ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

国防婦人会 - 4 ( 不思議な著作 )

2018-06-26 06:50:55 | 徒然の記

 昭和11年から始まった日中戦争は、事変という名称でしたが、政府内では総力戦と認識されていました。

 当時の状況を藤井氏が、語っています。

 「政府は自ら音頭をとって、総力戦にふさわしい銃後の形成に、向かわねばならなくなった。」「昭和12年9月9日、近衛内閣は国民精神総動員を告諭した。挙国一致、尽忠報国、堅忍持久が、そのスローガンである。」

 「10月12日には、国民精神総動員中央連盟 ( 精動 ) が結成され、国内の諸団体を糾合した。」「内務省と文部省が主務庁となり、各界の代表が役員についた。」

 この辺りの動きは、2月に読んだ富田健治氏の著作と一致します。富田氏は近衛内閣の内閣書記官長で、今で言う内閣官房長官でした。近衛首相は陸軍の独走を快く思わず、陸軍もまた首相に協力しませんでした。

 富田氏は元内務官僚で下から、内政の主導権を、陸軍から内務省へ移そうとしていたのかも知れません。特に陸軍の指導下にあった国防婦人会について、首相は何とかしたかったに違いありません。

 昭和12年、近衛内閣が国民精神総動員を告諭した、6年後の昭和18年には、国防婦人会が消滅しています。この間の各団体の合併、統一、名称変更について、藤井氏が詳しく説明していますが、煩雑なので省略します。

 国防婦人会を除けば、他の団体は内務省とのつながりが深いので、一気に参集しています。市川氏がリーダーだった市民運動家の団体も、内務省にパイプを通じていました。

 「国防婦人会が一人不参加で、あたかも、国防婦人会包囲網のようにも見えた。」

 この状況を、氏はこのように語り、市民運動家の動きについても説明しています。同じ左系の仲間だと思うのに、氏の語り口は冷淡です。

 「婦人たちの活動内容が、経済と暮らしが主要なものとなるに及んで、」「ヘゲモニー ( 主導権 )」を取るべく画策していたのが、従来の市民的婦人運動家たちであった。」「彼女らは、国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )の委員に加わり、各種委員会が設けられるとその委員に加わり、指導者の位置に立った。」

 こうなると、市民運動家たちの動きは、現在と同じ政争そのものです。市川房枝氏以外は知らない人物ばかりですが、参考のため、他の運動家の名前も紹介ておきましょう。

 山田わか、吉岡弥生、西野みよし、高良富子、井上秀子・・まだ、8人の名前がありますが面倒になりました。

 各種の団体は、団体そのものは解散せず、国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )という大きな中央組織に、連合体という形で集まっていました。結局国防婦人会も、これに参加しますが、この時の状況を氏が語っています。

 「この機を捉えて、20年代の婦人運動家たちが戻ってきた。」「国防婦人会は、国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )の、下部実行団体になったのである。」「昭和7年以来、婦人運動が対抗し系列化してきた後に、このような形で統合に向かったのも、歴史の揺り戻しなのだろうか。」「 ( 精動 )入りした市川らは、しばしば地方の国防婦人会の会員に対して、講演者の立場になるのであった。」

 「昭和15年に、 ( 精動 )は、贅沢全廃運動委員会を設け、大都市を標的に、運動を始めた。各種婦人団体は、これに応じて婦人挺身隊を編成し、街へくりだし、警告カードを渡すことになった。」

 「カードは、華美な服装は慎みましょう、」「指輪はこの際全廃しましょう、というもの。」

 「街には、贅沢は敵だ、の看板が立ち並んだ。」「この街頭挺身で一番張り切ったのが、旧市民運動家たちだった。彼女たちの熱心な監視活動、指導的発言の増加は、まさに進行中の、政治経済新体制の転換にあたって、婦人団体統合の主導権を狙った動きなのであった。」

 「そこに描かれる婦人世界像は、戦争推進の先兵となった国防婦人会の解体、隣組を基礎とした、単一婦人組織への全婦人の統合、最終的には大政翼賛会への、婦人代表の進出だった。」

 元々私は、市民活動家に疑問を感じていますから、氏の説明を読んでいますと、市川房枝氏らへの怒りが湧いてきます。彼女は戦後に菅直人氏に担がれ、参議院議員となり、菅氏は鳩山氏や小沢氏と組み民主党政権を誕生させ、反日と売国の政治をしたのですから許せません。

 市川房枝氏らは、今日に続く「獅子身中の虫」と、「駆除すべき害虫」の原点ですから、むしろ、素朴で献身的な、国防婦人会の女性たちに同情します。

 内務省の主導で、全国の市町村に「隣組」が作られると、婦人活動のあり方に決定的な変更が生じました。隣組の活動に防空、防災演習が加わると、割烹着姿の国防婦人会の服装は、不便で役に立たないという批判が出るようになります。

 一口に左翼と言っても、学者の藤井氏と市川氏のような市民活動家は、肌が合わないのでしょうか。氏の説明は市川氏らに冷淡なので、その分だけ藤井氏に惹かされるという不思議な体験をします。

 「隣組は、配給制度の末端機関となることにより定着し、国民生活に粘着した。」「隣組が、国民生活のため不可欠の単位となるに及んで、旧婦人活動家たちは、実にうまく指導層を形成していった。」

 「国防婦人会と愛国婦人会は隣組が成立すると、二重組織の煩雑さに加え、細分化された隣組の単位には対応しきれない、状況が生まれた。」

 「つまり行政ルートは、軍から内務省の管轄下にある市町村へ移り、軍が国防婦人会という組織を持つこと自体が、国民統合のためのガンとなった。」

 役目を失った婦人団体は、急速に解体し消滅していきます。富田氏の著作を読んでいるので、軍部と対立していた近衛公の苦労を知っているため、納得する流れがあります。

 納得できないのは、国防婦人会の女性たちの献身まで歴史から消滅させたことと、運動を政争の具にし、自分たちの主導権を奪い取った市民活動家の女性たちです。粘り強いと言えば良いのか、狡猾と言うべきか、いずれにしても私には彼女たちの顔が、現在の反日野党の女性議員の顔と重なります。

 福島瑞穂、蓮舫、辻元清美、山尾志桜里、阿部知子氏等々、国会を紛糾させている各氏の顔です。

 本日で藤井氏の書評を終わりますが、最後まで分からないのは氏への評価です。左翼とは言いながら、この人物は国を愛する「本物の」左翼ではないのか。あるいは、最初の日に私が感じた「庶民の学者」、ということなのか。

 不思議で、有意義な、忘れがたい本となりました。感謝する啓蒙の書でもあります。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国防婦人会 - 3 ( もう一つ... | トップ | 今もなお、これが日本の現実 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
婦人公民権 (あやか)
2018-06-26 21:39:18
この『国防婦人会』に関するブログを拝読し、たいへん勉強になりました。
『国防婦人会』の著者の藤井様は、どちらかと言えば左翼だそうですが、この書物に関して言えば、客観的な記述がなされているらしいですね。
 左翼の人でも、実証的に研究し学者としての矜持があれば、それほど偏った主張はなさらないと思います。

『国防婦人会』についてですが、例え、それが戦時体制の風潮の中から生まれたものであったとしても、庶民の女性の自発的な団結によって結集されたものであることは、疑う余地もないでしょう。
そして、それが、結果的には婦人(女性)の地位や発言権を高め、婦人公民権の獲得につながったんじゃないかと思います。
 戦争の是非はともかくとして、『祖国を守る戦い』に参加することは、当然、公民権を主張する資格があるはずです。


なぜなら、
【『公民権・参政権』というものは、『国防の義務』の対価として与えられる物だからです】
、、、、上記のことは、独立国家として当たり前のことですが、それがわかっていない人が多いんですね。
返信する
祖国防衛と公民権 (onecat01)
2018-06-26 22:55:29
あやかさん。

 祖国防衛の対価として、公民権があるという、常識が、敗戦後の日本からなくなりました。

 分からない人が多いのも、今は理解できるようになりました。もう、戦争は嫌だ、という気持ちは、敗戦後の日本国民の、正直な思いでした。

 これを自虐史観に結びつけ、日本の過去、大切な親や祖父母まで、貶めたのは、GHQの政策でした。政界、学界、法曹界、マスコミの指導的立場にある人間たちが、大挙して GHQになびいたところから、戦後日本の問題が生まれました。

 つい先日まで、私も、そんな反日・左翼の主張に共鳴していました。国を大切にするという、心さえあれば、誰でも目を覚ますはずと、私は思っています。

 今は日本にとって、大切な時期ですから、私は、ねこ庭から、声をあげています。継続は力なりです。

 貴方のコメントを、心強く、有難く、読ませていただきました。これからも、どうかよろしく、お願いいたします。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事