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<経産大臣指定伝統的工芸品> 三重 伊賀くみひも

2021-05-28 07:01:49 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「伊賀くみひも」

 伊賀くみひもとは?
 伊賀くみひも(いがくみひも)は、三重県で作られている組紐(くみひも)です。主に絹糸を使い、組み糸に金銀糸を使用して作られています。
 伊賀くみひもの特徴は、色とりどりに染められた絹糸の1本1本が光に映え、交わりあって輝く美しさです。手組みひも、と呼ばれる手で組み上げるものが有名です。絹糸が織り成す「組み」独特の風合いや、絹糸が創り出す華やかな魅力を持っています。
 古来より伝承されてきた伊賀くみひもは、職人たちによって時代を超えて守られ進化してきました。伊賀くみひもには、たくさんの人々の想いと時間も共に綾なされており、深い風合いが生まれています。
 日本の伝統文化として海外からも注目される和装の帯締めなどの小物はもちろん、現在のライフスタイルに合ったストラップなど新たな伊賀くみひもも商品開発されています。キーホルダーやブレスレットなどの身近のアイテムが自分で製作できる体験教室も開かれ、伊賀くみひもの産地は身近な存在としての「くみひも」を発信し続けています。

 History / 歴史
 伊賀くみひも - 歴史

 伊賀くみひもの技術は、大陸から仏教と共に伝わってきました。当時は主に経典の装飾や袈裟(けさ)などに用いられていた、と言われています。平安京に都が移った後も、束帯(そくたい)という王朝貴族の装束(しょうぞく)に欠かせない装飾品に用いられました。組緒(くお)の帯(おび)は芸術性の高さから、時代が変わっても引き継がれています。
 鎌倉時代には武士の道具にも利用されました。室町時代には茶の湯の道具の飾り紐になるなど、幅広く認知されていきます。戦国時代になると、鎧(よろい)の装飾に用いられ、江戸時代は刀剣の飾り紐となりました。
 武具、装身具の職人たちは江戸幕府の保護の下、技巧を競いあうことになっていき技術が進歩します。組み方の種類が増えて、印籠(いんろう)や羽織(はおり)の紐、煙草(たばこ)入れの紐などにも、利用されるようになりました。
 明治時代に入ると廃刀令が発令されて、伊賀くみひもは衰退を余儀なくされますが、生活様式の移りかわりにも順応をし、様々な製品が開発され技術が守られています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/igakumihimo/ より

 

 四方を山に囲まれた忍者の里で発展した、伊賀くみひも
 伊賀くみひもの起源は古く、奈良朝以前に遡るといわれているが、伊賀の地場産業としての本格的な発展は明治中期に入ってからのことである。伊賀の地で生産される手組の帯締めは、全国の生産量のおよそ90%を占め、国の伝統的工芸品に指定されている。

 
 明治中期、和装の普及とあいまって広まる
 明治35年頃、広沢徳三郎(ひろさわとくさぶろう)が江戸のくみひも技術を習得し、故郷である上野市で糸組工場を設立。和装の本場京都に近いという地の利をいかして産業として発展、定着し伊賀の里に広まっていった。今回は祖父の代から数えて三代目のくみひも士、増井萌(ますいもゆる)さんにお話を伺った。


 わずかな幅のなかに無限の美が広がる
 東京の大学を出てしばらく名古屋方面でサラリーマンをしていた増井さんは、30歳で家業を継ぐために上野市にUターン。「家内には詐欺だと言われましたが、姉と妹が他家に嫁いでしまったので長男の私が家に帰らざるを得なくなったのです。」くみひも職人としてはかなり遅いスタートだったが、父の傍に黙って座りながら肌で技術を習得したという。「なんとか新しい斬新なデザインを考え出そうと挑戦していると、『帯締めだけが一人歩きしてはダメだ』と父によくしかられました。」

 職人さんを確保するためにまず自分が技術を磨いた
 「父は自転車で回れる範囲の、家の近くに住む組子(くみこ)さんにしか仕事を頼めなかったのですが、私は車に乗れたので、遠く奈良や滋賀にまで組子さんを探して走り回りました。」時代が変わり、主婦がパートで外で働くようになると安い工賃でもくもくとくみひもを組んでくれる人を確保するのが難しくなった。まったく初めての人たちに仕事を教えるために、増井さん自身も懸命に技術を磨いたという。当時は伊賀地方に3000人以上いた職人たちも、原料と工賃の安い外国製品におされて、いまは三分の一に激減。くみひもの伝統を守るために増井さんたちの苦労は続いている。

 伊賀くみひもの歴史
 元来くみひもは奈良時代、経典などの仏具や神具の紐などに使用されていた。平安期になると貴族たちの装束や室内を飾る紐として愛用され、鎌倉時代には武士の甲冑、刀の紐などの実用品として発展。伊賀では江戸時代に暗躍した忍者たちが紐の結び方で仲間に合図を送っていたとも伝えられている。しかし、実際に伊賀でくみひも産業が盛んになるのは近年に入ってからである。明治中期、手内職の相場が三銭だった頃、くみひも屋は十五銭だしたので近隣の主婦たちが続々と集まり技術を競い合って発展した。


 何度かの時代の波をかぶり生き延びてきた
 縄文時代以来、人々の生活様式の変化のたびに、くみひもはさまざまに形を変えて生き延びてきた。明治維新の時、政府が廃刀令を施行し、刀と共に組紐の歴史も幕を閉じるかと思われた。しかし江戸の亀戸天神に太鼓橋が完成。粋な深川芸者が太鼓橋をイメージして帯を背中に高く結んで、くみひも製の帯締めで帯を留めて渡り初めをした。これが今のお太鼓結びの始まりで、この時の帯締めが評判となり、くみひも製の帯締めが大流行。それ以来、くみひもは和装小物の必需品となり今日に至っている。


 若い世代に伝統を受け継いで行く
 「この伊賀くみひもセンターでは、初めてのひとでも20分で簡単にくみひもが体験できますよ。一度チャレンジされませんか?」増井さんはセンター内にある高台に上がって、50本~70本の美しい絹糸を巧みに操りながら気軽に誘ってくれた。伊賀くみひも組合では青年部の人たちが近隣の中学などで伝統産業としてのくみひもを学生たちに指導しているという。また、観光客にも丸台を使って、手軽にくみひも体験できるコーナーがある。実際に私も若い指導員について初めてくみひものキーホルダーを作ってみたが、コツさえつかめば案外簡単にできあがった。


 職人プロフィール

 増井萌 (ますいもゆる)

 1946生まれ。
 東京の大学を卒業後、しばらく名古屋方面でコンピュータ関係のサラリーマンをしていたが、30歳の時に帰郷。3代目として家業を継ぐ。伝統工芸士の資格を持つ。

*https://kougeihin.jp/craft/0302/ より

 


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