「鮗 このしろ」
コノシロ(鰶・鮗・鯯・鱅、学名: Konosirus punctatus)は、ニシン目ニシン科に分類される魚類である。東アジアの内湾に生息する海水魚で、食用に漁獲される。
日本語の呼称
古くはツナシと言い、大伴家持の古歌に「都奈之」として登場する。「コノシロ」は古代に人名としても使用され、塩屋連鯯魚や坂合部連鯯魚、小塞連近之里、己乃志呂売、近志侶などが史料から確認できる。
出世魚
成長段階に応じて呼び名が変わる、いわゆる出世魚の一つである。関東地方では4 - 5センチメートルの幼魚をシンコ、7 - 10センチメートルぐらいはコハダ、13センチメートル程度はナカズミ、15センチメートル以上はコノシロとなる。その他の地域での若魚の名前として、ツナシ(関西地方)、ハビロ(佐賀県)、ドロクイ、ジャコ(高知県)などがある。
コノシロの由来
『慈元抄』では、コノシロの名称は戦国期ごろ「ツナシ」に代わり広まったという。大量に獲れたために下魚扱いされ、「飯の代わりにする魚」の意から「飯代魚(このしろ)」と呼ばれたと伝わる。これは、古くは「飯」のことを「コ」や「コオ」といい、また、雑炊に入れる煮付けや鮓(すし)の上にのせる魚肉なども「コ」や「コオ」といったところから。また『慈元抄』や『物類称呼』には、出産児の健康を祈って地中に埋める風習から「児(こ)の代(しろ)」と云うとある。当て字でコノシロを幼子の代役の意味で「児の代」、娘の代役の意味で「娘の代」と書くことがある。出産時などに子供の健康を祈って、コノシロを地中に埋める習慣があった。また焼くと臭いがきついために、以下のような伝承も伝わっている。
むかし下野国の長者に美しい一人娘がいた。常陸国の国司がこれを見初めて結婚を申し出た。しかし娘には恋人がいた。そこで娘思いの親は、「娘は病死した」と国司に偽り、代わりに魚を棺に入れ、使者の前で火葬してみせた。その時棺に入れたのが、焼くと人体が焦げるような匂いがするといわれたツナシで、使者たちは娘が本当に死んだと納得し国へ帰り去った。それから後、子どもの身代わりとなったツナシはコノシロ(子の代)と呼ばれるようになった。
富士山の山頂には「このしろ池」と呼ばれる夏でも涸れない池があり、山頂にある富士山本宮浅間大社奥社の祭神木花咲耶姫の眷属である「このしろ」という魚が棲んでいるとされ、風神からの求婚を断るために女神がやはりコノシロを焼いて欺いたという同様の話が伝わっている。
また『塵塚談』には、「武士は決して食せざりしものなり、コノシロは『この城』を食うというひびきを忌(いみ)てなり」とあり、また料理する際に腹側から切り開くため、「腹切魚」と呼ばれ、武家には忌み嫌われた。そのため、江戸時代には幕府によって武士がコノシロを食べることは禁止されていたが、酢締めにして寿司にすると旨いため、庶民はコハダと称して食した。その一方で、日本の正月には膳(おせち)に「コハダの粟漬け」が残っており、縁起の良い魚としても扱われている。
コノシロの漢字は、コノシロが秋祭の「鮓」の材料として広く使われたことから魚偏に祭とした。
また冬という字を使って「鮗」とも書く。
*Wikipedia より
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