蝉、魚狗 かわせみ」

 カワセミ(翡翠、翡翆、魚狗、川蟬、学名:Alcedo atthis)はブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に属する鳥。水辺に生息する小鳥。鮮やかな水色の体と長いくちばしが特徴。ヒスイ、青い宝石、古くはソニドリ(翠鳥、鴗)と呼ばれることもある。

 名称
 カワセミは「川に棲むセミ」の意で、この「セミ」は古名の「ソニ」が「ソビ」に変化し、それが転じて「セミ」となった。その「ソニ」の「ニ」は土の意味で、ソニ(青土)からきた。また、近縁の「アカショウビン」などのショウビンもこの「ソニ」から来た。 これらとは別に、室町時代から漢名を取り入れ、「ヒスイ(翡翠)」とも呼ばれるようになった。

 カワセミは、それを表す(読む)漢字が沢山ある。川蝉、翡翠、魚狗、水狗、魚虎、魚師、鴗などがあり、川蝉はセミとは関係がなく、「カワセミ」の音を当てた漢字。魚狗、水狗、魚虎、魚師などの漢字はカワセミが巧みに魚を捕らえる様子から来た。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 手もすまに など

2024-06-18 07:51:46 | 慣用句・諺

 「手もすまに」

 手も休めずに。せっせと。

 

 「ても…ない」

 同語または類似した意味の動詞を並べて強く否定する表現。まったく…でない。

 

 「手も無く」

 1 簡単に。たやすく。

 2 そのまま。

 

 「手盛り八杯」

 自分で食べ物を盛って、遠慮なくたくさん食べること。

 

 「手盛りを食う」

 自分の計略に自らはまる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 楯の川酒造

2024-06-18 07:44:44 | 日本酒

 「楯の川酒造」

 楯の川酒造株式会社(たてのかわしゅぞう、TATENOKAWA SHUZO)は、山形県酒田市に本社および工場を置く日本酒の蔵元。

 概要
 1832年(天保3年)に、上杉藩の家臣が庄内を訪れた際、初代・平四郎に良い水があるから酒造りを始めるよう薦め、平四郎が酒母製造業を興したことに始まる。楯の川酒造は、1854年(安政元年)、佐藤家により酒田市(現在地)にて酒造業を開始し、今日まで酒造りを続けて190年となる。 2021年(令和3年)10月、楯の川酒造は、幻の酒米「亀の尾」の親にあたる庄内地方の在来種酒米「惣兵衛早生」を使った日本酒を復活させると発表、商品名は「Shield(シールド)惣兵衛早生」とゆう。地域に根付いた古い品種を復活できないか、2017年(平成29年)県農業総合研究センター水田農業試験場(鶴岡市)から「惣兵衛早生」を譲り受けた。

 2022年(令和4年)6月、楯の川酒造は「庄内産ウイスキー」の生産に向けウイスキー製造子会社を設立した。繊細な日本酒醸造の技術を活かし、「ジャパニーズウイスキー」生産へウイスキー製造子会社「月光川蒸留所」を開設、鳥海山麓の遊佐町吹浦地区に約4,800平方メートルの土地を取得、山形県で2番目となるウイスキー蒸留所となる。2021年(令和3年)の酒類全体の輸出金額は、前年比161.4%で過去最高を更新、ウイスキー輸出金額は、前年比70.6%増と16年連続のプラスと伸びている。2023年(令和5年)9月に蒸留開始を目指し、2027年(令和9年)からの出荷を目指している。

 2022年(令和4年)5月、原酒のまま低アルコールに仕上げた「楯野川 純米大吟醸 爽流(そうりゅう)」を2022年6月13日より販売すことを発表した。爽流は夏にぴったりな季節酒で、原料米に酒米の「山田錦」を使用している。2017年(平成29年)に「楯野川 純米大吟醸 光明 出羽燦々」を販売したが、2022年(令和4年)10月に、約75日(1,800時間)かけて1mmまで磨いた精米歩合1%の「出羽燦々」をリニューアルした。「高級日本酒」の需要の高まりと、供給体制の促進などから製造数量を増やし、リニューアルと価格改定を行った。

 「楯野川」の由来
 1855年(安政2年)、荘内藩の藩主・酒井公が佐藤家を訪れた際に、酒を献上し喜ばれ酒銘を「楯野川」にするよう命名したという。

 沿革
 1832年(天保3年) - 「楯の川酒造株式会社」創業
 1962年(昭和37年)11月22日 - 楯の川酒造株式会社 法人設立
 2017年(平成29年) - 精米歩合1%の「出羽燦々」販売
 2021年(令和3年)10月 - 在来種酒米「惣兵衛早生」を使った酒の復活を発表
 2022年(令和4年)6月 - ウイスキー製造「月光川蒸留所」を開設
         10月 - 精米歩合1%の「出羽燦々」リニューアル販売
 2023年(令和5年)9月 - ウイスキー製造「月光川蒸留所」蒸留開始
 2027年(令和9年) - ウイスキーの出荷を目指
 営業情報
 楯野川 蔵元SHOP
 所在地 - 〒999-6724 山形県酒田市山楯字南山添75-1
 定休日 - 日曜日(祝日営業、臨時休業有り)
 営業時間 - 午前10時〜午後4時
 運営会社 - 創り代表銘柄酒屋(楯の川酒造子会社)
 蔵見学 - 11月〜5月頃まで実施
 実施日 - 毎週土曜日(年末年始除く)
 時間帯 - 午前10時(最大6名)
 費用 - 2,000円(消費税含む)
 内容 - 動画鑑賞・蔵見学・試飲

*Wikipedia より

 代表銘柄

楯野川 純米大吟醸 清流

清流の如き キレ、透明感
軽やかでフレッシュな 吟醸香
一番人気の定番アイテム
「楯野川「Basic(ベーシック)シリーズ」にて一番人気を誇る定番アイテム。
蔵を支える屋台骨的な存在のお酒です。その名の如く、出羽富士「鳥海山」の麓を流れる ”清流” のような透明感をイメージしました。
アルコール度数は14度台と若干低く設計されており、日本酒に対してハードルを感じている方や、はじめて日本酒を飲む方にもぜひおすすめしたい商品です。

このお酒を入り口として、さまざまな楯野川をお楽しみください。

純米大吟醸 光明 山田錦 数量限定
純米大吟醸にこだわり続けて実現・前人未到の精米歩合1%の高級日本酒
「精米歩合 1%」 日本酒史上、発売当時はどの蔵元でも形にできなかった精米歩合です。

地元の契約農家の方々と高品質な酒米の産出を目指すと共に、その高品質な酒米を使い、日本酒の新たな価値を創出すべく、前人未到の精米歩合1%を実現したのが「楯野川 純米大吟醸 光明」です。昨今は高級日本酒としても認知いただけ、日本国内だけでなく海外でも人気を博す商品です。

「光明」の名は、「前例のない挑戦によって新境地への扉が開き、これから先の 『日本酒の世界』 に明るい希望の光がさすように」という願いを込めて命名いたしました。

2016年に挑戦した出羽燦々に比べて、柔らかく1%精米が難しい山田錦を、約2ヶ月半もの時間をかけて直径1mmまで磨き上げます。磨けば磨くほど、雑味の原因となるタンパク質や油分が少なくなります。

透明感と洗練された上品さの中にも、しっかりと米の旨味や甘味を感じさせる、山田錦の風格を最大限引き出した味わいに仕上げることができました。

また、低温で熟成させることで風味が整いより洗練された味わいになるため 時の経過と共に変化する味わいも含めて、楽しんでいただける商品です。

原料米 兵庫県産山田錦100%(全量自家精米)
精米歩合 1%
使用酵母 山形KA 協会1801号
アルコール度数 15度
日本酒度 -3
酸度 1.3
アミノ酸度 0.6

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<四国八十八箇所> 第79番札所 天皇寺

2024-06-18 07:36:20 | 巡礼

 「天皇寺」

 天皇寺(てんのうじ)は、香川県坂出市西庄町八十場にある真言宗御室派の寺院。山号は金華山(きんかざん)、高照院(こうしょういん)と号す。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所第七十九番札所。

 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
 ご詠歌:十楽(じゅうらく)の浮世の中をたずねべし 天皇さえもさすらいぞある
 納経印:当寺本尊、奥之院摩尼珠院
 概要
 境内は崇徳上皇を祀っていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったときその別当寺であった。現在は、崇徳上皇を祀ってはいないが歴史的経緯から天皇寺の名称を持つ。また、過去の経緯から院号の高照院で呼ばれていたこともある。

 歴史
 伝承によれば、古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れたとき、横潮明神が金山の麓にある泉の水を持ってあらわれ、その水を兵士に飲ませた。すると、全員が命を吹き返して助かったという。それからこの泉は「八十場(やそば)の霊水」と呼ばれるようになったという。(弥蘇波から転じたとの説もある)

 その後、寺伝によると、天平年間に行基は、カナヤマビメとカナヤマビコが鎮座する金山に薬師如来を本尊とした堂宇を開創した。さらに後、空海(弘法大師)が八十場の泉を訪れたとき、金山権現の化身である天童が現れ閼伽井を汲み大師に給仕し、この山の仏法を守るようにと宝珠を預けた。大師はこの宝珠を嶺に埋め、荒廃していた堂舎を再興し、その寺を摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と号した。 また大師は、その霊域にあった霊木で本尊十一面観音、脇侍阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を刻造して安置した。そして、金山ノ薬師は札所[2]となり、それらの霊験著しく七堂伽藍が整い境内は僧坊を二十余宇も構えるほど隆盛した。

 時代は下って、崇徳上皇は、保元の乱(1156年)で敗れ讃岐国に配流となり、最初の約3年は雲井御所で過ごし、その後、情勢の変化により厳しく管理するため当所に移され、約6年余り幽閉された後の長寛2年(1164年)旧暦8月26日に崩御した。上皇の亡骸の処遇について京から返事の使者を待つあいだ、金棺を冷たい八十場霊泉に浸し、清水をかけ続けたところ、21日間過ぎたのちも上皇の顔はまるで生きているごとくだったという。その間、霊泉から東へ約200 mの所にあった上皇の御所の辺りから毎夜神光が放たれ森が光ったという。やがて返事が届いて上皇は白峯山に葬送され旧暦9月18日山上で荼毘に付された。そして、二条天皇は、崩御の地に一堂を設けるよう沙汰を下しており[3]、上皇が最期に住んだ終焉の地であり神光が光った上皇の魂が宿る御所跡である当所に、霊を鎮めるためその年の内に御廟が建てられた。また、寛元2年(1244年)後嵯峨天皇の宣旨により崇徳天皇社は再建され、摩尼珠院はその別当職に任じられ崇徳院永代供養の寺という役割を担わされた。そして、いつの頃か札所は金山ノ薬師から崇徳天皇社とその別当摩尼珠院となった。ゆえに人はみな摩尼珠院は「天皇寺」と呼び、崇徳天皇社は「天皇さん」と親しまれるようになった。また、このあたりを「天皇」という地名で呼ぶようになったが、恐れ多いので「八十場の霊水」から名をとり、現在は「八十場」と呼んでいる。江戸時代末期の納経帳には「奉納経 本尊十一面観音 崇徳院御鎮座所 讃州 摩尼珠院」と版木押しに十六八重菊の御紋の朱印がされている。

 明治維新直前、明治天皇の宣旨により崇徳院御霊は京都白峯宮へ戻され、崇徳天皇社は崇徳上皇を祀ることを廃止し白峰宮と改名された。さらに、明治初年の神仏分離令により、神社境内にある寺院は移転か廃寺を迫るものであり、さらに寺請制度の寺院に新政府は厳しく、摩尼珠院は廃寺となった。ただ、初代神官には摩尼珠院主が赴任し、79番札所は筆頭末寺の奇香山仏乗寺高照院(約2 km北の林田町にあった)が引き継ぐことになった。その後、神仏分離令の嵐がおさまった明治20年(1887年)高照院は、摩尼珠院跡の現在地に天皇寺高照院として移転した。

 伽藍

 三輪鳥居:扁額は「崇徳天皇」[注釈 6]が掛かり、「享保19年(1734年)衆力合成惣 氏子中 現住 法言代」と柱に刻まれている。
 本堂:2016年2月17日より1年間、本尊と脇仏日光月光菩薩は本坊にて御開帳された。本尊の中には伝弘法大師作の十一面観音が胎内仏として納められていると云われている。正面表には「金剛界説法」裏には「胎蔵界説法」の扁額が掛けられ、両方で参拝するようになっている。
 大師堂:大師像の拝観は不定期、基本的には無し。
 地蔵堂
 金比羅祠(大物主大神、そしてオオナムチノミコト)
 摩尼珠院大師堂(神社側)
 稲荷堂
 茶堂
 本坊
 衛士坊の坂(えじぼうのさか):三輪鳥居から塀沿いに北へ下る坂で、当地に幽閉された崇徳上皇を監視する国府の衛士が毎日この坂道を通っていた。
 境外地
 八十蘇場の清水(八十場野沢井)
 弥蘇場地蔵堂

 四脚の赤い三輪鳥居をくぐり、正面奥は白峰宮であり、その手前を左に行くと天皇寺の本堂とその左に大師堂がある。先ほどの三輪鳥居を出て左から入って行くと本坊がありその右側に納経所がある。駐車場が本坊にあるために三輪鳥居をくぐらず境内を行き来する人達がいるため中門を閉鎖した。白峰宮本殿の向って右を通り境内を通り抜け裏に通ずる車道を500 mほど行くと八十蘇場の清水と地蔵堂がある。

宿坊:なし
駐車場:境内に普通車用が200円であり。

 天皇寺 香川県坂出市西庄町字八十場1713番地2

*Wikipedia より

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