上畑沢の延命地蔵堂境内にあります。元々は、県道を挟んで向かい側に建てられていたそうですが、道路拡張の際に移されたそうです。
昔は、日に十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の字を充てたそうです。「巳待(みまち)」とは、巳の日に講の仲間が集まって、お祈りなどをするために行われたそうです。本尊は弁財天です。七福神に出てくる「弁天様」とも呼ばれ、仏様であり神様でもあります。日本人の宗教に対するおおらかさが好きです。人のために頑張ってくれるならば、全て拝んでしまいます。長年、飢饉や凶作が続き、村人は天災を打ち払ってくれることを必死にお祈りしていたのでしょう。
この石仏の年号は長い年月で消えたのか、それとも初めから年号を入れなかったのか分かりませんでした。それでも、江戸時代であることは間違いないでしょう。渡部昇龍氏の「尾花沢の信仰と民族」によると、常盤地区では、ほぼ各地区に一体ずつがあるようです。巳待講は、全国で行われていたそうですが、畑沢ではいつごろまでやられていたのでしょう。「尾花沢の信仰と民族」には、行われていた他の講についての記述がありますが、巳待講については記述がない所を見ると、早い時期に巳待講はなくなったと考えられます。畑沢でいろんな人に聞いても、記憶がないようでした。
ところで、私は「巳待供養塔」と読みましたが、私が御指導を仰いでいる畑沢のある方が、「あれは巳ではなくて、己になっている」とおっしゃいました。そこで、よく見るとそのようにも見えます。でも、大雑把なスビタレには巳とも読めます。昔も、大雑把な石工がいたんでしょう。