-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

石仏「山の神」

2013-08-14 20:01:30 | 歴史

 「山の神」と言っても、世の亭主族が尊敬し畏怖する「奥様」ではありません。本当の山の神様です。畑沢には、二体あるらしいのですが、私は一体しかまだ確認しておりません。畑沢は、耕地面積が少ない割には人口が多かった村です。炭焼きや木こりなどの山での仕事をしている村人が多かったようです。戦後、昭和40年代に石油燃料が家庭に入るまでは、畑沢での山仕事は十分とは言えないにしても、かなりの収入を占めていたものと思います。

 山からの恩恵に感謝し、山仕事の無事を祈って山の神を祀ってきました。この山の神は、「山の神沢」と「小柴沢」の間にある小高い山の頂きにあります。山の神沢という地名は、山の神の石仏があるところという意味かもしれません。この石仏の場所は、畑沢の古瀬K氏の奥さんに教えていただきました。山の神は直ぐそこにあるように思えました。ところが、いざその場所に行こうとしたのですが、道というものがありません。いつもの体力だけで挑みました。既に草刈り仕事で体力を消耗していたのですが、山に入ればそんなことは言えません。前に立ちはだかる木々を掻き分け掻き分けようやく頂上に到達しました。昔は、ちゃんと尾根沿いに道があったそうですが、守っていた人も年を取ったので、刈り払いが行われず藪になっています。

 頂上は、それまでの雰囲気とは全く異なり、神様は何本もの高い杉に囲まれて、その中央に神様が鎮座していました。さすがは山の神です。神様の雰囲気が漂っています。いわゆる「石祠」と言われるもので、石でできた「ほこら」です。材質は緻密な構造を持った良質の凝灰岩です。畑沢では産出しないものです。三角形の二つの窓から中に何かが入っているように見えましたが、いつものように中を確認しておりません。イタズラの限りを尽くしてきた元悪がきには、いつ天罰が下るか分かりません。さわらぬ神に祟りなしです。

 右側面に「延享元年 子の六月七日 □」の年月日と刻まれています。西暦1744年、江戸時代の中ごろで、過日、紹介しました関嶺和尚が生存していたころのようです。

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