「木曽漆器」
Description / 特徴・産地
木曽漆器とは?
木曽漆器(きそしっき)は、旧木曽郡櫛川村である長野県塩尻市とその周辺で作られている漆器です。木曽漆器の産地である長野県塩尻市は、海抜約900メートルの高地です。夏は涼しく冬は極寒の気候で、漆を塗る作業環境として適しています。また木曽五木といわれる、檜(ひのき)・翌檜(あすなろ)などの地元の豊富な良材が入手可能です。
原料木には檜(ひのき)、桂(かつら)、橡(とち)など天然漆を使用しています。お湯を通した後に柔らかい布巾などで拭いた後は、湿気や乾燥の強い場所を避け直射日光の当たらない場所での保存が推奨されています。
木曽漆器の特徴は、長く使用するほど温もりのある艶が増し、堅牢になっていくことです。特徴的な技法には、「木曽春慶(きそしゅんけい)」、「木曽堆朱(きそついしゅ)」、「塗分呂色塗(ぬりわけろいろぬり)」があります。「木曽春慶(きそしゅんけい)」は下地を付けず、生漆を繰り返し擦りこみ染み込ませて、木地の美しい木目を生かす技法です。「木曽堆朱(きそついしゅ)」は「木曽変わり塗」とも言われ、木地に下地を付けて漆をたっぷりふくんだタンポを使用して模様付けしていきます。「塗分呂色塗(ぬりわけろいろぬり)」は、色漆を数種類使用して幾何学模様に塗り分けていき、上塗りが乾燥したら丁寧に表面を磨きます。
History / 歴史
木曽漆器 - 歴史
長野県塩尻市の恵まれた風土と、産地が古くから交通の要所に位置していたため、木曽漆器は発展してきました。
17世紀初頭より木曽漆器製作が始まり、江戸時代には尾張徳川藩の厚い庇護の下に発達し、中山道を旅する人々の土産物として人気を集めました。
明治時代の初期には、下地作りに使える錆土(さびつち)粘土が発見され、より使い勝手のよい漆器が作られるようになります。錆土粘土は鉄分を多く含むため、他の産地よりも堅牢な漆器が作ることが可能になったため全、国的に木曽漆器の名前が知れ渡るようになります。
戦後の高度成長期には、庶民の生活に欠かせない日常の器以外にも、旅館やホテルの高級な調度品など多種多用な製品が作られるようになりました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kisoshikki/ より
日用品から高級家具までそろう 木曽漆器
木曽漆器には「木曽変わり塗(木曽堆朱)」「塗り分けろいろ塗」「木曽春慶」とある。その伝統技法を受け継ぐ二人の職人に話を聞いた。
庶民のための漆器
石本忠男さんと荻村康行さんは木曽漆器の伝統工芸士。二人とも同じ親方の元で修行をした兄弟弟子だ。石本さんが兄弟子、荻村さんが弟弟子になる。かれこれ40年以上の付き合いになるという。二人とも漆塗りの技術向上のために作られた「どんぐり会」や、楢川村立産業学校などで勉強を重ねた。「木曽はもともと『めんぱ(ヒノキで作られた楕円の弁当箱)』など庶民のための実用的な漆器を多く作っていたんですが、大都市から遠いでしょ。売るのが大変なんです。それで産地としての特徴を出すために木曽変わり塗などにもっと力を注ごうということになったんです」当時の様子を石川さんはそう振り返る。
漆塗り職人の6男
石本さんは昭和7年、楢川村平沢にて漆塗り職人の6男として生まれる。「当時の風潮から考えて6男が親の仕事を継ぐことは考えられなかったですね。でも中学生の頃に私は結核になりまして、これがきっかけとなって漆塗りを始めたんですよ。家の中でできる仕事をということで家業を手伝うようになったんです」。以来50年以上にわたり漆を塗り続けている。今では石本さんは木曽を代表する塗師の一人となり、伝統工芸士会の会長を務めるまでになった。結核にならなければ今の石本さんはいないかもしれない。そう考えると人生とは不思議なものである。
20歳まで給料なし
荻村さんは昭和15年名古屋生まれ。「戦後にここ(楢川村平沢)へ来たんです。父親の故郷がここだったんです」。荻村さんが中学生の頃、40人の同級生のうち進学するのは3分の1くらいで、残り3分の2は漆器の道へ進んだという。「私もその一人で、石本さんのお父さんの所へ弟子入りしました。住み込みで他の弟子達と相部屋でしたね。漆の塗りの講習会みたいなものも開かれたりして勉強になりましたよ」。いわゆる徒弟制度である。20歳までまともに給料をもらったことがないそうだ。「でもそれが普通でしたからね。20歳になって初めて住み込みをやめ、外から通うようになりました」。こうして荻村さんは地道に塗りの技術を身につけていった。
漆器は使われ続ける
「木曽変わり塗」と「塗り分けろいろ塗」は刷毛で漆を塗った後で表面を磨き上げるので、鏡のようにつやがある。一方「木曽春慶」は刷毛で塗ったままが仕上がりとなる。これは「磨き上げなくても自然なままで美しい」ので木曽地方では「花塗」ともいう。それぞれ特徴があり、好みや場面に応じて使い分けてみるとよい。石本さんは言う。「使ってみると木のぬくもりを感じるし、安らぎや潤いを感じますからね。それに食事もおいしくなりますよ」。石本さんは自分の漆器に自信を持っている。「漆器はこれからも使われ続けると思いますよ」。良いものは使われ続けると確信している石本さんの言葉だ。
高いというイメージがあるが
荻村さんは語る。「漆器は高いというイメージがあるけど、長持ちするから結果的にはそんなに高くないんです。何よりも身体によいですし」。そして使い捨ての時代はもう終わりにして、よいものを長く使うのがいいのではないか、と提案する。「そのためにもまずは使ってもらうことが一番ですね。使ってどんどん意見してもらいたいです」。この前向きな姿勢が木曽漆器の質の高さを象徴しているのではないだろうか。
こぼれ話
より良い漆器を求めて~錆土の発見~
600年の歴史を持つ木曽漆器は良質な木地と堅牢さが特徴ですが、その堅牢さを支えている技術は百数十年前、明治の初め頃に確立したものなのです。当時職人たちはより良い漆塗りの技術を求めて輪島へ勉強に出かけていました。そこで輪島の堅牢な漆塗りを支えているものが「地の粉」と呼ばれる粘土であることを知ります。職人たちは木曽にもそのような粘土がないか探しました。そしてついに楢川村の奈良井で鉄分を多量含んだ粘土を発見したのです。この土は「錆土(さびつち)」と名付けられました。この土を漆と混ぜて下地に塗ることによって輪島に負けない丈夫な漆器を作ることができるようになったのです。漆塗りに賭ける当時の職人たちの執念が錆土の発見につながったと言えるでしょう。
*https://kougeihin.jp/craft/0511/ より
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