日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
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去年12月12日にアップした本「ワールドカップは誰のものか 」の感想なのだけれど、FIFA事務総長の書簡暴露が発生し、現在の状況に強力にフィットしている内容だと判断したので再び(笑)


2018年、2022年のワールドカップがそれぞれ、ロシア、カタールに決定したことがサッカー・ファンにショックを与えている今日この頃(その国のファンを除いて)
今、実に響くタイトル=「ワールドカップは誰のものか」に惹かれ、積ん読状態になっていたこの本、引っ張りだして一気読みした。


そうしたら、この本がアフリカワールドカップ直前に発売されたものの、ちょうど良いタイミングでの「周回遅れ」となった(笑)

立ち上がりは、なぜ南アフリカが選ばれたのか、というタイトルで、第1部は「ワールドカップと政治」
政治権力、特に独裁者たちによるワールドカップ介入の時代、その後からはFIFAのどんな思惑がからみあい、開催地が決定してきたか。
そしてそれを取り巻く権力闘争をあぶり出す。

さらには、日本がおおいに揺れた「2002年ワールドカップ招致」にまつわる韓国側の野心が生みだした「日韓共催」の顛末を。
余談だが、前にサッカー協会の川淵会長の『私の履歴書』に出ていた時の「ヨハンソン激昂事件」を思い出した(2008-02-28 アップ)
組んでお世話になったヨハンソンを激昂させるのだから、韓国もたいしたものだ(笑)


こう読み通していくと、いかにワールドカップが理事たちの政治駆け引きで決定していくか、よ~く理解できる。
大枚をかけた「招致レポート」なんて、そんなには関係ないのだ!
カタール大会について、どうせ今後何か出てくるだろうと思っていたら、先日FIFAから「必ずしもカタール国内だけでのみ行わなくても良い」発言が飛び出した。
だんだんと、今回の決定が「中東全体」を視野に入れたものであることが見えてきた。
今後も「日程変更」も含め、招致レポートにはとてもないような FIFAの思惑による拡大解釈が、次々と発生することが予想される。


一方、第2部 南アフリカ開催の意義、もなかなかに読み応えがあった。
ラクビーワールドカップについては、映画化(インビクタス 2010-01-28 アップ)されてもいて理解しやすいのだが、南アフリカのサッカーの苦難の歴史(黒人サッカーの歴史とワールドカップ)についてていねいにふれており、アパルトヘイトによって サッカーも(ラクビーも)孤立していく過程など、こちらも映画化できそうなくらい暗く、重い内容で興味深い。

ということで、めずらしく「周回遅れ」読書が、ちょうど良いタイミングとなっただけでなく、読ませる1冊だった!


以上、引用が終わるのだけれど、周回遅れでは全くなさそうな状況に、思わず笑ってみるしかない?

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本日(とうか昨日)の日経朝刊の経済教室「科学技術の役割ー「最悪時」前提に設計に見直せ」が優れた記事だったので、メモ。


電車の中で立って読んでいたのだが、まず目に飛び込んだのは記事ページ左隅のグラフ。

グラフのタイトルは「十分な失敗経験を積むには200年かかる」

ボイラー、鉄道、自動車、航空機、そして原発の失敗や自己の経験の総量を縦軸に。
1750年~2000年の歴史的経緯を横軸に。
視覚的に、まだ原子力の知見が不足しているのが現在、ということを理解させる。

これは珍しくわかりやすくていいなあと思ったら、やっぱり書いていたのは気に入っている学者、畑村 洋太郎さんだった。
当ブログでも、去年の7月02日に「読後評:危険不可視社会」を取り上げている。


東大で機械工学を教えている先生だけに切り口は鋭く、テーマとして一貫してやってこられたのは「危険を可視化するということ」=「危険学」
今日の記事では、実際に被災地を回って気付かされたことを元に論述していて、非常にプラクティカルかつ俯瞰して論述しているので、強力に読ませる。
未読の方は、今日5/30(あっ、もう昨日か)の新聞を、自分 or 勤務先(笑)が捨てる前に推奨しておきたい。


一方で、前述の本のクライマックス第7章「規制・基準で安全は担保されるのか」の記述が恐ろしいので引用しておく。

<それは、知識でははるかに劣っている「役所」が規制や基準を作り続けることで、
<「規制を受ける側」が「形としてそれを守っているふり」つまり、「形骸化」
<するということ。
<一方、役所に「責任追及」と「原因究明」の両方が司法にゆだねられている
<「ねじれ」の結果、世の中に本来伝えるべき情報が、隠蔽される傾向にあるという指摘である。

これを読んだあとでは、その本「危険不可視社会」というタイトルも実に納得がいく。


日経の記事の戻ると、凄みがあるのが「強力なオチ」がつくところ。

<失敗学に学んだ原子力のつくり直しが求められている。
<日本にはその力があると思う
<それには従来とはまったく違う発想で新しい原子力のあり方について提案し、
<マスタープラン(基本設計)を描き、現在従事している人たちを使いこなせる人を
<見つけてこなくてはならない。
<大変な作業ではあるが、そうした人選や枠組みつくりは政治の力で実現しなければならない。

全くその通りの正論で、それに続く文章が以下。
<本校は、24日の自己調査・検証委員会委員長の就任決定以前にまとめたものである

世の中、意外に捨てたものじゃないかも?





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