ひとを励ましたり、ねぎらったり、ほめたりする言葉というのはほんとうに難しいです。
おつとめしていた時の話。
クレームを処理してヘトヘトになって帰社した上司にむかって「ごくろうさまでした!」と深深と頭を下げた同僚、「目上のものに向かって『ごくろうさま』とはどういうことだっ!」とみなの前で面罵されました。
仕方ないといえば仕方ないですけど、彼は20歳くらいの社員で、たぶんまったく知らずに悪気なしで言ったのだと思います。
あと難しいなあ・・・と思うのは、「がんばってください」という言葉。
友人か後輩にあたる関係ならなんら問題ないように思いますが、基本的に目上の人に努力を強いるのは「今、努力が足りない」という裏返しの表現ととられかねないので、これは言わないほうがいいというか、言えないというか。
「がんばれ」に価するほかの言葉も同じことだと思うのですが、ではどういえばいいか・・・・。難しいですねえ。ケースバイケースなんでょう。でもなんとか応援している気持ちを伝えたいというときは、そのまま言えばいいのか・・・・
あと、なにかを評価(すばらしかったなど)を伝える場合。
よく接待ゴルフなどで、目上の方のプレーをほめる際のマニュアルのようなものがあるようにききますけど、これも難しい。
演奏などで「うまかった」とか「よかった」などと評価することそのものが、「上から目線」になるわけで、(気心が知れてない場合)これはほんとに慎重になります。
かといって黙っているのも失礼な気がする。
素直に「感動した」気持ちを伝えるしかないと思うのですけど(ほんとに心がこもっていれば多少の失礼な言葉は問題ない場合も・・)、心底感動した場合はあふれる言葉も「(感動)中くらいなり」の場合は、ちょっと選ばなければならなかったりもします。
でも、どんな小さな感動であれ、やはり伝えるのは大切なこと、いや伝えたい、と思います。
伝える相手によってはいろいろ失敗があったとしても、伝えることそのものが自分の耳と言葉を鍛えるトレーニングにもなることで、この努力は惜しんではならない・・たとえ本人に伝えなくても、自分でやってみることは意味があると思います。
アラ探しは簡単です。けなすこともそう難しくはない。
子どものレッスンの際でも、弾けてないことを言うのは簡単、練習しなさいということも容易。
ヨレヨレの演奏に接したとき、叩き潰さず、かといっていい気にさせないようにする・・・土に埋もれた小さな芽をなんとか見つけ、傷つけずに地表に出すように、なんとか言葉をかける・・・・これは至難です。私もほとんどの場合、失敗に終わります(殴)。
やっぱり相手が子どもであっても、本来「上から目線」ではいけないですね。
どうも私は、自分の子どもであれ、よそ様の子どもであれ、自分自身ができないかも・・難しいかも・・・ということには、思わず「すごい・・・私はできないかも・・」と言ってしまうんですが、こういうことは本来「先生」としてはやっていけないことなんでしょうね(笑)。
仕方ないです、それだけの力しかありませんから。
ただ、子どもには遠慮なく「ガンバレ」といいますよ(笑)。
言ってはいけない場合が多々あることは百も承知です。
自分自身でも10~20代の頃は、他人に「ガンバレ」といわれて、「プラスの方向でなくマイナスの方向にならね・・・」とクサレ気味になったこともありますが、これはもう仕方ないですね。
応援者(団)というものはそういうものだと思っています。
これまた、かつて大学時代の師に「僕は君の応援団のひとりだ」と言われたことで、苦言をいただこうが、ガンバレと言われようが、クサレなくなったのを思い出すからです。
一般常識が要るのは仕方ない事実ではありますけど、こういう言葉の問題というのは、結局は自分の誠意と相手への配慮に帰すことなのだろう・・と思います。
ほんとにほんとに難しいことですが・・・。
おつとめしていた時の話。
クレームを処理してヘトヘトになって帰社した上司にむかって「ごくろうさまでした!」と深深と頭を下げた同僚、「目上のものに向かって『ごくろうさま』とはどういうことだっ!」とみなの前で面罵されました。
仕方ないといえば仕方ないですけど、彼は20歳くらいの社員で、たぶんまったく知らずに悪気なしで言ったのだと思います。
あと難しいなあ・・・と思うのは、「がんばってください」という言葉。
友人か後輩にあたる関係ならなんら問題ないように思いますが、基本的に目上の人に努力を強いるのは「今、努力が足りない」という裏返しの表現ととられかねないので、これは言わないほうがいいというか、言えないというか。
「がんばれ」に価するほかの言葉も同じことだと思うのですが、ではどういえばいいか・・・・。難しいですねえ。ケースバイケースなんでょう。でもなんとか応援している気持ちを伝えたいというときは、そのまま言えばいいのか・・・・
あと、なにかを評価(すばらしかったなど)を伝える場合。
よく接待ゴルフなどで、目上の方のプレーをほめる際のマニュアルのようなものがあるようにききますけど、これも難しい。
演奏などで「うまかった」とか「よかった」などと評価することそのものが、「上から目線」になるわけで、(気心が知れてない場合)これはほんとに慎重になります。
かといって黙っているのも失礼な気がする。
素直に「感動した」気持ちを伝えるしかないと思うのですけど(ほんとに心がこもっていれば多少の失礼な言葉は問題ない場合も・・)、心底感動した場合はあふれる言葉も「(感動)中くらいなり」の場合は、ちょっと選ばなければならなかったりもします。
でも、どんな小さな感動であれ、やはり伝えるのは大切なこと、いや伝えたい、と思います。
伝える相手によってはいろいろ失敗があったとしても、伝えることそのものが自分の耳と言葉を鍛えるトレーニングにもなることで、この努力は惜しんではならない・・たとえ本人に伝えなくても、自分でやってみることは意味があると思います。
アラ探しは簡単です。けなすこともそう難しくはない。
子どものレッスンの際でも、弾けてないことを言うのは簡単、練習しなさいということも容易。
ヨレヨレの演奏に接したとき、叩き潰さず、かといっていい気にさせないようにする・・・土に埋もれた小さな芽をなんとか見つけ、傷つけずに地表に出すように、なんとか言葉をかける・・・・これは至難です。私もほとんどの場合、失敗に終わります(殴)。
やっぱり相手が子どもであっても、本来「上から目線」ではいけないですね。
どうも私は、自分の子どもであれ、よそ様の子どもであれ、自分自身ができないかも・・難しいかも・・・ということには、思わず「すごい・・・私はできないかも・・」と言ってしまうんですが、こういうことは本来「先生」としてはやっていけないことなんでしょうね(笑)。
仕方ないです、それだけの力しかありませんから。
ただ、子どもには遠慮なく「ガンバレ」といいますよ(笑)。
言ってはいけない場合が多々あることは百も承知です。
自分自身でも10~20代の頃は、他人に「ガンバレ」といわれて、「プラスの方向でなくマイナスの方向にならね・・・」とクサレ気味になったこともありますが、これはもう仕方ないですね。
応援者(団)というものはそういうものだと思っています。
これまた、かつて大学時代の師に「僕は君の応援団のひとりだ」と言われたことで、苦言をいただこうが、ガンバレと言われようが、クサレなくなったのを思い出すからです。
一般常識が要るのは仕方ない事実ではありますけど、こういう言葉の問題というのは、結局は自分の誠意と相手への配慮に帰すことなのだろう・・と思います。
ほんとにほんとに難しいことですが・・・。