「狂気王 シャルル6世」
(1368〜1422)フランス
フランス王。「自分の体はガラスでできていて壊れやすいと言う妄想に取り憑かれていた。当初は「親愛王」と呼ばれていたが、精神病を発症してしまいイギリスと「フランスの継承権はイングランドにある」みたいな条約によって百年戦争がはじまることになる。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E7%8B%82%E6%B0%97%E7%8E%8B%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%EF%BC%96%E4%B8%96 より
シャルル6世(Charles VI, 1368年12月3日 - 1422年10月21日)は、フランス・ヴァロワ朝の第4代国王(在位:1380年 - 1422年)。第3代国王シャルル5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルボンの長男。親愛王(le Bienaimé)、狂気王(le Fol、あるいはle Fou)と呼ばれた。1385年にイザボー・ド・バヴィエールを王妃に迎えている。
摂政による後見
シャルル6世は11歳でフランス王位を継承し、21歳の時に摂政による後見を終わらせて親政を開始したが、それまでの間はシャルルのおじたちが王の摂政として実権を握り続けた。シャルルの未成年期に王の摂政としてフランスを支配したのは、父シャルル5世の弟であるブルゴーニュ公フィリップ、アンジュー公ルイ、ベリー公ジャンの3人と、母ジャンヌ・ド・ブルボンの兄であるブルボン公ルイだった。アンジュー公ルイは1382年よりナポリ王国王位をめぐる戦いに参加し、1384年に死没した。ベリー公ジャンはラングドックの支配に注力しており、政治には大きな関心を示さなかった。ブルボン公ルイは精神的に不安定であり、またフランス国王の子でもないため重要視されなかった。結果として、ブルゴーニュ公フィリップが摂政の中でも圧倒的な力を持つこととなった。
シャルル6世は1388年に親政を開始し、摂政による支配を終わらせた。シャルルは統治を行うにあたって父(シャルル5世)の有能な顧問団であったマルムゼ(英語版)を復権させた[4]。マルムゼによる補佐の下、シャルル6世の統治は国民からの尊敬を集め、シャルルは広く「親愛王」の名で呼ばれるようになった。
発狂
マルムゼの助けを得たシャルル6世の初期の名声は、王が20代半ばに精神病(ガラス妄想)を発症したことですぐに失われた。シャルルの精神病は母ジャンヌ・ド・ブルボンの血筋を通じて遺伝した可能性がある。精神に異常をきたして以降のシャルルは、「親愛王」に加えて「狂気王」の名でも呼ばれるようになった。
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます