「津軽塗」
津軽塗とは
「津軽塗」の正確な定義というものは存在しないが、一般的には津軽地方で生産される伝統漆器の総称とされる。
津軽塗という言葉が生まれたのは明治六年(1873年)、ウィーン万国博覧会に漆器を展示することとなった際、その産地を明らかにするため名付けられたことからと言われている。むろん、津軽地方における漆器産業としての伝統はさらに古く、江戸時代中期にさかのぼることができる。
また、津軽塗は青森県唯一の、経済産業大臣指定伝統工芸品でもある。この制度の認可を得るためには、次の6点の要件を満たす必要がある。
1.工芸品であること。
2.主として日常生活の用に供されているもの。
3.製造過程の主要部分が手工業的であるもの。
4.伝統的技術又は技法によって製造されるもの。
5.伝統的に使用されてきた原材料を使用していること。
6.一定の地域で産地形成されていること。
1~5までの要件は、県内の他の工芸品も十分に満たしている。
しかし6番目の要件を満たすのは、津軽塗のみなのである。この6番目の要件については、以下のように定義されている。
「一定の地域で、ある程度の規模の製造者があり、地域産業として成立していることが必要です。ある程度の規模とは、10企業以上または30人以上が想定されています。個々の企業だけでなく、産地全体の自信と責任に裏付けられた信頼性があります。」
財団法人 伝統的工芸品産業振興協会
すなわち、青森県内の伝統工芸品の中で、産業として成立し業界が形成されているのは津軽塗だけ、ということになる。事実、津軽塗は21世紀の現在においてもなお、青森県を代表する物産の一つとして、全国的に高い評価を得ている。
その特徴
津軽塗の特徴は、堅牢で実用性に富んでいると同時に、非常に優美な外見を持つ、というところにある。津軽塗で用いられる「研ぎ出し変わり塗り」という技法は、幾重にも塗り重ねた漆を平滑に研ぎ出して模様を表す方法である。この繰り返しに数十回の工程、二か月以上の日数を費やすことで、複雑で美しい漆模様と、頑丈でしっかりした触感が得られるのだと言える。
藩政時代には様々な塗の技法が存在したが、現代まで伝わっているのは唐塗 / 七々子塗 / 紋紗塗 / 錦塗の四技法である。
*唐塗 呂上
*(七々子塗 黒上
唐塗(からぬり)
津軽塗の代表格であり、現在最も多く生産されている。 唐塗独特の複雑な斑点模様は、何度も塗っては乾かし、そして研ぐという作業を繰り返し、 全部で四十八の工程から生み出される。完成までには最低でも一ヶ月半~二ヶ月を要する。
津軽塗の技法において唐塗の歴史は長く、正徳五年(一七一五年)には既に「唐塗之御文箱~」と書かれた記録が見受けられる。 「唐塗」という名は、もともと中国からの輸入品を唐物と呼んでいたことに由来する。 「優れたもの」、「珍しいもの」いう意味で、当時の社会風潮を反映して「唐塗」と命名されたものと思われる。
唐塗の文様の基礎を作る道具を仕掛べらと呼び、これによって凹凸が生まれる。 仕掛べらによる絞漆の凸模様を基本として塗膜面に現われる模様を「唐模様」といい、 唐模様を主体にして仕上げられた漆器類を「唐塗の塗物」や単に「唐塗」と呼んでいる。
七々子塗(ななこぬり)
ななこ塗は研ぎ出し変わり塗りの技法の一種で、その特徴は、模様をつけるために菜の花の種を蒔き付けることである。 菜種による小さな輪紋の集まりが魚の卵を連想させる模様から、「七子」「魚子」「菜々子」「斜子」などの文字が当てられている。
津軽塗におけるななこ塗の歴史は定かではないが、津軽塗独自の塗とは思われない。 例えば延宝六年(一六七八)の加賀藩の工芸標本『百工比照』の中に、「ななこ」の名称が見られる。 また小浜藩の藩医が延宝年間に記した書物にも「魚子塗」の言葉が見える。こうしたことから、おそらく藩政時代に他藩との交易ルートを通じて伝播したものと思われる。
紋紗塗(もんしゃぬり)
黒漆の模様(多くは線描を主にした総模様)に紗(津軽地方ではもみ殻のことを紗と呼ぶ)の炭粉を蒔き、 研ぎ出して磨き仕上げされたものを紋紗塗と呼ぶ。
今日まで明治維新以後の作例は少なく、現在では一般製品としてはあまり見かけられなくなってしまった。 紋紗塗という名称の意義や発祥の経緯も適確に掴むことは出来なかったのだが、紋紗塗の一つの原則として、 炭粉と黒漆を主体にした一種の変わり塗りで、固定された技法ではなく、もっと変化自在の多様性を持っていたとされる。
また、紋紗塗は研ぎ出し技法の中で最も独特なもので、津軽塗ならではの塗であると言える。
錦塗(にしきぬり)
錦塗はななこ塗の変化の一種で、ななこ地に黒漆で桜を唐草風にデザインした唐草や、 菱形・稲妻型の紗綾形を描き錫粉を蒔いて錦を想わせるような華やかな技法である。
作成のためには非常に手間がかかり、さらに高度な技術を要する。 そのため現在、錦塗を塗り上げれる津軽塗職人はごくわずかしかいないという。 そのため製品も少なく、非常に価値が高い。
錦塗は、現代まで伝わる津軽塗四技法の中では最も新しく、 華やかな金や銀の蒔絵に憧れた庶民たちの思いが結集した、絢爛豪華な塗の技法である。
*http://www.tsugarunuri.org/ より
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