-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

石仏「馬頭観世音」

2013-08-18 19:10:58 | 歴史

 「馬頭観世音」とは、六観音の一つで本来は力づくで人を導く役割だそうですが、名前も姿も「馬」の頭ですから、本来の意味とは別に馬などの家畜の供養として建てられるようになったそうです。畑沢に限らずどこでも見られる石仏ですが、畑沢は背炙り古道での運搬作業で馬を使うことが多いので、ことさらに供養の意味合いが強いことが考えられます。

 この写真の馬頭観世音は、堂ヶ沢の入口で庚申塔の右側に鎮座しています。楯岡高校社会部の「郷土Ⅱ」で資料として掲載されている「正徳四年午七月 出羽国村山郡延沢領畑沢村高反別村差出帳」(1714年)によると、堂ヶ沢は背炙り古道への出発点として位置づけられています。単なる馬の供養だけでなく、交通の要所における馬の安全も祈っていたものと思いたいところです。

 石仏の石材は、粗い粒の凝灰岩です。畑沢産と見て間違いないようです。風化が激しくて、文字が見えにくくなっています。わずかに「馬」が読めますので、後に続く文字を「馬□観世音」と推察することができました。しかし、「頭」の文字は完全に消えています。年号は見えなくなっていますが、江戸時代でも相当、早い時期だろう思います。根拠はありませんが、「雰囲気」がそのようです。勇み足は、我が常道です。

 ところで、畑沢には馬頭観世音は一体だけだったでしょうか。いつも紹介させていただいている渡部昇龍氏の「お花座の信仰と民族」では、畑沢の馬頭観世音は一体だけを確認されています。私も今回確認できたのは、一体だけです。ところが、このほかに三体もの馬頭観世音があるらしいようです。次にそれらを紹介します。

1 下畑沢・中畑沢の間

 有路S氏によると、昔、中畑沢から荒屋敷への分岐点に馬頭観世音があったそうですが、県道拡幅の際に西側の山に移動させたと言います。私もその山中を探して見ましたが、見つけることができませんでした。しかし、馬頭観世音というものが分岐点などにも建てられるという定説に合致していますので、引き続き調査を継続する必要があります。

2 上畑沢墓地内

 尾花沢市教育委員会の専門家が調査した内容には、図入りでの馬頭観世音が記録されていました。この石仏も文字が極めて見にくくなっているようです。上畑沢の方々に聞いても御存じありませんでした。私も探してみましたが、やはり見つかりません。でも、私が言うのではなく専門家がちゃんと調査して確認されていますので、御本人から教えていただければ、すぐに確認できると思います。これも引き続き確認します。

3 背炙り峠の登り口

 古瀬T氏及び有路S氏によると、背炙り峠に入って少し歩いた左側の栗の木の下に、小さな馬頭観世音の石仏があるというのです。私はお話を聞いて現場に行ってみましたが、あたり一面に萱が生い茂り、とても確認できる状態ではありませんでした。その話を聞いた古瀬氏は、「それでは一緒に行こう」とまでおっしゃってくれましたが、何しろこの暑さでは野生児も疲れ果てていましたので、日をあらためることにしました。ここもきっとあるはずです。

以上のように、未確認の上記三体を含めると、合計四体になります。一般の地域から見ると、過剰な数ですが、背炙り古道の重要な利用実態を考えますと、妥当な数だと思います。