本日(とうか昨日)の日経朝刊の経済教室「科学技術の役割ー「最悪時」前提に設計に見直せ」が優れた記事だったので、メモ。
電車の中で立って読んでいたのだが、まず目に飛び込んだのは記事ページ左隅のグラフ。
グラフのタイトルは「十分な失敗経験を積むには200年かかる」
ボイラー、鉄道、自動車、航空機、そして原発の失敗や自己の経験の総量を縦軸に。
1750年~2000年の歴史的経緯を横軸に。
視覚的に、まだ原子力の知見が不足しているのが現在、ということを理解させる。
これは珍しくわかりやすくていいなあと思ったら、やっぱり書いていたのは気に入っている学者、畑村 洋太郎さんだった。
当ブログでも、去年の7月02日に「読後評:危険不可視社会」を取り上げている。
東大で機械工学を教えている先生だけに切り口は鋭く、テーマとして一貫してやってこられたのは「危険を可視化するということ」=「危険学」
今日の記事では、実際に被災地を回って気付かされたことを元に論述していて、非常にプラクティカルかつ俯瞰して論述しているので、強力に読ませる。
未読の方は、今日5/30(あっ、もう昨日か)の新聞を、自分 or 勤務先(笑)が捨てる前に推奨しておきたい。
一方で、前述の本のクライマックス第7章「規制・基準で安全は担保されるのか」の記述が恐ろしいので引用しておく。
<それは、知識でははるかに劣っている「役所」が規制や基準を作り続けることで、
<「規制を受ける側」が「形としてそれを守っているふり」つまり、「形骸化」
<するということ。
<一方、役所に「責任追及」と「原因究明」の両方が司法にゆだねられている
<「ねじれ」の結果、世の中に本来伝えるべき情報が、隠蔽される傾向にあるという指摘である。
これを読んだあとでは、その本「危険不可視社会」というタイトルも実に納得がいく。
日経の記事の戻ると、凄みがあるのが「強力なオチ」がつくところ。
<失敗学に学んだ原子力のつくり直しが求められている。
<日本にはその力があると思う
<それには従来とはまったく違う発想で新しい原子力のあり方について提案し、
<マスタープラン(基本設計)を描き、現在従事している人たちを使いこなせる人を
<見つけてこなくてはならない。
<大変な作業ではあるが、そうした人選や枠組みつくりは政治の力で実現しなければならない。
全くその通りの正論で、それに続く文章が以下。
<本校は、24日の自己調査・検証委員会委員長の就任決定以前にまとめたものである
世の中、意外に捨てたものじゃないかも?
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