「青山氏の言葉がなぜ高市氏の支援にならないのか。というより、国を大切にする国民の期待に、なぜ応えていないことになるのかについての説明」
今回のテーマです。息子たちには分からないだろうと思いますが、私には難しいのです。昔、高橋真梨子の歌に「五番街のマリーへ」というヒット曲がありました。
五番街は近いけれど とても遠いところ
悪いけれどそんな気持ち 察して欲しい
一緒に暮らしていた娘を捨てた男が、娘が今どんな暮らしをしているのか見てきてほしいと、誰かに頼んでいる歌です。自分で訪ねていけば簡単なのに、近くの街なのに訪ねていけないという、切ない歌です。青山氏は娘でなく、私の恋人でもなく、私にそんな趣味はありません。
私にとって青山氏は「五番街」そのものであり、その姿を「ねこ庭」で取り上げ、息子や訪問される方々へ明らかにするということに、心が痛みます。恨みも憎しみもない人物を、理屈に合わないところがあるからと人に説明する切なさは、「五番街のマリーへ」という歌の哀調と重なります。息子たちにはいっそう分からなくなったと思いますので、具体的な説明に入ります。
氏の座右の銘は、「脱私即的(だっしそくてき)」です。一般的な言葉でなく、大学卒業後の暮らしの中で考えついたと言います。意味は、「私を脱し、本来の目的に付く」、もっと分かりやすく言いますと、「私情を捨て、人間としての使命に生きる」とでも言うのだと思います。『葉隠』を愛読し、「武士道精神」を重んじると語っています。
【 ぼくらの国会 】中で語る氏は、「座右の銘」そのものであり、その真摯さが見る人を惹きつけます。損得を離れた意見は、日本を思う直言ですから、40万人の視聴者がいます。自民党の議員だけでなく、野党議員や官僚も見ていると言います。政府内、党内の動きだけでなく、国際政治についても、他の議員が語らない事実を伝えてくれるので、日本の現在と明日を考える貴重な情報になります。
【 ぼくらの国会 】を発信のツールにしているだけでなく、「青山繁晴の道すがらエッセイ」というブログも書いています。今はどうなっているのか知りませんが、「青山繁晴が答えて、答えて、答える !」というネット番組も持っています。SNSやツイッターでも発信しています。
「ネット社会の天才政治家」と私が言っているのは、こうしたツールを駆使しているところにあります。その中で特に力を入れているのが【 ぼくらの国会 】ですから、私は他のものを見ません。「高市氏への対応」が、岸田総理同様で冷淡でないかと言いましたのは、【 ぼくらの国会 】を見た意見です。
米国在住の方が、「青山氏は頑張っていますよ」と教えて下さったのは、「青山繁晴の道すがらエッセイ」を取り上げていた、【 メディアが報じない保守系News 】というYouTubeの動画でした。
ここからが、いよいよ今回のテーマになります。【 メディアが報じない保守系News 】で青山氏について、次のように紹介しています。スペースの都合で中身は次回にしますが、動画のタイトルだけを紹介しておきます。