-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

六地蔵

2013-08-17 17:28:55 | 歴史

 畑沢で「六地蔵」と呼ばれている石仏には、二種類があります。一つはこの写真のように、明らかに地蔵と分かる仏像が六体並んでいる六体の地蔵です。もう一種類は、石材を六面に整形して、それぞれの面に地蔵を彫った「六面幢」と呼ばれているものです。後者の方は、後日、背炙り古道との関連で紹介する予定です。

 今回は、六体の六地蔵です。この石仏に合えたのは、全くの偶然でした。これまで私が頼りてしてきた文献のどれにも出ていませんでしたので、探そうとすることすら考えられませんでした。しかも、他の石仏と異なり、いかにもありそうな場所にはありませんでした。ところが私が例の畑沢出身者同窓会の案内を配るために、通称「向い」と呼ばれている田南坊沢の家々を回っている時でした。有路H氏のお宅で、以前に石仏調査に協力していただいたお礼を述べたところ、「ところで、この奥にある六地蔵も〇〇さんが調べていた」と話して下さいました。そして、そこが「畑沢から五十沢へ行く昔のしっかりした道があった」こと、そして「昔の火葬場の入口でもあった」ことも説明してくださいました。いつごろに建てられた六地蔵であるかは、言い伝えがないようです。今でもお盆には、お供えがされているそうです。

 早速、教えていただいた場所へ向かいました。約2m巾の道がきれいに草刈りされています。お盆のためにきれいにしていたようです。人家が途切れて40mほどで右側に曲がって六地蔵が見えました。しかし、普通の六地蔵と異なり六体が一列に並んでいません。コの字型の両脇に3体ずつ向き合って並んでいます。正面には何もありません。もしかしたら、正面は火葬場の入口になっていた可能性があります。六地蔵は、六面幢と同じように重要な街道の守りの役割もあるように思えます。そして、火葬場で死者の霊を弔う意味もあったのでしょう。

 地蔵の石材は畑沢産と思われる凝灰岩です。工作もどこか畑沢の雰囲気がありますので、畑沢の石工によるものでしょう。各地蔵の名前を資料と比べながら確認しました。ところが、二体が一般的な形と異なります。それは法性地蔵と陀羅尼地蔵と見られる地蔵です。元々、全国の地蔵にはバリエーション(変異)が見られるようですので、この石仏が間違いであるということはないでしょう。畑沢型ということもできますが、隣の村山市の中沢にある六地蔵(六面幢)のタイプもこの二体の地蔵と同じ姿をしておりました。畑沢だけでなく、少なくとも背炙り古道沿いの地域は、同じタイプかもしれません。

 この石仏からは、年代を特定できるものがありませんでした。凝灰岩でできているにしては、姿かたちがしっかり残っていますが、やはりかなりの古さを感じます。ど素人の私でも、最近は思い切ったことを言うようになりました。相変わらず根拠はないのですが、石仏が醸し出す雰囲気でそのように感じます。この六地蔵がある田南坊沢は、延沢城が廃城(1622年)になってから元重臣が住み着いた場所です。六地蔵に何かを特別な意味があったことも考えられます。