-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

石仏「馬頭観世音」(3)

2013-08-27 17:49:09 | 歴史

 背炙り峠への入口(坂下)にあった「馬頭観世音」は、これまでの石仏とは異なり、形も文字もしっかりと残っています。正面に刻まれていた年号は「文久元年」とありましたので、西暦にすると1861年です。これまで私が知った石仏の中では、上畑沢の「大辯才天女」(元治元年 1864年)に次ぐ新しさです。しかも林の中に建てられて日中の温度差が少ないということもあり、風化しにくい環境にあったようです。畑沢の石仏では、最も保存状態が良いものでした。「施主」等もはっきりと読み取ることができました。施主の家系は現在も残っていて、下畑沢に住んでいる家の屋号が刻まれています。ほかに「當所若衆中」と刻まれています。畑沢の若い衆が力を尽くして作業したのでしょう。石材は凝灰岩で、畑沢産かと思います。

 この石仏が建てられる約10年前、嘉永5年(1852年)に畑沢村全体で背炙り峠に巨大な湯殿山碑を建て、翌年には背炙り峠越えの街道(背炙り古道)の正当性を公的に認め(「背炙り峠一件」での勝訴)させていました。背炙り古道の利用者が増え、村人の期待も益々、高まっていたと思います。そのような状況の中で、背炙り古道の安全を祈願してこの「馬頭観世音」が建てられたのではないでしょうか。建てられた場所は、古道の休憩場所のように少し広がった形になっていました。峠へ登る前にここで休憩して、これからの安全をお祈りした場所のようです。

 あと7年経てば、明治の時代がやってきます。明治18年に新たな背炙り越えの新道が開通するまで、古道は、畑沢もとより常盤地区全体の主要道路でした。

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